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幸福を呼ぶキャリア論
【第3回】 2012年6月22日 高橋 潔
大学にハローワークの時代が到来
「失敗しないマイホーム」や「失敗しないダイエット」まで、世の中には「失敗しない○○」が流行っている。ミスや失敗を恐れる考え方や、周りと同じでよいという横並び意識は、われわれ大人にも深く染みついている。だから、「失敗しない○○」と喧伝するマーケティング戦略を打てばベストセラーが生まれるし、「失敗しないキャリア選択」がまかり通ってしまう。
別に、「失敗するキャリアを選択せよ!」と言っているわけではない。キャリアに成功も失敗もない。あるのは主観的な評価だから、自分のキャリアは失敗だと信じ込んで、その場に立ちすくんでしまうことが、失敗の本質だろう。格言にもあるように、「失敗はつまずくことではなく、つまずいたままでいることである」。
5月12日、教育界は大いなる安堵感に包まれていた。政府がまとめる「若者雇用戦略」として、大学内にハローワークを設置する案が示されたからだ。雇用のミスマッチを解消するために、地方の国公立大学や私立大学にハローワークの窓口を常設し、専門相談員を派遣する。そこで、内定が得られないかわいそうな学生たちに、自己PRやエントリーシート(ES)の書き方や面接の受け方などを、個別に指導するという。
就職指導実績の浅い大学や地方の大学にとっては、キャリア問題についても、政府が主導する護送船団方式は、とてもありがたいことだ。だが、はたしてこれで、キャリアの問題が解決するのだろうか? そもそも、いったい何が問題だったのか?
キャリアスタートの縮み志向
職業キャリアのスタート時点では、まず「就職」という大きな壁が立ちはだかっている。小津安二郎監督の有名な映画「大学は出たけれど」(1929年松竹)をリメークするかのように、リーマンショック以降の金融不況の影響を受けて、就職が厳しさを増している。
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就職が厳しいのは、いまに始まったことではない。e-Stat学校基本調査の結果では、大学卒業者数に占める就職者数の割合は、1992年から2011年までの平均で64.2%であり、あいかわらず厳しいままである。バブルが崩壊し、「就職氷河期」という寒々しい言葉が生まれた1990年代前半から、20年ほどずっと変わらず、就職に悲観したかわいそうな学生たちが世に溢れている。
だが意外にも、厚生労働省の就職内定状況調査では、就職希望者(進学・留学・ニート・フリーターなどは含めない)に占める就職者数の割合は、1997年から2011年までの平均で、大卒93.4%、高卒94.1%の高い就職率を示している。卒業者数と就職希望者数のどちらを分母にするかで、統計に大きな違いが生じるためで、これが大きな難点だが、「就職氷河期」の中でも、じっと寒さに耐え抜き、就職を希望し続けた人は、ほぼ就職できているというのが、わが国の現状である。そこが、サッカー大国のスペインやイタリアの若者とは違っている。
経済学では、雇用のミスマッチ(失業)には、雇う側と雇われる側がお互いに情報が少ないために、出会いの機会が見つけられず、一時的なミスマッチが起こるケース(摩擦的失業)と、雇用を生み出してきた産業自体が衰退してしまって、雇う側の意欲が低くなったり、新たな産業で必要とされる知識・スキル・能力を、雇われる側がもっていないために、長期のミスマッチが起こるケース(構造的失業)が考えられてきた。
この2つのうちで、ハローワークが解決できるのは、もっぱら短期のミスマッチのケースだろう。確かに、ハローワークが大学に設置されれば、一時的なミスマッチ(摩擦的失業)を解消するための役に立つかもしれない。
しかし現状では、大学生の就職・採用活動はウェブを使って行われており、雇う側と雇われる側で情報がいびつであること(情報の非対称性)や情報が少ないことから、ミスマッチが起こると考えることにはムリがある。
逆に、雇う側も雇われる側も情報がありすぎる(情報過多)ために、マッチングできずにいる。情報の大波に飲み込まれて、状況判断ができず、身動きが取れなくなっているのだ。
