http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/535.html
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デフレと人口動態の関係
https://www.monex.co.jp/static/jpmorgan/er/economic_20120605_1.pdf
〜相関係数がプラスの意味〜
*6月5日レポート「デフレと人口動態の関係」では、2000年代以降の主要33カ国のデータから、働き手の数(生産年齢人口)とインフレ率にはほとんど関係がないことを紹介した。日本がデフレに陥っているのは、人口・働き手の数が減っているのが最大の要因とする考えは根強いが、日本と同様働き手が減ってもインフレ率がプラスを維持している国があるなど、両者に明確な関係はない。
*これをあらわすために、グラフのような働き手とインフレ率の関係のデータをお示しした。実際に、両者の相関係数は0.105と極めて低い。働き手の数が増える国はインフレ率が高く、逆に働き手の数が増えない国のインフレ率が低い(デフレになる)、という関係は、ほとんどないということである。
*このレポートに対して、以下のようなフィードバックを頂戴した。「グラフから、人口とインフレ率に正の相関関係があることが確認できました」。レポートでは「両者に関係がない」と説明したが、筆者の考えは伝わらなかったようだ。どうやら、グラフで表示した相関係数が「プラス」で、両者の関係表す近似線が右肩上がりなため、ある程度両者に関係があるように感じられるのかもしれない。
*ただ、相関係数が0.105は、統計的に「相関がない」ということである。数字の感覚に慣れていない方に、ご理解いただくために、先に示した33カ国の調査対象国を、32カ国に減らし両者のグラフを同じように作成した(グラフ参照)。具体的には、対象国の中でインフレ率が6.2%(2000年代)と高いアイスランドを除いた。そうすると、相関係数はマイナス(-0.0023)、両者の近似線はほぼ水平になる。
*調査対象国を一つ減らすだけで、相関関係がプラスからマイナスになる。もちろん、これは、両者の関係が「負の相関」であることを意味するわけではない。要するにこの程度の「脆い関係」であって、だから「両者に相関関係がない」ということである。
*2つの事象の関係をみるために相関係数は便利な数字だが、プラス・マイナスの符号は意味がなく、数字が1に近くないと相関性があるとは言えない。また、相関係数が0.7前後あり、一定の関係が存在するように見えることもあるが、サンプル数が十分でないため「偶然」高く算出される場合もある。相関係数が「都合よく」使われることが多いことにも注意したい。
http://diamond.jp/articles/-/20028 野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問]
「量的緩和政策は無効」と、インフレターゲット論者も認めざるをえなくなった
これまで述べてきたように、2001年から06年までの量的緩和政策は、物価動向に何の影響を与えることもできなかった。
日本の長期不況の原因は金融政策にあるとし、緩和政策を取るべきだとの意見は、外国からも日本の政策当局に寄せられた批判だった。しかし、量的緩和政策の結果を見て、「量的緩和政策は効果がなかった」と認めざるをえなくなった。
「日本の量的緩和政策は効果がなかった」
アダム・ポーゼンは、量的緩和を強硬に主張した1人だが、効果がなかったことを2010年にLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)で行なったスピーチの中で認め、つぎのように述べている(注1)。
・日本経済が2002−03年以降に回復した後の期間においても、限定されたデフレが継続したのは、驚くべきことである。これは、日本経済をマクロ的により深く分析すべきことを意味する。
・「日本病」を特殊なものとして考えるのでなく、伝統的なケインズ経済学も含めた教科書的な分析で扱えるものと見なすべきである。
・1990年代以降の日本経済の不調は、バブル崩壊で必然的にもたらされたものではない。人口減少によるものでもない。
・量的緩和が行なわれたにもかかわらず、物価上昇率はマイナスを継続した。
・需給ギャップが大きかったことを的確に認識できなかった。しかし、それほど大きいなら、なぜデフレが加速せず一定率でとどまったのか、わからない。
・貨幣供給の増加は十分だった。
・デフレのコストは予想したほど大きなものではなかった。
・われわれはデフレをよく理解していなかった。「紙幣を印刷すればインフレになる」というような機械的なマネタリズムの考えを持つべきではない。
・日本の量的緩和は、「引き締めの恐怖を取り除いた」という意味で正しいサインを送った。しかし、インフレ率を高めることができなかっただけでなく、経済に短期的な影響を与えることもできなかった。
ポーゼンは、上記のスピーチに先立ち、イングランド銀行の金融政策委員会(MPC)メンバーに任命された際の7月7日の英議会財務委員会で、LSEのスピーチと同趣旨の発言をしている(注2)。
次のページ>> 「われわれはデフレをよくわかっていなかった」
