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長く働くより『賢く』働け 女性経験が乏しい人なんて結婚の対象外 なぜ「理想」はいつも破たんするか LGBTX座談会
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/818.html
投稿者 MR 日時 2012 年 7 月 09 日 09:42:28: cT5Wxjlo3Xe3.
 

【肥田美佐子のNYリポート】ハーバード大教授に聞く(後編)

「長く働くより『賢く』働け」

2012年 7月 6日 11:24 JST

 5月、『スマートフォンとともに寝る――24時間年中無休の習慣を打ち破り、働き方を変える方法』(ハーバード・ビジネス・レビュー・プレス)を出版したハーバード大学ビジネススクールのレスリー・パーロー教授(専門は、組織行動論、企業文化、ワークライフバランスなど)。

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写真提供:ハーバード・ビジネス・レビュー・プレス提供
 前編では、米主要コンサルティング会社を対象にした研究で、チームごとに、週1日、ノー残業で帰宅し、ワイヤレス機器へのアクセスも絶ち、好きなことをするという実験をしてもらったところ、私生活のみならず、仕事の充実度も増し、会社にとってもプラスという一石三鳥の結果が出たことについて、詳細を聞いた。チーム内で、進行状況や効率性について話し合いを重ねたことで、むだがなくなり、コミュニケーションが向上。クライアントからの評価が高まったチームさえあるという。

 自身も小さな3人の女の子を持つパーロー教授。後編では、教授自身のワークライフバランス(仕事と家庭のバランス)をはじめ、「24時間働かせる」ことがいかに非効率かなどを語ってもらった。

――日本の企業では、いまだに三が日の早朝から携帯に電話をかけてくる上司がいると聞く。妻が、頼むから出ないでくれと懇願しても、夫は対応せざるをえず、頭を抱える妻も多い。スマホにより、メールや電話で24時間連絡がとれるようになったことで生じる最大の弊害とは?

パーロー教授 いったん応じてしまうと、この人は、いつ、どこでもつかまるんだと思われ、歯止めがなくなるという悪循環に陥ってしまうことだ。大半の場合、緊急の用事とはいえ、過去に対応していなかったら、そうした電話は避けられたかもしれない。いつでもつかまる人だと思うから、かけてくるのだ。だが、それによって、自分自身が非効率な存在になってしまう。つまり、相手が、事前に事を運ばなければならないというインセンティブを持つ必要がないからである。

 社員に24時間の対応を期待することは、会社にも非効率をもたらす。なんとかして最良の方法を考えるよう強いられなくなってしまうからだ。つまり、組織として、賢明な働き方をしていないことになる。

 とはいえ、実際には、常に対応することの見返りはある。個人で、こうした状況を変えられるとは思わない。もし妻が言うように電話に出なかったら、夫は(上司から)罰せられ、仕事を失うだろう。これは、個人レベルで解決できる問題ではないと思う。周りがすべて携帯をオンにしているのに、一人で電源を切っていたら、評価はされない。

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Evgenia Eliseeva
レスリー・パーロー・ハーバード大学教授
 だが、チーム単位なら、改善できる。お正月に電話をかけてくるのは、クライアントでも顧客でもなく、あなたの上司なのだから、いつも一緒に働いている人たちで解決できる問題なのだ。そうした電話は避けられうるものであり、それによって、会社も恩恵を受ける。生産性が上がるのだ。会社全体や社会を挙げての取り組みである必要はないが、個人でできるわけでもない。あなたに電話をかけてくる人、つまり、いつも一緒に働いている人たちと解決すべきことである。

――働く時間でなく、成果で判断される米国と違い、今も終身雇用制が健在の日本では、雇用の保証の代償として、長時間労働が暗黙のうちに求められるという面もある。

パーロー教授 人々が長時間働くのは、会社がそれを評価するからだ。仮に、休暇を取ったり、電話に出なかったりすることで見返りを受けるシステムになれば、人々も変わるだろう。ワーカホリック(仕事中毒)ならぬサクセスホリック(成功中毒)に陥っている人たちを見ていて、そう感じる。彼らは、価値があるとされることをやっているのだから、その価値の何たるかが変われば、行動も変えるだろう。

 では、なぜ価値の中身を変える必要があるのか――。企業が腐心するのは最終収益だが、長く働くのではなく、「賢く」働くようにすれば、ほかでもない、その最終収益が上向く、というのが真実だからだ。

 成果主義にしろ他のシステムにしろ、効率のいい仕事の仕方ができるかどうかを心がけるよう、社員にやる気を起こさせねばならない。その点では、組織に最もコミットしている従業員でさえ、まだ十分とは言えない。とどのつまり、人々は、依然として、より良い製品を提供することに心を砕いている。問題は、そうした組織が、従業員の何に対して見返りを与えるか、だ。答えは、長時間労働である。

――長時間労働をなくすには、システム自体を変える必要がある?

パーロー教授 (何が報われるかを決める)システムは非常に重要だ。個人レベルではなく、働く方法を変えねばならない。ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)で試した、週に1晩だけ残業をせず(ワイヤレス機器へのアクセスも絶ち)チームでカバーし合って働くという、実行可能な小さなチェンジも、長い期間続ければ、社員の力となる。

 (商品の欠陥率抑制のための品質改善・プロセス管理法である)シックス・シグマや組織学習などは、イノベーション(変革)や創造性を求め、職場に活力を与えるためのものだが、チームで長時間労働を減らす試みも、非常に好ましい一連の恩恵を職場にもたらす別の方法であることが分かる。

 ただ、問題は、お正月に電話がかかってきたとき、夫は、できるなら電話を取りたくないと思っているのか。できるなら、いつも働きたくなんかないと思っているのか、だ。

――本人もそうだが、家族の意識を変えることも大切では?

パーロー教授 どの程度なら許容範囲かを認識することが必要である。よく言うのだが、拙著のベストカスタマーは、(働きすぎの家族を持つ)配偶者だと思っている。問題を認識し、夫や妻にも気づいてもらいたい、状況を変えたいと最も切望しているのは、配偶者だからだ。「そんなふうにいつも働く必要はないんじゃないか。あなたが働き方を変えられるよう、わたし(僕)が一肌脱ごう」と、少しプレッシャーをかけることもできる。

――ワーカホリックな日本男性も依然として多いなか、彼らの意識を変える最良の方法は何か。労働時間に枠をはめるなど、法規制が有用だと思うか。

パーロー教授 これという答えは見つからないが、実行可能な、小さなステップを通して、大きなインパクトを与えることができる。わたしたちは、自分たちの生活を変えるためのパワーを持つべきだ。ある一定の時間に(携帯端末)ブラックベリーを使わないよう義務づけている組織もあるが、それでは問題解決の答えにはならない。対話を持って、どのように働くべきか、どのように協力し合って効果を生み出せるかを再考し、私生活を享受してもいいんだと納得することが、非常に大切である。

――働きすぎの日本の人たちにメッセージを。

パーロー教授 (ワークライフバランスを)率先して推し進めることに関心がある人たちが喚起されるよう願っている。改善する気なら、いくらでも機会はある。周りが始めるのを待つ必要はない。先陣を切って動けば、自分自身だけでなく、家族にも、そして、最も重要なことに、組織にも多くの機会をもたらす。幾分リスクを感じるかもしれないが、仕事や組織をより良くするための好機なのだ。相乗効果によって、仕事と生活を向上させることができる。生産性も上がるはずだ。

 景気が良くない今だからこそ、この問題が、かつてないほどの重要性を帯びている。経済が低迷しているから、もっともっと一生懸命働かなければとは思っても、もっともっと賢く働かねば、とは考えない。実際のところ、わたしたちは、苦心して出そうとしている結果を遂行する能力を自ら損ねているのだ。

――教授自身のワークライフバランスについて教えてほしい。(家族の食事を作ってくれる)パーソナルシェフなどは雇っている?

パーロー教授 週に1度、家を掃除してくれるハウスキーパーと、3人の小さな子どもたち(6歳の女児と4歳の双子の女の子)の世話をしてくれるナニーがいる。夫もフルタイムの仕事に就いているが、子供たちの面倒を熱心に見てくれる。わたしたち夫婦も、チームとして協力し、お互いをカバーするという、わたしの研究での試みを実現すべく、努力を重ねる日々だ。休みを取り、携帯の電源を切ることは、家族にとって重要であるばかりでなく、仕事でも家でも効率的に物事を運ぶためにも大切なのである。

――ブラックベリーをチェックする頻度は? 取材申し込みへのレスは速かったが。

パーロー教授 (頻度は)まちまちだ。過去24時間はチェックしていないため、メールがたまっている。だが、重要だと思われることの1つは、チームで動けば動くほど、カバーしてくれる人が出てくるので、絶えずブラックベリーをチェックする必要がなくなるということだ。

――ワークライフバランスを心がけるにあたって、教授自身が最も大切にしていることは?

パーロー教授 子供たちとできるかぎり長い時間を過ごすこと、である。わたしのプライオリティー(優先順位)は娘たちにあるため、彼女たちと過ごす時間を最大化するためなら、何でもするだろう。子供たちが起きている日中は、オフの時間をたっぷりとるが、夜になると、昼間の分を調整すべく、たくさん仕事をする。

――ワークライフバランスを実現するために、最も大切なことは何か。

パーロー教授 まず、これは女性の問題ではなく、みんなの問題だと認識すること。そして、仕事と生活の問題を解決することは、組織の敵ではなく、仕事と私生活のどちらもより良くするための機会だと認識することである。仕事で幸福感が増せば、充実感や達成感も増す。もちろん、仕事そのものも向上する。

*****************

肥田美佐子 (ひだ・みさこ) フリージャーナリスト


Ran Suzuki
  東京生まれ。『ニューズウィーク日本版』の編集などを経て、1997年渡米。ニューヨークの米系広告代理店やケーブルテレビネットワーク・制作会社などにエディター、シニアエディターとして勤務後、フリーに。2007年、国際労働機関国際研修所(ITC-ILO)の報道機関向け研修・コンペ(イタリア・トリノ)に参加。日本の過労死問題の英文報道記事で同機関第1回メディア賞を受賞。2008年6月、ジュネーブでの授賞式、およびILO年次総会に招聘される。2009年10月、ペンシルベニア大学ウォートン校(経営大学院)のビジネスジャーナリスト向け研修を修了。現在、『週刊エコノミスト』 『週刊東洋経済』 『プレジデント』『ニューズウィーク日本版』などに寄稿。『週刊新潮』、NHKなどの取材、ラジオの時事番組への出演、日本語の著書(ルポ)や英文記事の執筆、経済関連書籍の翻訳にも携わるかたわら、日米での講演も行う。翻訳書に『私たちは“99%”だ――ドキュメント、ウォール街を占拠せよ』、共訳書に 『プレニテュード――新しい<豊かさ>の経済学』『ワーキング・プア――アメリカの下層社会』(いずれも岩波書店刊)など。マンハッタン在住。 http://www.misakohida.com

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「ロス婚」漂流記〜なぜ結婚に夢も希望も持てないのか?

【第34回】 2012年7月9日
宮崎智之 [プレスラボ/ライター]

「女性経験が乏しい人なんて、結婚の対象外!」
男の恋愛能力を品定めする女たちの“あんまりな本音”

「経験人数ゼロ」も「イケメン」もダメ!
女性の厳しい意見の数々に耳を傾けよ

 男性読者の皆さんは、これまでどれだけの女性と交際してきただろうか? もしかしたら人数を思い出すのに苦労するほどのプレーボーイもいるかもしれない。筆者のような半端者には羨ましい限りである。

 もちろん、交際人数が多いからいいというものではない。あまりにも多すぎると、「遊び人」の烙印を押されてしまい、女性からドン引きされてしまうこともあるだろう。

 しかし、いつかは結婚したいならば、ある程度の人数の女性と付き合っておいた方がいいことも事実。実際に、周辺調査をしてみると、交際人数が少ない男性に対して、厳しい評価を下す女性が意外に多いことがわかる。

 ただ、多すぎても、少なすぎてもダメとなると、いったいどれくらいが適正なのか、男性としては頭を悩ますところであろう。

 ということで、今回は、複数の女性へのインタビューを基に、「女性が結婚相手に求める交際人数」について考えてみた。筆者が聞き取り調査したなかで特徴的だった意見を、カテゴリーに分けて紹介したい。

 あまりに辛辣な意見に「余計なお世話だ!」と憤慨する人もいるかもしれないが(私もその1人だ)、ここはひとつ世の女性の声に耳を傾けて、自身の恋愛を省みる機会にしてほしい。

 まず、一番多かったのは、「交際人数がゼロの人とは結婚したくない」という意見だ。

次のページ>> 経験人数「ゼロ」と「1」の間には、宇宙より広い溝が存在する?

女性経験「ゼロ」と「1」の間には
宇宙より広い溝が存在する?

「私は、結婚する男性がこれまで何人と付き合っているかは、まったく気にしません。でも、ゼロだけは絶対に引いちゃいます。今まで何をしてきたのだろうって。コミュニケーションする力が他の人より低いのかもしれないと、心配になってしまいますね。ゼロと1人には、宇宙より広い溝が存在するように思います」(20代)

「結婚すれば毎日一緒に過ごすわけですから、女性への耐性は付けておいてほしいです。偏見かもしれませんが、交際経験ゼロの男性は、『女性は綺麗なもの』という思い込みが激しい気がします。友人にそういう男性がいて、大声で話したり、ビールを飲み干したりするだけでも、『女性らしくない』と嫌な顔をしてきます」(20代)

「交際経験がゼロの男性は、束縛したり結婚した女性に依存したりしそう」(30代)

 なかには、“夜の営み”に対する不安を漏らす女性もいた。

「やっぱり、できれば男性にリードしてもらいたいし、経験がない人は、どこかで間違った知識を仕入れてきて、普通ならあり得ないことを要求してきそう……」(30代)

 パートナーエージェントの調査によると、未婚男性(40〜50代)のうち、14.9%が交際した経験を持っていないという。「結婚する女性が交際経験ゼロでもいい」という男性は結構いると思うが、逆の場合は厳しい評価となってしまうようだ。

 先ほどの意見と少し似ているのが、「イケメンなのに交際人数が少ないのは嫌だ」という声だ。

次のページ>> イケメンなのに交際人数が少ないと、逆に怪しく思える……。

イケメンなのに交際人数が少ないと
逆に怪しく思えてしまう……。

「イケメンなのに交際経験が極端に少なかったり、ゼロだったりすると、余計に怪しく思ってしまいます。なんか性格に問題があるのかな……と」(20代)

「イケメンなのに性格が暗かったり、部屋に閉じこもってネットとかアニメとか見てばっかりな友人がいますが、すごく残念に思います。結婚相手はイケメンの方がいいけど、やっぱり性格や趣味が合うことの方を優先したいです」(20代)

 少数ではあるが、上記のように「イケメンはイケメンらしく、たくさんの女性と付き合っていてほしい」という意見があることも確か。イケメンからすると、とんだ言いがかりだに思うかもしれないが、「イケメンなのに」と言われてしまうあたりが、イイ男の辛いところなのだろう。

 交際人数が少ない男性が嫌だと言うことは、当然、「たくさんの女性と付き合っていてほしい」という意見もある。

「交際人数が少ないということは、それまで女性に選ばれてこなかったということ。遊び人は嫌ですが、イイ男ならたくさんの女性と付き合っているはずですよね」(30代)

「最低でも、自分より1人か2人は交際人数が多い男性がいいと思います。結婚してからも男性が優位に立って欲しいですし」(20代)

次のページ>> 市場原理から言えば、女性の「オンリーワンがいい」は嘘?

