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日経ビジネス オンライントップ>企業・経営>河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
「切るも地獄、切られるも地獄」 リストラは誰のためのものなのか?
「職務保障」の真の意味を再考せよ
2012年6月21日 木曜日 河合 薫
大企業がおなかを壊すと、中小企業は入院し、零細企業は死に至る――。
何ともイヤな響きの例えではあるが、そんな言われ方をすることがあるそうだ。
「これでまた、中小は悲鳴を上げることになる。大企業のリストラが始まると、ほぼ確実に下請けの納品価格は引き下げられる。ただでさえギリギリの状況なのに、これ以上どうすればいいと言うんでしょうかね」
こう語る部長職の男性が勤める企業の従業員は、150人程度。2008年のリーマンショック以降、会社の売り上げは減少の一途をたどっている。納品価格は年々下がり、受注量も減った。かつてのような大口契約もままならない。
それでも何とか社員たちの頑張りで、踏ん張ってきた。
だが、ここに来て再び大企業に吹き荒れるリストラの嵐。そのことに対する危機感を募らせていたのだ。
日常化してきた印象さえ受ける企業のリストラ
思い起こせば昨年の9月。富士フイルムホールディングスが100〜200人のリストラに着手することや、住生活グループがグループ全体で新たに600人規模の早期退職希望者を募る予定であることが大々的に報じられた。
今年に入ってからは、新年早々、NECが従業員1万人を削減すると発表し、4月にはソニーが年内にも数千人の従業員を削減する方針を固め、5月にはパナソニックが本社の従業員約7000人を今年度中に半減する方向で検討に入った。
新聞を広げれば毎日のように、「人員削減」「早期退職」といった言葉が、目に入ってくる。しかも、リストラされる従業員の数が半端じゃない。
つい数年前には、多くの人を驚がくさせ、不安にさせたリストラが、まるで日常の何ということのない出来事であるかのように報じられている印象さえ受ける。
東京商工リサーチの調査によれば、希望退職と早期退職の募集企業は、今年4月と5月の2カ月間で急増しているそうだ。
2012年1月以降、希望退職と早期退職を募集した主な上場企業は、具体的な募集内容が確認できたもので33社。その半数の17社が、この2カ月間に集中している。しかも、具体的な募集内容が公表されていないために現時点でここに含まれていないものの、大手電機メーカーを中心に大規模な人員削減計画が次々と予定されているという。
また、現時点で明らかになっている個別企業で募集人数(募集人数が不明の場合は、応募人数をカウント)の中で、最も多かったのは、軽自動車の受託生産を手がける八千代工業の771人。次いで、液晶パネル製造装置大手のアルバックの700人、メガネスーパーの450人、太陽誘電の330人、ベスト電器の300人。募集または応募人数が100人以上の企業は10社だった。
今後は大手電機メーカー以外の企業でも、デフレや消費低迷、株価下落の影響でリストラが加速する可能性があるとも指摘している。
希望退職や早期退職というオブラートに包んだような表現を使っていても、その実質はリストラであり、「うちの会社には要らない」という人減らし。それは紛れもなく、1人の人間の人生を大きく翻弄する“刃”である。
ところが、その凶器に対して鈍感になった人が増えてしまったのか、あるいは「自分には関係ない」と思っている人たちが発言力を増しているからなのか、「会社というものは、もはやずっと働く場所ではなくなっているから、そのことを覚悟して、1人ひとりが独立して生きるくらいの心意気を持て!」なんて意見ばかりが横行するようになってしまった。
会社にすべてを託すのではなく、自立心を持つことについては、何の反論もない。だが、会社には一切「ずっと働くこと」を期待せず、それを不安に思うこともなくやっていける人は、もともと会社に属さなくても1人でやっていける人なんじゃないだろうか?