産業構造の変化から起こる長期的ミスマッチ(構造的失業)のほうはもっと深刻である。たとえば、これまでわが国の経済を担ってきた電器産業は、中国や韓国の企業に圧され、軒並み業績不振に陥っている。「日本のものづくりを守り抜く!」というトヨタ自動車・豊田章男社長の決意は勇ましいが、頼りにすべき内需は、エコカー減税に頼らなければおぼつかない。
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このような産業構造の変化を受けて、能力の高いビジネスパーソンほど、先を競って海を渡る。日本企業よりずっと高い期待と責任と報酬を示されて、外国企業に活躍の場を移していく。期待と責任と報酬は、モチベーションの重大な要素なので、時として、フツーのサラリーマンが大事にする安定と安心を凌駕するものだ。
同じように、産業構造の変化を受けて、大学生が自分の生涯を懸けて行うやりがいのある仕事も、国内からどんどん姿を消している。けれども、戦後60余年をかけて発展し、日本が便利で住みやすい国となったおかげで、若者の海外離れが指摘されて久しい。
同世代の約半数が大学生となった「大学の大衆化」の時代にあっても、レストランや商店などの仕事や、介護や福祉の仕事などはなくなることはないので、雇用を吸収し続けるだろう。しかし、専門性を必要としない定型的でルーチンなサービス職は、高学歴者の雇用を担う仕事になるとは思われない。ニートやフリーターが増えたおかげで、バイトを見つけられない大学生が多くなっていることもその証しだし、わが国の科学技術をもってすれば、ロボットと機械に取って代わられることは明らかだ。
わが国が先進国の仲間入りを果たし、安定成長期を迎えた1982年、イー・オリョン教授は、著書『「縮み」志向の日本人』(学生社)の中で、日本の強みと特色をとらえて「縮み志向」と呼んだ。いま、若者のキャリアは、縮み志向に向かっている。
キャリア教育という異変
いま、キャリアの問題について、学校側も対策に追われている。キャリアの問題に異変が起こっているとすれば、小学校から大学まで、教育機関がキャリア教育にたいへん力を入れていることだ。
その普及率は著しい。(社)国立大学協会の2005年の報告書によれば、就職支援も含めた広い意味でのキャリア教育を実施している大学は、80%に上っている。また、インターンシップ(職場体験)に限ってみても、その広がりは大学で62.5%、公立高校普通科で50.2%、公立高校職業科で82.6%、公立中学で91.9%である(内閣府キャリア教育等推進会議資料、2005年)。
次のページ>> 大学説明会で高校生が卒業後の就職実績を質問
学校教育法第52条には「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的および応用力を展開させることを目的とする」と明記されている。かつては、学問の府に学芸を重視し、実業(職業・ビジネス)を軽視する風潮があった。
それが一転して、いまでは、@職業観・勤労観の育成、A職業に必要な知識・能力・ビジネスマナーの習得、B自己理解をベースにした進路指導などを目的として、キャリアにかかわる教育が実施されている。最近では、大学と専門学校の提携も進んでいる。
キャリア教育は出口戦略である。出口が厳しいと、そのしわ寄せは「前倒し」という現象を呼ぶ。学生の卒業後を引き受ける企業の側では、採用活動がどんどん早期化していったし、反対に、送り出す側の学校では、キャリア教育が前倒しされていった。大学4年生になって、はじめて就職を意識した時代ははるか昔のことであり、いまでは、キャリア教育に熱心であることを謳い文句に、大学1年生のときから、就職を意識させるのが普通だ。
その渦中にある学生には、いわゆる「二極化」と呼ばれる現象が表れてくる。キャリアに熱心で優秀な若者は、入学時点で早々に卒業後のことを考え始めている。その傾向は高校や中学にも飛び火し、14歳のときから、どんな会社に勤めるかということを考え始めている。
たとえば、高校生向けの大学説明会で、「卒業後には、どんなところに就職できるのですか?」と、見るからに真面目そうな生徒が、進路決定のための情報として、大学卒業後の就職実績を質問したりする。そのとき、「(卒業後のことは、入学してから心配しろ!と内心で思いながら)大学生活の過ごし方によって、就職先は変わるのですよ」と説明しても、きょとんとされてしまう。