市場原理を勝ち抜いた優秀な遺伝子を
女性の「オンリーワンがいい」は嘘?

「『オンリーワンでいたい』という女性は多いですが、本音を言えば『たくさんの女性を選べる実力がある男性に、自分だけをオンリーワンで選んで欲しい』ということ。モテる男性は、やっぱり女性の扱い方が上手いですし、余裕があって優しい人も多いです」(30代)

 選び抜かれた優秀な遺伝子を求めるのは、生存本能によるものなのだろうか。しかし、「モテる男ほど女心がわかる」という意見には、反論の余地がないように思える。ちなみに、「遊び人は嫌ですが……」と答えた女性に、何人が上限か聞いたところ「20人」という答えが返ってきた。

 もちろん、交際人数が少ない男性と結婚したいという女性もいる。

「私自身がそんなに交際経験が多い方ではないので、結婚する相手の男性も少ない方がいいです。価値観が合わなそうだし、そもそも本当に好きになった女性としか付き合っていない人ならば、そんなに人数が多くはならないはずだと思うのですが。もちろん、モテる人は浮気の心配もありますし……」(20歳)

 さらに、20代の既婚女性からは、こんな実体験を語ってもらった。

「私の夫は、20代後半まで1人としか付き合ったことがありませんでしたが、コミュニケーション能力が低いことはありません。遊んでない人と結婚すると、その後に爆発してしまうという話も良く聞きますが、うちの夫は『女性を口説くのが面倒くさい』と言っているので、浮気の心配もありません。そもそも、交際経験が多い女性慣れしている男性を見ると、私の方が引いてしまいます」

 この女性の夫は、つまり草食系男子なのだろう。ゴリゴリ系の肉食系男子が苦手だという女性は、確かに一定層いる。

次のページ>> 最も理想なのは、少ない数の女性と長期間付き合っていた男性

 最後に、筆者が一番、納得した意見を紹介しよう。それは、「交際回数より、交際経験の長さの方が重要」とする指摘だ。

やはり経験が少ない方が信頼できる?
理想は女性と長期間付き合っていた男性

「交際回数が多くても、短い期間しか付き合っていなければ、女性とのコミュニケーション能力が高いとは言えないと思います。理想は、1人か2人の女性と数年付き合った後に、私と結婚するというパターンかな」(20代)

●ロス婚の福音

 最後に登場した女性の意見を友人の経営者に話したところ、「採用活動でも似たようなことを思うときがある」と教えてくれた。

「中途採用を行なうとき、まず気にするのは前の会社に何年にいたかということ。少なすぎると、長く勤める根性がないのかと疑ってしまいます。確かに、何度も転職してキャリアアップしている人は、それなりの魅力があるけど、踏み台にされてすぐに辞められちゃうのかなとか、思ったりしもします」

 結婚にも就職にも必要なのは、やっぱり「信頼」だということだろう。今回は男性側の意見を集めなかったが、機会があったらぜひ聞いてみたいと思っている。もしこの記事の内容に納得がいかず、どうしても言いたいことがあるという方は、筆者のツイッターにご連絡いただきたい。全てに返信できないとは思うが、必ず目を通したいと思う。

 ちなみに私自身は、交際経験が極端に多すぎる(それこそ20人とか)女性ではなければいいと思っている。しかし、それを女性の友人に話したら、「女性は交際経験を半分は少なく申告するので気を付けて!」と忠告されてしまった。全く、世知辛い世の中である。


質問1 男性読者に質問です。あなたはこれまで何人の女性と付き合った経験がある?
なし
1人だけ
2〜5人
6〜10人
11〜15人
16〜20人
21人以上

>>投票結果を見る

http://diamond.jp/articles/-/21230


香山リカの「ほどほど論」のススメ

【第36回】 2012年7月9日
香山リカ [精神科医、立教大学現代心理学部教授]

望んだはずのことなのに、
なぜ「理想」はいつも破たんしてしまうのか

あこがれの生活スタイルだったはずが

「よかれと思ってやったことが、うまくいかない」

 そういうことが、何だか最近多いような気がします。

 自分のまわりを見ても、世界を見ても「昔よりよくなった」と自信を持っていえることが意外に少ない。むしろ世界規模で、さまざまな試みや新たな制度設計がことごとくうまくいっていない。そんな気がするのです。

 世界経済を揺るがしているヨーロッパ財政危機もその一つといえるでしょう。そもそもは「ヨーロッパは一つ」という理念のもと、EU(欧州連合)が発足。域内の障壁をなくして経済成長を促進するべく、通貨統合も実施されました。ところが、今の状況は、その目論見が逆に作用してしまったといってもいい。ヨーロッパのなかに救済する側と救済される側の経済的・感情的な亀裂を生んでしまった。まったく皮肉なことです。

 振り返ってみると、ヨーロッパ的なライフスタイルが長らく日本人のお手本とされていた感もありました。

 週の労働時間が40時間にも満たないのに何週間もバカンスを取って海辺で肌をこんがり焼いている姿や、夫婦ならんで公園でのんびり乳母車を押している姿を見ては、家族そろっての夕飯もままならない我が身を振り返り「いいなあ」とため息をついていた人もいたことでしょう。

 私生活を犠牲にして経済成長を求めるのではなく、プライベートな人生を充実させる。そういうスローライフこそが理想なんだ。ついこのあいだまで、ヨーロッパを礼賛する声がありました。

 ところが、ここにきて生活重視のスタイルが経済停滞の一因であることが明らかになってきた。結局、日本で理想とされてきたヨーロッパのスタイルにも限界があるということなのでしょう。

次のページ>> 次々に破たんしていく「理想」


「世界の理想」とされてきた北欧も例外ではありません。

 北欧といえば、充実した福祉政策のおかげで、高齢者も、女性も、子どもも、若者も、みんなが満ち足りた生活を送っている。ヨーロッパの他国で見られるような貧困や格差の問題もほとんどなく、世界幸福度ランキングでは常に上位をキープ。そうしたイメージを抱いている人が大多数ではないでしょうか。

 以前参加したスウェーデンの学会で、ある学者がこんな話をしてくれました。彼女が日本の引きこもりの若者の話をしたところ、北欧の学者たちは次のように断言したとか。「私たちの国では18歳で親元を離れるのが一般的。引きこもりなんてありえない」と。

 けれど、学会の後に、一人の女性の学者がそっと近寄ってきてこうささやいたそうです。「実は、私の息子は引きこもりなんです」。彼女いわく「息子はネットやアニメに夢中になって部屋にこもりきり。自立どころじゃない」とか。

 実際にスウェーデンの若年層(15〜24歳)の失業率は25%超で、同国の全世代平均の3倍以上にのぼります。彼だけが特別な存在ではなさそうです。福祉を支えるための重い税負担が労働意欲の低下を招き、知識労働を担っている人材の国外流出が止まらないともいわれる。そんな負の側面がいろいろと出てきています。

 かたや、自由競争と自己責任を柱とするアメリカ式自由主義経済も旗色が悪い。では日本スタイルはどうか。というと、これまたダメ。目下、社会保障と税の一体改革が進められていますが、政局のゴタゴタばかりが目立っています。

 こうして見ても、やっぱりどこも「うまくいっていない」

次のページ>> 「発達障害」はケアされるべきか

 先日、ある県の学校の先生と不登校問題について話す機会がありました。その先生がこう断言したのです。「学校の運営がいい方向に向かっているとは思えない。不登校児も増えるばかりだ」と。聞くと、数年前から不登校問題の解決に向け、新たな体制を組んだそうですが、それがちっともうまくいっていない。「担任の先生だけに任せるのではなく、心理士、スクールカウンセラー、ケースワーカーなどの専門家を加えたチームを組んだのです。そうすれば、もっといいケアができるだろう、と。けれどね……」

 結局は一人の先生の「私がこの子を立ち直らせるんだ」という熱意に勝るものはないのでしょうか。システマチックに役割分担をはかったことが、逆に責任の所在をあいまいにしてしまった。肝心の不登校児を減らす結果に結びついていないそうなのです。

 実は、ずっと感じていることですが、精神医療においても同様のことが起こっています。はっきり実感したのは、数年前のこと。長年、出席していなかった小学校の同窓会に出たのがきっかけでした。同級生と久々に語らいながら、自分の思い込みにハッとさせられたのです。

 発達障害という言葉を耳にしたことのある人は多いはず。以前は知られていなかったADHD(多動性障害)やアスペルガー症候群といった発達障害に対する社会の認知度は、ここ十年で格段に高まっている。学校内でも専門家による特別なケアが実施されるようになっています。

 しかし、私が子どもの頃は、研究も進んでいなければ、ケアシステムも存在しませんでした。精神科医になりたての頃、発達障害の概念に触れた私はこんなふうに思ったのです。「そうか、授業中に落ち着きがなかったA君は、きっとADHDだったんだな」「コミュニケーションが苦手だったC子ちゃんは、アスペルガー症候群だったに違いない」

 けれど、彼らはちょっとした「変わり者」「個性的な子」として、普通の子どもたちと同様に過ごしていました。「今だったら適切なケアが受けられたのに、彼らは不遇な時代を生きてしまったもんだなあ」。勝手にそう思い込んでいたのです。

 ところが、同窓会で数十年ぶりにA君、C子ちゃんに会ってビックリしました。予想に反して、彼らは立派な大人になっていたのです。確かに言動には幼少時の「個性」が見え隠れする。けれど、A君は営業マン、C子ちゃんは美容師として、それぞれ活躍している。

 私は考え込んでしまいました。彼らが今の時代に小学生として生きていたらどうだっただろう、と。発達障害の子どもとして特別支援学級に入れられていたら? カウンセラーや特別学級の先生から熱心なケアを受けていたら? 数十年後、彼らは今のようになっていたでしょうか。

 医学に限らず、様々な分野で最先端の研究が進行しています。ある種の勘や情熱や根性で押し切ってきたことが、よりシステマチックに明文化・制度化されるようになっています。

 たとえば、会社の組織も旧来の部署制から合理的なプロジェクト制やチーム制に移行しつつある。そのほうが成果も見えやすく、ムダもないでしょう。けれど、一方で組織の団結力が失われ、制度からこぼれ落ちるような「社内ノマド」が生まれてきているのは以前にも書いた通りです。

次のページ>> 「空になりたい」学生たち

「昔のほうがよかったなあ」というのは、おそらく今に限らずいつの時代にもいわれてきたことでしょう。昔のほうが、ずっと物事がうまくいっていたし、人は幸せに暮らしていた。ある程度の年齢に達すれば、オトナはみんなそういうことを口にするものです。

 が、そうはいっても、何をやっても八方ふさがりでうまくいかないというこの状況は、今の時代に特有のものなのではないか、と思わずにはいられません。「それは単にアンタが歳を取っただけだろう」というツッコミが飛んでくるのを覚悟のうえでいうわけですが。

 毎年、大学一年生向けの最初の授業で、次のような質問をします。

「何にでもなれるとしたら、今、何になりたい?」

 いつも様々な答えが返ってきますが、ここ数年の傾向として「ネコになりたい」「空になりたい」「木になりたい」など、人間以外のものが目立ちます。もちろん「レディー・ガガになりたい」「宇宙飛行士になりたい」と無邪気に答える学生もいるものの、やはり動物、植物、自然現象などが多い。

 学生たちに「どうして空なの? 空は自分が空ということを意識できないかもしれないよ」。そう聞くと、「そんなこと、どうでもいいんです。とにかく楽になりたい。何も考えたくない」なんて、いうわけです。

 もはや自分の意思や自我さえもきれいさっぱり捨て去ってしまいたい、ということなのでしょうか。特に深く考えて答えたわけではないのでしょうが、学生たちの言葉には、何か本質的なことが含まれているように感じます。

 何をやっても何も変わらない。何もよくならない。それならば、いっそのこと何も考えず、何もしないほうがいいんじゃないか。そういうどうにもしがたい絶望感を学生たちは「空になりたい」と表現したのかもしれません。

 来週でこの連載はいよいよ最終回を迎えます。東日本大震災の直後から始まった『「こころの復興」で大切なこと』から引き続き、1年以上もご愛読いただき、本当にありがとうございました。
http://diamond.jp/articles/-/21204


LGBTX座談会(下)
社会を構成する全員に関わること
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「LGBTX座談会(上) 私たちは特別な存在ではない」の続編をお送りする。LGBTとは、レズビアン(女性に惹かれる女性)、ゲイ(男性に惹かれる男性)、バイ・セクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー(性同一性障害)の頭文字を取った総称であり、セクシャル・マイノリティ(性的少数者)を指す。個々人のセクシャリティは、@身体の性、A心の性、B好きになる性の組み合わせでできているので、実際には多様性がある――。LGBTの人たちは、じつは人口の約5%はいるとされる。

「週刊ダイヤモンド」7月14日号の第2特集(市場規模5兆7000億円/「LGBT市場」を攻略せよ!)との共同企画として、それぞれ異なるセクシャリティを持つ当事者に集まっていただき、LGBTであること明かして生きる道を選んだ方々の“生の声”を聞かせてもらった。(「週刊ダイヤモンド」編集部 池冨仁、ダイヤモンド・オンライン編集部 片田江康男)

ネガティブな感情的反発は
「知らないこと」から来る


Photo by Shinichi Yokoyama
――では、企業において、LGBTの当事者に対して、ストレート(異性愛者)の人は、どのようなコミュニケーションを取ったらよいでしょうか。たとえば、部下との距離をもう少し縮めたいと考えている善意の上司や、「LGBTではないか?」と社内で噂される部下のことを親身になって考えてあげたいと思うような上司は、当事者にダイレクトに聞いてもよいものでしょうか。