それに、どんな世の中になったとしても、リストラという行為が、1人の人間の人生を大きく翻弄する“刃”であることに変わりはない。
そこで今回は、「切る側の気持ち」から、リストラ問題について考えてみようと思う。
中小企業の部長が打ち明けた胸中
「中小企業はもともと体力がない。本当にギリギリなんです。そんな状況で納品価格を下げられると、どうしようもなくなるわけです。すると、明らかに売り上げに貢献できていない社員にターゲットを定めて、肩たたきをするしかない。ウチみたいな150人程度の会社だと、使えない社員が1人でもいると、会社の存続そのものが厳しくなってきますからね」
「ターゲットになった社員は当然、『なぜ自分なのか?』と思いますよね。だから、本人を何とか納得させるために、その『なぜ』に答えなくてはならない。でもね。『なぜ』を説明するには、本人をある意味否定しなきゃならないわけですから、決して気持ちのいいものじゃない」
「それに、実際には解雇することは簡単にできませんから、『給料は下がるけど、この仕事をやってほしい』と限られた仕事を提案したり、『正社員ではなく、契約社員でどうだ?』と打診したり、どうにか辞めなくても済むように話をするわけです。ところが、使えない社員ほど応じようとしない。『自分は会社のためにこれだけやってきた。なのに、なぜオレなんだ』と、どこまでも抵抗するんです」
「だからといって、その1人の社員のために、それ以外の人の賃金を下げるわけにはいきません。そんなことをした途端、ほかの社員のモチベーションが下がりますから。自分が経営側にいる以上、会社を存続し、20代や30代の社員が何とかやっていける体制を整えることが、自分の責任です」
「ですから最後は、『とにかく応じてもらうしかない』と最後通告することになる。それこそ1人の人間の人生に自分が引導を渡していいのか、と胸が激しく痛みます。そんな時にね、発注元である大企業の社員の姿が浮かぶんですよ。あいつらの給料をもっと安くしてくれれば、うちの会社がこんなに苦しめられなくてもいいのではないかとね」
大企業であれば希望退職を募集し、「辞める」と応じた人に対して退職金などを上乗せして、再就職先が見つかるまで支援したり、子会社や関連会社へ転籍させたりすることもできる。
だが、ギリギリの人数でやっている中小では、「募集」することも、「好条件」にすることもままならない。
「大企業のリストラは組織的なのかもしれないですけど、中小では個と個の関係にならざるを得ない。切られる方にとっても、切る方にとっても重いし、生々しいんです」
リストラという“刃”を自分が振るうことに、この男性は大きな苦しみを感じていた。そしてその苦しみを、「大企業の社員の給料さえ……」と大企業に対する怒りに転化することで、何とか自分の気持ちに折り合いを付けた。そういうことなのだろう。
この男性の心情も分からなくはないけれど、切られる方にしてみれば、どんな条件を付けられたところで、重い人生の決断を強制されていることに変わりはないはずだ。苦しみの重さを比べることなどできやしない。企業の規模や体力に関係なく、切る方も、切られる方も、土砂降りの雨を浴びて苦しんでいるんじゃないだろうか。
それでも開きのある大企業と中小の賃金
とはいえ、「あいつらの給料をもっと安くしてくれれば……」と男性がついつい思ってしまうような賃金の差が存在するのもまた事実。
日本生産性本部が今月7日に発表した2011年度「能力・仕事別賃金実態調査」によれば、大企業(従業員1000人以上)の課長相当の平均月例賃金は51万9000円で、小企業(同100人未満)の部長相当の49万7000円よりも高い。また、大企業の部長相当の賃金は68万5000円で、小企業との部長相当(49万7000円)との間に18万8000円の開きがある。
ただし、その格差は前年よりも縮小している。大企業もまた、中小企業と同様に苦境にあえいでいるのだ。何もしないで人員を削減しているわけではないし、何もしないで「中小さんよろしくね!」と一方的に犠牲を強いているわけでもないのである。
それでも、やっぱり中小企業の人たちには、納得しがたいものがあるだろう。実際、賃金の格差は解消されていない。大企業は苦しい時に下請けに対して納品価格を引き下げることを要求するけれども、自分たちがもうかっている時に下請けの努力に報いて納品価格を引き上げることは滅多にない。
だからよけいに、「もし、大企業がもっと切り詰めてくれれば、自分たちはリストラで従業員に重い決断を強いることもせずとも済むじゃないか!」と言いたくなる。
恐らく、大企業の人たちは人たちで、「でも、我々が潰れたら、彼らも共倒れになるのだから、そうした事態を回避するためにも中小企業にも痛みを分かってもらわざるを得ない」。そう反論することだろう。
それぞれの言い分はあるのだろうけど、多くの企業で、多くの人たちが、企業を守るために「捨てられている」という事実に何ら変わりはない。切られる人からすれば、どんな理屈を並べられたところで納得はできないのだ。
切られる人も切る人も、苦悩するリストラって何なんだ?
