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出口治明の提言:日本の優先順位
【第49回】 2012年5月29日
出口治明 [ライフネット生命保険椛纒\取締役社長]
少子高齢化時代の社会保障の在り方を考える
――改革を「世代間対立」にしないために
わが国では、1959年に国民年金法が制定され、1961年4月から保険料の徴収が開始されて、国民皆年金制度が確立された。同じ年に、国民健康保険制度も整備が進み、国民皆保険制度が完成されている。
ところで、1961年の平均寿命は、男子が66.03歳、女子が70.79歳であった。すなわち年金や高齢者医療サービスの支給期間は平均して男子が6.03年、女子が10.79年と想定されていたのである。時が経ち、2009年の平均寿命は、男子が79.59歳、女子が86.44歳となった。平均寿命の伸長に伴い、年金支給・高齢者医療サービス支給期間は男子が19.59年、女子が26.44年まで、延びたのである。これは制度設計時の想定に比べて、実に男子が3.25倍、女子が2.45倍となる計算となる。
また年代が1年ずれるが、1960年では勤労世代(15〜64歳)11.25人が1人の高齢者(65歳以上)を支えていた。これが2010年には、2.85人が1人を支える構図へと大きく変化している。すなわち勤労世代の1人あたりの負担は、制度設計時の3.95倍まで増大したのである(しかも、前述したように、より長期間支え続けなければならない)。
以上に述べた平均寿命の伸長と少子高齢化に伴う「人口構成の激変」こそが、わが国の社会保障改革の根底に横たわっている大きな構造問題である。
高齢者1人当たりの
社会保障給付費は237万円
2011年10月に公表された国立社会保障・人口問題研究所の「2009年度社会保障給付費(概要)」によると、2009年度の社会保障給付費は、全体で99兆8507億円と、100兆円の大台にあと一歩と迫った。これは国民1人当たり78万3100円の給付となる。
その内訳を見ると、高齢者関係給付費(年金保険給付費、高齢者医療給付費、老人福祉サービス給付費等)が全体の68.7%を占める68兆6422億円となっており、これを65歳以上人口で割ると、1人当たり236万6200円の給付となる。仮に高齢者がカップルで住んでいるとみなせば、1世帯当たり473万2400円の給付を受けている計算になる。
次のページ>> 高齢者1人=237万円を年収279万円の勤労世代2.85人で支える
一方で高齢者を支える勤労世代の所得はどうなっているのだろうか。2009年家計調査(総務省)によると、勤労者世帯の月平均実収入は46万4649円(年収557万5785円)となっている。仮に勤労者もカップルで住んでいるとみなせば、1人当たり、278万7894円となる。
以上を図式的に分かりやすく説明すると、年収279万円の勤労世代2.85人が237万円費消する高齢者1人を、男子なら約15年、女子なら約20年にわたって、この先、支え続けていかなければならない現実が控えているということである。
しかも、勤労世代の所得は減少傾向にあり、高齢者の社会保障給付費は増加傾向にあるということに加えて、2030年には、勤労世代1.7人で高齢者1人を支えなければならないことが、ほぼ確実視されているのである。誰が考えても、社会保障を改革せずして、この国の将来がサステイナブルでないことは自明であろう。
社会保険料負担と
公費負担をどう考えるか
この99兆円という巨額の社会保障給付費の財源は、どうなっているのか。
2009年度実績では、社会保険料が全体の45.5%、公費負担が32.2%を占めていた。あとは資産収入が12.0%、その他収入が10.4%を占めているが、資産収入は不安定(2008年は、わずか0.7%)であって、大きくは、社会保険料と公費負担に頼らざるを得ない構造となっている。
ちなみに制度発足時の1961年は、社会保険料が56.7%、公費負担が35.1%であった。近年の傾向としては、公費負担が増え続けている(例えばこの5年間を見ても、2005年の25.3%以降、一貫して増加傾向にある)。
さて、これから先の社会保障給付費の財源をどう考えるか。勤労世代が減り続けることを前提とすれば、勤労世代にこれ以上の社会保険料を負担してもらうことには、自ずと限界があろう。やはり公費負担を増やすしかあるまい。公費負担とはすなわち税金である。そして、税金の大宗は基幹3税(所得税・消費税・法人税)が占めている。
次のページ>> 所得税増税時に負担の中心になるのは、数が減り続ける勤労世代
社会保障給付は本来的には所得の再分配という機能を持っているので、所得税をベースとして考えるべきだという有力な意見がある。理屈としては、その通りであろう。国民背番号制を導入し、個々人の所得を正確に捕捉することを大前提として(すなわちクロヨンという言葉は死語になる)、所得税を増税すべきという意見は確かに傾聴に値する。
しかし、所得税を増税した時に負担するのは誰か。その中心となるのは、数が減り続ける勤労世代ではないか。すなわち所得税の増税は、社会保険料の値上げと経済的にはほとんど同じ効果をもたらし、数が減り続ける勤労世代を直撃するのである。
法人税の増税が企業の国際競争上、なかなか難しいことを考え合わせれば、社会保障を末永く担保していくためには、わが国の人口構成から考えた大きな方向性としては、やはり高齢者にも応分の負担を求める消費税に頼らざるを得ないのではないか。他に解はないと考える。
社会保障改革の方向性(1)
年金の支給開始年齢と対象
国民皆年金、皆保険が制度化された時点では、11人の勤労世代が1人の高齢者(男子なら約6年、女子なら10年の老後)を支えれば、それで良かった。現在は、3人弱(2030年になると1.7人)の勤労世代が、1人の高齢者(しかも、男子なら20年弱、女子なら26年強の老後)を支えなければならない。このような状況下では、年金給付、医療給付の内容を根底から見直さない限り、わが国の社会保障制度が持続するはずがない。
年金給付については、制度発足時に比べて平均寿命が15年前後伸びている。そうであれば、年金支給開始年齢を10年程度繰り上げて、原則70歳支給に照準を合わせる方向が理に適っているのではないか。男子で言えば、平均寿命が66歳の時の60歳年金支給開始と、平均寿命が約80歳の現在の70歳年金支給開始は、平仄が取れているように思うが、どうだろうか。
次のページ>> 70歳超でも勤労世代より稼いでいたら、年金支給は不要では?