ひろこさん:それはケース・バイ・ケースだと思います。LGBTの人たちは、会社でバレることに対してものすごく恐怖心を持っています。ストレートの人が「よかれ」と思って言ってくれても、「この人はどういうつもりで言っているのだろう?」と構えてしまいます。

 というのも、セクシャリティの話はとかくセックスの話と結び付けられてしまいがちで、一生懸命説明しても結局はそう見られてしまうということが多いことから、これまで何度も悲しい思いをしました。

 ですから、その上司との関係性にもよるので、一概に言えませんが、たとえば「この人なら話せる」という雰囲気を少しずつ出してあげることが大事なのではないかと思います。いきなりセクシャリティの話を持ち出すのではなく、さりげなくLGBTフレンドリーさをアピールするのです。

 海外の調査では、LGBTは約30人に1人は存在すると言われています。となると、同じ職場の中にいても当然という計算になります。大企業でしたら、数十人の単位でいてもおかしくないでしょう。

 自分の経験から言えば、「いきなり聞く」のではなく、「まずは受け入れ態勢を整えてあげる」ほうが、だんだんと互いに歩み寄れるようになると思います。たとえば、「最近調子はどう?」「悩みがあったらなんでも聞くからね」と声をかけて、少しずつです。職場ということで言えば、もうちょっと慎重であってほしいです。

西川麻実さん:LGBTの側でも、話を聞いてほしい人には、そういうオーラというか、サインを出していると思います。たとえば、「彼氏はいますか?」と問われれば、誇らしげに「恋人はいます」と返事をする、けっしてスカートを履かない女性にはそのチョイスをさりげなく指摘してあげるなど、こちらが「よくぞ気付いてくれた!」と意気に感じるようなことです。

溝口哲也さん:それはまた、ハードルが高い(笑)。

次のページ>> 「初めて」からくる恐怖心

「初めて」からくる恐怖心
「知らない」からくる反発

――しかしながら、日本の企業では、LGBTについての認知はまだまだこれからですし、口にしただけで感情的に反発される場合もあると思います。当事者の間でも、「言うべき」という人もいれば、「言わないほうがよい」という人もいます。なぜなら、日本では、今のところ社会全体がLGBTを受け入れるだけの寛容さを持てていないのではないかと思われるからです。

溝口哲也さん:自分は、大学でセクシャリティをテーマに話をする機会が多くあります。ゲイであること自体に対して、たとえば「(子孫を残さないということは)血統を絶やすのか」という反発はあるかと思います。でも、そういうことを言う人は、己の信念から言っているのではなく、雰囲気というか、空気というか、ノリで言っているに過ぎないのではないかと考えています。

 現在の世の中で、常識と考えられていることでも、昔はそうではなかったということがたくさんあります。たとえば、日本人が牛肉を食べ始めたのは明治時代からですし、女性に参政権が認められたのは戦後になってからです。ですから、現在、LGBTにネガティブな感情を持っている人は、その昔に「女性には参政権を与えるべきではない」と主張していた人と同じなのではないかと思います。

 いったん、制度が整えられれば、「今はそういう時代だよね」と容認されていくでしょう。なかには、確たる信念を持って反対し続ける人もいると思いますが、マジョリティではなくなります。

小野緑さん:私は、あることがキッカケでバレてしまったので、2年前に職場でカムアウトせざるをえませんでした。社長からは、「オマエはそれでなにか権利を主張しようとするのか?」と言われて驚きました。そんなつもりは全然ないのに。

 ドメスティックな小さな会社なので、私が最初の例だったことから、職場の同僚からは「初めて見た」とまで言われました。彼らは、怖がっているのだと感じましたね。どう接してよいのか、わからなかったのだと思います。

 しかし、ずっと一緒に働いてきて、私のこともよく知っているわけですから、なぜ自分のセクシャリティを明かしただけで、急に怖がられる必要があるのでしょうか。社会を転覆させようだなんて、考えていませんよ(笑)。

 でも、面白かったのは、それから半年間、質問責めにあったのです。なかには、「どういうエッチをするのですか?」という失礼なことも聞かれましたが、そうこうしているうちに、彼らの怖れのようなものがなくなってきたようです。個人的には、いきなり切り出すより、少しずつステップを踏むように明かしていくほうがよいのではないかと考えています。

溝口哲也さん:LGBTに対する反発は、「知らないこと」から生まれ、それが怖れにつながっていたのだと思います。日本は、社会が同質化・均質化していることを重視する文化が影響しているのかもしれません。でも、そう考えると、むしろ日本は、潜在的にLGBTを受け入れる素地があるはずです。

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企業に対する厳しい目
美辞麗句はすぐにバレる

――日本の企業の事例は少ないですが、ある企業が「LGBTフレンドリー」(親LGBT)だと知った場合は、消費者としての意識は変わりますか。米国のあるLGBT専門のコンサルティング会社のレポートでは、「LGBTフレンドリーの会社にはお金が集まる」とされています。

西川麻実さん:はい。LGBTフレンドリーの会社から買うようになりますね。

藥師実芳さん:携帯電話は、ソフトバンク・モバイルを選びました。

溝口哲也さん:私も、同性カップルでも加入できる「ホワイト家族24」(家族割)のサービスが利用できるので、ソフトバンクにしました。

ひろこさん:日本でも、一部の先進的な企業は、LGBTマーケットに向けてPRを始めていますし、サービスを展開しています。ですが、ひと頃の環境保護ブームと一緒で、企業が単なるマーケットとしてしか捉えていないのであれば、すぐにバレると思います。

 LGBTと形式的に打ち出しているだけだったり、自社の社員に対する施策が整っていなかったりするようでは、LGBTコミュニティには口コミで一気に広まります。「あの会社はオモテ向きには美辞麗句を並べているけれど、社内のLGBT社員に対する差別が酷い」というようでは、その会社の製品を買わなくなるでしょう。

LGBTと一口にいっても
実際は人によってバラバラ

――LGBT先進国の米国で、当事者の人たちに話を聞くと、「日本人も勇気を出してビジュアライズせよ」(態度を鮮明にせよ)と言う人が少なくないのですが、その点についてはいかがですか。

溝口哲也さん:当事者たちがLGBTと声高に主張することで、イロモノ的に「また新しい価値観が出てきた」と社会から受け止められるのは、ちょっと違うと思います。むしろ、自分と異なる人を認める、多様な生き方を尊重する、多様性に対する価値観を醸成することを認めるような社会であってほしい。

西川麻実さん:そうそう、そこがベースになる。

ひろこさん:今の日本社会にとって、「ビジュアライズしなさいよ」という思いはわかりますが、現状ではできていないというのが実態です。

 LGBTの人たちは、ものすごい抑圧を受けて生きています。それを苦にして、自ら死を選ぶ人もいます。抑圧を受けている人たちに対して、「がんばれよ」というのではなく、「いかにサポートできるか」を考えてほしいと思います。

次のページ>> 絵本読み聞かせ段階からLGBTに触れる必要がある

絵本読み聞かせ段階から
多様性教育の工夫が必要

西川麻実さん:私は、進学塾で子どもたちに勉強を教えています。時々、LGBTやLGBTのファミリーが出てくるような絵本があるとよいなと考えることがあります。かつてある教材に「オカマッチ」というひどいあだ名の子どもが出てきたことがあります。やはり絵本で、読み聞かせの段階から始めないと、日本は多様性を貴ぶような世の中にはならない。

小野緑さん:中学校の高学年になると、子どもの世界でも「社会化」とでもいう現象が進みます。たとえば、なにかに対して「それは変だよねえ」と言って、もうそれ以上は受け入れなくなるのです。

 ですから、その前に教育の分野で、多様性ということについてもっと工夫したほうが、結果的に皆がハッピーになれると思います。

松中権さん:ビジュアライズに関しては、ぼくは使命感のようなものを持っています。これまで先輩たちが苦労して築いてきた道を、後ろに続く後輩たちにつなげていく責務がある。

 これまでLGBTとされる人たちは、そもそも働いていなかったり、働くことができなかったりしたことで、社会の偏見を生んでいたのだと思います。その点、仕事を持って、普通の生活を送ることができるぼくの世代はラッキーだとさえ感じています。

溝口哲也さん:社会に対して、発言できる人は発言することで、ちょっとずつ世の中のムードが変わり、同じような人が増えていくことで、また発言できる機会も人も増えていくでしょう。

西川麻実さん:言える人は、言えるだけの量を言っていくのがよいと思います。当然、個人差はありますが、少しずつ量を増やしていく。

 とはいえ、カムアウトの強制にはなりたくないですね。それで、ストレスを感じてしまう人もいます。状況が整っていないのに、無理やり精神的に追い込まれてカムアウトするようでは、かえってよくないと思います。

ひろこさん:本当に、一つひとつの小さなカムアウトの連続によって、社会は変わっていくものだと思います。

次のページ>> 性的な存在である前に仕事を持つ普通の生活者

性的な存在である前に
仕事を持つ普通の生活者

――改めて、それぞれ異なるセクシャリティを持つ立場から、世の中に訴えておきたいことはありますか。

藥師実芳さん:ぼくは学生なので、「就職活動中の学生にもLGBTがいるんだよ」ということを知ってほしい。トランスジェンダーは、自分のセクシャリティを話さざるをえないので、本当に息苦しいのです。

 これまで企業の面接でも、たとえばセクシャル・ハラスメント的なことを経験しました。たとえば、ある企業では、ぼくだけ面接時間を3分に減らされました。また、別の企業では20分のうち18分を性同一性障害の説明に費やし、最後に面接官から「キミはそれしかないの?」と言われたこともあります。企業の人には、就活学生の中にもトランスジェンダーがいるということを知ってほしいです。


Photo by S.Y
佐々木笹さん:世の中の人たちにわかってほしいのは、「性別は男女だけではない」ということです。それだけは、声を大にして言っていきたい。

溝口哲也さん:読者の中には、「LGBTについて知る必要があるのか?」と思う人がいるかもしれません。でも、たとえば、職場の同僚が既婚者か未婚者かということは、皆が知っていますよね。セクシャリティは、それと同じことだと考えています。人と人が社会的な関係を築く上では、把握していて当然のことだし、むしろそれが言えない状況のほうが間違っている。

松中権さん:LGBTというのは、色彩のグラデーションのようなものだと思います。LGBTと聞くと、なんとなくお洒落に聞こえるかもしれませんが、その間はグラデーションみたいに少しずつ異なる色合いで構成されています。身体の性と心の性、そして好きになる性まで、実際は人によってバラバラです。それをLGBTとひとくくりにしてもよいのだろうかと考えることがあります。

 一口にLGBTといっても、ゲイはパワー・マイノリティというか、相対的な人数が多いので声を上げやすい。一方で、レズビアンやトランスジェンダーの人たちは、なかなか言い出しにくいかもしれません。

 バイ・セクシャルの人は、もっとなにかを言いにくい状況にあると思います。LGBTには、そういう違いもあることを知ってほしいですね。

ひろこさん:レズビアンだから、と性的なイメージを付与されることは本当に嫌ですね。それは私にとって大事なことですが、すべてではありません。

 性的な存在である前に、仕事を持つ普通の生活者であり、消費者です。LGBTは、すごく特別な存在ではありません。ただ、多くの人が「なんのことか知らないだけ」なのだと思います。

 まず、LGBTの人たちは人口の約5%といわれるほど一定の割合で存在していますし、自分の職場にも取引先にもいるのではないかと想定してほしいのです。この社会を構成する人たちの頭のスミに置いてほしい。そこから、すべてが始まると考えています。

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01. 2012年7月10日 18:42:29 : Pj82T22SRI

米国の“専業主夫”事情

エリートビジネスウーマンを支える「内助の功」

2012年7月10日(火)  土方 奈美

 6月の父の日に合わせて、米ABCニュースが深夜の報道番組「ナイトライン」で「増加する主夫(Stay-at-Home Dads on the Rise)」という特集を組んでいた。国勢調査では過去10年で主夫の数が2倍以上に膨らみ、15万4000人に達したという。

 「本日はトロフィー・ハズバンドについてお伝えします」。特集の冒頭、キャスターはこう語った。この番組によると、“trophy husbands”とは「料理や洗濯などの家事一切を引き受け、妻の弁当を用意し、子供のためにプレイデート(遊ぶ約束)をアレンジし、さらにジムで身体を鍛えるなど健康意識の高い夫」を指すという。stay-at-home dadが単なる“主夫”であるのに対し、trophy husbandは“かっこいい主夫、イケてる主夫”というニュアンスのようだ。

「この生活は良い機会さ」と笑顔見せる主夫

 番組に登場したカップルの妻たちは、税理士やメディア企業のCEOなど“alpha women(アルファ・ウーマン)”と呼ばれるようなエリートばかり。夫たちはそんな妻を会社に送り出すと、家事をこなし、幼い子供を水泳教室に連れていったり、主夫同士集まって子供を遊ばせたりしながら1日を過ごす。ある男性は「この生活はchallenge(試練)なんかじゃない、opportunity(良い機会)さ」と満ち足りた笑みを浮かべていた。

 ただ、trophy husbandという表現が少し引っかかったのは、trophy wifeというと経済力のある男性がステータス・シンボルのように連れ歩く、若くて美人だが頭はからっぽな妻を揶揄する言葉だからだ。trophy wifeは否定的な意味なのに、trophy husbandは本当に褒め言葉なのだろうか?

 trophy husbandという表現の出どころは不明だが、2002年10月に経済誌フォーチュンがずばり“Trophy husbands”と題した大特集を組んでいる。登場するのは、当時フォードの北米・南米担当COO(最高執行責任者)だったアン・スティーブンス氏をはじめ、JPモルガン・チェースCFO(最高財務責任者)、チャールズ・シュワブ副会長など超のつくエリート女性の夫たちだ。当時ヒューレット・パッカードCEOだったカーリー・フィオリーナ氏、ゼロックスCEOだったアン・マルケイヒー氏の夫も主夫として紹介されていた。

 「househusband, stay-at-home dad, domestic engineerなど、主夫を表現する言葉はいろいろあるが、どれを使うにせよ、彼らが自らのキャリアを捨てて、妻の成功や家庭の幸せを支えていることは評価すべきだ」と記事は説く。“Behind Every Great Man is a Great Woman(偉大な男の陰には常に偉大な女がいる)”ということわざをもじり、「偉大なキャリアウーマンの陰にはたいてい偉大な主夫がいる。そんな男性こそ、新たなトロフィー・ハズバンドである」という記述を見ると、やはりtrophy husbandは肯定的な言葉のようだ。

