http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/363.html
Tweet |
http://diamond.jp/articles/-/19058
食の終焉 【最終回】 2012年5月28日
神保哲生 [ジャーナリスト]
もはや破綻は不可避!?
今、われわれは何をすべきなのか。
『食の終焉』の著者ポール・ロバーツ氏に聞く、危機回避のシナリオ
私たちは過去1世紀にわたって、食べ物の値段は下がり続け、量も増え、さらにより安全でより手に入りやすく、よりおいしくて進歩したものになると信じてきた。しかし、安価な石油の入手が難しくなり、灌漑用水が干上がり始め、土壌の生産能力は下がり続けている。これまで食を進歩させてきた要因の多くが、実は持続不可能なものであることが明らかになってきている。われわれ人類は迫りくる食の危機を乗り越えられるのか。それとも現在の食の危機は、これまで人類が経験した多くの危機とは違うものなのか。膨大な取材をもとに、現在の食システムが抱える構造的な問題を明らかにした『食の終焉』の著者、ポール・ロバーツ氏に今、われわれはどう行動すべきか、破綻回避のための方策を聞いた。
食べ物は生死に関わるシステムであり
食べ方を変えることは、生き方を変えることである
神保 まずは基本的なことからお尋ねします。そもそも食べ物に注目されたのはなぜでしょう。以前に石油に関する有名な本(『石油の終焉』光文社刊、原題:THE END OF OIL)をお書きになり、今度は食べ物です。そのきっかけは何だったのでしょうか。
ポール・ロバーツ
ジャーナリスト。ビジネスおよび環境に関する問題を長年取材。経済、技術、環境の複雑な相互関係を追求している。著書に『食の終焉』(ダイヤモンド社)、『石油の終焉』(光文社)がある。現在は、デジタル経済と個人の結び付きを考察した本を執筆中。
ロバーツ 実は食べ物には何十年も前から興味がありました。石油の本を書いたのは、当時、それがメディアの注目を浴びていたからです。その頃は石油価格が高騰していましたから。でも食べ物にはずっと関心があったし、食のシステムと石油システムには共通点が多いのです。
どちらもきわめて複雑かつ地球規模のシステムで、地球上のある地点で起きたことがその反対側に影響を及ぼすこともあります。石油ではそれが起きましたが、食べ物も同じです。石油は経済できわめて重要な役割を果たしますが、いうまでもなく食べ物はもっと重要です。石油の代わりは見つかりますが、食べ物は代えがききません。
つまり食べ物は生死に関わるシステムなのです。経済的に重要なだけでなく、人々の精神にも深くかかわり、個人の生き方を左右します。誰かにあなたの食べ方を変えなさいといわれれば、腹が立つでしょう。なぜならば、それは自分の生き方を変えろと言われているのと同じことを意味するからです。
神保 この本を読んで、その調査と取材の量に圧倒されました。計画立案段階から調査や現地取材を入れると、この本を書き上げるためにどれくらいの月日がかかりましたか。
ロバーツ 3年ほどです。情報はその何年も前から収集してきましたから、それも合わせればとても長いですね。あちこち旅行もしました。中国、欧州各国、南米、もちろん米国各地へも行きました。食べ物が作られているところなら、どこでも関心がありました。それはとても長くて、面白い時間でした。
神保 取材ノートはどれくらいになりましたか。
ロバーツ 積み上げるとこれくらい(約1メートル)の高さにはなるでしょう。本にもたくさんの情報を詰め込みましたが、実際に集めた情報はもっとずっと多いからです。
次のページ>> 一人の業者が話してくれた加工肉のすべて
業界関係者の警戒心は強く、半ば諦めかけたとき
一人の業者が偽装肉の作り方など肉加工のすべてを話してくれた
神保 それだけの大量の情報を1冊の本にまとめるうえで、一番苦労した点は何でしたか。
ロバーツ 専門家ではない普通の人々、つまり関心はあるし教育も受けているけど食のシステムについてはあまり知らない読者に対して、食べ物がどのように作られ、加工され、輸送されているのか、それが人の体や環境にどう影響しているのかといった幅広い知識をいかに提供すべきか、でしょうか。
