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国勢調査で発掘! 東京23区お役立ちデータ
【第6回】 2012年7月3日
池田利道 [一般社団法人東京23区研究所 所長],小口達也 [一般社団法人東京23区研究所 上席研究員],一般社団法人東京23区研究所
江戸とサウジアラビアで男性比率が高い
共通の理由は何か。 人口性比で23区の男女比率の違いを検証する
世に半分半分のものといえば、まず思い浮かぶのは男と女の数だろう。でも、本当にそうなのだろうか。
女性100人に対する男性の割合を「人口性比」という。世界人口の性比(2010年の国連推計値)は102でほぼ半々に近いが、先進国は女性が多く、途上国は男性が多くなる傾向がある。G8のメンバーである日本の人口性比は94.8。女性の方が5%ほど多い。
“男の街”vs.“女の街”
突然で恐縮だが、サウジアラビアの人口性比は124。30代〜50代の働き盛り世代では、何と163にものぼる(2006年の推計値)。オイルマネーを目指して、外国から出稼ぎ労働者が流入してくるからだ。
またまた話は飛んで、江戸の街。一口に人口100万人、うち半分が町人といわれるが、町人の人口構成は男約30万人対女約20万人と、圧倒的に男社会だった。理由はサウジアラビアと同じ。江戸に行けば、何とか仕事にありつけた。この伝統は、近代になっても受け継がれる。第1回の国勢調査が行われた1920(大正9)年の東京都(当時は東京府)の人口性比は112。その後も長く男性超過が続いたが、2000年に逆転し、現在の性比は98.0。東京23区は、これより若干女性が多い97.3である。
サウジアラビアも、江戸も、かつての東京も、男と女のバランスは社会要因によって左右されることを示している。東京23区を区別に見ると、江戸時代以来の傾向が残る男が多い街もあれば、日本全体のトレンドを先取りするかのように女性化の進んだ街もある。これもまた、社会要因のなせる業である。
東京一の“男の街”は、性比が110を超える台東区。2位の江戸川区が102.5だから、群を抜いて男性が多い。豊島、足立、大田、葛飾の各区も性比が100を上回る。
逆に、女性が一番多いのは目黒区。ほぼ同率で港区が続く。以下、渋谷、文京、世田谷、杉並、中央の順(次ページのグラフ参照)。男の街と女の街が、何となく彷彿としてくる。
次のページ>> 街の特徴がはっきり出る23区の人口性比グラフ
【図1】東京23区の人口性比2010年
男性の比率が高いのは「台東」「江戸川」「豊島」「足立」「太田」「葛飾」で、「中野」は同率。それ以外は女性比率が高い。 資料:総務省統計局「国勢調査」より作成
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わかりやすい男
わかりにくい女
社会要因の影響をより強く受けるのは、男だろうか、女だろうか。サウジアラビアも、江戸も、男だと答えている。
東京23区の人口性比を年齢別に追うと、台東区が上位に名を連ねることに変わりはないが、若い世代に限れば1位の顔ぶれは大きく変化する。
20代前半で男の数が一番多いのは文京区。大学の集積との関係が容易に想像される。20代後半の1位は千代田区。千代田区は30代前半も2位を示す。こちらは、社宅を考えると理解できる。30代〜40代前半のトップは豊島区。第2回でも触れたとおり、豊島区は独身男性が溜まる街だ。
東京23区の男性未婚者比率(15歳以上)のベスト3は、中野区、新宿区、豊島区。このうち中野区と新宿区は、女性の未婚者比率もトップ2を示すが、豊島区は女性に限ると7位に落ちる。副都心の一角を占める便利な街ではあるけれど、ちょっとあか抜けない。豊島区はそんな街である。「なぜ台東区?」の疑問は残るものの、男性の行動パターンは比較的わかりやすい。
一方、女性はどの年代も目黒区と港区が好きだ。あえて指摘するなら、30代半ばを境にして、若い世代は港区を、お姉さん世代は目黒区をより好むという傾向がある。つけ加えると、20代・30代は中央区も性比が低く、若い女性の都心好みが読み取れる。だが、なぜ、都心や山の手を女性が好むのか。イメージの世界では理解できても、男性ほど単純に答は出てこない。
次のページ>> 男女比は神の摂理と社会要因と…