 興味深いのは同誌に「5年前にも同じテーマの特集を企画したが、協力者が一切見当たらず、断念せざるを得なかった」と書いてあることだ。Trophy husbandsがフォーチュン誌が特集を組めるほどの存在になったのは、2000年代初頭と見ていいだろう。当時フォーチュンが開催した「影響力のある女性サミット」の参加者の夫の3分の1が主夫だったという。

 とはいえ、フォーチュンの特集から10年ほどが経過した今でも、trophy husbandsが一般用語として定着したとは言えない。筆者が英語ネイティブの通訳・翻訳者仲間に尋ねたところ「あまり耳にしない」という反応が大勢を占めた。そしてtrophy husbandsという表現からどんな印象を受けるか聞いたところ、「トロフィーと言うだけで、夫をモノのように見ている感じで良い意味には思えない」「trophy wifeの反対語で、経済力はあっても容姿がイマイチな女性がゲットした若くてハンサムな夫というイメージ」といった反応が返ってきた。オンラインの英英辞書Oxford Dictionariesでもtrophy wifeやtrophy child(親の社会的地位を高めるような自慢の子供)は出てくるが、trophy husbandという項目はない。

主夫に向けられる「役立たず」という視線

 この10年で増加した米国のstay-at-home dadsには、リーマンショック以降の不況で失業し、やむを得ず主夫になった人も多いだろう。今の米国では共働き世帯が過半数を占め、専業主婦・主夫がいる家庭は少数派だ。1人で一家を支えるほど経済力のある妻を持ち、自らの意思で仕事を辞めたという“勝ち組主夫”のtrophy husbandsは、マイノリティ中のマイノリティであったために、この表現は人口に膾炙するまでには至らなかったのではないか。今のところフォーチュンやABCニュースにならって褒め言葉として使っても、相手によっては不快な印象を与えてしまうリスクがある。

 主夫が倍増したとはいえ、まだ彼らに対する世間の目は冷たい。ABCニュースに登場したある男性は「僕はよき夫、よき父親なのに、義理の両親からbumと思われている」と悔しそうに語った。bumは役立たず、怠け者という意味で、英語ネイティブに聞くと「何も仕事をせずにぶらぶらしている、日本語でいうニートのイメージ」という。主婦なら決してbumなどとは言われないだろう。

 男女の役割をめぐる伝統的価値観は一朝一夕には変わらないが、それでも理想の夫・理想の妻に関する意識は着実に変化しているようだ。心理学系雑誌Psychology Todayのウェブサイトに載った“The New Trophy Wife(新たなトロフィー・ワイフ)”という記事は、人々の結婚観は歴史的な変化を遂げつつある、と指摘する。20代〜30代の男性は夫だけが家計を支え、意思決定をするという価値観から解放されている。長引く不況で経済的不安が高まっていることもあり、こうした世代の男性は単に見てくれが良い女性ではなく、ともに家計を担ってくれる高学歴・高所得かつ社会的に成功している女性をtrophy wifeと考えるようになっている、というのだ。

 キャリア志向の女性を支援するウェブサイト、キャリア・ガール・ネットワークにも最近、Priscilla Chan: The New “Trophy Wife”(新たな“トロフィー・ワイフ”、プリシラ・チャン)という記事があった。フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグ氏と結婚したばかりのチャン氏は、医学博士号を持ち、大富豪の妻となった後も小児科医として働き続ける。フェイスブックが臓器提供の意思表示をできるようにしたのは、チャン氏の影響と言われる。

自らの力で成功する“新世代トロフィー・ワイフ”

 彼女をはじめ、IT業界にはビル・ゲイツ夫人として米国最大規模の財団経営を担うメリンダ氏、グーグル創業者サーゲイ・ブリン氏の妻で自らもベンチャー起業家であるアン・ウォイッキ氏など、夫の財力ではなく自らの知性や行動力によって世界を変えようとしている妻たちが増えている。彼女たちこそ社会的成功を収めた夫が心から誇りに思う新世代トロフィー・ワイフである、というのが記事の趣旨だ。

 言葉の意味やニュアンスは、社会の変化とともに変わっていく。trophy husband, trophy wifeの認知度や中身も、10年後にはすっかり変わっているかもしれない。


土方 奈美(ひじかた・なみ)

翻訳家。慶應義塾大学文学部卒業。1995年日本経済新聞社入社。記者として活躍、日経BP社に出向して『日経ビジネス』の記者も務める。
2008年日本経済新聞社を退社。米国公認会計士、ファイナンシャルプランナーの資格を保有し、経済・金融分野を中心に翻訳家として活躍。2012年5月、米モントレー国際大学院から翻訳修士号取得。
翻訳書は、『グリーン・ニューディール』(東洋経済新報社、2009年)、『愚者の黄金――大暴走を生んだ金融技術』(日本経済出版社、2009年、共訳)、『グーグル秘録』(文藝春秋、2010年)、『ウォールストリートジャーナル陥落の内幕』(プレジデント社、2011年)など多数。


ニュースで読みとく英語のツボ

ニュースを伝える英語は、英語圏の文化や発想、時代の空気を映す鏡だ。英語ニュースで使われている表現の中から、日本にいるとなかなかニュアンスが理解しにくい表現や単語などを素材に、生きた英語の「ツボ」を紹介する。筆者は、米モントレー国際大学院の翻訳コースに留学中のプロ翻訳者。筆者が師事するプロ翻訳家の英語ネイティブ教員やクラスメート達にも取材しながら、丁寧に読み解いていく。


02. 2012年7月11日 18:05:49 : 3CNLte9sGM
米国で増える在宅勤務者−監視も厳しく
2012年 7月 11日 16:16 JST
 エイミー・ジョンソンさんはイリノイ州ディクソンの自宅で勤務している。指紋鑑定の専門家としてジョンソンさんは顧客対応を行ったり、報告書を書いたりしている。しかしある意味、シカゴの会社で上司の隣に座っているのと同じだ。

 ジョンソンさんが勤めるアキュレート・バイオメトリックスの上司で、オペレーション担当バイスプレジデントのティモシー・ダニエルズ氏はコンピューターの監視のプログラムを使い、ジョンソンさんやほかの従業員の仕事ぶり――もしくは“たるみ”ぶり――を追跡することが可能だ。週に一度、「どのウェブサイトを、どのくらいの時間閲覧したか」についてまとめられたデータを見るのだ。「これで過剰に干渉せずに監視することができる」とダニエルズ氏は話す。

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Scott Dalton for The Wall Street Journal
毎週の目標を決めタイムラインで在宅勤務者に課題を与えるチャッド・ダンキンさん
 ジョンソンさんは自身のコンピューターがモニターされていることを承知しているが、「煩わしくはない」と言う。「悪いことはしていないから」とジョンソンさん。

 在宅勤務はかつて職場でのストレスから解放され仕事に集中できるとして従業員にとっては嬉しい気分転換だった。(それに、正直言うと、私用を仕事の合間に紛れ込ませたり、電話会議の合間に昼寝をする融通も利いた)

 ところが最近の在宅勤務は会社にいるのとあまり変わらない。従業員が業務をこなしているかどうか確認するために上司が新しい方法を取り入れているからだ。例えばプロジェクトの進捗状況を把握し、会議の予定を入れるために共有カレンダーを使う上司がいる。また電子メールやインスタント・メッセンジャー、電話などで「仮想面談タイム」を要求する上司もいる。アキュレート・バイオメトリックスのように、会社でも自宅でも従業員が使用するコンピューターを監視するところもある。

 コネティカット州スタンフォードにあるテクノロジー・リサーチ会社、ガートナーは、現在のコンピューター監視システムの普及率は10%未満だが、2015年までには60%に増えると予測している。監視システムは主に企業の重要なデータの安全を確保し、政府の規則に従うのが目的だが、同時に従業員のオンライン上での行動に関する多くのプライベートな情報ももたらす。弁護士らによると、従業員のプライバシーに抵触しないよう、雇用主は従業員にモニターしていることを知らせ、ビジネスに関連するものだけ追跡すると伝えることが重要だという。

 ダニエルズ氏が使用するセキュリティープログラム「インターガード」はロサンゼルスのアウエアネス・テクノロジーズのもので、金融サービスやヘルスケアといった分野で使われている。目的は、生産性の追跡と情報の漏えい防止、セキュリティーに関する規則の順守だ。他のほとんどのモニタリング・プログラム同様、これを使えば会社勤務の16人と在宅勤務の24人全員が、コンピューターでの作業時間を生産性が向上するように使っているかどうか、ダニエルズ氏は判断することができる。従業員はこのプログラムが使われていることを知っている。

 「ワークタイム」と呼ばれる監視ソフトを開発した、カナダ・オンタリオ州ウッドブリッジにあるネスターソフトのセールススペシャリスト、エレナ・プロスクミナ氏は、これらのプログラムは助けが必要な従業員を上司が見つける一助になると同時に、無駄に時間を過ごしている従業員も見つけることができると指摘する。

 ワークタイムを使用する企業でよく上がってくる報告の1つは、「フェイスブックのヘビーユーザーだ」とという報告だとプロスクミナ氏は指摘する。

 雇用主は8時間ずっと従業員を仕事にしばりつけておくためにモニターしているわけではないと言う。在宅勤務者は私用や仕事とは関係ないことのために休憩をとることがあると分かっている。

 セレスタ・オキーフ氏の13人の従業員はよく在宅勤務をするが、長い時間を要求されがちな仕事をこなす一助となっている、とオキーフ氏は言う。弁護士のために訴訟に関するサポート業務を提供するダンセルの最高経営責任者(CEO)であるオキーフ氏は、オフィスでも従業員の自宅でも顧客との仕事に使った時間を計るために「スペクターソフト」を使っている。

 オキーフ氏はプログラムを従業員個人の行動を「詮索するため」に使っているわけではない、と言う。しかし、ある在宅勤務者の仕事量が数カ月間滞っていることに気づいた後、この従業員は仕事で要求されていないワード文書を作成することに多くの時間を費やしていることが、このプログラムによってわかった。さらに、この従業員は仕事の時間のほとんどをMBA(経営学修士号)取得のための勉強に費やしていることが判明したため、「解雇せざるを得なかった」とオキーフ氏は話す。「“もう一度あなたを信じる”とは言えなかった」。


Scott Dalton for The Wall Street Journal
ヘザー・ハリソンさん
 オフィス勤務と在宅勤務の違いもまたあいまいだ。日によって、またさらには時間によってオフィス勤務と在宅勤務を分ける従業員が増えているからだ。マサチューセッツ州フラミンガムにある市場調査会社IDCのバイスプレジデント、レイモンド・ボグス氏によると、会社勤めの従業員のうち、1カ月に少なくとも1日は在宅勤務するという人の割合は2007年以降、毎年平均23%ずつ伸びており、昨年は2280万人に達した。ボグス氏によると、ひと月に1日か2日しか在宅勤務はしないという従業員の増加傾向が最も大きく、2007年以降、毎年平均69.5%伸び続け、昨年は330万人になったという。

 「管理職の基本的な役割が複雑になってきている」とボグス氏は指摘する。「毎週金曜は在宅だという従業員もいれば、毎日3時には仕事を切り上げて学校から戻る子どもと過ごし、夕飯の後に在宅で仕事をする従業員もいる」とボグス氏。

 940人の従業員のほとんどが少なくとも時々は在宅勤務をしているという、テキサス州ダラスにある税金関連サービス会社のライアンは、管理職にすべての仕事に対して目標を定めさせ、従業員に責任を持たせるようにしている。これを導入してから、ライアンの生産性と顧客満足度は向上し、個人の理由による離職率が低下した、とライアンのエグゼクティブ・バイス・プレジデント、デルタ・エマーソン氏は話す。

 毎週月曜、ヒューストンにあるライアンのチームリーダー、チャッド・ダンキンさんは週の具体的な目標を定めるために4人のチームメンバーと会う。ダンキンさんは「A、B、C、Dのプロジェクトがあり、何日までに終える必要がある」と切り出し、それぞれの従業員に課題とタイムラインを与えるのだ。その後はどこで、またいつ仕事をしてもかまわない。「私たちは全員、結果で評価されるからだ」とダンキンさんは言う。

 同社のシニアコンサルタントのヘザー・ハリソンさんは、従業員はマイクロソフトのアウトルックの共有カレンダーに自分のスケジュールを入れており、電話会議でよく話すと言う。また在宅で仕事をしている際には、インスタント・メッセージや電子メールで頻繁にダンキンさんに報告を入れるという。「在宅勤務はオフィスで働くのとほとんど変わらない」と、ハリソンさんは明かした

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03. 2012年7月17日 09:54:17 : 3CNLte9sGM
ホームレス営業マン マックで眠るホームレスギャル 「生活のリアリティ」が「社会のコモディティ化」を打破

第3話 
ホームレス営業マン

2012年7月17日(火)  弓飾 丸資

 前回は、訪問販売のトップセールスマンが、予め商品の売り上げ金額とそれに必要な期間を決めてその通りに売り上げることのできる人であること。彼らが一般企業の営業マンのイメージとは異なり、どちらかといえば大工さんのような職人気質であること。各々が常識から掛け離れた信じがたい販売の術を身に着けていること、をお伝えした。

 いよいよそんなトップセールスマンたちの奇想天外な活動や破天荒なセールス人生の紹介に入っていくが、その前に今一度、訪問販売セールスマンたちが所属する会社の平均的な概要の話をして、おぼろげながらもその全体像を認識してもらえれば、訪問販売とそのセールスマンの実態をより理解いただけるのでは、と思う。

常識とかけ離れた訪問販売会社の実態

 例えば、ある訪問販売の会社にセールスマンが仮に50人いたとする。何の商品を売る会社なのかは別にして、50人セールスマンがいれば、いわゆるトップセールスマンは概ね売上げ成績の上位7〜8人までがそれに当る。全セールスマンの15%程度だ。販売商品やその会社によって多少の違いはあっても、これが大きく変わることはまずない。

 このトップの15%の者が、その会社の総売り上げのおよそ80%を売り上げる。そして残り85%のセールスマン、即ち50人中42〜3人で残りの20%を売り上げるというのが、大枠での実態である。トップセールスマンの力が如何に強大なものかお分かりいただけるだろう。そしてそれ自体がすでにこのセールスの世界が、世の常識から掛け離れた世界であり、販売方法であるということを示している。


 世の中の常識から掛け離れているのは、販売方法だけではない。実は訪問販売の会社の社員たるセールスマンの集め方や、また集って来るセールスマンたちが、現実の社会通念ではとても推し量れない様な、誠に特異なものなのだ。