これらの分野をきちんと説明したうえで、一定の結論を示しながらも不必要に押し付けないようにする。その点にも苦労しました。そのためには絶妙なバランスが必要でした。放っておくとついついたくさんの情報を詰め込みたくなるのですが、ときにはその衝動を抑えることも必要です。
また、食システムの現状について話してくれる業界関係者を見つけるのは難しかったですね。彼らはとても警戒心が強いのです。神保さんもよくご存じのエリック・シュローサーによる『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社刊、原題:Fast Food Nation)は食品業界を激怒させました。
取材で騙されたと感じた業界関係者は、ジャーナリストに口を閉ざすようになりました。こういう人々に録音機器を前に食の安全について語らせるのは、とても難しかった。彼らの多くは、もうジャーナリストには何を言っても無駄だと感じているからです。
食のシステムは100年前に比べればずっと安全になっているのですが、にもかかわらず一部のジャーナリストが一面的な偏った報道を行ったために、取材が難しくなってしまったのです。
フランスで、肉の加工について話してくれる業界関係者を見つけるのが難しく、半ば諦めかけているところで、一人の人を見つけることができました。名前は明かせませんでしたが、偽装肉の作り方など肉加工のすべてを話してくれたのです。とても興味深い話が多く、そんな話まで聞けるとは思っていなかったので、とても幸運でした。
神保 この本は、ある意味で食品業界の現状を強く批判している面もあります。そのような本を出すことで、せっかく信頼関係に基づいて築き上げてきた食品業界関係者との良好な関係が断たれることは心配しませんでしたか。
次のページ>> なぜ食品業者の警戒心はこれほど強いのか
アメリカの食品会社は、なぜこれほどまでに
警戒心が強く、被害妄想を抱いているのか
ロバーツ 腹を立てた人がいるのは間違いありませんが、基本的にはこの本がバランスのとれた記述を心がけていること、業界の短所と同じように長所も紹介していることは、業界関係者であれば誰もが認めるところだと思います。
もし、もう私には話さないという人がいても、それはその人の自由です。ただし大半の大手の食品メーカーは、これからもメディアとはうまくつきあっていかなければならないこともわかっているので、向こうからは関係を壊そうとはしてこないと思います。
「あの著者には頭にきたからもう二度とジャーナリストに話はしない」というわけにいかないのです。一人のジャーナリストが死んだ後も食品メーカーは生き続けなければならないわけですから、彼らも長期的な視点に立たなければならないことは十分自覚しているはずです。
神保 食品産業などの関係者に自社の事業のマイナス面を語ってもらうのは難しかったですか。
ロバーツ 難しい場合もありましたが、面白いことにネスレなどのメーカーは積極的に話してくれました。彼らは自分の会社に強い誇りをもち、自分たちの事業は人類に大きな利益をもたらすと考えていて、そのことに疑いを抱いていないので、私が問題だと思うことでも、誇らしげに話してくれるのです。ただし、それはヨーロッパの会社の話です。
アメリカの食品会社はどこも警戒心が強く、極端な被害妄想を抱いていますが、それも仕方ないことです。例の『ファストフードが世界を食いつくす』で、騙されたと思っている食品メーカーは少なくありません。食肉加工大手のタイソン・フーズは、この本の著者のエリック・シュローサーが、彼らを騙して取材をしたと主張しています。真相は誰にもわかりませんが、行き違いがあったのは確かなようです。それと比べると、欧州の企業はもっとオープンでした。
企業に取材に行くと、なかには取材対応に慣れていないせいか、喋ってはいけないことまで不用意に喋ってしまう社員がいます。訊かれれば何でも答えてしまうんです。しかし、そのような場合、ジャーナリストとしては慎重に行動すべきです。慣れない社員の無防備さにつけ込む取材はフェアではありませんからね。不用意に質問に答えたために会社をクビになることだってあり得るわけです。インタビューは幹部が受けますが、工場を案内してくれるのは幹部ではない若い社員の場合が多いので、彼らが不当にとばっちりを受けないような配慮は必要です。
次のページ>> 新しい挑戦、オーガニック農業
神保 この本のせいで情報提供者が被害を受けないように、いろいろ配慮をして書いたということですか。