取り残される男たち
社会的要因を除いたベーシックな性比の差は、神の摂理に委ねられている。男の子は女の子より5〜6%多く産まれる。福岡伸一氏曰くの「できそこないの男たち」(同氏の著書のタイトル)は、女性より死亡率が高いからだ。大人になると男女の数がほぼ同じになるよう、神様は絶妙な設計図を描いている。そして高齢者になると、平均寿命が長い女性の数が多くなる。冒頭で先進国ほど女性が多いといったのは、医学が発達した先進国は平均寿命が長いからにほかならない。
とすれば、65歳以上の高齢者の数を15歳未満の子どもの数で割った「少子高齢化度」を求めると、性比の差を説明する有力な指標が得られるはずだ。
東京23区でこの「少子高齢化度」が一番低いのは江戸川区。だから、性比が2位と男が多い。江戸川区だけでなく、足立区や葛飾区といった東部の各区は概してこの値が低い。これも性比の結果と合っている。もっとも、「少子高齢化度」が一番高いのは台東区。理屈上は女性が最も多くなるはずで、「なぜ台東区?」の疑問は続く。
一方、女性の多さは軒並み説明不能。「少子高齢化度」21位の港区や22位の中央区は、逆に男性の方が多くなければ理に合わない。
性比が高い(=男性が多い)区を改めて眺め直すと、豊島区を除き町工場型の製造業が多い区が並んでいることに気づく。町工場といえば家業。これこそ、江戸以来続く東京の伝統的な仕事のあり方だ。製造業に携わる家族従業者(家業を手伝っている人)の割合は、1位こそ性比8位の墨田区ながら、ほぼ同率の2位に台東区が並ぶ。他にも、この指標の上位と性比の上位は重なり合う区が多い。
製造業家族従業者が全就業者に占める割合は、1%にも満たない。だが、コツコツ働く頑固親父と、黙ってその背中を見つめる家族の姿は、街の風土の中に染み込んでいる。もちろん、そんな街で昔ながらの仕事と生活がしたいと男たちが集まってくるわけではない。なにしろ、製造業家族従業者が全就業者に占める割合は1%にも満たないのだから。
次のページ>> 女は、街選びも「3高」で?
では、家を出た女たちはどこに向かうのか。女性が追い求めるものを思い起こせばいい。そう、「3高」※1。高身長のデータなないが、高学歴は国勢調査でわかるし、高収入も総務省がデータを公表している。
「3高」なんてもう古い。今や「3平」※2の時代だという声も聞こえてきそうだが、性比が低い(=女性が多い)区は、高学歴者比率(短大以上の卒業者の割合)も所得水準(1人あたりの平均所得額)も、はっきりと高い。
未婚者に限ると、性比と所得水準の順位相関係数は▲0.87。みごとなまでの相関を示す(相関係数にマイナスがつくのは、性比が低いほど女性が多いからで、相関が負の関係になるためである)。
【図2】所得水準と未婚者性比の相関 2010年 資料:総務省統計局「国勢調査」より作成拡大画像表示
最後に、性比にまつわるトリビアデータを紹介しておこう。婚活適齢期となる25歳〜39歳の未婚者。東京23区の性比は121で、男のほうが2割以上多い。ならば他県でパートナーを探そう。いや、これも難しい。全国平均値は135だし、東京の周辺県は軒並み140〜150台を示す。ところが、この数値はなぜか西低東高で、東京23区より値が低い9府県はすべて近畿と九州に集まっている。※3
東京で婚活に悩む男性諸君! 素晴らしき出会いを求めて、西へ旅立ってみますか。
※1 バブル期の女性が理想とする結婚相手の条件が「高学歴」「高収入」「高身長」といわれたことから当時流行語になった
※2 ポストバブル期の女性が結婚相手に求める条件は「平均的年収」「平凡な外見」「平穏な性格」で長期的に安定した生活を営めること、という説による
※3 データの詳細は、東京23区研究所のホームページ内「婚活戦線異常あり!」で公開中
http://diamond.jp/articles/-/20931
仕事のスキルソーシャルメディア進化論2012
【第8回】 2012年7月3日
武田 隆 [エイベック研究所 代表取締役]
【宮台真司氏×武田隆氏対談】(中編)
恋愛もフェイスブックも、“飛び越え”なければつまらない
インターネット上では、時間的、空間的、立場的な制約も飛び越えたコミュニケーションが可能なはず。しかし実際には、異なる価値観を持ったグループが混ざり合うようなコミュニケーションは起きづらい。なぜだろうか?