誰もが「企業存続のためには仕方がない」と言うけれども、ホントに人を切らなきゃ、ダメなのだろうか? 最後の、ホントに最終手段として、どうにもならなくなって、リストラを行っているのだろうか?
経営者の中には、「リストラは絶対にやったらダメなんだよ」と言う人たちもいる。経済学者の中にも、「リストラしても業績は回復しない」と断言する人たちもいる。「業績回復に一定の効果をもたらす」とするデータがある一方で、「リストラは必ずしも業績回復につながらない」とするデータも存在する。
つまり……。えっと、批判されるのを覚悟のうえであえて書くならば、結局は、トップの「心の持ちよう次第」ってことなんじゃないだろうか? 少なくとも私にはそういうふうにしか思えない。
そして、いつの間にか「リストラ」が市民権を持ってしまったような気がして、一抹の怖さを感じている。「本当にこれでいいのか?と。「人が幸せになれない会社って、何なんだろう」と。
リストラは「人の使い捨て」にほかならない
企業が潰れないようにと努力をすることと、従業員をコスト扱いして切ることは同じではない。
リストラを認めることは、人を「コスト」扱いしたことであり、人の「使い捨て」を認めること、だ。
例えは悪いかもしれないけれども、使い捨てのビニール傘が世の中に出回るようになって、どんどんとその価格は下がっていったように、「人」の価値もどんどんと軽んじられている。
それだけじゃない。「雨が降ってきたらコンビニで買えばいい」「ビニ傘だから忘れてもいい」。そうやって傘を簡単に捨てる人が増えたように、人間も使い捨てにされるようになっているのではなかろうか。
そして、ますます会社と従業員との関係は刹那的なものとなり、使い勝手が悪ければ「もっと使い勝手のいいものを!」と、安い労働力を求めて海外にまで触手を伸ばし、その動きは際限なく広がっていくことだろう。
簡単で、楽で、すぐに効果が見えることは魅力的だ。一日5分の運動でダイエットに成功できれば、「ダイエットは簡単にできる!」と記憶する。その後リバウンドした時にも、「毎日バナナを食べるだけでダイエット」なんて見出しについつい誘われ、より簡単で、効果のありそうなものに引き込まれる。
ビニ傘の例えも、ダイエットの例えも、少々的外れかもしれないけれど、要はイヤな流れの方へ世の中が向かっているような気がしてならないわけで。
リストラという「人の使い捨て」によって、コスト削減に成功するという「成果」を手にした企業は、また何か起これば、使い捨てに走るようになるし、それに同調する企業も増えるんじゃないかと、心配になるのだ。
「職務保障(job security)」──。これは、人が前向きに生きるための根本をなす、大切な要因である。職務保障ほど、働く条件の中で人の生きる力、すなわち、ストレス対処力に対して、強い影響を及ぼすものはない。
「今日と同じ明日がある」と無意識ながら信じているからこそ、新しいことをやろうという気持ちも芽生えるし、もっと技術力を高めようとか、もっと社会の役に立つ人間になろうと、前向きに生きることができる。
職務保障は、働く人が次の信念や確信を同時に抱くことで成立する。
(1)「会社のルールに違反しない限り、解雇されない」という落ち着いた信念
(2)その労働者の職種や事業部門が、存続する努力も計画もないままに消滅することはない、という確信
つまり、それはあくまでもそこにいる人が、その組織で働いている人が、「ここでは安心して仕事をすることができる」という信念や確信を持てること。その信念と確信こそが、働く人たちの生きる力を強めるのである。
混沌とした将来ほど不安なものはない
「でも、そうやって安心させてきた結果が、大した仕事をしなくても組織の中でゾンビのように生き続ける、使えない社員を生んだんじゃないの?」
恐らくそう苦言を呈する人もいることだろう。そういう見方を否定はしない。仕事も大してしない人にお給料を払うことや、そういった人を雇い続けることを疑問に思う気持ちも十分に理解できる。
「終身雇用を徹底せよ!」と言いたいわけではないし、「そういう契約を結べ」と言っているわけでもない。
