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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35262
国際激流と日本
もはや開催の意味なし?
ここまで凋落したG8サミット
2012.05.23(水)
古森 義久:プロフィール
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G8サミットが5月18、19の両日、ワシントン近くの米国大統領山荘キャンプデービッドで開かれた。かつては世界の針路の舵取りとして、きらきらと輝いたこの主要国首脳会議も、今ではすっかり勢いも志も失い、空洞に近い行事になったというのが総括の印象だった。
私は新聞記者として、1975年の第1回、パリ郊外のランブイエでの首脳会議からサミットを考察してきた。当初の時期こそ現地取材はしなかったが、第5回の東京サミットはワシントンからカーター大統領(当時)に同行して、報道にあたった。それ以後、サミットの現地での取材は10回ほどになるから、日本のメディアでも最長の報告者の一人だと言えよう。そんな過去の経験を踏まえて眺めると、今回のサミットはことさらに斜陽、落日の観が強いのである。
米国のかつてのリーダーシップはどこへ
さて、では具体的にこの第38回サミットのどんな点に空洞や衰退が目だったのか。
第1は、主催国の米国の指導力の衰えだった。オバマ大統領のリーダーシップ欠如と評してもよい。
この先進国首脳会議のそもそもの発端は、東西冷戦中、共産主義のソ連と対抗した米国主体の西側自由民主主義陣営の主要国の結束だった。最大の主要課題は経済であっても、ソ連圏の計画経済に対抗する自由な市場経済のシステム向上という命題の背景には米国とソ連の軍事対決、政治対決があった。
そうした環境での西側のリーダーは間違いなく米国であり、当時のG6から始まり、G7となったサミットでも米国の指導性はストレートに明示された。ソ連の共産党体制が崩れ、冷戦が終わった後の混乱期のサミットがやがて民主化されたロシアを加えてG8となっても、唯一のスーパーパワーの米国の主導は言わずもがなの実態だった。
だがオバマ大統領は、指導力の発揮など米国の特別な役割を忌避しがちな傾きがある。その傾向が今回、米国経済の不調と大統領選挙の激化によってさらに強められた。オバマ氏に、国際的な場での力強いリーダーシップからさらに腰を引かせる効果を生んだのだ。ギリシャやフランスなどと同様に自国も経済、財政上の悩みを抱えたオバマ大統領が強い指導性を発揮できないのは自然だとも言える。欧州の経済危機に米国経済が引きずりこまれるような言動は、特に選挙の年にはタブーだろう。
オバマ大統領は当初、このG8を地元のシカゴで開く予定だった。だがその後、唐突な形で場所をワシントン北100キロほどのキャンプデービッドに変えた。メリーランド州の丘陵地帯にあるこの広大な山荘は自然の環境こそよいが、なんの変哲も情緒もない地域である。無人の一帯とさえ言える。こんな場所に各国首脳を隔離してのサミットとなった。
変更の最大の理由は警備だとされる。最近のG8には反グローバル運動などの抗議デモがしかけられることが多い。オバマ大統領はそんな事態を避けたかったのだろう。これまたその背後には大統領選挙への配慮を感じさせる判断だった。その結果、ふだんなら大都市や名勝で開かれる派手なサミットがいかにも地味な感じとなってしまった。
世界の経済課題を論じる経済危機の国の首脳たち
第2は、ヨーロッパ全体の衰えである。欧州の経済や財政の破綻に近い不調と、EU(欧州連合)の連帯やユーロの危機がサミット全体に大きな影を投げた。
G8の構成自体がそもそも欧州偏重である。世界の経済課題を論じるのに、欧州からはイギリス、フランス、ドイツ、イタリアと、4カ国も参加している。この構成はサミットの当初の東西冷戦時代であれば、それなりに合理性があった。ソ連の脅威にまず直接にさらされたのは西欧の諸国だったからだ。まして、それら西欧諸国の経済も当時は水準は高く、好調だった。