ロバーツ もちろんです。記者が配慮を欠いた取材を行ったために、企業側が口を開かなくなったという例はざらにあります。ジャーナリストはもっと慎重に行動すべきだと思います。取材する側も、される側も人なのですから、誰かが企業の内情を暴露するようなことを話してくれた場合、それが意図的だったか偶然だったかにかかわらず、私はいつでもそれを匿名にすることを認めています。企業がジャーナリストを全く信じなくなり、一切の取材に応じなくなったら、何もできませんから。これからそのテーマを取材する人のためにも、ジャーナリストは慎重に行動するべきです。
オーガニック農業は一つの挑戦であり、
間違いなく新しいシステムの重要な一部である
神保 今回あなたが取材をした中で、もっとも頑なで防御的だったのは誰でしたか。
ロバーツ 米国の食肉メーカーは一切取材に応じようとしませんでした。彼らは本当に懲りていましたからね。米国政府の農務省の役人も、取材には消極的でした。米国政府は南米各国の構造改革を熱心に推進してきましたが、その政策が多くの批判を浴びたため、それ以来取材には後ろ向きになってしまいました。当時のジョージ・W・ブッシュ政権は、その政策の正しさを信じ込んでいて、断固としてこれを推進すべきだと考えていましたから。
面白いのは、モンサントがいい例ですが、オーガニック(有機栽培)や環境問題の話になると、とたんにイデオロギー色が前面に出てくるのです。自分たちは世界を救っているのだと心の底から信じ込んでいて、いっさいの疑念を認めようとしません。モンサントの社員に持続可能な開発やオーガニックについて質問をすると、彼らはそれだけで憤慨します。その質問が、自分たちのビジネスモデルに対する批判だと受け止めるからです。こっちにはまったくそのつもりがなかったので、やや面食らいました。
しかしオーガニック農業の支持者のなかにも、モンサントの社員と同じように攻撃的で、正しい道は一つしかないと思い込んでいる人が多くいました。いまやオーガニック自体が一つの産業になりつつありますが、それがオーガニックだからという理由で批判することはできません。オーガニックは一つの挑戦であり、間違いなく新しいシステムの重要な一部です。ただし、それがいつの間にか従来のシステムと同じようなものになってしまうこともありえます。
オーガニックは単に化学肥料の利用を抑えるということではありません。食べ物の生産に関する新しい思考方法なのです。それが大きな挑戦であるのは、食経済ではどうしても効率性が問われるからです。私たちは常に最小の投入で最大の産出を得ようとしてきました。この枠組みのなかで持続可能性について考えようとすると、とても難しい問題にぶち当たります。だからこそこれは大きな挑戦なのです。
次のページ>> 人類は食の危機を乗り越えられるのか
食を進歩させてきた要因の多くは持続不可能、
人類は迫り来る食の危機を乗り越えられるのか
神保 本の中味についてうかがいます。この本を読んでもらうのが一番なのですが、まだ読んでいない人のために、あらためて本書の基本的メッセージは何か、お話しいただけますか。
ロバーツ これは基本的には”食の終焉”について述べた本です。それは単に食べ物がなくなるという意味ではありません。食に対する一つの考え方が終わりを告げようとしているということです。私たちは1世紀にわたって、食べ物の値段は下がり続け、量も増え、さらにより安全でより手に入りやすく、よりおいしくて進歩したものになると信じてきました。それは米国だけでなく欧州もそうだし、途上国でさえそう考えられてきました。
今われわれはその考えを改めるよう迫られています。なぜならば、これまで食を進歩させてきた要因の多くが、実は持続不可能なものであることがわかってきたからです。安価な石油の入手が難しくなり、灌漑用水が干上がり始め、さらには飽食が肥満につながることもわかってくるにつれて、何もかもがよくなるはずだという食の古いモデルが、実は持続不可能な発想に依拠していたことを、われわれ人類はようやく理解するようになったのです。
食の終焉というのは、食に対する一つの考え方が終わりを告げ、これに代わるより複雑な新しい概念が登場し始めることを意味します。
神保 食の終焉が近いとのお話しですが、この本で描かれている食の危機を人類は乗り越えられるとお考えでしょうか。それとも現在の食の危機は、これまで人類が経験した多くの危機とは違うのでしょうか。