その原因は、インターネット空間の特性にあると社会学者 宮台真司氏は見る。「自分にとって『快』に相当するものだけを選べる空間」であるインターネット上では、かつての共同体で見られたような強制的なコミュニケーションが消え、かわって自分の快・不快を基準にした平板なコミュニケーションになっていくというのだ。
前回から続く宮台真司氏とエイベック研究所 武田隆氏の注目の対談。途中、意外な喩えで2人の対話はさらに盛り上がり……。
「気づき」によって、心の情報処理システムが変わる
武田:オンライン・グループインタビューの参加者に調査後のアンケートをとると、96%が「もう一度この調査に参加したい」と答えます。3週間かけて5000ワード以上も答えてもらうので、それなりの負荷がかかる調査なのにもかかわらず、ほとんど全員がまたやりたいと言っています。オランダ、インド、アメリカで行った調査でも同様でした。
宮台真司(みやだい・しんじ)
社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。1959年3月3日仙台市生まれ。京都市で育つ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。権力論、国家論、宗教論、性愛論、犯罪論、教育論、外交論、文化論などの分野で単著20冊、共著を含めると100冊の著書がある。最近の著作には『14歳からの社会学』『〈世界〉はそもそもデタラメである』などがある。キーワードは、全体性、ソーシャルデザイン、アーキテクチャ、根源的未規定性、など。
宮台:それは、おそらく「気づき」があるからだと思います。コミュニケーションを通じて、思考のフレームや価値観が変わるという経験は、貴重ですからね。
武田:私は以前、ひきこもりのコミュニティを観察することで、価値観が変わりました。私自身はひきこもりの経験がないので、最初は「甘えているだけなんじゃないか」と思っていたんです。
でもある日、コミュニティのリーダーが「明日、このグループは解散します。僕は、病院に通おうと思う。外に出ます」と宣言した。すると、メンバーの中で「私もすぐには無理だけど、あなたの後を追って外に出たいです」という応援や、「裏切られた」という落胆がある。
こういった発言をつぶさに見ていると、「本当に出ようと思っても出られないんだ」ということがわかります。私は自分の思考のフレームが間違っていたことに気づきました。
宮台:なるほど。しかし、それは武田さんにとって価値観変容のきっかけになったかもしれませんが、コミュニティ内のメンバーにとってはどうなんだろうという疑問があります。
基本的に、均質なコミュニティの中にいるかぎり、人の心理システムは変わりません。人は自分の中に、簡単には変えられず、しかも自分では意識できないフレームを持ちます。スクリプトとかストーリーとか神経言語プログラムと呼ばれるものです。それを通してすべての物事を認識しています。
たとえば、あるものが有害に見えたり、好ましく見えたりするのは、それが実際に有害か好ましいかは関係なく、そのように情報処理するフレームが、自分の中にあるからだということです。
同じカテゴリの人間だけでコミュニケーションしているかぎり、そのフレームを上書きするフレームができあがる可能性は薄いです。ある種のノイズ撹乱要因が必要なのです。たとえば、突然に思いがけないことを発言する人が出てくると、認識のホメオスタシス(恒常性)が崩れますが、従来のフレームでは気づけなかったことに気づくチャンスになります。
武田:私がコミュニティの属性と異なる属性を持ち、コミュニティの外にいる人間だったから、異なる価値観に触れたことで変容が起きたということですね。
次のページ>> 夜這いが消えて恋愛が市場化されると…
夜這いのような強制的マッチングシステムが消えて
恋愛が市場化されると…
武田隆(たけだ・たかし)