既に「会社が必ず存続し続ける」世の中でも、「ある程度の年金が確実にもらえる」世の中でもなくなってしまった。終身雇用の時代が終わったことくらい誰もが理解しているだろう。
でも、だからといって職務保障を軽んじていいわけじゃない。「生きる力」という観点から見る職務保障ほど大切なものはないのである。
当然ながら、人生なんてものは、何があるか分からない。驚くような新しい問題が起きるかもしれないし、賃金カットなどもあるかもしれない。もちろんそれはそれで十分に不安要素にはなる。
それでも、職務保障がなくなって「明日も生きていられるだろうか」「この先にこの仕事をこの職場で続けられるだろうか?」と毎日おびえて切迫した状況で暮らすよりも、混沌としたものでもないはずだ。人間にとって、混沌した将来ほど不安なものはない。そう言っているだけなのだ。
物事には良い面があれば、悪い面もある。プラスがあれば、マイナスもある。マイナスのない、絶対的なプラスなどは存在しない。どちらかだけが存在することなどない。だからこそ、「プラス」を求める時には、とことん思慮深くならなきゃならない。
リストラをする企業も、それを伝えるメディアも、そのことを容認する人たちも、ほんの少しだけでもいいので立ち止まって、「これでホントにいいのか?」と自問し、節度を持つことを忘れてはいけないと思うのだ。
同様に、どんなに職務保障があろうとも、その安心に安泰することなく、ちょっとだけ立ち止まって、「このままでホントにいいのか? 私はちゃんとやっているのか?」と自分に問う。
誰も悪者じゃないかもしれないし、誰も悪いことをしようとしているわけではない。どっちが正解という明快な答えだってないはずだ。だからこそ、リストラを日常化させちゃいけないし、人減らしをしたことで、赤字を黒字に転換することは数字で確かめられても、職務保障が失われた結果、数字では測ることの難しい、人が持つ『前向きな力』が失われていることを忘れないでほしい。
人はモノじゃないし、コストなんかじゃないのだから。どんな人にも大切な人生があるのだから。
日経ビジネスオンラインの看板コラム
「河合薫の新リーダー術 上司と部下の力学」がついに書籍化!
本コラムで読者の皆様から高い評価を得た記事を加筆・修正して再構成した河合薫さんの最新刊『上司と部下の「最終決戦」 勝ち残るミドルの“鉄則”』(日経BP社)がいよいよ6月25日に発売されます。
「読者の皆さんと一緒に作りたい」という河合さんの意思を反映して、収録するコラムの選定に当たっては、日経ビジネスオンライン上で読者の皆様による投票を実施。上位に入った記事を再録しました。
さらに、フェイスブック上のファンページを通して応募された方の中から4人の読者に参加していただき、中間管理職のミドルが抱える問題や悩みについて河合さんと語り合っていただいた座談会の内容も収録しています。
河合さんが健康社会学者として500人以上に行ったインタビューを通して、上司と部下との狭間で思い悩むミドルたちの気持ちに寄り添い、紡いできた珠玉のコラム13編。そこに描かれたミドルの生きざま、そして掟とは──。ぜひ本書を手に取ってご覧ください。
■目次
はじめに
第1章 部下との心理戦
第2章 上司との消耗戦
第3章 社会との持久戦
第4章 いざという時の撤退戦
第5章 読者と語り合う現代ミドルの実情
終章 心を開けば光も差し込む
あとがき
【詳細はこちら】
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
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河合 薫(かわい・かおる)
博士(Ph.D.、保健学)・東京大学非常勤講師・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『<他人力>を使えない上司はいらない!』(PHP新書604)
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