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山崎元のマルチスコープ
【第237回】 2012年6月27日
山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
一体改革法案の通過後に始まる
社会保障制度改革国民会議の「憂鬱な予想」
造反も見据えた予定通りの進行
一体改革法案通過の「勝ち・負け」
社会保障と税の一体改革法案(以下「一体改革法案」)、要は、消費税率引き上げ法案が、昨日、民主・自民・公明三党の賛成で衆議院を通過した。
民主党内の「造反」議員はそれなりの数になったが、ここまでは予定通りの進行と言っていいだろう。採決までおとなしくしていて、様子を見ながら、土壇場になって離党覚悟で反対票を投じても、大勢は決しているのであり、この種の議員は法案に賛成した議員と大して変わらない。
あくまでも筆者なりの公平感だが、公平に見て、一貫して反対を訴えていた小沢一郎元民主党代表は、正論の側にあった。選挙の約束は重い。消費税率を今上げることは適切ではない。小沢氏は「議員1人分」程度の貢献をしたと思う(彼がよく言う「一兵卒」の働きとは、この程度の働きを言うのだろうか)。
ただし、法案が通る流れが決した今になってから、「新党」その他の駆け引きをするのは、政局的には1つのタイミングなのかも知れないが、政策論的にはベストを尽くしたとは言いにくい。反対する政策が実現するのであれば、政治家として、その勝負は「負け」だ。
もっとも、有権者から見て「背信行為」であり、政策論的には「負け」ていて、加えて「情けない」のは、民主党の中で今回「中間派」と呼ばれている人々だろう。この人たちは、何をしようとして議員になったのか、さっぱりわからない。
さて、一体改革法案は、不十分ながら景気に配慮して実施する条項が付いたり、民主党なりの年金改革案が付いたりするなど、民主党の政策と議論をいくらか反映した形で提出されたが、自民・公明両党と三党で協議するプロセスで、消費税率引き上げを実施するため以外の重要事項は、木っ端微塵に粉砕された。
次のページ>> 「民主党年金案」が先送りされた、社会保障制度国民会議を予想する
仮に霞ヶ関の官僚が脚本を書いたとして、脚本家は首相周辺、つまり民主党の主流派を消費税率引き上げに前のめりにさせておいて、霞ヶ関にとって邪魔な民主党の政策を、野党をけしかけて葬り去るという配役とストーリーを、三党協議のかなり前から、考えていたということだろう。
主演(野田総理)は大根役者だったが、助演の悪役(自民党の伊吹文明氏)の好演もあって、芝居は完結しつつある。脚本家(誰が書いたのだろう?)と監督(勝財務次官なのだろう)の力量は大したものだ。
物事を勝ち負けに単純化すべきではないかも知れないが、もともと消費税率10%を掲げていて、民主党のその他の政策をほとんどすべて葬ったのだから、政策論的には自民党が「勝ち」だ。
そして、実質的には、念願の増税を達成する財務省と、民主党式の年金制度改革を避けて「年金村」を守ることができた厚労省とが、「大勝」した。
「民主党年金案」は体よく先送り
社会保障制度改革国民会議を予想する
民主党の社会保障政策の根幹は、最低保障年金と所得比例年金を合わせた新制度による公的年金制度改革だった。仮にこれを「民主党年金案」と名付けると、民主党年金案は、いったん自民党に取り下げを強要されそうになったが、そこを野田首相が「旗だけは降ろさない」形に押し戻す形の、芝居の演出的にはいかにもありそうなサブストーリーを経て、今後、社会保障制度改革国民会議(以下「国民会議」)で検討する形に、体よく先送りされた。
もともと年金制度にこだわりを持っていた「中間派」の民主党議員は、「まだ負けたわけではない。国民会議で、我々の主張をしっかり伝えていけばいい。実現の可能性はある」と言いたいのだろうが、これは甘い。
次のページ>> たぶん脚本家の読み通り。会期ギリギリに三党合意した意味
確かに、論理的な意味で「可能性」はある。しかし、実現確率は限りなくゼロに近いのではないか。
誤解しないで欲しいが、年金制度に関して、筆者はマニフェストをつくった当時の(と言うしかないが)民主党の味方だ。現行の年金制度は、不公平かつ非効率的であると同時に、持続性にも疑問がある(たぶん、加入者にとっての将来の大幅な条件劣化が避けられない)、と考えている。
たとえば、生活保護と年金を総合的に考えた場合、最低保障年金は、ベストでないとしても、現状を改善するアイディアだと思う。
だが、将来を現実的に予想するとき、筆者は悲観的にならざるを得ない。それは、国民会議の様子が想像できるからだ。
そもそも、座長も委員も事務局も決めないで、有識者による会議で検討するという落としどころは不十分であり、全く不真面目なのだが、近未来の国民会議像を描いてみよう。
国民会議が、いわゆる有識者だけを委員とするものなのか、それとも国会議員、あるいは官僚をメンバーに含むものなのかについては、現時点では曖昧だ。
たぶん、脚本家の読み通り
会期ギリギリに三党合意した意味
この状況は、たぶん「脚本家」の読み通りだろう。議論に十分な時間がある中で国民会議による先送り構想を提示したなら、国民会議がどのようなものになるかについて、具体的に議論されて、話がまとまらない可能性があった。国会会期ギリギリに三党協議をまとめるスケジュールは(合意案ができてしまえば、採決は少々遅れても大勢に影響はない)、意図的な演出だろう。
だが、国民会議に国会議員が入るかどうかは、たぶん、そう重要な問題ではない。与党・野党に関して、さらに年金制度に対する意見に関して、「偏りのない」人選がなされるはずであり、そうでなければ、当の国会議員達が納得するまい。
次のページ>> 国民会議は偏りのない人選に。全体の半分は「大学の先生」か?