 驚かす様だが、双方に雇用するとか就職するなんて概念が殆ど存在しない。もし無理にでも例を探すとすれば、大都市のいわゆる『どや街』などにたむろし、その日その日の就労先を探すあの日雇いの労働者の、その場限りの労働の約束に似ている。互いが一方的に何時約束を反故にしても構わないような認識が、阿吽の呼吸でそこに存在しているという、なんとも奇妙な不文律で成り立っているのだ。

 それに近いものがまた訪問販売会社とそのセールスマンとの間にも歴然と存在していて、一種独特な関係を形作っているというのが実情だ。

 それでいて訪問販売のセールスマンは、形だけは決して日雇いではない。とは言っても通常の正規雇用だとはお世辞にも言い難い。その根底にあり原因となるのは、やはり訪問販売という「特異なセールス手法」そのものの苛酷さにある。

過酷なセールスマンの日々

 雨の日、カンカン照りの夏日、寒い冬の雪の日、ひたすらに見ず知らずのお宅のドアを一軒一軒叩き歩くセールス手法は、一般の方々の想像を遥かに超える苛酷で大きな精神的負担を強いられるものだ。

 読者には想像し難いかと思うが、ただでさえ苛酷な中で一番辛いことは、何と言ってもセールスマンたちの「プライドの崩壊」にある。人間は誰しもプライドというものを、多少なりとも持ち合わせいる。そしてこのプライドを壊されるほど人間悔しく辛くまた傷つくことはない。

 先述した「前振り」の説明の個所で、訪問先の家人とスムーズに会話へ入れる様な印象を持った読者もお有りかも知れないが、「こんにちは」「失礼致します」と訪問して歩く殆どの先々で、跳ね返って来て浴びせられる言葉は、実は想像を絶する酷さである。こちらがまだ何も言わぬ先に、「何だか知らないが、いらん、いらなーい!」を始め、「うちは何も買わない家でーす!」で、ガタ、ドタ、ビシャーンとドアが閉められる。

 しかしこんなのは、まだ柔らかな対応のうちで、「カエレーッ!」「警察を呼ぶぞっー!」に至るまで、野犬やドロボウと間違っているのか、兎にも角にも石飛礫が飛んで来ないのが不思議なくらいの罵詈雑言の連発だ。しかも「カエレーッ!」も「警察を呼ぶぞっ!」と叫ぶのも、おやじさんや頑固爺さんなどではない。どうしてどうして20歳過ぎから30前半の、それも可愛い奥様なのだから驚きというもの。日本もつくづく変わってしまった。

 これらの罵詈雑言を恒常的に身に浴びて歩くのが、訪問販売セールスマンの日々なのである。そしてそれをかい潜った何十軒か先に、やっと会話らしき会話をさせて頂けるお宅に巡り逢える幸運に辿り着くのも、また訪問販売のセールスマンなのだ。

 しかしよほどのセールスのベテランであっても途中で気持が折れてしまい、この何十軒を続けて訪問して歩くことが出来なくなることが、しばしばである。ましてや気弱だったり気持が直ぐ萎えてしまう様なセールスの初心者には、ものの4〜5軒のドアを叩くだけでマイナス思考が頭一杯に広がり、誰もが持ち続けていたいプライドもズタズタになるという始末で、訪問の足は止ってしまう。

トップセールスマン以外は単なる消耗品

 意地悪な上司になると、新人のセールスマンに狙いをさだめ、「ここから一軒ずつ訪問して歩け」と命令しておいて、自分はその近くのこれはとおぼしき喫茶店を先に見つけて、そこでコーヒーでも飲みながら待っている。命令した後に数軒の訪問だけで早くもギブアップした新人セールスマンが、その辺りの喫茶店を探しあて、やって来るのをキッチリ見越しているのだ。

 訪問先僅か数軒で厳しく追い返され、落胆する新人セールスマンは、上司の予測通りドンピシャの20分ほどで一息つこうとその喫茶店に入ってくる。上司のその姿にびっくりして青ざめる新人セールスマン。当然ながら上司に怒鳴りつけられ、再び訪問活動に戻るのだ。しかし新人セールスマンがそんな失態を許されるのも一度だけ。二度目は即クビである。

 そんな苛酷なセールスマンたちの前に立ちはだかるいくつもの試練や厚い壁を、一つまた一つと喘ぎながらも超えて行き、何んとか一人前のセールスマンらしき者が誕生していく。しかしそれは極めて限られた数でしかない。それらを我々は赤裸々に「歩留り」などと表現するが、一年経って見てみればその「歩留り」は、多くて新人20人に1人ぐらいのものだ。

 入社して来る者、早々にリタイアして去る者、彼等は緩やかな川の如く常に流動している。川と言えば聞こえはいいが、実情は『どぶ川』なのかも知れない。そしてそのうちで止どまった僅かな者たちの中から、さらに少数の者のみが登り詰めてトップセールスマンとなって行く。

 先述した様に、トップセールスマンはセールスマン50人の会社の中で7〜8人、15%程度だ。この世界で人並に食って行ける者は正直言ってこの15%の者たちだけ。残り85%の者たちは、食うや食わずのその日暮らしを強いられている。

 早い話が訪問販売会社ではトップセールスマン以外は、セールスマンとも社員とも思われていない。確たるあてもなく流れ行く集団の中から、這い上がってトップセールスマンに成れれば社員として認められ、人並みの生活も出来るが、僅かな期間でも売上げが不成績ともなれば、単なる消耗品と見なみされてお払い箱の憂き目が待っている。

流浪のホームレス・セールスマン

 例えて言えば、川に投網をいれて鯉を漁るのに、沢山の雑魚も一緒に掬わなければならないのと同じ感覚で、売れないセールスマンはハナからその雑魚あつかいだ。一切の妥協もなく売上げ成績だけで人の判断をするのが、この業界の体質である。トップセールスマンを得るため掬い上げた不用な雑魚は捨てるのがむしろ当然であり、それゆえ片方でドンドン募集をかけるのだ。

 こんな状況だから訪問販売会社全体でのセールスマンの定着率は、平均で7ヵ月を割るという驚くべき苛酷なもので、早い者は入社したその日にいなくなることも珍しくない。むろん会社はそんな事に何等頓着もしないし、それらは想定事項の範囲内。1年365日切れることのない募集が続くだけだ。

 そして募集に応じて入って来た者には、原則その日から寮住まいが待っている。家から通って来るなんて者はまずいない。いても入寮が原則規定であり、稀に妻帯の者がいても、本人だけの単身の入寮しか許されない。

 その理由は、第一義的には尋常でない長時間労働にある。しかし実は当時者のセールスマンたちだけが知る本当の理由が他にある。それは「流れ者訪問販売セールスマンだけの社会」とでも言うべきものの存在が、そのベースにあるのだ。

 これほどの情報化社会になっても、未だに世間に殆ど知られることのない訪問販売会社とその周辺に蠢くセールスマンたちの特異な社会が存在する。会社へ自分の家から通う者は殆どなく、また妻帯者は稀だと書いたが、ならば訪問販売会社に集まる者たちは一体どの様な者たちなのか。

 お察しの通り、募集に応じて来る殆どの者たちは、実はホームレス状態の者たちである。世に言うところのホームレスとは都会の公園や橋の下や河川敷に、簡易テントやトタンなどで雨露を凌いだりして、世間に見える形で存在している。ここで言う『ホームレス状態』とはそれとは異なり、何社にわたるかは正確に把握していないものの、多岐にわたる商品ごとに多数存在する、訪問販売会社の寮から寮へと流れ歩くセールスマンたちのこと。それはトップセールスマンも含めて「セールスマン浪人」とでもいうべき流浪の者たちのことである。

 即ち一カ所にとどまることのない「流動する実態ホームレス」が、訪問販売会社のセールスマンの供給基盤なのである。応募を受けて面接に来る彼等の履歴書の氏名欄を見れば、中村、吉田、鈴木、山本、小林等が圧倒的だ。即ち安易に思いつく「偽名」なのである。何かの事情で会社を辞めた者、大きな事故・不祥事を起こし、或いはギャンブルにハマリ、生活の基盤全てを失った者等々、その他も含めてある意味で社会から禁治産者の様な扱いを受けた者たちが多い。そこまででなくても、そんな思いを抱くまでの経緯を経験して来た者たち、故郷はむろん何処にも居場所をなくした者が圧倒的なのだ。

 しかし捨てたものではない。それが訪問販売セールスマンになる者の基盤であるからこそ、苛酷なドアからドアへのセールスをやり抜くことを可能にするという一面もまた否定できない事実なのだから。

訪問販売セールスマンと「オカマ」の意外な共通点

 おかしな例えをすると、あの同性愛者、俗に言う「オカマ」たちの一見あけっぴろげな開き直りにも見える独特なパワーは、一般社会からドロップアウトしたセールスマンたちの開き直りにも思えるセールス行動と、非常に類似していると言ってもあながち間違いではないだろう。彼等は共にその過去がゆえに、時として途方もない力を発揮するものなのである。

 余談になるが、私は常々いわゆる「オカマ」なるものの芸事の圧倒的な上手さが那辺にあるのか、誠に不可思議に思い続けていた。歌一つとっても、普通に歌っても良し、またモノマネでも良しという具合に、オカマに芸の下手な者を探すのに苦労するくらいだ。

 ある時、そんなバーを経営するオカマのママに思い切って尋ねてみた。「なぜ例外なくオカマたちは揃って一般の者と違い、格段に芸事が上手なのか?」と。するとママがカラカラと笑って曰く、「オカマは必ず全ての者がいわゆるカミングアウトの洗礼を受けている。父や母はもとより親族に知人また世間の人たちに、本人が死ぬ程辛い思いで自分の性的障害を告白し、また親や親族にも同じ死ぬ思いの恥と悲しみを与えて来た。そんな経緯をオカマなら誰もが一度は経験しているのだ。だからこそその洗礼を超えた後には、もう何も恐れるものはない。芸事をやる場合に邪魔になる物の一番は羞恥心だ。カミングアウトで恥を超えて来た自分たちオカマには、芸事の羞恥心なんて何ほどのものか! オカマの芸の凄さのルーツはこれなんですよ!」

 その時私はママの顔を見つめたまま、カミングアウトとドロップアウトの違いはあっても、世間の白眼視を超えて来た、流浪する訪問販売のセールスマンたちの強さの根源を見た思いがした。同時にトップセールスマンだったと威張っている私自身の過去も、小さいながらも経営していた会社を潰し、世間の白眼視に堪えかね働く場を地方に求めてセールスマンになった経緯を、迂闊にも忘れていた事を恥ずかしながら思い起こしたのだった。

 訪問販売は、見方によっては非常識ともいえる販売方法だ。やり過ぎれば世間の非難の的にもなりかねない。しかし私がセールスのいろはを教わった大先輩は、「常識的なセールス活動には常識的な売上げしかもたらさないが、非常識とも思えるセールス活動は、非常識とも言える高い売上げをもたらすのだ!」と喝破されていた。爾来私はその言葉を座右の銘とし、セールスマンの道を歩む事に成ったのだった。

 今回は訪問販売会社とそこで働くセールスマンの概要について記したので、次回はいよいよセールス活動の核心へと進んで行こう。

(つづく)


弓飾 丸資(ゆみかざり・まるすけ)

1941年、滋賀県草津市に生れる。1963年、立命館大学経済学部中途退学。1963〜69年、株式会社ヤワテン特機勤務。1970〜1997年、フルコミッションセールスに従事、この間販売に携った商品40種類、取引き会社22社。1988年〜97年、セールスの傍ら、セールス教育・陸上自衛隊や企業で『他人との会話』などの講演活動に従事。会社役員などを経て今日に至る。


天使たちの訪問販売

魚と同じく人間にも「シュウセイ」がある。訪問販売という職種は、この人間の『シュウセイ』をもろに突く商法だ。訪問販売の達人たちの「技」は、人間の奥深い心理を詳らかにすると同時に、それを巧みに利用する商売の極意にも通じている。この世界のトップ・セールスマンたちの奇想天外な商い人生を通じて、商いと人間の原点を探る異色の人間論。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120626/233841/?ST=print


経済・経営・社会開沼博 闇の中の社会学 「あってはならぬもの」が漂白される時代に

【第4回】 2012年7月17日
開沼 博 [社会学者]

第4回
マックで眠るホームレスギャルの
「キャバクラ」開業の理由


モノと情報は過剰なまでに溢れ、街は清潔で安全に見える現代の日本。景気の悪化や精神的な不足感をどれだけ持ち出してきたとしても、その「豊かさ」を否定しきることはできない。しかし、いつの時代、どこにおいても、その社会から「貧困」が消えたことはないのと同様に、それが日本に残っていることも確かだ。ネットカフェ難民、生活保護、フリーター、ワーキングプア……。今も残る「貧しさ」とは、いかなるものなのか。

社会学者・開沼博が池袋のマクドナルドで出会った2人の少女、リナとマイカ。彼女たちは「移動キャバクラ」という聞きなれない生業に勤しむ。偶然の接点を頼りに生きる道を探り続けてきた2人の少女からは、現代の「豊かさ」と「貧しさ」の先に潜む現実が見えてきた。
連載は全15回。隔週火曜日に更新。

池袋のマクドナルドで夜を明かす2人の少女

 深夜1時の池袋のマクドナルド。腹より下を毛布で覆って眠る2人の少女がいた。バッグの中には歯磨きと洗顔剤、そして洗面用具。売上ゼロに終わった本日の財布の中身は、リナが300円、マイカが170円。

 目を覚ましたリナは、携帯電話で時間を見ながらボンヤリと思う。

「最近は24時間営業って言ってるくせに、深夜2時になると4時までとか5時まで清掃とか言われて追い出しくらうからな。また公園行って寝るか……」

 カネが無くなったら100円マック。マイカが飲み物を注文したら、リナはハンバーガーを頼む。それを互いに半分ずつ分け合って飢えを凌いでいる。

 空腹であれば、一度何かを口にすればある程度は我慢できるからマシだ。それよりも、タバコを吸えないことが何より辛い。2人とも1日2箱は吸うヘビースモーカーだ。耐え切れなくなって灰皿からシケモク(吸殻)を拾って吸おうとしたマイカを「ダッセー真似すんじゃねーよ!」とリナが怒鳴りつけたこともある。

「とりあえず、ここを出るまでに顔を洗って化粧しないと」

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池袋にあるマクドナルドの2階喫煙エリアのカウンター席には、コンセントがついている。幸いなことにひとり分の席が空いていた。小雨模様のその日、私はそこに座ってノートパソコンを取り出すと、コンセントを探した。しかし、それがあるはずの場所には、隣に座る若い女性の巨大なバッグが置かれている。

――お姉さん、電源使いたいんだけどちょっといいすか?

