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『社会貢献』を買う人たち
【第71回】 2012年7月3日
竹井善昭 [ソーシャルビジネス・プランナー&CSRコンサルタント/株式会社ソーシャルプランニング代表]
あなたはそれをお金で買いますか? サンデル教授が教えてくれた「コンプガチャ問題」の本質
7月1日からレバ刺しが禁止となった。同時に、ソーシャル・ゲームのコンプガチャも規制の対象となった。レバ刺し禁止は民主党政権最大の愚策だと思う。消費者の楽しみを奪ったという意味で非常に罪深い。それはさておき、今回は、この「コンプガチャ問題」と「市場主義の限界」の関係性について考えてみたいと思う。
「市場主義の限界」は、大ベストセラーとなった哲学書『これからの「正義」の話をしよう』の著者マイケル・サンデル氏の最新刊『それをお金で買いますか』のサブ・タイトルにもつけられている。筆者が今回、コンプガチャ問題と市場主義の限界について語ろうと思った理由は、コンプガチャが規制されるに至った背景と、サンデル氏がこの本で提起している問題は通底しているからだ。
つまり、サンデル氏が危惧していたことが現実に起こった。それがコンプガチャ問題なのである。「お金を払えれば何でも買える仕組みは、結局はコミュニティを崩壊させる」ということを、ソーシャル・ゲームの世界が実証したのである。そのことを筆者の実体験を元に伝えたいと思う。
筆者もハマった釣りゲーム。
グリー躍進の原動力に
実は、2年半前から去年の今ごろまで、筆者はグリーにハマッていた。ちょうど当時は、グリーやモバゲーなどのソーシャル・ゲーム市場が急速に拡大しており、筆者もマーケティング屋という仕事柄、流行りものには関心があり、グリーに入会した。
また以前から、「インターネットの本質は喫茶店。コミュニティを生み出すことにある」と主張していたこともあって、ソーシャル・ゲームを新たなゲーム市場としてではなく、「ケータイというプラットフォームがどのようなコミュニティを生み出していくか」という点に興味を持った。ただ、それを確かめるためには、まずは自分で実際に参加してみるに限る。たまたま知人からグリーへの招待状を受け取ったこともあり、グリーに登録し、遊んでみることにした。
グリーの中には数多くのゲームがある。その中でも僕がメインにやっていたのは「釣りスタ」というゲームだ。これは、携帯やスマホで遊ぶ釣りゲームで、ゲームとしてはシンプルなもの。ただし、仲間との協力プレイや交流も楽しめるソーシャル・ゲームでもあった。グリー躍進の原動力となったキラー・コンテンツだ。
他の多くのゲーム同様、釣りスタも一種の成長ゲーム。最初は小物を釣るところから始まり、経験値を積めば上級者となり、ポイントをためれば優れた装備をゲットすることもでき、さらに大物を釣ることができるようになる。初心者の頃はコツコツと一人で釣りを続け、上級者を目指してステージを上げていく(10級から始まり最高位の10段を目指す)のだが、ある程度慣れてくるとチームに参加したりイベントに参加したりするようにもなる。
次のページ>> 他社ゲームと一線を画していた「助け合い」のコミュニティ
釣りスタにはさまざまなイベントがあるが、主なものは「大会」と「ツアー」である。大会は30人でチームを組み、チーム対抗で順位を争う。ツアーは個人参加だが、協力者を募ることで得点を上げ、ボーナス・ポイントや特殊な装備(エサや釣り道具など)を得ることができる。これら大会やツアーの仕組みがソーシャル・ゲームの本質だと言っても良いだろう。
他社ゲームと一線を画していた
「助け合い」のコミュニティ
筆者が釣りスタを始めた頃は、大会もツアーも非常に優れたコミュニティの仕組みだったと思う。当時、「大会」の仕組みは、大小4種類の魚を釣ることでポイントを稼ぎ、他のチームと勝敗を競うルールだった。この仕組みは非常に良くできていて、初級者は小さな魚を狙い、上級者は大物を狙うということで、レベルに合わせて協力し合うことが可能な仕組みだった。初級者でも頑張れば強いチームのメンバーとして活躍することが可能だったのだ。
「ツアー」も同様に、上級者が初級者を助けることが可能なルールだった。ツアーはプレイヤーが個人で参加するゲームだが、設定された魚を釣るたびにステージが上がっていく。最後にボスキャラを釣ることが目的ではあるが、それとは別に魚を釣った総数(ポイント)によってさまざまなボーナスが得られるようになっていた。
さらに誰か他のプレイヤーと“協力関係”になれば、協力者のポイントと自分のポイントが合算される。つまり、多くのポイントを獲得したプレイヤーが協力してくれると自分のポイントも跳ね上がり、多くのボーナスを得ることができるというワケだ。
ただし、筆者が参加した頃はボーナスの上限設定が低く、たとえ1万匹魚を釣ったとしてもあまり意味がなかった。簡単にクリアできてしまうのである。では、上級者はどうやって楽しんでいたかというと、チーム仲間や友達などの下級者を“助ける”。つまり、自分の余ったポイントを下級者に分け与えていたのである。
当時のグリーは、この「釣りスタ」に代表されるように、仲間で助け合い、協力し合うコミュニティを生み出していた。他のプレイヤーに対して良いことをすれば自分にも良いことがある、という仕組み。他人が寝ている間に大事なモノを盗んだり、人の畑を荒らしたりすれば自分のポイントが上がるといった、他社のゲームとは一線を画す仕組みだった。つまり当時のグリーは、「良き社会のあり方とは何か?」ということに対し、数千万人が参加する壮大な実験場だったのだ。これが、筆者がグリーにハマった最大の理由である。