一方で、はっきりとした目的意識もなしに進学してきた学生にとっては、大学に入ってさらに、職業や社会との接点が持てなくなり、卒業後の進路を決める段になっても、働くという実感を失っている。社会が豊かになったおかげで、ニートやフリーターなどで食いつなぎ、就職という道から早々に降りてしまう人も少なくない。
そして、この二極の中間に、将来に不安を覚えて、身動きが取れなくなっている多数の若者がいる。
次のページ>> 不安と失敗の呪縛
不安と失敗の呪縛
ハーバード大学のダニエル・ギルバートによれば、人間の脳は「先読みの装置」だ。その脳が、将来の不安や心配にハイジャックされ、頭がいっぱいになってしまうと、行動を起こそうとする意欲がわかなくなってしまう。
皮肉なことに、「失敗したくない、ミスをしたくない」と心配して慎重になると、かえって身体が強張ってしまい、普段は起きないミスをすることがある。そうすると、ますます気持ちが縮こまってしまう。不安と失敗の呪縛には、本人を縮こまらせる魔力があるものだ。
繰り返しになるが、大学生の就職率も高校生の就職率も、実は、9割程度で安定している。それにもかかわらず、「就職が厳しい」という噂が絶えないのは、連載第1回にも書いたように、一人の応募者がたくさんの企業にエントリーし、面接でたくさん落とされてしまうからだ。
面接を何度受けても内定をもらえなければ、自己否定的な本人の思い込みによって、自分に失敗の烙印を押してしまう。面接で次に進めない場合に、どこがいけなかったのかという理由は伝えられることはない。「○○をお祈り申し上げます」という不採用通知(お祈りメール)の慇懃さの下で、冷淡で人間味のない扱いを受けたり、「縁がなかったもの」として何の通知もなく、会社側から無視(ネグレクト)されてしまう。だから、本人が受ける心の傷は、想像以上に深いものとなる。
精神的ダメージは、自分の非を厳しく咎められるより、ネグレクトされるほうが大きい。それが、精神的痛みを受け止めることに慣れていない若者であれば、内に引きこもったり、突然攻撃的になったり、周囲に無関心になったり、情緒が不安定になったりしても、無理もないことだろう。
しかし、キャリア教育を通じて、一人ひとりの精神的ダメージをケアすることはできない。また、キャリア選択に失敗したり、面接に失敗したからといって、それを自己責任で片づけてしまうこともできない。
だから、どうしてもリスク回避的になり、将来のキャリアについて早くから考えさせ始めたり、ESの書き方や面接の指導をしたりする。最悪の状況を避けるべく、生徒や学生をインターンシップで職場に連れ出し、キャリア教育を徹底して、職業意識を高めようと働きかけている。それがキャリア教育の一面だ。
次のページ>> キャリアは予期できない偶発的出来事に影響される
キャリアは計画できるのか
スタンフォード大学のジョン・クランボルツ(『その幸運は偶然ではないんです!』2005年 ダイヤモンド社)によれば、キャリアは用意周到に計画できるものではなく、予期できない偶発的出来事によって大きく影響されるという。
学校を卒業して社会に出るという、一見同じような道筋をたどっていても、長いキャリアを歩んでいけば、キャリア上の転機は人によって異なる。それぞれ個別の背景と事情をともなっており、どれひとつとして、同じ現象はあり得ないほどユニークである。だから、キャリアは、変幻自在に姿を変える生きものなのだ。
チャンスはだれにも巡ってくる。ただそれを、チャンスと認識する人にだけ、チャンスをつかむことができる。運命の女神は後ろ髪をもたないから、一度逃がしたチャンスを悔いても、元には戻らない。だから、偶然、巡ってくるチャンス(serendipity)を見逃さないよう、準備をするのが肝心だ。これが、クランボルツ教授のいう「計画的偶発性」理論のポイントである。
それはサッカーの監督も同じだ。サッカーの監督ができることといえば、試合に勝つために、前日までに納得できる準備をすることだけである。試合が始まってしまえば、あとは選手の技量と運に任せるしかない。試合数がそれほど多くない代表監督であれば、一見楽に見えるかもしれないが、かといって、有名選手をそろえて、あとは運に任せるというのは、評論家か素人のやることだ。準備の期間が少ない上に、結果だけが求められるから、なおしんどい。
幸福を経済学する
キャリア教育をまじめに受けて、希望する会社に就職できればHappyなのか?