「お姉さん」は2人組だった。手狭なカウンターテーブルは彼女たちの雑多な荷物で溢れかえっていた。色黒のタヌキ顔の少女がはっとして「あ、ゴメンなさーい」と、悪びれる様子もなく返事をして荷物をどかしてくれた。

 無事にコンセントを確保した私がパソコンの起動を待つ間、少女たちが大きな声で話し始めた。

「アタシのこと、お姉さんだって」タヌキ顔が言った。「よかったじゃん」ともう一方の色白なキツネ顔が返事をする。「アタシでもお姉さんに見えるんだ。なんか、マジ気分いいんだけど」

――まあ、オバさんではないでしょ(笑)。お姉さんじゃないの?

「ホントですかー。なんかそう言われるのあんまなくて……」

 ここではじめて2人の顔、格好をまじまじと見ることとなる。一見、着飾った“ギャル”のような風体をしているが、どこか「キタナイ」。


無邪気に撮影に応じるマイカ(左)とリナ(右)
 タヌキ顔は豹柄のジャンパーにジーンズ生地のミニスカート、それにボロボロのスウェードブーツ。キツネ顔はくすんだ紫色のビニールジャンパー、襟元にはフェイクの毛皮がついている。黄色のミニスカート、黒のショートブーツという装いだった。

 顔立ちだけからすると2人ともまだ10代後半のようだが、よく見れば肌は荒れ、ボサボサになった茶髪は痛み放題だ。

――これから仕事?

「そう」とタヌキ顔。「うーん、まあ……」と口ごもるキツネ顔をよそに、2枚の名刺を差し出してきた。

移動キャバクラ リナ&マイカ ママ リナ
移動キャバクラ リナ&マイカ チーママ マイカ

「私がリナで、こいつがマイカ」。どうやら、タヌキ顔はリナ、キツネ顔はマイカというらしい。

 彼女たちの仕事は、「移動キャバクラ」だ。

次のページ>> 2時間5万円が最高額。「ウリ代」は別料金

 もちろん、「移動キャバクラ」という職業はリナとマイカが命名したものであって、そのような業界や業態があるわけではない。援助交際? デートクラブ? 合コン? 確かに、既存の何かに当てはめることはできないものだが、彼女らにとって、やっと行き着いた貴重な食い扶持であることは間違いない。

「最初は駅の喫煙所とかでライターを借りんの。そこからいけそうな空気感じたら、名刺渡して、みたいな。客をつかまえたら、和民とか普通の居酒屋行ってキャバ嬢みたいに接待してやるんだ。で、ガンガン飲ませて“料金”の交渉。渋ったら、バックにヤバイのがいる風を匂わして。リナなんてオラオラ系のしゃべりうまいから、サラリーマンたちびびっちゃう(笑)」

 “料金”は客によってまちまちらしい。マイカは続けて語る。

「今までの最高は2時間一緒に飲んだだけで総額5万円。これは脅したわけじゃなくて、向こうから喜んで出してきた。でも、こういうオイシイのはめったにない。だいたい5000円とか高くて1万円くらい」

 カネが入れば2人でインターネットカフェに宿泊する。カネがないときはマクドナルド。あるいは、客を誘って3人でラブホテルに泊まる。

「うちら2人はセットでしか動かない。客と2人きりではホテルに泊まらないのがルール。これはリナ命令」

 客から「ウリ代(援助交際の対価)」をもらうこともあれば、ただ話をして寝るだけのこともある。

「体を伸ばして休むこと」が最高の贅沢

 マイカに次いでリナも口を開いた。

「最近はわりと常連がついてきたから、2日おきにキャバオープンできる感じ。売上は2人で週に3万から5万円くらい? 2人ともすっげー金遣い荒いから、すぐになくなっちゃう。ホストクラブに行ったり、服買ったり、あとマッサージとか」


数百円で入店できる「自宅兼事務所」が彼女たちの日常をつないでいる
 それでも売上が立たない日が続くこともある。貯金などはじめから頭にない。マクドナルドに限ることなく、数百円の小銭さえ手元にあれば「食」と「住」にありつけてしまう現実が東京にはあるからだ。

「3〜4日、風呂に入らないのはけっこう当たり前。だから、たまにまとまったカネが入ったときは、こいつと一緒に新宿グリーンプラザか池袋プラザ行ってサウナに入って、仮眠室かカプセルで寝る。あれは極楽やね。うちら最大の贅沢」

 こう語るリナの口調は荒い。それとは対照的に、マイカは20歳前後の女子相応の話し方をする。ゆっくりと体を休める様子を想像するマイカの目は輝いていた。

「サウナ、最高。カプセルも大好き。うちら普段マックとかで座ったまま寝ることが多いから、たまには横になって体を伸ばして、ゆっくり眠りたい。次、いつ行けるやろ」

 実は、リナとマイカが知り合ったのは、遠い昔のことではない――。

次のページ>> 父親による激しい暴力。小学6年生で薬物依存

 リナは、1991年8月に大阪府堺市で生まれた、日本人の父とフィリピン人の母を持つハーフ。彼女が5歳のときに両親は離婚。父に引き取られ、母はフィリピンに帰国した。

「母親が岐阜のほうのフィリピンパブで働いていたとき、トラック運転手だったオヤジと出会ってデキちゃった結婚したらしいけど、詳しくはわからない。オヤジは最悪。オレが小学校2年生の頃、事故って会社をクビになって、その後は昼間から酒飲んで、夜はスナックとか風俗に通いまくりで。多分、よくわかんないけど生活保護を受けてたんだと思う」

 焼酎・いいちこを1日3本も飲むほどアルコールに依存する父親との生活。小学生の頃から暴力を振るわれ「いつも全身がみみず腫れ状態だった」という。

「マイカの西成よりは全然マシだけど、堺も悪いのが多いから。小学校5年の頃から、中学校や高校の先輩たちと遊ぶようになった。最初はタバコ。シンナーはやったことない。でもクサ(大麻)は早かった。小学6年生のとき。この頃は10代半ばの奴らとツルンでたんで、みんなくれるんだ。で、ガキだからすぐにブリブリになっちゃうじゃん。それを見て面白がって、みんなどんどん吸わせようとするの」

「同性愛者ではない」男への憧れから「男装」の道へ

 リナは薬物に依存すると同時に、「男装」に凝るようになっていった。

「高校を1年で中退してから、ホントに突然なんだけど、男のカッコにあこがれるようになっちゃって。とくにオラオラ系のメンズナックルズに出てくるような男。色黒で、黒髪短髪を立てて、サングラスとかして、レザーのジャケットに白いパンツみたいな。靴はヘビ革のとんがったやつとか。こういうのにすっごい憧れて、自分も同じようなカッコするようになったんだ」

 しかし、リナは自分が「同性愛者ではない」と強調する。

「男のカッコして女と遊んでるからみんながレズとかオナベかっていうと、違う。そういう奴らもいるけど、そうじゃないやつもいる。オレの場合、純粋に男になりたい。ただそれだけ。だけど、恋をするのは普通に男。付き合ってきたのも男。じゃあ、ホモかよって(笑)」

「10代の頃は、ミナミで“ギャル狩り”。ギャルサーってあるじゃないですか? オレ、ああいうツルむ奴、大嫌いで。それに男禁止とか、服はこうじゃなくちゃいけないとかやたらにルールが多いんですよ。あれがウザい。日本人って感じで。受けつけない」

 そして、16歳の時、年齢を偽ってキャバクラで働き始めた。

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自分を抑えられず、キャバクラを転々とする日々

「でも、一つの店で最長2ヵ月。大阪では10店舗近くで働いたかな。オレ、続かないんだよ。だいたい客とケンカするか、スタッフとケンカするか。頭にきたら、店で暴れちゃう。ビール瓶で客の頭殴ったこともある。東京に出てきたのはそれが原因。警察沙汰にはならなかったけど、殴った相手がヤクザと関係がある人だったみたいで、超ヤバいことになっちゃって。追い込みかかる前に『逃げちゃえ』って。それが1年半位前のこと」

「最初はブクロのキャバ。これが1ヵ月。その後体験入店みたいなのを1ヵ月くらいやって、だんだん嫌になってきた。男の相手するのが。特に酔っぱらい。オレ、酔っぱらい見るとチョー頭にくるんだ。酒飲んで絡んでくる客はたいていぼこっちゃう。一種の病気かも。それは自分でも怖い。すぐに殴っちゃう」

「そっから、歌舞伎町の『D』っていうホストクラブっていうかボーイズバーにミナミ出身の知り合いが勤めてたから、紹介してもらった。店長と会って『ホントは女だけど、男としてホストをやりたい』って言ったら運よく採用。これが9ヵ月位前」

 女性がホストクラブで働くなんて嘘のような話に聞こえるかもしれないが、外見をきれいに整えている男性に囲まれる環境では、多少小柄ではあるものの、自ら言い出さない限り隠し通すことができるようにも見える。

性別を偽り入店したホストクラブでマイカと出会う

「その店にいたの4ヵ月位だったけど、最初の月が20、次の月が40万って感じで、給料もアップしていった。今から半年以上も前のことかな。マイカが、フリーの客として来たんですよ。たまたまオレがサブで席に入って。で、オラオラ系で思いっきりいじってやって。そしたら翌日から毎晩通ってくるんですよ、指名で。で、店外(デート)に誘ってくる。超ウザいんですよ。会って1週間後くらいに、仕方ないからアフターで一緒に飯食って……」

 それから数日後、マイカの様子がおかしい。

「『あんた、女やろ』って。これはバレてるなって思ったから、オレもあっけなく『そうや。それがどないした』って答えたの。最初、『詐欺!』とか騒いでたけど、キスしてやったらおとなしくなった。それからも毎晩店に来た。同じ関西出身だし、だんだん、何ていうか、気も合うなって感じになってきて」

「それで2ヵ月位経った頃、店を辞めちゃった。酔っぱらいの女に体触られたり、絡まれたりするのにウンザリしちゃって。女の酔っぱらいは最低だ。だけど、こいつの場合、酒は飲んでもそんなに変わらないの。だから、まあいいかって」

「それで、こいつと飲んでるときに、『2人で移動キャバクラでもやるか』って盛り上がっちゃって。で、こいつもデリ(デリバリーヘルス)辞めて、その後2人で今のような生活をするようになったわけ」

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 マイカは、リナと同じ1991年生まれ。大阪市西成区で育った。リナと2人でいるときには、お互いにコテコテの大阪弁で話をする。

「私もおじいちゃんが中国人、おばあちゃんが日本人のクォーター。母親がハーフで父親は日本人。だからかもしれないけど、なんかガイジンと気が合うんだ。それもアメリカ人とかネクタイしてる白人とかはダメ。今まで付き合ってきたのも、だいたいガイジン。イラン人、バングラデッシュ人、フィリピン人、中国人、韓国人、ブラジル人、アフリカの黒人……日本人もいるけど続かないんだ。なんでかよくわからないんだけど」

 リナの生い立ちの軸となるものが「薬」と「暴力」だとするならば、マイカのそれは「性」と「カネ」だった。

「援助交際みたいなのは、中学1年生の頃からやってた。単におカネが欲しかったから。だってうち、一銭もお小遣いなんてないから。自分で稼ぐしかない。小学生の頃からファッションとか興味あって。あ、ギャル系ね。中学生になったら服とか化粧品とか欲しいじゃないですか。若いほうが儲かるんですよ。相場高いっていうか」

 援助交際の相手は、現在もそうであるように、街で探す。

「一番はじめの人はよく覚えている。友達と地元のゲーセンにいたら、声をかけられたんだ。歳は30歳くらいかな。何やってる人かって、それは全然わからない。中1の頃だから、そんなことに興味ないし。『お小遣いあげるから、ちょっと遊ばない?』みたいなことを言われた。すぐに何のことかわかったよ」

ターゲットは、華奢な酔っぱらいサラリーマン

 マイカは“援交ギャル”の道をひた走っていた。しかし、18歳のときに勤めていた風俗店の顧客を、禁止されていた“本番行為”に誘ったことが発覚。さらに、ホストクラブへの借金が300万円にものぼったことによる過酷な取り立てに絶えられず、逃げるように上京した。

「もう逃げちゃおうって感じで、知り合いのコを頼って、最初は新大久保の中国人のコの家に居候してた。その後、ブクロとか西武線沿線の店でキャバをちょっとだけやったんだけど、つまんなくて辞めて。あ、つまんないっていうか儲からないから。ホストと遊びたいし、もっとおカネがほしいと思って、デリに行ったの。歌舞伎町に事務所があるデリ。そんでリナと出会ったって感じ」

「移動キャバクラ」を開業した当初は、客を捉まえようと歌舞伎町の通りに立ってみたが、すぐにそこを縄張りとする客引きに「上にエンソ(上納金)払ってんのか!」と脅された。

「区役所通り、さくら通り、一番街、全部行ったけど、どこもダメ。前に一緒に働いていたキャバ嬢でちょっと仲よさげだったコも、平気でチクったりするんだ。こいつら全然信用でけへんと思ったわ」(マイカ)

 繁華街のメインストリートでの「商売」の難しさを身に染みて知ることになった彼女たちは、池袋西口や新宿アルタ前などを中心に、もしトラブルに至っても危害を加えられる可能性が低そうな、華奢な体格をした、酔っ払っているサラリーマンを物色するようになった。

次のページ>> ラブホテルに誘われても必ず3人で宿泊

4日…15(ジュク・新規)、残R6.2、M7 “32歳公務員”
毎日の売上はノートで管理されている

「これに売上つけてるんだ」

 リナが、客に買ってもらったという「偽ヴィトン」のバッグから、かわいらしいイラストが描かれた小さなノートを取り出す。

1日…0、ブクロマック、残R320円、M130円 “どないするっちゅうねん!“
2日…0、のっちゃん部屋、残R100円ちょっと、M0円 “激ヤバす”
3日…10(ブクロ)、残R4、M4 “ヨネちゃんに感謝”
4日…15(ジュク・新規)、残R6.2、M7 “32歳公務員”
5日…0、残R2、M1.5 

 日付の横に記載されている数字は、売上金額である。10とは10本、つまり1万円を示す。その右隣にある「残」とは、その日に残っている財布の中身(R=リナ、M=マイカ)だ。さらにその隣に書かれているメモが、基本的には客情報(意味不明な記述や記号、イラスト等もあり)である。


リナは暇があるといつも絵を描いている
 このノートを眺めながら、私は気になる点を質問した。

――ちょっと“客”について聞くけど、3日のヨネちゃんっていうのは?