・日本のデフレは約マイナス1%まで下がったが、決して加速しなかった。この事実は、いくつかの含意を示している。第1に、どんな緩和策でもデフレは素早く取り除けなかった。第2に、デフレは有害だが、われわれが想定していたほど破壊的ではなかった。第3に、われわれはデフレをよくわかっていなかった。
・イングランド銀行が現在行なっている量的緩和策は、方向性は正しいが、非常に機械的なマネタリズム(マネタリーベースの増加が経済・物価を刺激するという考え)からは離れているべきだ。日本の量的緩和策は正しいサインを送ったが、それだけで高いインフレは起こせなかった。
・金融政策の効果には限りがあるので、政策運営においてはいくらかの謙虚さが必要だ。
加藤出氏は、この発言を伝える「ダイヤモンド・オンライン」の記事の中で、つぎのように述べている(注2)。
「ポーゼン氏のデフレの認識は、BISのエコノミストなどがかなり前から盛んに主張していたことだ」「氏の発言の変わり様に驚いた日銀マンはおそらく多かっただろう」。
なお、ポーゼンは、イングランド銀行の金融政策委員会委員を務めているが、今年の4月に、追加的な量的緩和(QE)を主張する考えを翻した。ただし、その後、それは時期尚早だったかもしれないと述べ、今後再び意見を変えなくてはならない可能性があるとしている。
(注1)Adam S. Posen,The Realities And Relevance of Japan's Great Recession, Neither Ran Nor Rashomon, Sticerd Public Lecture, London School of Economics, 24 May 2010.(http://www.bankofengland.co.uk/publications/Documents/speeches/2010/speech434.pdf)
(注2)加藤出、「金融市場異論百出」第91回、ダイヤモンド・オンライン、2009年8月6日による。
日本で量的緩和が効果がなかったことを
クルーグマンも認める
ポール・クルーグマンは、ポーゼンのLSEでのスピーチを受けて、ニューヨーク・タイムズ(NYT)のブログの中で、つぎの点を認めている(注3)。
次のページ>> クルーグマンの動態的流動性トラップ論
・日本で、量的緩和の始まった年から3年間にわたって、確かにベースマネーが増えた。
・しかし、インフレにはならなかった(彼は、つぎのように言っている。「ウーン、確かに日本でデフレは続いているね」Hmm. Deflation just kept on going)。
そして、つぎのように述べている。
・流動性トラップの下では、金融政策は有効にならない。
・政府による財貨サービスの購入がより効果的である。
ここでクルーグマンは、つぎに述べる「動態的な流動性トラップ」のモデルを頭においているのだと思われる。ただし、上の2点に関する限り、「財政政策のみが有効であり、金融政策は無効」という、ケインズの主張そのままである。別に「動態的流動性トラップ」など持ち出す必要はない。つまり、「インフレターゲット論に対する批判として言われたことを認めた」と言うことができるのだ。
そして、クルーグマンは、「日本の経験から多くを学べる」と言うのだが……。
(注3)Paul Krugman,Inflation, Deflation, Japan, NYT, May 25, 2010
(http://krugman.blogs.nytimes.com/2010/05/25/inflation-deflation-japan/)
クルーグマンの動態的流動性トラップ論
クルーグマンの議論は、「期待」を重視している点で、「機械的なマネタリズム」(貨幣方程式に単純に依拠した議論)とは違う。
クルーグマンも、最初は単純に、「もっと紙幣を印刷すれば不況から脱却できる」と論じていた。しかし、1998年に自分のブログに発表した「日本がはまった罠」では、中央銀行が長期的なインフレ政策を宣言するインフレターゲット論を不況脱出策として主張した(注4)。
ここで、彼は、つぎのように論じた。
・通常は静態的な経済で想定されている「流動性トラップ」が、多時点モデルでも発生しうる。
・経済が流動性トラップに陥ると、名目金利がほとんどゼロなのに総需要が常に生産能力を下回る。そして、金融政策が効かなくなる。
・長期的な成長率の見通しが低い国では、実質利子率はマイナスになる。名目利子率はマイナスになれないので、期待インフレ率が高くなる必要がある。このため、中央銀行は、金融拡大方針が続くことを民間部門に納得させる必要がある。
・日本は、たぶん人口構成上の理由で長期的な成長見通しが低くなっており、流動性トラップに陥っている。
・このような状態では、構造改革をしても事態は改善しない。ケインズ的な政策(財政支出の増加)は、需要と産出を増やすかもしれない。しかし、現実の日本では公共投資は無駄な用途にしか使われていない。
・金融拡大は、未来の期待価格水準を上げて、結果として実質金利を下げる。つまり、恒久的な金融拡大は有効だ。「価格が上昇しだしたら中央銀行はマネーサプライを引き締める」と民間が予測すると、金融政策が有効にならない。だから、インフレ期待を作り出すことが必要だ。
クルーグマン政策のポイントは、「中央銀行が将来も引き続き金融緩和を続ける」と人々に信じ込ませることにある。
それは、実際にできるのだろうか?
