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欲望と恐怖の為替市場で勝ち残る者の条件(因みに、グリーンスパン/パーナンキの舵取りは職人芸?)
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/631.html
投稿者 墨染 日時 2012 年 6 月 23 日 10:11:58: EVQc6rJP..8E.
 

http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPTYE85L00N20120622?pageNumber=4&virtualBrandChannel=0斉藤洋二 ネクスト経済研究所代表

[東京22日ロイター] 去る4月18日、白川方明日銀総裁は、米ニューヨークでの講演会で「経済を管理することは、人間とその感情を巻き込んだ複雑なシステムである以上、おそらく、科学ではなくアートであり続けるだろう」と述べた。
この種の金融政策アート論は、元日銀総裁の故三重野康氏がよく口にしたものだ。言い換えれば、金融政策は、自然科学のように公式化できるものではなく、芸術や職人芸、あるいは同じ科学でも、人為の所産を研究対象とする人文科学に近いということだろうか。

では、為替投資の世界はどうか。アートなのか、科学なのか。・・為替投資とは科学でありアートであり、その双方のアプローチを駆使して相場の心を読むことだと認識している。

<猿が専門家に勝利、為替相場のアート性とは>
世の中には、学者、そしてストラテジスト、エコノミストなど多くの専門家が存在する。その市場分析と相場予測は一定のヒントを与えてくれる。しかし、その精度は、決して満足できるものでないことは、今さら指摘するまでもないだろう。
精度の低い原因は、「為替は科学である」という面を重視するあまり、市場参加者の心理分析やポジションの動きなどの予測、つまり相場が本源的に持つアート性について理解や経験が不足していることにある。この心理分析とポジションの動きについての予測は、相場の心を読む作業であり、優れて職人芸の領域なのだ。

・この点については、以下に2つの例を紹介する。
まず、「ランダム・ウォーク理論」。NY株式市場において、専門家が選んだ銘柄によるファンドと、猿が指差する銘柄によるファンドとのパフォーマンスを比較した。結果は猿が勝ったと言うものである。
続いて、経済学者ケインズの言葉を援用する。「相場予測は美人投票である」と半世紀以上も前にその本質を喝破している。すなわち、「相場予測とは、客観的価値により絶対美人を選ぶことではなく、皆がどの娘を美人と思っているかを予想することである」と。
長年為替相場で勝負してきた筆者は、皮膚感覚として、こうした理論に共感を覚える。

<科学的に類推すればドル50円台の相場も>
しかし、その一方で、「為替が科学である」こともまた事実だ。従来の学問的研究が為替市場動向の予測に際して有効だったとは言い難いが、超長期チャートや実質実効為替レートといった一種の科学的な手法を用いることで、現在の為替水準を正しく理解したり、大局観を得ることは可能だ。
たとえば、円相場の今後の長期トレンドを占う上で、歴史的分析は欠かせない。超長期チャートを眺めながら、円相場の歴史を振り返ってみよう。
円相場は、140年も遡る1871年、明治政府の新貨条例制定に始まる。この法律により1ドル=1円=1両と設定された。その後は、1949年ドッジ・ラインにより1ドル=360円で固定されるまでの約80年間、円安の歴史を辿った。
まず、西南戦争によるインフレで購買力は下落し、加えて外貨不足に呻吟(しんぎん)し、1ドル=2円に下落。さらに大戦前に4円、戦後に入り15円、そして新円切り替えにより270円へと続落。その後、20年間の固定相場制を経た後、円高へと反転し現在に至る。この40年間において400%も上昇した。
このチャートから科学的に類推するに、今後さらに50%上昇し、50円台の相場を見ることがあっても、何ら違和感を持たない。かつて1円だったことを思えばなおさらである。
また、マスコミは、対ドルで70円台という現在の円相場を「超円高」と呼び、輸出業者の悲鳴をいつもながらに喧伝するが、そもそも実質実効為替レートで見れば、決して歴史的高値水準にあるわけではない。
まず1995年にも現在と同じく、70円台となったことがある。実質実効為替レートで当時と現在を比較すると、2005年を100とすれば、当時は150と超円高。現在は100程度と、過去40年の平均的水準にしか過ぎない。
換言すれば、95年の円高水準は、現在で言えば50円台の水準だったこととなる(日本製造業の苦境は「円高によるもの」と言うよりも、「日本経済の競争力が他国に比べて落ちてきた結果」と言う方が正しい)。変動相場制導入以来、経済学者たちによって提起された多くの学説(購買力平価説、アセットアプローチ、合理的期待形成仮説等)が将来の市場価格の決定理論と呼べるものではないこともまた事実だ。
その理由は、これらの学説があくまで過去の市場変動と過去の為替需給を検証することによって、打ち立てられたものであったからではないか。それらは、過去の市場参加者の行動様式を静態的に分析したものである。将来の相場の均衡点は、新しい参加者が新しいテーマに対し行動することによって決定されるという事実を看過していた点において、実用的でなかったのではないか。
★さらに、近年のFX(為替証拠金取引)普及に伴う為替のお茶の間への進出は、市場成長の副産物であり予想外のことだ。今や為替は、経済学的な範疇に留まらず、「欲望と恐怖のゲーム」としての様相を一段と強めている。
為替変動の幅は、固定相場制から変動相場制に移行した40年前に想定されたものよりも、はるかに大きなものとなっている。★変動相場制への移行で、相場は「自律調整的に均衡点に到達する」と経済学者たちは言ったが、実態は均衡破壊的な方向に動き、乱高下を繰り返している。このことは、科学の域を超える現象であり、当時の科学の想定外だったのだ。

<先人の英知に学ぶ>
長々と私論を述べてきたが、要するに、為替相場は為替需給により決定される点において、科学であるが、その需給は政治・経済の諸問題を含め森羅万象に対する心理的要因から増減し、またタイムラグを生じることから、すぐれてアート的なのである。
このアート性豊かで、職人芸的な相場の世界において、先人の英知に学ぶことは不可欠だ。その代表的な人物こそ、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と囃(はや)された本間宗久翁ではないか。18世紀後半の米商人かつ米相場師である。
この「相場の心を読む達人」は、相場の罫線分析、心理分析、さらには人生訓についても多くを語っている。この達人が編み出した「酒田五法」というローソク足の罫線法は「Candle Stick」と言われ、200年の時を経てもなお、世界中で使われていることからも翁の偉大さが分かろう。
とすれば、「為替とは、科学的アプローチだけでは勝てないし、またアート的アプローチだけでも勝てない。すなわち科学的な分析力と心理学的慧眼(けいがん)を兼ね備えた者のみが勝ち残る世界である」と結論づけられる。
★果たして、金融政策はどうなのか。アートだけに頼るアプローチは、凡人にはできないことだけは確かである。

*斉藤洋二氏は、ネクスト経済研究所代表。1974年一橋大学経済学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。為替業務に従事。

 

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