エイベック研究所 代表取締役。 日本大学芸術学部にてメディア美学者 武邑光裕氏に師事。1996年、学生ベンチャーとして起業。クライアント企業各社との数年に及ぶ共同実験を経て、ソーシャルメディアをマーケティングに活用する「企業コミュニティ」の理論と手法を独自開発。その理論の中核には「心あたたまる関係と経済効果の融合」がある。システムの完成に合わせ、2000年同研究所を株式会社化。その後、自らの足で2000社の企業を回る。花王、カゴメ、ベネッセなど業界トップの会社から評価を得て、累計300社のマーケティングを支援。ソーシャルメディア構築市場トップシェア(矢野経済研究所調べ)。2011年7月に出版した著書『ソーシャルメディア進化論』は第6刷のロングセラーとなっている。1974年生まれ。海浜幕張出身。
武田:インターネットは、時間的、空間的、うまくやれば立場的な制約も飛び越えやすい環境です。だから、異なる価値観や言語体系を持ったグループを飛び回って、混ざり合う体験がしやすいはずなのですが、フェイスブックを見ているとそういうことはあまり起きていない気がします。
宮台:その理由は簡単です。インターネットにはコアーシブ(coercive=強制的)なコミュニケーションがないからです。
武田:ああ……! たしかにそうですね。
宮台:性愛で考えるとわかりやすい。昔は夜這いが慣習化されていましたが、性的奔放ではなく、若衆宿を背景として、それなりの女にそれなりの男が夜這いをかけるコアーシブなマッチングシステムでした。
夜這いや若衆宿が消えた高度成長期には、かわりに体育会的ホモソーシャリティが機能しました。そこもコアーシブなコミュニケーションで、「オンナは苦手で……」なんていう言い訳は許されず、先輩に早朝ソープに連れていかれたものです(笑)。
武田:まさにコアーシブですね(笑)。
宮台:でも、いまは恋愛がコアーシブでなくなり、市場化されました。誰でも好きな人を選んでいいというのは、自由に見えて実は不自由です。出会い系の例がわかりやすいから、紹介しましょう。
男女にABCのランクがあるとすると、男はどのランクの女にも向かいますが、女はAランクの男にしか向かわないので、Aランクの男が一瞬で払底する。その結果、どのランクの女もほぼ永久にAランクの男と出会えません。業界ではよく知られています。
武田:需要と供給のミスマッチが起こるんですね。
宮台:そうです。永久に相手が見つからないから、出会い系産業がサステイナブル(持続可能)なんです。
コアーシブな共同体がなくなれば、個人が自力で異性と出会わなければいけません。でも、先ほどのミスマッチもあるし、共同体の中での方法的な伝承もなく、恋愛市場での成約は見通しがたい。すると「面倒くさいし、リスクも高いし」ということで、性から退却する人が大勢出てくるのは当たり前です。
それを踏まえて先ほどの問いに答えると、インターネットは摩擦係数の低いコミュニケーションで、誰からも強制されません。強制する人がいたら切ればいい。つまり、自分にとって「快」に相当するものだけを選ぶ空間です。だから……。
武田:「混ざる」「飛び越える」といったコミュニケーションが起きづらいのですね。
宮台:そうです。それを起こすには、アーキテクト(設計者)が、オンラインコミュニティに、混ざるアーキテクチャを作り込まねばなりません。それだけでは足りず、「混ざることに意味がある」という理念をアーキテクト自身が発信し、それを受けとった人が「そうだ、多少強制されてもかまわない!」と自発的にならねばなりません。そうでないと、混ざる前に出ていってオシマイです。
次のページ>> 快・不快の感覚が平板になっている若者たち
武田:先日行った国際オンライン・グループインタビューの結果から、アメリカ人、オランダ人の40代の多くは、フェイスブック上に発話される内容に対して、「さして重要なことはない」と否定的な意見を持っていることもわかりました。一部の論客は自分の意見を発信できますが、一般人の隠れた本音は出てきていません。
好きな論客だけをフォローして、会話をするのは、当たりさわりのない内容のやりとりが中心のグループのみといったことになった場合では、快の上澄みの部分が抽出される状況が生まれるのかもしれません。