他人もうらやむ会社に就職して、数ヵ月で退職してしまう若者が多くいる。その一方で、苦労の末になんとか引っかかった会社で、生きがいを感じる人もいる。キャリアの成功というものは、簡単には定められないからややこしい。世間でいわれる「よい会社」に入り、管理職に昇進していくことが、成功の定義とはならないからだ。
次のページ>> 経済的幸福のパラドクス
ところで、われわれは何を幸せと感じるのか? 近年、「幸福の経済学」が花盛りを迎えているが、そもそも幸福というものは、いつも矛盾をはらんでいる。有名なものには、経済的豊かさが幸福に結びつかないという矛盾がある。「経済的幸福のパラドクス」と呼ばれている現象だ。
南カリフォルニア大学(USC)のリチャード・イースターリンは、所得と幸福度の関係を分析し、所得水準が低い層では、所得が高くなれば幸福度が高くなる右肩上がりの傾向が見られるのだが、高所得者層ではその関係がなくなってしまうことを示した。また、国際比較では、とくに先進国の間では、国の所得水準(GDPP)と幸福度には関係がないことを示したのである。
図を見てほしい。一人あたりのGDPは上昇傾向にあるが、生活満足度(幸福度)は右肩下がりだ。ここから、「一定水準以上の富は幸福に影響しない」という恐るべき結論を引くことができるのだ。
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このパラドクスを受けて、「世界一幸せな国」ブータンが注目を集めている。中国とインドという2つの大国に挟まれたブータン。隣国を合わせれば、世界の人口の約38%を占める地域にあって、経済的貧困にあったアジアの小国である。
先代のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王は、1972年に17歳で王位に就くと、インド人記者から、「ブータンの国民総生産はどのくらいか」という質問を受けた。その質問に対し、青年国王ワンチュクはこう答えた。「どうして総生産にこだわるのですか? 考えるべきなのは国民の幸福量ではないのですか?」
次のページ>> 心理的幸福のパラドックス
経済的発展が最善とされた当時、このような王の考え方は、いわゆる「仏教経済」として一蹴され、まったく関心を向けられることはなかった。しかし、40年後の現在はどうだろう。
ブータンは、「国民総幸福量」(Gross National Happiness:GNH)の測定に、国を挙げて努力したために、いまでは「世界一幸せな国」と言われるようになっている。そして、西欧からは仏教的と見下された「国民総幸福量」は、経済発展に代わる国家目標として、世界40ヵ国以上で取りざたされるようになっている。
心理的幸福の矛盾
幸福は、さらなる矛盾を含んでいる。それは、「心理的幸福のパラドックス」とでも言える現象だ。
自分の身に降りかかってくるとすれば、皆さんは、宝くじに当たるのと半身不随になるのと、どちらが幸せになれると思いますか?
フツーの人は、障害者は大変でかわいそうだから、宝くじに当たるほうが幸せだと思っている。ぜったいそうだと信じ込んでいる。確かに、そのことが起こった時点では、宝くじに当たった幸運な人は、気分がとても高揚するし、半身不随になった不運な人は、気分がひどく落ち込んでしまう。それはまったく自然なことだ。
しかし、22人の宝くじ当選者と29人の障害者を比較したノースウェスタン大学のフィリップ・ブリックマンらによる調査によると、極端に幸運な人も、極端に不運な人も、数ヵ月も時が経つと、幸福度はもとの水準にまで戻ってしまい、幸運な人も不幸な人もなくなってしまう。驚くべきことに、2ヵ月も経つと、不運な人と幸運な人とでは、幸福度は変わらなくなるのだ。心理学では、このことを慣れ(馴化=じゅんか)と呼んでいる。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作で一世を風靡したマイケル・J・フォックスをご存じだろうか? 30歳の若さでパーキンソン病を発症し、銀幕を去った。その後、自身の境遇から発起し、「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を設立したハリウッドの元俳優だ。
次のページ>> 幸運も不運も、どちらも幸せの元となる
2003年に出版した自伝で、彼はこう述べている。「この病気にならなかったら、僕はこれほど深くて豊かな気持ちにはなれなかった。だから僕は、自分をラッキーマンだと思うのだ」。
外部から見れば大きな不幸と思われる境遇にあって、自分を「ラッキーマン」と呼ぶ心の動きとは、一体全体どういうことだろう? 幸運な人は、それまで感じていた日常の喜びを喜びと感じられず、反対に、不運な人は、ほんの些細な出来事が喜びの源となる。心理学では、このことを対比効果と呼んでいる。
あらためて問うてみよう。不運な人と幸運な人は、どちらが幸せか? この答えは、「人間万事塞翁が馬」である。「幸運も不運も、どちらも幸せの元となる」。これが第2の結論だ。
*
キャリアは人生にたとえられる。ただし、そもそもキャリアとは、正解のある課題ではないので、キャリア教育が盛んな現在でも、けっして学校で教えてくれる筋合いのものではない。仮に、キャリア教育やハローワークが示す失敗しないキャリアの選択があったとしても、それが本人にとってキャリアの成功ではない。それを覚えておこう。
50周年記念として米国で復刻された「人生ゲーム(初代)」。「人生、山あり谷あり」のキャッチコピーさながら、キャリアという盤面を旅していく。ゴールを間近に控えた人生最後の決算日では、「億万長者になるか、貧乏農場に行くか」という究極の選択を迫られる。
貧乏農場という言葉が怪しくて、どういう所かは想像もつかないが、億万長者となって悠々自適の生活を送るのも、貧乏農場で晩年を迎えるのも、すべてはルーレット次第。
しかし、ルーレットという偶然に身を任せていても、キャリアの幸福を決めるのはあなただ。あなたの心持ち、あなたの感じ方の中にこそ、幸福は存している。ローマの喜劇作家プブリウス・シルスがいうように、「己を幸福と考えざる人は、幸福にあらず」である。
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