彼らは、声の大きな人たちなので、会議を賑やかにするかも知れないが、彼ら同士が相殺し合うことは、いわば予約済みである。彼らとしても、選挙民向け、あるいは官僚向けの「パフォーマンス」ができれば、悪い話ではない。
会議の座長は誰になるだろうか。会議の重みと重要性、さらには「識者」としての権威から言って、東京大学あるいは同等の有名大学の大物教授、あるいは名誉教授クラスの学者が座長になるはずだ。それ以外の選択肢は考えにくい。
学者、特にこの種の審議会的な会議に呼ばれるような社会的な地位のある学者は、学者内の序列に敏感だ(なぜなら、他の学者に対する自分の序列で優越感を持っているから)。それなりの大家ないし大物でないと、この会議はまとめられない。
国民会議は偏りのない人選に
全体の半分は「大学の先生」か?
では、委員にはどのような人たちが選ばれるか。
全体の半分くらいは、学者(日本では学者とは、ほぼ「大学の先生」のことだ。現在、学術論文を書いているかどうかは問われまい)ではないだろうか。
ところで、年金は「制度」「数理」「運用」の三部門がわからないと十分な議論ができない。「有識者」には、歴史も含めて内外の「制度」に詳しい人が必要だし、年金数理の専門家も要るし(「原発ムラ」ほどではないが、アクチュアリー=年金数理人の世界もムラ的だ)、運用の専門家もいた方がいい。かなり大規模な会議になるだろう。
また、「仕掛け」としての国民会議の役割を考えると、民主党の政治的スポンサーである労働組合関係者(たぶん、連合の誰か)、そして、労働者がいるなら財界関係者、さらには「生活者」兼「女性代表」的な役回りの女性論客なども1〜2名必要だろう。加えて、年金・社会保障分野の現場経験者や評論家などにも、2〜3名は声がかかるのではないか。
次のページ>> 思うままにコントロールされる? 会議の急所は「事務局」
さて、仮に読者が座長だとして、こうした会議をどう仕切って結論を得るか。読者は、そのプロセスが想像できるだろうか。
思うままにコントロール
会議の急所は「事務局」!
この社会保障に関する国民会議は、座長が議事を進行するが、座長が実際に行なうことは、要所要所で事務局が用意した原稿を読みながら議事を進行し、会議時間に応じて委員に発言機会を与えることだ。座長として会議を進行することだけなら、普通のビジネスマンでもできるはずだ。
会議のスケジュール自体にも、個々の出席者にも、「時間の制約」がある。仮に、国民会議の委員に、それなりに名のある有識者を任命した場合、彼(彼女)は、この会議以外にも多数の用事を抱えているはずであり、たとえば、毎回自分でデータを収集・分析して、独自の意見を言うための準備などできるはずがない。傾向として、有能・有名な識者ほど、会議に割くことができる時間とエネルギーは限られている。
まして、テーマは年金だ。具体的な議論のためのデータや、内外の事例、加えて年金に関わる学説などを消化して会議に臨むことは簡単ではない。会議では、複数の意見がプレゼンテーションされることになると予想できるが、毎回、毎回、参加者のマジョリティーは、事務局の事前の「ご説明」に基づいて話題に付いていくくらいが精一杯だろう。はじめは勇ましい参加者も、会議の回数を重ねると、だんだん疲れておとなしくなる……。
勘のいい読者は、すでにおわかりだろう。社会保障制度改革国民会議は、事務局が思うままにコントロールできるものになるはずだ。この種の会議は、内容が難しくて、重要なテーマであればあるほど、そうなることが容易に想像できよう。
次のページ>> 国民会議は、官僚に利用されるだけの「仕掛け」に過ぎない
そもそも、実際に委員の人選を行なうのも事務局だろう。国民会議の行方は「事務局」に尽きるのだ。
会議の設置場所は、テーマから言って厚労省かも知れないし、その重要性から言って内閣府であるかも知れないが、テーマが公的年金である限り、具体的で詳細なデータを持っているのは厚労省の年金官僚たちだけなので、事務局は実質的に彼らが担うはずだ。
中間派議員の主導など夢のまた夢
官僚に利用されるだけの「仕掛け」
では、彼ら以外に事務局の選択肢があるだろうか。
たとえば、しがらみのない大学の研究者やシンクタンクに、国民会議の事務局を外注して、厚労省をはじめとする官庁は、データ面での協力義務とオブザーバー参加だけに限定する、といった仕組みを、民主党でも自民党でも採用することはできるだろうか。
それは、たぶん無理だろう。官僚が反対するし、政治家がこれを強行しようとしたとしても、官庁とのしがらみのない大学やシンクタンクは国内に存在しないと言ってもいいから、二重の意味で不可能だ。客観的な検討会議を本気でつくるなら、現状では、外国の研究機関にでも頼む以外にないのではないか。
社会保障制度改革国民会議は、通常の審議会がそうであるように、官僚に都合よく利用されるだけの「仕掛け」になるはずだ。長いものに簡単に巻かれる、民主党の「中間派」の腰引け議員さんたちが主導権を取ることなど、夢のまた夢だろう。
もっとも、多くの有権者は、悪い夢よりももっと情けない現実に目覚めたところだ。
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