次のページ>> クルーグマンは、いまでも、インフレ率を高くすべきだと言っている
彼は後に、「国民に信じさせるのは難しい」と言うようになった。
いま1つの問題は、量的な目安がはっきりしないことだ。中央銀行は、一体、どの程度の高さのインフレ率を、どの程度の期間について継続すると宣言すべきなのか?
それがモデルから導かれないかぎり、具体的な政策論とはなりえない。
仮に中央銀行がインフレターゲットを宣言し、しかしそれが有効でなかったとしても、「宣言したインフレ率が低かったから」、あるいは、「継続するとした期間が短かったから」ということになってしまうからだ。
クルーグマンは、これについて、「わからない。現在検討中」と述べている(注5)。これでは、評価しようにも評価のしようがない。
クルーグマンは、いまでも、インフレ率を高くすべきだと言っている。米連邦準備制度は、インフレ率を目標値の2%よりは高くすべきであり、3%にでも4%にでもすべきだとしている(注6)。ただし、なぜこうした数値が出てくるのかについての説明はない。
(注4)Paul Krugman, Japan's Trap, May 1998
(http://web.mit.edu/krugman/www/japtrap.html)
(注5)Paul Krugman,Further Notes On Japan's Liquidity Trap
(http://web.mit.edu/krugman/www/liquid.html)
(注6)Paul Krugman, Not Enough Inflation, NYT, 5 Apr 2012
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35393
世界の中の日本
大恐慌がやって来ても戦争は起きない理由 今日の世界と1930年代はどこが違うのか
2012.06.13(水)
川島 博之
ギリシャがユーロ通貨圏から離脱するかどうかが大きな話題になっている。ギリシャが離脱すれば、スペインやイタリアの離脱にもつながりかねない。そうなればユーロは崩壊だ。ヨーロッパ経済は大打撃を受けよう。
その影響はヨーロッパだけに留まらない。世界に波及する。米国はリーマン・ショックからなかなか立ち直れないが、そこにヨーロッパ発の不況が襲いかかる。既に、ダウ平均株価は大きく下げている。
好景気に沸いていたにもかかわらず、リーマン・ショックの時に中国は景気対策として4兆元(約52兆円)もの財政出動を行った。それは、それまでも高騰していた不動産価格をさらに押し上げてしまった。中国は不動産バブルの真最中だ。そのために、今回は財政による景気の下支えは難しいだろう。
日本はバブル崩壊後、景気が良くなったためしがない。「失われた10年」と言っていたがいつしか20年になり、さらに30年になりそうだ。
世界で極右勢力が台頭、不吉な予感
世界のどこを見ても不景気である。既に不景気を通り越しているのかもしれない。我々は大恐慌の入り口に立っている可能性がある。
大恐慌と言ってすぐに思いつくのは1930年代だ。1929年に米国のウォールストリートで始まった不況は、瞬く間に世界に伝搬し世界恐慌に発展した。その時代にドイツではナチスが勢力を伸ばし1933年に政権を奪取したが、それは第2次世界大戦の導火線になった。
現在、我々は1930年代と同じような時代を生きているのであろうか。そう言えば先のフランスの大統領選挙でも、決選投票には進出しなかったが、極右政党の代表であるマリーヌ・ルペン氏が善戦した。また、この5月のギリシャの総選挙でも「黄金の夜明け」なる右翼政党が躍進し初めて議席を獲得した。