ところで、近代の社会保障が制度として確立したのは、19世紀末のドイツのビスマルク時代であるが(1888年に成立した障害・老齢保険法による年金支給開始年齢は70歳である)、当時は炭坑や工場などでの肉体労働が中心で、高齢者が働ける職場はほとんどなかったと言われている。
それに引き換え、現在では多様な働き方が容認されていて、高齢者が働ける職場も決して少なくはない(筆者が経営するライフネット生命では、定年制を廃止しており、この4月にも還暦を超えたスタッフを新たに採用している)。そうであれば、70歳を超えても、例えば、勤労世代の平均所得以上の所得がある人には、そもそも年金を支給する必要はないのではないか。数が少なくなる勤労世代が、自分より所得の多い高齢者の年金を負担することは、社会全体から見て、どこかおかしいと思うが、どうだろうか。
社会保障改革の方向性(2)
医療への3つの提案
医療については、大きな方向性として、次の3点を提案したい。まず、60歳を過ぎたら、遺言状(リビング・ウィル)を毎年書き改める市民運動を提唱したい。すなわち、自分の意思決定ができなくなった事態を想定して、どのような医療を受けたいか、予め生活を共にするパートナーや親戚、友人に自分の意思を明確に伝えておくということである。
願わくは、将来的には、本人の意思が遺言状などにより明確な場合は、胃ろう(お腹に穴を開け、チューブを通して栄養・水分を補給する処置)などの延命治療をストップすることを含め、法制上のバックアップがなされることが望ましい。
第2は、英国のように、家庭医と専門医を分けて、2段階の医療体制を構築する方向に進んでいくことである。有名大学病院の新規外来患者の3分の1以上が単なる風邪や腹痛等であるといった話を聞くにつけても、その感を強くする。
次のページ>> 既得権益を持つと言われる私たち高齢者こそ改革の先頭に立つべき
大学病院等、専門医がそろった高度な医療施設は、緊急な治療を要する患者にこそ、開かれていなければならない。通常の病気は、まず家庭医の診察を受け、家庭医の判断により、必要があれば専門医を受診する体制を志向していく必要があると考えるが、どうだろうか。そして、家庭医の紹介状なくして、専門医を訪ねる患者には、相応の自己負担を求めるべきだと考える。
第3は、医療費の自己負担については、年齢フリーで考えるということである。所得の違いで、自己負担に差を設けることは合目的的である。年金にかかわらず、貧しい人が、治療費が払えないという理由で適切な治療を受けられないようなことは、およそあってはならないことである。
しかし、年齢による優遇策は意味がないと思う。昔から、沈む船から救命ボートを下ろす時は、常に子ども、女性、男性、高齢者の順であったという。それが人間の自然の知恵であったのだ。高齢者が病院に行き易くなるような仕組みは、そもそも、この人間の自然の摂理に反していると言ったら、言葉が過ぎるだろうか。
わが国の社会保障改革をめぐる問題は、ともすれば世代間対立の様相を帯びやすい。筆者は64歳を超えた。筆者の属する団塊世代は、社会保障については、「なんとか逃げ切れる」最後の世代であるとも言われている。
しかし、人間が生物であるという厳粛な事実を踏まえ(例えば、「生物学的文明論」)、人間の歴史をよく見てみると、高齢者が生きる意味は、次の世代を健全に育成し、次の世代にサステイナブルなバトンを渡すことに尽きるのではないか。高齢者医療制度改革会議(厚生労働省)でも、75歳以上の委員から、この超高齢社会という人口構成から逃げることはできない、私たち高齢者も応分の負担はする、負担能力のある高齢者は別に特別扱いしてもらわなくていいという意見が出されている。
年金、医療については、人間としての尊厳を守ることや、個人の意思の尊重、高齢者間の格差問題といった点にも留意しつつ、既得権益を持つと言われている私たち高齢者こそが、自ら相応の痛みを引き受け、社会保障改革の先頭に立たずして、子どもや孫に合わせる顔が一体どこにあると言うのだろうか。
(文中、意見に係る部分は、すべて筆者の個人的見解である)
49回 少子高齢化時代の社会保障の在り方を考える ――改革を「世代間対立」にしないために (2012.05.29)
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