だが今では欧州の経済全体が世界の中で縮小を続けている。ギリシャとフランスだけでなく、イタリア、スペインなど、財政悪化は目を覆うほどである。経済成長も停滞しきっている。そんな欧州の代表たちが、全世界の経済課題を論じるサミット参加国の半分を占めてしまうことは、不均衡でさえある。
ましてそうした西欧諸国を束ねてきたEUという枠組み自体が今大きく揺らぐにいたった。
今回のサミットでも最大の争点は、ギリシャやフランスなどの経済危機の再建には、緊縮財政策でいくか、それとも景気刺激の成長促進策を取るか、だった。周知のようにドイツが政府支出を抑える財政緊縮策を強く主張した。フランスは経済成長促進策を推した。この現実は、サミットに参加した欧州諸国の足並みに激しい乱れをもたらした。
オバマ大統領も「緊縮か成長か」の政策選択では、成長に傾きがちである。民主党リベラル派の彼はもともと「大きな政府」主義であり、米国の深刻な不況に対しても政府支出を増やす経済刺激策で対応してきた。だが、その結果はまったく好ましくない。だからフランスなどが唱える新たな政府支出による成長促進策に改めて正面から同調することもためらわれるのだろう。
その結果、今回のサミットの首脳宣言は、財政再建や経済復調に関してはなんとも曖昧な表現が多くなった。例えば「世界経済」の部分で、サミット参加諸国が「経済の復調と強化、そして財政圧力への対処のために必要な措置を取る」とうたいながらも、その具体的な方途については「適正な措置は参加各国にとって同一ではない」と注釈をつけていた。要するに、あちらも、こちらもという「宣言」なのだ。
ギリシャがユーロ圏から離脱しようという動きを見せていることも、欧州全体の国際的な比重低下の方向を鮮明にする。世界の経済を論じる首脳会議ならば「G8」よりも「G20」がふさわしい、という印象が強められたことは否めない。
中国の知財権侵害や人権弾圧には一言も言及なし
G8サミットの衰えを見せつけた第3の要因は中国への遠慮だった。このサミットを「自由民主主義諸国の集まり」と規定すれば、当初の志の後退だとも言える。
今回の首脳宣言は「世界経済」に関する記述の主要部分で、知的所有権の保護の強化を訴えていた。知的所有権の侵害が経済の成長や雇用の拡大までを阻害すると指摘して、特許や商標の侵害への法的取り締まりの強化をも求めていた。
近年の世界で知的所有権の侵害、つまり偽造品、模造品の製造や流通の最大犯人は中国である。世界貿易機関(WTO)の再三の公式報告がその実態を指摘している。
だが、このサミット宣言の知的所有権侵害の指摘の中には、中国という文字はまったく出てこない。もちろん中国はすでに世界第2の経済大国であり、G20の有力メンバーである。だから名指しの非難はしないという外交配慮があっても当然かもしれない。
しかし同じ首脳宣言では「政治・安全保障問題」の項目で人権弾圧を正面から取り上げ、シリア、イラン、北朝鮮、リビア、ミャンマーなどの諸国の名を具体的に指摘して、非難を表明していた。中東や北アフリカの諸国の民主化促進の必要性をも強調していた。だが中国の人権弾圧には一言も言及がないのである。
米国ではちょうどこのサミット開催の時期、中国の盲目の人権活動家、陳光誠氏の苦境が大きな話題となっていた。議会の各種公聴会でも取り上げられ、陳氏一家への当局の迫害の数々が報告されていた。陳氏一家の米国への入国の動きも関心を集めていた。この関心は米国だけではなく全世界的だとも言える状況だった。
中国共産党独裁政権の人権弾圧は陳光誠氏だけに対する措置ではない。チベットやウイグルという少数民族の「浄化」なども、そのほんの一端だろう。
だがサミット宣言はその中国の人権問題にはなにも触れなかったのだ。その一方でシリアやリビア、北朝鮮などに対しては細かく、鋭く、踏み込んでの非難の表明なのである。
サミットと言えば、G6、G7時代は自由と民主主義と人権の擁護こそが高く掲げた旗印だった。経済問題への取り組みを優先するとはいえ、冷戦時代も、いや冷戦後も、民主主義や人権はサミットの主題の必須な一部だった。
1989年7月のフランスのアルシェでの第15回サミットが、中国当局の天安門広場での民主活動家たちの虐殺を厳しく非難する宣言を出したことは特筆されるだろう。その翌年の米国ヒューストンでのサミットでも同様に中国を糾弾する宣言が発表され、対中経済制裁の基礎となった。