宮台:そのとおり。快・不快を基準にした摩擦係数の低いコミュニケーションを続けていると、コミュニケーションだけでなく、その背景にある快・不快の構造自体が非常に平板になってしまうんです。
表層的な快・不快では、恋愛もオンラインもつまらない。思いがけないからこそ、コミュニケーションはおもしろい。
例えば、いまの若者はケンカを避けますよね。人とぶつかるのは不快だから。でもケンカは本当に不快なだけなのか。仲直りしたり、意外な人が仲裁に入ってきて新しい社会関係が生まれたりと、ケンカの経験がある人はケンカにまつわる快感をたくさん知っています。
表層的な不快という敷居を乗り越えれば、実は世の中には利用可能な快感というものがまだまだたくさんあります。快・不快で判断するのがいけないんじゃなく、若い人の快・不快がものすごく表層的でつまらないところに張りついているのが問題なんです。
武田:無理やりケンカに連れていく「先輩」もいないわけですからね。
宮台:いまの僕もわざわざ「君たちのコミュニケーションはつまらない」と言ってあげようとは思いませんしね。でも、ついこの間までは、そういった踏み込んだコミュニケーションをしていたんですよ。
おあつらえ向きなやつをネット上に探してわざとdisって、相手が反撃してきたら、十倍返しでコテンパンにして潰すっていうことをやっていた(笑)。そのやりとりを見せることで、ギャラリーに対して価値を発信する意図がありました。
武田:プロレス的な発想ですね。
宮台:そうです。僕が発信したかったのは、とりあえずは「暇つぶしでケンカするのって楽しいぜ」という価値ですが、一部の人たちには説明するまでもなくわかってもらえたものの……不評でやめました(笑)。ゼミ生にも「宮台先生のゼミにいることを言いづらくなるのでやめてください」と言われて。
武田:(笑)
宮台:有名な先生とネット上で大喧嘩した後に和解してみせるってのもやりましたが、「当たりさわりないやりとりをする間柄より、喧嘩して仲良くなった間柄のほうがずっと濃密だ」という価値も発信したかったんですね。
僕は、インターネットのコミュニケーションにはもっと可能性があると感じています。でも、人々が「やりたいことしかやらない」という素朴なレベルで関わっているかぎりは、できることも限られてしまいますね。
次のページ>> マーケット・インだけのナンパはレベルが低い
宮台:やりたいことしかやらない、というコミュニケーションにはもうひとつ問題があります。僕は80年代にマーケットリサーチの会社の取締役をやっていて、その当時から「顧客のニーズに応じてはいけない」と言っていました。それは、顧客は自分が本当にやりたいことがわかっていない存在だからです。
武田:ニーズに応じるだけでは、感動を生むような商品は生まれないということですね。
宮台:そうです。これは、一般のコミュニケーションにも言えることです。例えば、ナンパ。いまの「自称ナンパ師」は僕らの世代から見ると、テクニック的にレベルが低い。それは、女の子のニーズにただ合わせようとしているからです。
武田:マーケット・インだけの発想なんですね。
宮台:そう。僕がナンパする場合、そんなレベルの低いことは絶対にやりません。デートであれ、セックスであれ、女の子の望みの外にあるものを体験させて、「ええっ、こんなものがあったんだ! 知らなかったけどすごい! おもしろい!」と言わせることが大事なんです。
武田:「飛び越え」させるわけですね。
宮台:そうです。そうすることで、女の子、そして顧客は成長するんです。従来のニーズが、はっきり言って「くだらなかった」と気づく。今までは、ボーッと思考停止的に要求していただけだったんだとね。
次のページ>> 「君たちは間違っている」と顧客の認知構造を変えたジョブズ
宮台:アップル社の“Think different.” というメッセージも同じです。あれは「違った考え方をしよう」と直訳してもいいのですが、正しく意訳すると「君たちは間違っている」ですよ。