「ヨネちゃんっていうのは、水道工事の会社で働いてる独身のおっちゃんなんですよ。57歳って言ってた。ツルッパゲで」(リナ)

「最初はブクロの北口の喫煙所で声かけたんだよな。それが1ヵ月前くらいなんだけど、それからもう6回位飲んでる。1回につき飲み代プラス5000円〜1万円ってとこだけど、ヘンなことしないし、すっげーラク。無口で、居酒屋で鳥の唐揚げばっか食うんだよ」(リナ)

「そう、いっつも水色の作業着着てさ。すっごい大人しくて、うちらに『どんどん食べて』ってすすめてくるんだ。でも、超常連さん。うちはああいう人、好きやねん」(マイカ)

――4日の“32歳公務員”っていうのは?

「うーん、イマイチ記憶にない。基本的にうちら、常連以外はほとんど覚えてないよな」(リナ)

「それ、あんただけや。うちは覚えてる。その人は、茶髪っぽいセミロングで、最初公務員だなんてウソや思ってたんやけど、居酒屋で見せてくれたやん? なんか区役所の入館証みたいなの。『あ、ほんま公務員や』って驚いたの覚えてるわ。でも、会話とかは印象にないなあ。オタクっぽいっていうか、やっぱり大人しい人やったかな」(マイカ)

ラブホテルに誘われても必ず3人で宿泊

――この期間は“客”とホテルには泊まってない?

「ノート見ると、多分そうやなあ」(リナ)

「だけどこの1週間は2日泊まったよ。会社員のオヤジと、キャバのボーイ?」(マイカ)

――泊まりに行くってなったら、どうしてるの?

「いろいろやな。基本的にウリじゃ稼ぎたくない。だってヤバイでしょ。うちらは基本的にベッドで寝たいだけ。だから、ホテル代だけもってくれるなら行っちゃうことが多いよ」(リナ)

「本番して、お小遣いくれたらラッキーって程度かな。でも、だいたいくれるよね? 5000から1万程度は」(マイカ)

「今までの最高? いくらかな。3万? ただ飲んだだけで5万っていうのが、売上的には最高額だけど」(リナ)

――でも、危ない目にあったりしない?

「だからー、それも多少あるんですよ。リスクヘッジ? 必ず2人じゃないとホテルに行かないっていうのは、オレからしたら安全対策っていうか。1人じゃ何されるかわからないけど、2人いればそうそうヘンなことしないから。客だって怖いんだと思うよ」(リナ)

「確かに、客のほうが怖いと思うよ。だって、リナ、見た目ヤバいっしょ。これで男言葉でうなっちゃったら、完全にスジモンだと思われるし」(マイカ)

「思われねーよ」(リナ)

「思われねー」のかもしれない。ただ、彼女たちが、今、目の前に存在する容易に生きぬくことは難しいと想像される環境の中で、したたかに生き続ける力を身に付けようとしてきたことは確かだ。

次のページ>> 「現代の貧困」と「個人化」の向かう先とは

「貧しさ」と「豊かさ」の狭間にある「現代の貧困」

 家はないが、寝床と食事はある。携帯電話を持ち、身なりもそれなり。薄くて広い他者とのつながりも築いており、社会生活を送るうえでのコミュニケーションに難があるようにも見えない――。

 カネも、現在の境遇から這い上がるチャンスもないようなベタな「貧しさ」とは、一見遠いところにいるようにも思えるリナとマイカ。

 90年代後半以降、繁華街に対する「浄化作戦」により、「目に付くような」ホームレスや店舗型風俗店、街娼は急激に減少した。猥雑なモノを表面的に消し去り、清潔で機能的になり、「貧しさ」とは遠いところにあるように見える「豊かな」日本。彼女たちは、そんな街の中で生きている。

「現代の貧困」とは、かつてのような可視的な「貧しさ」と直接結びつけられる「貧困」とは異なる。それは、目に見える「貧しさ」が、「あってはならぬもの」として表面的に「漂白」されゆくなかにおいて、それでも残る「貧しさ」と、達成され続ける「豊かさ」との狭間に生まれた「不可視な存在」に他ならない。

 たとえば、「ホームレス」や「ネットカフェ難民」の報道がされる際に、「リュックサックを背負った中年男性」が登場する。彼らは、確かに「わかりやすく貧困を象徴する被写体」であろう。カネもモノもなく、街に暮らす「昔ながらのホームレス」との境界線を漂う存在として。そして、かつての日本を支えた「男性稼ぎ主モデル」に依存する家族システム、企業システム、そして社会そのものから弾き出された象徴として。

 しかし、「男性稼ぎ主モデル」を前提とした「日本型福祉」の崩壊が明確になって久しい現代、「リュックサックを背負った中年男性」に貧困の全ての表象を背負わせ続けるのも無理がある。それは、今も残る旧来型の「貧困」は捉えつつも、「豊かな」日本における異質な他者のこととして「現代の貧困」を封じ込め、また取り逃すことを意味するのかもしれない。

 リナとマイカが始めた「移動キャバクラ」それ自体が、最近の女性や若者の間で広まってきている現象というわけではない。だが、現代に浸透する「フリーランス化」であり「セーフティネットからの排除」であるとすれば、それを捉えることが、極めて普遍的な現象を描きなおすための「補助線」を引くことにもつながるだろう。

「現代の貧困」と「個人化」の向かう先とは

 教育機会や家庭環境が満たされない等の理由によって、社会的包摂への道から早期にドロップアウトした者にとって、水商売や店舗型風俗は、インフォーマルな生活を維持することへのリスクヘッジ方法の一つとして機能してきた(男性ならば、「力仕事」や「暴力と隣接する生業」がそれに当たるだろう)。

 彼女らが、もはやそこに頼ることができないと判断した背景とは何か。

 一方には、それが「普通のバイトに毛が生えた程度しか稼げない」という「デフレ化」(と、それを支える経済成長の柱となる構造の行き詰まり、グローバル化など)があり、他方には、夜間営業取り締まりの厳格化や新規店舗型風俗出店の困難化に象徴される規制強化や「浄化作戦」による、「駆け込み寺」としての中間集団(公と個人をつなぐ集団)への締め付けおよび解体という「個人化」がある。

 名刺1枚と携帯電話で「開業」でき、自らの身体性を駆使し、常連客と築いた「信頼」の中で商売を行なう。職業の「フリーランス化」は「個人の自由の実現」というバラ色の未来につながっているようにも見えるが、一方では、従来であれば中間集団が吸収していたものも含めて、状況の変化の中で生まれるリスクに生身の人間がさらされることも意味する。

 リナとマイカの選択は、「貧しさ」が不可視化され「漂白」された街の中で、これまで用意されてきた「インフォーマルなリスクヘッジ」の手段に頼ることすらできない状況を端的に表していることは確かだ。

「中間集団の崩壊」と「個人化」の一端は、「フリーランス」「ノマド」などと様々な言葉を用いて持て囃されている「脱組織的志向」にも見られる。しかし、そういった現象は、「バラ色の未来へつながるもの」として取り上げられる「高付加価値型人材」の領域だけに当てはまるわけではない。それは、「高付加価値型人材」と同様、いや、もしかしたらそれ以上に、社会的包摂からこぼれた領域に生きる人々にもはっきりと見られる大きな動きに違いない。

「現代の貧困」は、従来の貧困と比較して、より複雑な様相を呈している。土地や労働力が余り、カネやモノが満たされないのが「途上国型の貧困」だとすれば、少なくともここ10年の日本が直面している「先進国型の貧困」は異なる性質を持つ。

 カネやモノはそれなりに行き渡っている。数千円もあれば恥ずかしくない程度には小ぎれいな格好ができて、破れない丈夫な衣服を買うことができる。「食」も「住」も街に遍在している。

 ヒトも情報も過剰であるが故に、労働力(あるいは土地)に付与される「値段」の格差は顕著になり、「持つ者」と「持たざる者」とを隔てる溝がより鮮明になる。世代・ジェンダー・就学歴・エスニシティー・出自の非対称性を背景としながら、相対的弱者が貧困のループに飲み込まれやすい状況が生まれているのだ。

 自分たちを包み込むセーフティネットの網が穴だらけになっても、わずかな接点(「同じく外国人の血を受け継ぎ、同じ年に生まれ、育ったところが近い」「同じ街で、同じ時にタバコを吸っていた」というような共通点)から生まれた綱を頼りにしながら、リナとマイカは街を利用し、街に溶け込んでいる。

 2人の少女は今日も街に立ち、生き続けている。溢れる「豊かさ」に漂白されて、「貧困」など存在しないかのような社会の中で。

一時メディアを賑わせた生活保護受給問題は、徐々に人々の記憶から忘れられようとしている。第5回は、ある団体が作成した生活保護受給マニュアルをもとに、生活保護に頼って生きる元経営者の男性に密着する。次回更新は7月31日(火)。

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開沼博 闇の中の社会学 「あってはならぬもの」が漂白される時代に
第1回 取り残された「売春島」に浮かぶもの
http://diamond.jp/articles/-/21442


TOP仕事のスキルソーシャルメディア進化論2012

【第9回】 2012年7月17日
武田 隆 [エイベック研究所 代表取締役]

【宮台真司氏×武田隆氏対談】(後編)


「生活のリアリティ」が「社会のコモディティ化」を打破する

「女子大生ホイホイとしてのプレリュード」「アイドルはみんな聖子ちゃんカット」。80年代に青春を送っていた人には懐かしいワードだが、かつて消費社会が隆盛を極めていた時代はこのように「ああ、それ知ってる!」とみんなでわかり合える共通認識のもとに流行するものがあった。
しかし消費社会が終わりを告げ、みんなでわかり合える“何か”を失ったいま、私たちは社会というものをどこか遠い存在として感じている。この孤独感を埋められる手立てがあるとすれば、それはどのようなものだろうか? 前々回、前回から続く話題の対談、いよいよ完結。

社会がコモディティ化し、モノが輝かなくなった

武田:先日、宮台さんがされていた「クルマが輝かなくなった」というお話が非常に示唆的でした。「むかしクルマは輝いていた。いまはかつての輝きはない」とおっしゃっていました。品質の面でいえば向上していると思われるのに、なぜなのでしょうか?


宮台真司(みやだい・しんじ)
社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。1959年3月3日仙台市生まれ。京都市で育つ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。権力論、国家論、宗教論、性愛論、犯罪論、教育論、外交論、文化論などの分野で単著20冊、共著を含めると100冊の著書がある。最近の著作には『14歳からの社会学』『〈世界〉はそもそもデタラメである』などがある。キーワードは、全体性、ソーシャルデザイン、アーキテクチャ、根源的未規定性、など。

宮台:それは一般にコモディティ化(粗品化)と呼ばれる現象です。モノは、手元にあるのが当たり前になると、日常の風景に埋没し、輝かなくなるのです。そもそも「輝く」とは「日常における非日常の亀裂」つまり「ケに対するハレ」です。

 クルマに乗る経験が少ないころは、乗り心地やエンジン音のちょっとした新しさが非日常を醸し出しました。クルマが日常化すると、そうした新しさはどうでもよくなり、クルマは目的地に着くための道具になり下がります。

 社会学の[表出性/道具性]という枠組みに重ねると、モノだけでなく、たとえば性の世界にもコモディティ化=道具化が見出されることに気づきます。性が禁圧された時代は、性的なものにほんの少し触れただけで目眩がしました。

 ところが、性が自由になると、性は「快楽の道具」や「相互理解の道具」になり、入替可能になります。「快楽の道具」や「相互理解の道具」は他にもあるからです。性のコモディティ化を、いくつかの要素に分けてみます。第一は〈完全情報化〉。

武田:たしかに私が中学生のころ、性に関する情報源は、いまに比べるとずいぶん少なかったように思います。

宮台:だから「ワケがわからずドキドキした」のです。いまは「すべて事前の情報どおりだった」で終了。第二は〈脱タブー化〉です。かつては、規範の明白な境界が共有されてきました。タブーがあるから、タブー破りの快感もありました。

 たとえば80年代半ばまで、人妻が婚外関係を持つことは、いまよりずっと罪の意識を伴いました。だから盛り上がったのです。いまは不倫も当たり前になり、罪の意識を用いた「言葉責め」も機能しなくなりました。

武田:輝きを失い、興奮しなくなってしまったということですか?

宮台:そう。第三が〈脱偶発化〉です。出会い系サイトや婚活サイトは、年収・身長・学歴・趣味などのスペックへのニーズを元にマッチングされます。自分が最も嫌うタイプの相手を好きになるアクシデントがありえません。すべてが枠の内側で起こります。

〈完全情報化〉も〈脱タブー化〉も〈脱偶発化〉も、ニーズに応じたものです。前回お話ししたように、「ニーズに応じたマーケット・イン」は人々の幸福値や尊厳値を下げます。人の幸福や尊厳は必ず〈未規定性〉とともに与えられるのです。

次のページ>> 街からカオスが消え、フラットになった先に広がる〈終わりなき日常〉

武田:松下幸之助が「水道理論」でいっていたように、家電も水と同じように当たり前になれば、価格が安くなり貧困層にも普及していく。これは高度成長期に機能したひとつの幸福の方程式でした。


武田隆(たけだ・たかし)
エイベック研究所 代表取締役。 日本大学芸術学部にてメディア美学者 武邑光裕氏に師事。1996年、学生ベンチャーとして起業。クライアント企業各社との数年に及ぶ共同実験を経て、ソーシャルメディアをマーケティングに活用する「企業コミュニティ」の理論と手法を独自開発。その理論の中核には「心あたたまる関係と経済効果の融合」がある。システムの完成に合わせ、2000年同研究所を株式会社化。その後、自らの足で2000社の企業を回る。花王、カゴメ、ベネッセなど業界トップの会社から評価を得て、累計300社のマーケティングを支援。ソーシャルメディア構築市場トップシェア(矢野経済研究所調べ)。2011年7月に出版した著書『ソーシャルメディア進化論』は第6刷のロングセラーとなっている。1974年生まれ。海浜幕張出身。


 しかし家電は、実際にあるのが当たり前になり、生活の中に溶け込んでいく過程で輝きを失っていった。私は団塊ジュニア世代なのでリアルタイムの経験はありませんが、クーラーがめずらしいころはクーラーがあるだけで輝いていたわけですよね。

宮台:はい。〈完全情報化〉も〈脱タブー化〉も〈脱偶発化〉も、〈未規定性〉の消去です。〈未規定性〉とは「得体の知れなさ」。68年に「3C」という言葉が流行りました。カー・クーラー・カラーテレビ。どれも「得体の知れないもの」でした。よく記憶しています。