大恐慌に押し進む時代、再び極右政党が政権を握り世界の政治を大きく混乱させるのであろうか。日本でも何も決められない既成政党を小気味よい言葉で批判する橋下徹氏が人気を集めている。彼を和製ヒットラーとする見方も出ている。
恐慌に進む時代、どの国でも極端な主張を振りかざす政党が力を持つことになるのだろうか。なにやら不吉な予感がする。
1930年代は「多産少死」の時代だった
ただ、それは杞憂に終わりそうだ。筆者はアジアを中心に世界の農業や食料について研究しているが、食料事情を見ると、今日と1930年代は大きく異なっている。
人間が動物であった時代から近代になるまで、多くの子供は成人する前に死んだ。そのために、子供をたくさん産まないと種族を維持できない。人口学ではこのような状況を「多産多死」と呼ぶ。
しかし、近代に入り医療や衛生状況が改善されると、多くの子供が生まれるにもかかわらず、その多くが成人するようになる。このような状態を「多産少死」と呼ぶ。そして生まれた子供が成人すると確信が持てるようになると、生まれる子供の数が減る。このような状態を「少産少死」と呼ぶ。
人口が爆発的に増えるのは「多産少死」の時代である。先進国では20世紀の初頭に幼児死亡率が低下し始めた。我が国でも1920年ごろから幼児死亡率が低下し始めている。そのために、1930年頃は日本も含めて多くの先進国が「多産少死」状態にあった。
先進国で人口が急増していた。しかし、食料生産はそれに追いついていくことができなかった。20世紀初頭は科学が発展し始めた時代だったが、それが食料増産につながるには時間を要した。生産量が飛躍的に増加するのは、化学肥料や農薬、電動ポンプや自動耕運機が普及し始めた1960年代からだ。
人口が急増するのに食料はなかなか増産できない。1930年代はそんな時代だった。その帰結として食料は高価だった。つまりエンゲル係数が高かったのだ。人々は懸命に働かなければ、食べていけなかった。
失業が、即、飢えにつながった時代
青年ヒットラーは20世紀初頭、ウィーンにいて美大への進学を夢見ていた。入試に落ちて浪人していたのだ。その当時ヒットラーの親友であったグビツェクは、いつも腹ペコであったと回想している。ヒットラーはその頃からワーグナーの音楽に心酔していたが、オペラの立見席の入場券を買うと、その晩の夕食を諦めなければならないことも度々だったという。
そんな時代を大恐慌が襲った。多くの人が職を失った。1930年代の不況を伝える写真に、パンとスープの施しを待つ長い行列を写したものがある。失業が、即、飢えにつながった。
それは日本でも同じである。世界恐慌は、人気を博したNHKの朝のテレビドラマ「おしん」の時代背景になるが、貧しかった主人公はコメに大根を炊きこんだ「大根飯」を食べていた。
多くの人が腹ペコの時代に、極右思想がドイツや日本を席巻した。しかし、現在の状況は1930年代と大きく異なる。
多くの先進国は少子化に悩んでいる。若者は過激な行動に走りやすいが、世界の多くの国で若者人口が減少している。そして、なにより化学肥料の普及により食料は過剰生産気味で推移している。そのために食料の価格は極めて安い。
先進国で若者の失業率が高まっているが、失業したからといって飢えにさいなまれることはない。米国では所得の低い人々の肥満が問題になっている。ファストフード(脂肪や糖分を大量に含む)をたらふく食べることが原因とされる。
飢えは人間を過激な政治行動に走らせる。しかし、現在、全ての先進国、そして中国でも食料は容易に手に入る。
だから、もし世界が大恐慌に遭遇するとしても、それによって生じる政治状況は1930年代とは大きく異なるものになろう。極右政党が躍進することはあっても、それが政権を取ることはない。人々は満腹なのだ。
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