ロバーツ 食の危機をそれだけで考えると、乗り越えることは可能だと思います。そのためには新しいテクノロジーの開発や、食料を生産し消費する新しい方法の発見などが必要かもしれませんが、そうした適応は可能だと思います。私たちはこれまでもそうしてきたし、これからもそれはできるでしょう。人類は創造力のある種ですからね。
問題は、もはや食だけを取り出して考えることができない点にあります。食はあらゆることと結びついています。エネルギー、水、土、気候、地政学などと切り離すことはできません。そしてこれらすべての分野で同じような問題が起きています。十分な水を確保することが困難になっており、エネルギー価格も上昇しています。現在の食のシステムは安価な石油の上に設計されていることを忘れてはいけません。
次のページ>> 農業者に対する政府の不適切な保護プログラム
私たちはあまりに多くのものを食べ、
土壌にとって持続不可能な方法で栽培を続けている
神保 ということは、現在の食の危機は人為的なものと言っていいのですね。
ロバーツ そのとおりです。成功をもたらしたのは人であり、今その犠牲になっているのも人です。私たちはあまりに多くのものを食べている。土壌にとって持続不可能な方法で栽培している。すべて私たち自身がやってきたことです。私たちは、何か問題が起きたときに、それだけを取り上げて考える癖がついてしまいました。
たとえば「人口が増えたからもっと食べ物が必要だ。それならもっとたくさん食べ物を作ろう。食のシステムを工業化すればいい」と考える。それがどんな影響を及ぼすかは問わず、「問題:よりたくさんの食べ物が必要。回答:食システムの工業化」としか考えなかったのです。
数十年たった後、肉の産出量を増やすために抗生物質を使ったことが重大な結果をもたらしたことを私たちは理解するのです。そして、あらゆることが関連しあっていることを知っておくべきだったと思うかもしれません。ここに最大の問題があります。食のシステムが他のあらゆるシステムとどのようにつながっているのかを理解することです。
これはまさに人為的な問題と言えます。他のこととの結びつきに目を向けようとしないのは、不都合だからです。見なかったことにする。食に限らず持続可能なシステムをいかに確立するか、これは本当に大変な課題です。
神保 これからわれわれが食の危機を乗り越えていくためには、何が必要で、それはどのようなプロセスを経ることになるのでしょうか。
ロバーツ 繰り返しますが、食の状況だけを考えれば、たとえば食品価格が上昇したとすれば、市場が反応するでしょう。感染症が爆発的に広がると対抗策がとられるように、私たちには問題を認識してこれに対処する力があります。残念ながら、状況が限界まで達しないと動かないというのが人類の性ですが。大金が手に入る、あるいは大損をするということになると、人はシステムの変更に着手するものです。
つまり、ある意味で食のシステムには自分で解決する力があると思います。難しいのは食のシステムを政治システムと結びつけて考えたときであり、変化を望まず、現状を維持するために投資している人々のことを考えたときです。農業者を抱えた米国や日本や欧州では現在の政府による保護システムを変えるのはとても困難です。当然ながら、保護の対象に不適切な食料生産を行っている農業者が含まれている事例も多いのですが、農業者はこうした政府を支持していますから、どこでこれを転換すべきかの判断はとても難しいのです。
次のページ>> 1キロの肉を生産するのに10キロの穀物が必要
完全なベジタリアンになる必要などない
ただ週に1日か2日、肉を食べない日にすればいい
神保 この本を読んで問題を理解し何かしたいと思った読者や消費者には、どのような行動が可能でしょうか。普通の人々にできることとは何でしょう。
ロバーツ いくつかの視点があると思います。1番目は、自分を消費者だと考えるのをやめることです。約1世紀にわたって私たちは消費者として位置づけられてきました。大半の人は知らない間に食べ物を作る側から消費する側に回されていたのです。そして、私たち自身もこれを積極的に受け入れました。
ですから、まずはもういちど生産者に返ること、そして少なくとも自分で何か食料を作ることが、解決への道筋の第1歩になると思います。それは庭で栽培してもいいし、市民農園に参加するのもいいでしょう。外食ばかりしている人は、料理するだけでもいい。