次のページ>> 「課金アイテム」の登場で、コミュニティは一気に崩壊へ
しかし、会社の急成長とともにグリーは変質する。大会もツアーもルールが変更された。大会では対象の魚が一種類になり、ひたすら大物の魚を釣ることが勝利の条件となった。そうするとまず、下級者がチームから排除される。上級者と下級者が協力し合うというコミュニティが崩壊を始めた。
さらに追い打ちをかけるように「課金エサ」が導入された。これは、お金を払って買うエサのことで、無料のエサと比べて魚が釣れる確率が格段に跳ね上がる。大会は限られた時間(1週間程度)の間でどれだけの魚を釣るかで勝負が決まるので、課金エサを使った方が圧倒的に有利となる。すると今度は、たとえ上級者であっても課金エサを使わない(お金を使わない)プレイヤーが排除されるようになった。
この頃には「大会でチームが全国1位をとるためには、課金エサのために一人あたり10万円を使う必要がある」とも噂されていた。課金エサを使わないで順位を維持しようとすれば、そのために膨大な時間の消費を強いられた。つまり、お金を使うか、時間を消費するかしなければ勝てない世界となったのである。
それは、古くからのユーザーを疲弊させ、多くのチームを崩壊させた。活躍していたプレイヤーやチームリーダーがある日突然、脱会宣言することも続出した。筆者の推測では、課金エサにお金を使いすぎて携帯料金を払えなくなった人が急増したからではないかと考えている。
大会だけでなく、ツアーでも同様のことが起こった。ルール変更により、ボーナス獲得のためのポイント上限が引き上げられ、上級者は下級者の仲間を助ける余裕がなくなった。自分と同レベル以上の仲間とだけ協力するようになった。また、上級者の中には“商売”を始める者も出てきた。相手に自分のポイントを「売り」、それと引き換えに、レアアイテムや課金エサを「買う」のである。
こうして、かつて「互恵経済」だった釣りスタの世界は、完全な「市場経済」へと変質してしまう。その結果、お金を使わなければ勝てない世界に嫌気がさし、多くの仲間がチームを脱退。あるいはグリー自体を退会していった。筆者が退会したのもちょうどその頃。1年ほど前の話である。
コンプガチャ問題が抱えていた
本当のリスクは?
このようにコミュニティが崩壊する一方で、グリーはさらに売り上げを伸ばした。2011年7月〜2012年3月の累計連結決算では、前年同期比で売上高は2.7倍の1181億円、営業利益は2.9倍の637億円となっている。2011年10月〜12月期には、ライバルであるモバゲーを運営するDeNAを売上高で抜いた。
次のページ>> お金で買えるものと買えないものをどう線引きするか?
企業なんだから売り上げを伸ばし、利益を増やして何が悪いと思うかもしれない。確かにそうだ。しかし、スタートアップから成長期を支えたファン(顧客)を裏切るような変質が、企業を長期的に成長させるのだろうかという疑問は残る。アメリカでも、ベンチャー企業に投資ファンドなどが参入して急成長させ、その企業を変質させたことによって、結局はその会社を消滅させてしまった例はいくらでもある。
グリーの今後がどうなるかはわからない。現時点でわかることは、高い収益率を支えたコンプガチャに規制が入り、株価が急落したという事実だけだ。これは一時期のことなのか、それもわからない。ただ、国家の介入まで引き起こしたコンプガチャ問題の本質は、チームの名誉まで金で買えるような仕組みにしてしまった、グリーの経営思想に問題があったのではないだろうか。たとえ今回、コンプガチャ規制の危機を乗り切れたとしても、本質が変わらなければまた同じような問題が生まれるかもしれない。グリーが抱える最大の経営リスクがそこにある。
お金で買えるものと買えないものを
どう線引きするか?
冒頭で紹介した『それをお金で買いますか 〜市場主義の限界』でサンデル氏が危惧するのは、ほとんどあらゆるものがお金で買えるようになった世界である。国際空港の入国審査の混雑を避けることができる(ビジネス・クラスや、ファースト・クラス専用の)ファスト・トラック、野球場やフットボール・スタジアムの特等席、超人気コンサートや演劇などのチケットをゲットするための「並び屋」、などなど。
平等であることがあたり前だった世界に、お金で買える「優先サービス」がどんどん生まれている。お金さえあれば、絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利だって買えるし、赤の他人の生命保険を買い取って死亡時に保険金を受け取ることもできる。つまり他人の命さえ買うことができる世界があるのだ。
多くの人が「それを金で買ってもいいのか?」と疑問に思うものを売ること、それがさまざまなものを腐敗させる、とサンデル氏は指摘する。筆者がグリーの中で見たことも、まさにその腐敗だった。チームや個人の名誉、他者からの賞賛を金で買える社会にした。そのことで名誉や賞賛が腐敗し、コミュニティは崩壊した。しかし、企業は売り上げを伸ばした。「何かがおかしい」と感じるのは筆者だけだろうか。
サンデル氏は言う。「市場原理がこの30年間に果たした役割は大きい。しかし、市場と市場価値が、それらが馴染まない生活領域にも拡大した」、「市場をあるべき場所にとどめておくことの意味を考え直す必要がある」、「お金で買うべきではないものが存在するかどうかを問う必要がある」と。筆者もまったく同感である。
http://diamond.jp/articles/-/20949
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