「君たちはストレージがどうのCPU速度がどうのと言っているけれど、そんなのクソじゃない?」と。「えっ、俺たち、間違っていたの?」と揺らいだところに、「これどうだい? この魅力はスペックじゃないだろ?」と商品を見せる。
相手の欲望をわざと無視したり否定することで、先に述べた概念的なフレームを変えることができるんです。だから、Macは信者が増えるし、エバンジェリスト(布教者)も増える。これって、動揺が生み出す変性意識を用いた洗脳の技術なんですね。
武田:とはいえ、「飛び越える」体験をさせるためには、顧客を知らないとダメですよね。
宮台:そこがポイントです。
武田:スティーブ・ジョブズは、市場が求めていることを汲みとれた。そのうえで、くだらないと否定して、もう一段高いところを提示したんですね。
宮台:そう。では、求めているものを汲みとるとは、どういうことなのか。女の子とデートする際、音楽や料理や趣味や旅行などの好みをあれこれ質問する「ウザいやつ」が増えたでしょう。僕的には絶対にありえません。
若いころの車デートでは、高速でこの曲、湾岸でこの曲みたいな「特製カセットテープ」が必須でしたが、日ごろの行動から好みを推定してつくりました。その際「この曲好き。あっ、その曲も好き。どうして好みを知ってるの?」とドンピシャの命中を狙うだけでなく、「それならこれも好きなはずだ」と女の子の知らない曲を混ぜるんです。
これは相手の欲望の無視や否定じゃなく、拡張ですから、より初心者向きですね。いずれにせよ、こうして相手のニーズに応じるだけのコミュニケーションでは与えられない喜びを与えられるんですね。さもなければ、深い絆はつくれません。
武田:相手を知る。そのためには相手のインサイトに耳を傾ける必要があります。マーケティングも一緒で、顧客を深く知り、そのうえで顧客の想像を超えるようなプロダクトを市場に出す。マーケット・インとプロダクト・アウトの姿勢を組み合わせる。
ソーシャルメディアの登場によって、以前よりも顧客とつながりやすくなり、より深く顧客を知るチャンスが生まれました。「マーケティングは市場とのコミュニケーションである」という原点回帰が、先進企業の間で起こり始めているように感じます。
※この対談の続きは、7月17日(火)に配信予定です。
【編集部からのお知らせ】
大好評ロングセラー! 武田隆著『ソーシャルメディア進化論』
定価:1,890円(税込) 四六判・並製・336頁ISBN:978-4-478-01631-2
◆内容紹介
当コラムの筆者、武田隆氏(エイベック研究所 代表取締役)の『ソーシャルメディア進化論』は発売以来ご高評をいただいております。
本書は、花王、ベネッセ、カゴメ、レナウン、ユーキャンはじめ約300社の支援実績を誇るソーシャルメディア・マーケティングの第一人者である武田隆氏が、12年の歳月をかけて確立させた日本発・世界初のマーケティング手法を初公開した話題作です。
「ソーシャルメディアとは何なのか?」
「ソーシャルメディアで本当に消費者との関係は築けるのか?」
「その関係を収益化することはできるのか?」
――これらの疑問を解決し、ソーシャルメディアの現在と未来の姿を描き出した本書に、ぜひご注目ください。
※こちらから、本書の終章「希望ある世界」の一部を試し読みいただけます(クリックするとPDFが開きます)。
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◆内容目次
序 章 冒険に旅立つ前に
第1章 見える人と見えない人
第2章 インターネット・クラシックへの旅
第3章 ソーシャルメディアの地図
第4章 企業コミュニティへの招待
第5章 つながることが価値になる・前編
第6章 つながることが価値になる・後編
終 章 希望ある世界
http://diamond.jp/articles/-/20740
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