 多くの家にクルマ記念日やクーラー記念日やカラーテレビ記念日がありました。それだけじゃない。新幹線も高速道路もすべてが「得体の知れないもの」でした。何もかもが〈未規定性〉に彩られ、社会全体が「輝き」に溢れました。映画や小説に刻印されています。

 68年から69年までオンエアされた円谷プロの『怪奇大作戦』。SRI(科学捜査研究所)の所員が怪奇な科学犯罪に立ち向かう。都市生活や郊外生活を彩る新しいテクノロジーが、「輝き」であると同時に「得体の知れないもの」であることが描かれていました。

〈未規定性〉ゆえの「輝き」が溢れたころ。第一に、人はいまよりずっと貧しく不自由で鬱屈を抱えていましたが、それゆえにこそ「輝き」を深く体験できました。第二に、そうした〈未来〉の体験可能性を信じられたから、人はひどい貧しさや不自由に耐えました。

 いわば〈ここではないどこか〉への希望。60年代までの日本映画と同じく、90年代までの韓国映画には〈ここではないどこか〉への憧憬が溢れました。ビル街とスラム街が通りを隔てて隣接するカオスつまり〈未規定性〉が、しかし「希望の光」だったのですね。

 ビル街とスラム街が隣接するような格差は良くありませんから、平準化されます。すると都市から光と闇のコントラストが消えて、何もかもスーパーフラットになります。すると今度は、人はすべてに希薄さを感じ始めます。それが〈終わりなき日常〉です。

次のページ>> 車・ファッション・グルメの三重負担を免除されたオタクの登場

武田:宮台さんは、モノが輝かなくなったのは、モノのせいではなくて、私たち消費者側の心の問題だと断言されていますよね。

宮台:そう。ただし〈個人的な心理の問題〉でなく、〈社会的な意味論の問題〉です。その中で、新たに開発されたモノも、随所に残った都市の光と闇の対照も、独特の意味加工を経て体験されました。新技術も貧困も、いまとはまったく異なる仕方で体験されたのです。

 73年の石油ショックで「低成長時代」になります。石油ショックの直前、「3C」を含めた耐久消費財の普及曲線がプラトーに達し、新規需要より買替え需要が専らになりました。そして、77年からオタクの萌芽が現れ、83年には誰の目にも「見える化」します。

 この時間的順序に注目してください。84年からマーケットリサーチの会社の取締役になったのですが、僕たちの会社は、オタクが車・ファッション・グルメに関心を持たない統計的事実を初めて立証しました。

武田:いまの若者にも共通していますよね。

宮台:そう。この統計的事実を元に、オタクが従来のマニアと巷で区別される理由は、オタクがリアルなコミュニケーションに関心を持たないからだと結論しました。その意味で「マニアは一般市民の片割れだが、オタクはそうじゃない」から差別されるのだと推定しました。

 77年という年号が重要です。「オタクの時代」が、デートマニュアルに象徴される「ナンパの時代」と同時に幕を開けた。ナンパ系の人にとっても、クルマはもはや単体で「輝き」を持たず、ナンパツールとして意味を持つものへと変じていた。この事実が大切です。

 モノが「輝き」を失ったので、「輝き」を持ち込むツールとして、当時はまだ不自由だったがゆえに「輝き」を帯びた性愛が持ち込まれたのです。でも性愛には得手不得手があります。不得手な人はコンテンツに「わかる人にはわかる」的な「輝き」を探しました。

次のページ>> モノを所有し「これで人並み」と威張ることが“痛く”なった

宮台:消費社会の概念を確認すると、モノをイメージによって消費する社会という意味です。モノの「輝き」もイメージの最たるもの。さて、「3S(炊飯器・掃除機・洗濯機)」や「3C」の時代、その「輝き」を人は「人並み化」という言葉で表現しました。

 いまでは「?」でしょう。周囲がどんどん「3S」化「3C」化している(と見える)なか、「3S」「3C」の商品を買って「これで我が家は人並みだ」とイバるのです。ここでのポイントは「人並み」の言葉が示すような〈「輝き」イメージの共有〉です。

 実は「モノの時代」とは〈「輝き」イメージの共有〉があった時代です。ところが普及曲線がプラトーに達した後は〈「輝き」イメージの共有〉が失われ、島宇宙ごとのコミュニケーションで「輝き」を探求するようになる。それがナンパ系/オタク系の時代です。

 90年代後半に至るまで、ナンパ系もオタク系も共通して、コミュニケーションの閉じた島宇宙内でイバれることを、少なくとも作業目標(一応の達成目標)としました。ところが、90年代後半から島宇宙がバラけ、イバりが「痛い」ことだと見え始めます。

 このことはナンパ系とオタク系の「階級落差」の消滅を意味させた点では良いことに見えます。でも1点、問題を抱えた。消費社会では「輝き」イメージの共有度合いにかかわらず、「自分の欲望は他者の欲望」でした。誰にも理解されない欲望には意味がないのです。

 ところが、島宇宙がバラけ、所属が不透明かつ流動的になり、そのぶん人間関係がその場のノリを維持するだけの希薄なものになると、「他者の欲望を自分の欲望とする」メカニズムが働かなくなります。その結果、驚くべきことに、欲しいものがなくなるのです。

次のページ>> 「落差」が消えてそこそこハッピーになったことの見返りに…

武田:「本当は何が欲しかったのか?」と問われ、いままで欲望の対象だと思っていたものが、実はそれほど欲しいものではなかったと認識されるということでしょうか?

宮台:そう。人間関係を通じて消費アイテムに「輝き」をもたらし、かつ消費アイテムを通じて「輝き」を持つ人間関係を選別する動きが、鈍くなるのです。これが〈コモディティ化の第2段階=島宇宙拡散〉です。ちなみに〈第1段階=耐久消費財飽和〉でしたね。

〈第1段階=耐久消費財飽和〉と〈第2段階=島宇宙拡散〉の違いが重要です。〈第2段階〉までは、ナンパ系のデートツールであれ、オタク系のウンチクツールであれ、消費を通じて、コミュニケーションによって成り立つ社会を支えている、との自負がありえました。

 言い換えれば、消費がどのように分布するかを見渡すことが、社会がどう構成されているかを見渡すことに通じるという発想です。これが消えるのが96年から98年にかけてです。具体的には、ナンパ系とオタク系の「階級落差」の著しい緩和が目印です。

 何にせよ「落差」は動機づけの源泉です。岡田斗司夫氏が言うように、ナンパ系とオタク系の「階級落差」がもたらす鬱屈感が、目も綾なるコンテンツを生み出す原動力でしたが、「落差」が消えてそこそこハッピーになった結果、コンテンツ供給力が急減しました。

武田:つまり、オタクの人々にとっても圧力をかけてくる存在として、社会が近くにあったんですね。

宮台:そう。モノが単純に「輝き」を帯びなくなった〈第1段階=耐久消費財飽和〉以降、しかし「女子大生ホイホイ、HONDAプレリュード」「女子は全員、聖子ちゃんカット」など笑い話がありました。社会の全体が感じられる濃密なコミュニケーションの時代でした。

次のページ>> コモディティ化を抜け出すヒントは、生活のリアリティ

武田:企業が主催するオンラインコミュニティに参加する消費者には、コミュニティへの参加を通して、「社会とつながった気がする」という感想を持つ方々がいます。この結果に、私は大きな可能性を感じています。

 企業コミュニティは、ハーレーダビッドソンやマッキントッシュなど、商品の特徴が差別化されていなければ活性しないといわれていました。しかし、実際はそうでもありません。さまざまな会社のさまざまなテーマでコミュニティは活性します。たとえば、フルーツをテーマにしたコミュニティも大活性しています。

宮台:なるほど。それは、どういう理由からなのですか?

武田:商品はフルーツなので、それを持っているからといって仲間から注目されたりするものでもなければ、オーダーメイドで私だけのものになるわけでもありません。しかし、フルーツを自宅に持ち帰って消費するプロセスは千差万別です。それら多様な生活のリアリティがソーシャルメディアを通して噴水のように表出されています。

 たとえば、そのフルーツを食材にしたレシピ大会や子どもと一緒に撮る写真大会などです。そういう活動に参加していると、スーパーマーケットで買い物をしている際、彼女らの目にはそのフルーツが輝いて見えるのだそうです。

 これは、彼女らが主体的に参加しているコミュニティの履歴が、そのフルーツと、またそのフルーツを通したほかの参加者たちとの関係を特別なものにしているからだと分析しています。つまり、自分がその商品に関与しているという実感が、商品を輝かせているのだと思います。


モノから失われた輝きはコミュニケーションによって蘇る。 我が事化とはつまり「声」を出すことそのもの。
宮台:そのような流れを通れば、たしかに輝いて見えるでしょうね。

武田:そうした関係が生まれると、会社や商品に向けた参加者たちの理解も深まっていくようです。いままで気づかなかった魅力に気づくようになる。そうした会社や商品の魅力を、フェイスブックやツイッターといった外部のソーシャルメディアに発信する人の数は、一般消費者の20倍になるというデータもあります。

次のページ>> 「声を求められる」と、社会が突然近くなる

武田:これを地域コミュニティに応用することを考えた際、「生活のリアリティが発露する」というソーシャルメディアの特性が地域活性にも役立つのではないかという仮説があります。

 現状、一般の市民には、自治体や政党の決定に対して、代表者を選任する「投票」というカタチでしかそれに関わる方法を与えられていません。コミュニティ活性の観点から見ると、これでは粗すぎて、我が事化を期待するのは困難だと思います。

 積極的に議論に参加できればいいのかもしれませんが、議論には準備や訓練も必要になるので、参加できるのは一部の人に限られてしまう。その他の多くの人々には、やはり参加の機会は見つかりにくい。

 そこで、議論の場に意見を投げるとまではいかなくとも、いま自分が感じていることを表出させるという軽い関与であれば、より多くの方が参加できます。特定のテーマで集まるグループに、司会進行役が入り、攻撃されたり無視されたりしない、自分の本音の声を求めてくれる場所をつくる。そうした場所から表出される生活のリアリティが集まり、それぞれの地域が抱える悩みや希望を可視化する市民によるウィキペディアが生まれるわけです。

 市民の多様な声が創りだすこうした空気が、間接的にでも政策に影響を与えるような仕組みができれば、誰もが参加でき、我が事化することで、より強いコミットを持ってつながり合う社会が生成されるのではないかと考えています。

宮台:なるほど。僕は先日まで東京都民投票条例の制定を求める直接請求の請求代表者でした。住民投票の本質は、ポピュリズム的な衆愚政治の恐れを批判される「世論調査による政治決定」でなく、住民投票に先立つ数カ月間の公開討論会の活動にあります。

 第一の目的は、一部は法令に基づいて行政や企業に情報を開示させ、論点ごとに対立的な意見を持つ専門家たちを呼んで質疑をすることで、「原発絶対安全神話」や「いつかは回る核燃サイクル」のような〈巨大なフィクションの繭〉を破ることです。

 でも第二の目的も大切です。昨今どの自治体でもモンスター親に象徴されるクレージークレイマーだらけ。共同体空洞化が彼らをもたらしました。丸山真男によれば「孤独を感じ、知的ネットワークから排除された、社会問題に無関心な層」が社会問題に噴き上がります。

 共同体空洞化が生み出したクレージークレーマーが、やはり共同体空洞化ゆえに近隣によって囲い込まれて緩和されることなく、ダイレクトに政治家や行政官僚に大声でガナリ立てます。かくして至るところで〈安心・安全・便利・快適至上主義〉の出鱈目が起こります。

 だから武田さんのプロジェクトに期待します。軽い関与でも特定テーマで集まるグループに参加して本音をしゃべれること。そうした関与の集積から地域の悩みや希望が可視化されること。やがてクレージークレーマーを凌駕する生活のリアリティがシェアされること。

 僕が導入を働きかけてきたデンマーク発のコンセンサス会議と同じで、徹底して仕組みを工夫せねばならず、簡単ではありませんが、工夫次第では期待できます。現にフルーツのコミュニティは、元々フルーツに関心がある人が集まるだけでなく、逆も成り立つのですよね。

武田:そうです。最初は懸賞が目当ての参加者も多くいます。ところが、参加するうちに我が事化も進み、帰属意識も生まれてきます。企業のコミュニティが活性するにつれて、「社会に参加した気分になる」という感想も多く挙がってきます。

 宮台先生にお聞きしたいことがあります。システム社会の中の交換可能なひとつでしかないと思いがちな私たち消費者が、改めて「声を求められる」経験をすると、社会が突然近いものになるということはないでしょうか? そうだとすると、ここで起こっている状況は、ユルゲン・ハーバーマスのいう「システム世界」の余剰分とされた「生活世界」のレコンキスタ(再征服)のようにも見えるんです。

宮台:おもしろいですね。たしかにそう見えます。しかし、あえて悲観的に眺めましょう。もしそうした参加アーキテクチャがルーティン化したらどうしますか? いや、新しいコミュニケーションには可能性があると確認したところで、今回はやめておきましょう(笑)。

※次回は、週刊アスキー総編集長の福岡俊弘氏との対談を7月31日(火)に配信予定です。

【編集部からのお知らせ】
大好評ロングセラー! 武田隆著『ソーシャルメディア進化論』


定価:1,890円(税込) 四六判・並製・336頁ISBN:978-4-478-01631-2
◆内容紹介
当コラムの筆者、武田隆氏(エイベック研究所 代表取締役)の『ソーシャルメディア進化論』は発売以来ご高評をいただいております。
本書は、花王、ベネッセ、カゴメ、レナウン、ユーキャンはじめ約300社の支援実績を誇るソーシャルメディア・マーケティングの第一人者である武田隆氏が、12年の歳月をかけて確立させた日本発・世界初のマーケティング手法を初公開した話題作です。

「ソーシャルメディアとは何なのか?」
「ソーシャルメディアで本当に消費者との関係は築けるのか?」
「その関係を収益化することはできるのか?」

――これらの疑問を解決し、ソーシャルメディアの現在と未来の姿を描き出した本書に、ぜひご注目ください。

◆内容目次
序 章 冒険に旅立つ前に
第1章 見える人と見えない人
第2章 インターネット・クラシックへの旅
第3章 ソーシャルメディアの地図
第4章 企業コミュニティへの招待
第5章 つながることが価値になる・前編
第6章 つながることが価値になる・後編
終 章 希望ある世界

※こちらから、本書の終章「希望ある世界」の一部を試し読みいただけます(クリックするとPDFが開きます)。

http://diamond.jp/articles/-/21449


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