この時期のサミットの宣言はみな「われわれ民主主義国家群は――」という書き出しだった。民主主義という自己の価値観の普遍性を強調しての構えだった。イデオロギー上の大義でもあった。その種の志はもう今のG8にはなくなったということだろうか。
いや、今回の宣言でシリアやリビアの人権弾圧を糾弾したことは、その伝統の一部は生きているという例証だろう。ところが今の世界でのおそらく最大、最悪の人権弾圧国の中国への言及がないのである。
こう見てくると、G8の意義自体に大きな疑問が浮かんでくると言わざるをえない。
悲しいほど存在感のない野田首相
さて、最後に指摘したいのは、首脳会議全体の特徴とはやや異なるが、日本の首相の存在感の希薄さだった。
米国メディアの報道では、「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」のいずれの長文の記事でも、各国首脳の政策に関する発言を伝えるなかで、わが野田佳彦首相の言動の紹介は皆無だった。
野田首相の名前が出てくるのは、わずかに「オバマ大統領は野田首相に5月20日の首相の誕生日を祝すチョコレートケーキを贈った」(ワシントン・ポスト)という記述だけだった。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35269
アジア情勢:自由貿易協定を巡る米中の対立
2012.05.23(水)
The Economist
中国と米国は競って地域の自由貿易協定をリードしようとしている。
貿易交渉は、時として床を磨く作業のように思えることがある。いいことをしている気分になるし、大変な時間がかかるうえに苛酷な労働を伴うが、多くの場合、終わってみると、違いがあまり分からないのだ。
日中韓のFTAに対する3つの反応
そういうわけで、中国、日本、韓国の3カ国が5月13日に自由貿易圏の創設に向けて交渉を開始すると発表した時、これに対する最初の反応は、肩をすくめることだった。何しろ、この構想は10年前から存在しており、構想の実現には多くの障害がある。しかも交渉を開始する具体的な日程すら発表されていない。
次の反応は、仮に構想が実ったら、非常に重大な出来事になると認識することだろう。日中韓の3カ国は合計すると世界の国内総生産(GDP)の5分の1近くを占め――ユーロ圏より大きい――、世界の輸出全体の18%を占める。
3つ目の反応は、多国間貿易交渉の「ドーハ・ラウンド」が行き詰まっているため、アジアの地域自由貿易協定(FTA)が米中間の戦略的競争の多くの舞台の1つになったと指摘することだ。
提案された自由貿易圏には、一蹴するに値する要素がいくつかある。まず、これは実現するのが非常に難しい。3カ国すべてで、重要な圧力団体が自由競争にさらされることに抵抗するだろう。日本の農家、中国の国有企業、中国との2国間FTAを通じて日本を出し抜きたいと思っている韓国の輸出業者などだ。
第2に、どのような協定も、多くの例外を認める「底の浅い」協定になる可能性が高い。韓国は、激しい物議を醸しながらも、欧州連合(EU)および米国と「深みのある」協定に調印している。だが、東南アジア諸国連合(ASEAN)との協定のような中国の貿易協定は欧米の貿易交渉担当者に、本物に代わる不十分な代用品、いわば軽量級FTAとして鼻であしらわれる傾向がある。
一方、国内の政治的圧力は、日本政府が完全な形の協定について交渉できる立場にないことを示している。
だが、今回の取り組みを純粋な象徴として片づけることは間違いだろう。中国は日本にとっても韓国にとっても最大の貿易相手国だ。3カ国はすべて、自国の将来が互いに絡み合っていることを認識しており、歴史的な恨みによって残された疑念を和らげ、障害――少なくとも自国の輸出に対する障害――を取り除くことを心から願っている。
3カ国は交渉計画が発表された北京の首脳会議で、初の3国間協定となる投資保護協定についても合意した。そして、日中韓の3方向のFTAは、10カ国から成るASEANを含む、さらに大きな自由貿易圏への足掛かりと受け止められている。