今は家でもまったく料理をしない人が増えています。私たちは自分を生産システムから完全に切り離してしまったのです。お店で食料を買ってレンジで「チン」するだけです。その食べ物がどこで作られたかなんて考えもしなくなりました。だから1歩でも2歩でも生産チェーンにもどることが、重要な心理的出発点になると思います。
2番目のポイントは、食についてもっとよく知ることです。たとえば「この食べ物はどこから来たのか。なかには何が入っていて、誰が作ったのか。どれくらいの旅をして食卓にたどり着いたのか。自分はこれが本当に食べたいのか、または食べる必要があるのか」などと自問することです。
もっとシンプルな食べ方をし、なるべく食のチェーンに頼らず、できるだけ加工されていない物を食べることを学ぶ。肉の量も減らす。私はベジタリアンではありませんが、自分が食べる肉には注意しますし、その量も減らしています。肉は必ずしも栄養面で最良な食品ではないし、むしろ食べ過ぎると良くないことを知っているからです。
肉は大量の資源を消費します。1ポンド(約0.45キロ)の牛肉を生産するのに20ポンド(約9.07キロ)の穀物を必要とします。つまり肉の消費量が増えれば、より多くの土地を耕し、より多くの水を使うことになるのです。
米国の人々はこうした議論に耳を貸そうとしません。私は彼らに、完璧なベジタリアンになる必要はなく、ただ週に1日か2日を肉を食べない日にすればいいんだと説明しています。ちょっと肉を減らしたからといって、世界が終わるわけじゃないでしょ。無理のない範囲で少しずつ肉の摂取量を減らせばいいだけなのですから。
次のページ>> 食の現状を知ることが解決の第一歩
大切なのは自分たちの食の現状を知ること、
食の全体像を知ることが危機回避の行動につながる
より大切なのは、先ほど述べたように、まずは自分たちの食の現状がどうなっているのかを知ることです。どのような人々が食にかかわっていて、食卓の食べ物がどこから来たのか、その過程でどれだけの生産者が関わっていて、それらの人々がどのように政治的に結びついているかなど、食の全体像を知ることです。
もし行動を起こしたいなら、どうすれば政治家を動かせるかを考えることです。これが大きな1歩です。多くの人々は自分たちの食生活を変えることは可能だし、地域社会で活動することも可能なことを知っていますが、さらに次のステップ、つまり政治的行動を起こすことが必要になります。
神保 では最後の質問です。これまで『石油の終焉』に次いで『食の終焉』を書いてこられました。次は何の終焉ですか。もしよければ次の本の構想を教えてください。
ロバーツ 終焉シリーズは今回で終焉しました(笑)。今、デジタル経済と個人の結び付きを考察した本を書いています。コンピュータのネットワークを通じたデジタル経済は、ますますあなたが何を欲し、何を考え、どう感じ、何を期待しているかを把握し、それに的確に応えられるようになっています。年ごとに、あなたが誰で、何を望んでいるかを正確につかめるようになっているのです。
果たしてそれは、私たちにとってよいことなのでしょうか。そもそも人は、すべてを手に入れるようにできているのでしょうか。日本の伝統的思考も古代ギリシャ哲学も、自己適応、つまりいかに人間が状況に適応していくかを説いているのであって、その逆ではありませんね。人間がすべてを手に入れられる状態というのは、本当に人間にとっていいことなのかを問うてみたいと思っています。
神保 『グーグルの終焉』とか?(笑)。
ロバーツ いいえ、『〜〜の終焉』は使わないと思います。終焉シリーズは『食の終焉』で打ち止めです。
神保 わかりました。楽しみです。今日は本当にありがとうございました。
ロバーツ こちらこそ、ありがとうございました。
◆ダイヤモンド社書籍編集部からのお知らせ◆
『食の終焉』
―グローバル経済がもたらしたもうひとつの危機
好評発売中!
高度な食料経済の構築により、農産物や食肉、加工食品を一年中どこでも買えるようになった。しかし、低コスト・大量生産モデルを世界的規模に拡大すること で、私たちはその恩恵だけでなく、負の要素も世界中に広めてしまった。その負の要素とは何か、このシステムは持続可能なのか、膨大な取材をもとに明らかに する。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。