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バナナ王から学ぶ不景気を乗り越えるための5つの教訓
2012年 6月 2日 18:18 JST
Photo Illustration Chris Silas Neal; Associated Press (Zemurray)
「バナナマン・サム」として知られたサミュエル・ザムライ氏
敵味方を問わず「バナナマン・サム」として知られたサミュエル・ザムライ氏が財産を築くきっかけとなったのは「完熟バナナ」だった。大手の果物取引業者が市場で売るには熟しすぎていると判断したバナナのことだ。「斑点が1つできれば熟し始め、2つできれば完熟」――それが彼らのやり方だった。埠頭の隅には完熟とされた何トンものバナナが山と積まれ、臭いを放っていた。バナナは海に投げ捨てられるか、そうでなければそのまま腐っていった。
ロシアから移民してきた若きザムライ氏が1895年頃、アラバマ州モービルの港で悲しげな完熟バナナの山を初めて見た時、絶好の機会がやってきたと思った。ベッサラビア(現在のモルドバ共和国、黒海北方に位置する)の荒れ果てた小麦農場で幼少期を過ごした男にとって、斑点があってもバナナは明らかに価値あるものだった。ザムライ氏は1903年までに、銀行口座に10万ドルを蓄えたひとかどの人物になっていた。
ここからザムライ氏はちょうど売り時の黄色いバナナ、そしてまだ緑色をした未熟なバナナの取引に乗り出した。1909年、ザムライ氏はホンジュラスに向かい、現地で広大な未開拓のジャングルを買い取り開墾した。そして、ニューオーリンズで集めた傭兵とともにホンジュラス政府を崩壊させ、自分に都合のよい政府を樹立させた。ザムライ氏はホンジュラスで一流のバナナ会社を設立し、1932年12月には米ユナイテッド・フルーツ(現在のチキータの前身)を買収した。1961年にニューオーリンズ一の豪邸で亡くなるときまでに、ザムライ氏は運送業者、カウボーイ、農場経営者、貿易業者、政治活動家、革命家、慈善家、そして最高経営責任者(CEO)を経験した。
ここまでザムライ氏の生涯を読み、読者のみなさんはいくつかの初歩的な教訓を学んだはずだ。その教訓のおかげで、ザムライ氏は最初に見たバナナの山の中に宝の山を見つけることができた。経済の停滞に悩む現代の米国が今まさに必要としているのがザムライ氏のような考え方だ。
1.自分の目で見て確かめろ
バナナ農家になろうと決めたザムライ氏はホンジュラスのジャングルに移り住んだ。彼はバナナの根茎を植え、畑を歩きまわり、収穫したバナナをボートに積んだ。これこそが10年にわたって闘い続けてきた業界最大手のユナイテッド・フルーツの幹部に勝るメリットだとザムライ氏は考えていた。ユナイテッド・フルーツのほうが規模は大きかったが、経営はボストンのオフィスから行っていた。ザムライ氏は現場にいた。彼は従業員を理解していた。彼らがどのように感じ、何を恐れ、何を信じているかを知っていた。ザムライ氏は自分のほうがなぜ優れているかをボストンの大物たちに説明したとき、悪態をつきながらこう言った。「あんたたちはそこにいるが、私は現場いる」
2.問題を複雑に考えるな
1920年代後半、ユナイテッド・フルーツとザムライ氏の会社は同じ土地を買収しようとしていた。その肥沃な土地はホンジュラスとグアテマラにまたがっていた。しかし、その土地には正当な所有者が2人いたらしく、1人はホンジュラス側に、もう1人はグアテマラ側に住んでいた。ユナイテッド・フルーツは弁護士を雇い、研究を依頼して、法律的に土地を所有しているのはどちらかを突き止めようとした。一方のザムライ氏はそれぞれの所有者から別々に、2度に分けて土地を購入した。単純な問題は簡単に解決すべきである。
3.専門家を信用するな
1930年代、ユナイテッド・フルーツは大恐慌の打撃を受け、100ドルだった同社の株価は10ドル強にまで下落した。同社の幹部は株価回復のための作戦を立てようと、専門家に相談したり、報告書の作成を依頼したり、経済学者にインタビューしたりした。ザムライ氏も同じ問題に対する答えを求めていた(このころ、ザムライ氏は既にユナイテッド・フルーツの最大株主だった)が、彼が向かった先はニューオーリンズの埠頭だった。そこで彼は船長や果物の仲買人を見つけては長話をした。現場の状況を本当に理解しているのはそういった人たちだった。
例えば、ザムライ氏はバナナ運搬船の船長はメキシコ湾を渡る際に、速度を半分に落とすように命じられていたことを知った。燃料を節約するためだ。また、ザムライ氏は海上で余分な日数を過ごすうちに、黄色だったバナナの大部分が熟し始めてしまうことを知った。ザムライ氏は1932年にユナイテッド・フルーツを買収すると、船の速度を落とすな、航海日数を減らせ、と命じた。ザムライ氏が買収してから6カ月もたたないうちに、ユナイテッド・フルーツの株価は反発し、50ドルをつけた。
4.金はまた稼げる。しかし、一度失われた信用は二度と戻らない
仕事を始めたばかりのころ、ザムライ氏はユナイテッド・フルーツと提携した。ユナイテッド・フルーツがザムライ氏に資金を提供し、ザムライ氏の商品の流通を手伝った。その代わり、ザムライ氏はユナイテッド・フルーツに自分の船を使わせた。ある年、ニカラグアでバナナ労働者がストライキに突入し、運搬に使っていた川を封鎖した。すると、ユナイテッド・フルーツはザムライ氏の船を使って封鎖を突破した。船体にはザムライ氏の会社のロゴが大きく書かれていた。そのせいで、ザムライ氏の名前はニカラグアで嫌われた。ユナイテッド・フルーツの豊富な資金に頼るようになっていたザムライ氏が同社との提携を解消しようと決意するきっかけの1つがこの事件だった。自分の名前やイメージを管理できない人間は何も手にすることができない。
5.借金を背負ったら手を打て!
ザムライ氏が1932年にユナイテッド・フルーツを買収したとき、同社は倒産まであと数カ月も持つかもたないかの財務状態にあった。株価はゼロに向かって下げ続け、優秀な労働者は逃げ出した。ザムライ氏は経営権を握るやいなや、中南米の拠点を駆け足で回り、現場の労働者のもとを訪れ意見を求めた。何かをするときには、何をするのかも重要だが、それにどういう意味があるかを知ることも同じくらい重要だ、とザムライ氏は説明した。バナナ畑にいた少年たちは責任者がいることを知る必要があった。責任者が自信をもっていることがわかれば、部下はどこにでもついてくるだろう。
ザムライ氏の教訓はバナナ王の法典とも言うべき1つの哲学に集約される。それは、権力の源は知識、情報、経験であり、それらはみな、バナナの根茎のように現場で育つ、ということだ。それを失えば、あとは腐るだけだ。
―この記事の執筆者のリッチ・コーエン氏は近く出版される「The Fish That Ate the Whale: The Life and Times of America's Banana King(クジラを食べた魚:米国のバナナ王の一代記)の著者。
記者: Rich Cohen
http://jp.wsj.com/Life-Style/node_453471?mod=WSJFeatures
#成功した巨大企業群も、創業期は、現場の生の情報を知り、ビジョンをもち、
従業員の多くも、知恵を使い、給料以上に必死に働いた
今崩壊しつつあるシステム(企業、国家)は、ちょうど、その逆を行っているようだ
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