夢と現実の違い
一部の貿易交渉担当者が住む夢の国では、今回のFTAは次に、壮大なアジア太平洋自由貿易圏を形成するために米国が推進しているもう1つのプロジェクト、環太平洋経済連携協定(TPP)と統合されることになる。そうなれば、多国間貿易交渉の失敗は、包括的な地域的成果によって和らげられるだろう。
だが、現実の世界では、TPPは中国が推進する3国間構想を補完するものではない。むしろ競合するものだ。
TPPは、米国のほかに、12回目の交渉のために先日ダラスで顔を合わせた8カ国を取り込んでいる(オーストラリア、ブルネイ、チリ、マレーシア、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナム)。米国は中国の参加を巡る協議を歓迎すると主張しているが、米国がTPPに盛り込んだ規定の中には、国有企業の活動に向けられたものなど、中国の参加を妨げることを意図したように思えるものがある。
中国政府は、TPPに対する「オープン」な態度を公言している。だが、国営メディアは、TPPはアジア太平洋地域に軸足を移す米国の世界戦略のバランス調整の一環ではないかという合理的な疑念を表明している。中国は、こうした米国の戦略を中国の台頭を封じ込める計画の一環だと見なしている。
例えば、ベトナムの関与は、このような解釈に説得力を与えている。領有権問題を巡って中国と対立しているベトナムは、米国との関係を強化しているからだ。だが、ベトナム経済でも、国有企業は大きな役割を果たしている。ベトナムは、TPPが宣伝されているような「21世紀型」の貿易協定に参加する格好の候補ではない。
3国間のFTAと違って、TPPは、例えば関税のほかにも知的財産や環境基準、労働基準も対象にする予定だ。こうした米国の関心事を他のTPP参加国に押し付けるのは難しいかもしれない。
日本の参加が決まらないTPP
だが、TPPが直面している最大の問題は、これまでのところ日本が交渉プロセスに参加していないことだ。日本が参加しなければ、TPPは「骨抜きされた協定に見えるだろう」と、シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院の経済学者ラジーン・サリー氏は話す。
野田佳彦首相が3月に言ったように、ポール・マッカットニーのいないビートルズのようなものだ(米国はジョン・レノンだと野田首相は言った)。
だが、農家のような国内の圧力団体の「深みのある」貿易協定に対する抵抗を考えると、順調な時でも、日本をTPPに導くには政治的な勇気がいる。しかも、今は順調な時ではない。
見たところ戦略的な理由もあり、野田首相は熱心なTPP推進派だ。だが、首相は限られた政治的資本をよそに使い、不人気な消費税増税の断行につぎ込むことにした。成功したら、野田首相は選挙を行うかもしれない。失敗したら、恐らく首相を辞めなければならないだろう。
さらに悪いことに、自身が率いる民主党内でも、政治資金規正法違反に問われ最近無罪判決を受けた元民主党代表の「闇将軍」、小沢一郎氏に忠誠を示す派閥が、中国との関係強化を重視している。そのため、農家をはじめとする国内の重要な圧力団体を敵に回す協定よりも、3国間協定の方がいいと思うかもしれない。
不都合な真実
日本のリベラル派は、まさに保守派がTPPに反対する理由、そして中国のリベラル派が1990年代後半に世界貿易機関(WTO)への加盟を支持した理由から、TPPを支持している。その理由とは、参加すれば、変化に抵抗している国内の団体や企業に改革を強いるというものだ。
例えば、大手コンビニチェーン、ローソンの新浪剛史社長は先日東京で、日本はできるだけ早くTPPの交渉に参加すべきであり、TPPのルールが3国間協定の議論の基礎になるべきだと主張した。どちらの可能性も見込みはない。それどころか、どちらの交渉もダラダラと長引き、交渉プロセスが痛みを伴うものであるのと同じくらい、交渉成立が遠い先にあるように見えるだろう。
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