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“アメとムチ”の工場でストリップショー !? 日本メディアが絶対伝えないトヨタの醜聞と悪行
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120521-00000301-cyzoz-soci
サイゾー 5月21日(月)17時28分配信
──低迷する日本経済の中で、それでも輸出ナンバー1を誇るトヨタ。だが、その裏では、国内外で労働争議が起こっているのをご存知だろうか。実はこうしたニュースが、日本で報じられることは少ない。ここでは、国内外のトヨタ労働争議を追っているジャーナリストの林克明が、フィリピン、そしてフランスでの事例を見つつ、その実態に迫った。
世界45カ国で反トヨタ世界キャンペーン、各国日本大使館前でデモ」「フランストヨタで18日間連続スト」「北米トヨタ セクハラで1億9000万ドルの損害賠償請求訴訟」
もしも新聞やテレビが、このような事実を報道すれば、多くの人のトヨタ自動車に対する見方が変わるだろう。北米セクハラ事件に関しては日本でも報道はされた。それは、米国各紙が立て続けに報道したので、国内でも報道せざるを得なかったからである。日本企業が生産拠点を海外に移転することが多くなった昨今、こうした労使紛争は増加傾向にあるという。
しかし、世界45カ国で一企業への抗議行動が展開されるなど、トヨタの労使紛争は目立っている。さらに、フィリピントヨタで10年以上も労働争議(ページ下ボックス内CASE参照)が続いていること、国内でもパワハラ・うつ病・解雇・偽装請負などで、いくつも裁判闘争を抱えている。
トヨタ自動車グループは、日本経済の牽引車として、「かんばん方式」に代表される効率的経営のモデルとしてもてはやされているが、こうした事実は日本ではあまり報じられない。一方、海外ではある程度報じられているので、このままでは、知らないのは日本の住人だけ、ということになりかねない。かくいう私も、5年前までは実情を知らなかったのだから。
2007年のある日、トヨタ自動車東京本社前で、普段はあまり目にしない光景を見た。200人くらいの労働組合員らが、旗を立ててトヨタに抗議活動をしていたのである。その中に、フィリピントヨタ労働組合のエド・クベロ委員長(当時38歳)がいた。そこで私は、233名もの労働者がほぼ同時に解雇されて争議が続いていることを、初めて知ったのである。マイクに向かうクベロ委員長が語気を強め、「トヨタはフィリピン人の血を吸って利益を上げている」と訴えていた。
労使紛争が起きた当時のフィリピントヨタは従業員約1700人で、生産台数・販売台数共に同国最大の自動車メーカーだ。クベロ委員長らは、実質的に活動ゼロになっていた既存組合では生活が改善されないと、98年にフィリピントヨタ労働組合(TMPCWA)を結成し、労働雇用省に登録した。フィリピンの法律では、労働協約を結ぶ労使協議を行うためには従業員による組合署運選挙が必要なため00年に実施したところ、過半数を超える得票で承認を得た。
ところが会社は、選挙結果を認めず団体交渉にも応じないどころか、国(労働雇用省)に対して異議申し立てをしたのだ。フィリピントヨタ側の主張のポイントは「課長クラス105人の投票が票数に含まれていないから、無効だ」というもの。しかし、翌01年3月16日、労働雇用省長官による裁定で組合側が勝利した。ところがその当日に同社は、大量の組合員を解雇(233名、10年に4名解雇で合計237名)。ここから10年以上にも及ぶ大争議が始まったのである。
これに対してトヨタ側は 「労働審判の公聴会に出席したのは無断欠勤であり、解雇理由に当たる」とし、一方の組合側は、「組合員は公聴会に出席するため、別の日に休日出勤を申し出ていた」と、主張するなど、争議は平行線をたどっている。
ところで、新たな組合を作る必要があるほど、労働環境は劣悪なものだったのだろうか? クベロ氏は、回想を交えて語る。
「世界のトヨタで働けると思い、最初はうれしくて仕方がありませんでした。しかし工場内はものすごい暑さで、給水器はあるのですが、ベルトコンベアがずっと動きっぱなしだから、一口水を飲んでダッシュで戻るという繰り返し。地獄のようでした」
さらに、安全設備にも不備が多かったという。
「組合を結成した98年のことなのですが、事故が起きました。自動車の塗装部分の油を取るために液状の化学溶液を入れるタンクがありますが、一緒に働いていた仲間がタンクに落ちてしまったんです。
周囲はパニック状態になり、私はすぐに彼を引きずり出して病院に担ぎ込みましたが、彼は全身やけどの大けがを負ったのです。入院費の一部をトヨタは支払いましたが、大やけどを負った彼を解雇してしまいました。その後、会社がやったのは、化学溶液タンクの周囲に簡単な柵を設置したことぐらいでした」
このほか、就業時間前と後の合計4時間、時間外労働のあった時期も続いたというが、“日本型既存組合”が何もしなかったために、新労組結成となったわけだ。
これに対し、会社側は、アメとムチで対応した。ムチは人員の大量解雇だが、アメのほうは「ふれあい活動」だ。労使が厳しく対立した00年に、外部から女性を招き入れて工場内でストリップショーを始め、上司を含む見物人が女性を触って楽しむイベントを続けていた。
クベロ委員長が、そのビデオを入手したのは05年。この件については日本で結成された「フィリピントヨタ労組を支援する会」(神奈川県横須賀市・小嶋武志事務局長)が、「フィリピン工場内のストリップショー 組合つぶしを目的とした不法体質」と題した公開質問状を、トヨタ本社に送った。
ストリップショーを工場内で続ける一方で、会社は解雇した組合員には和解金を配り始め解雇撤回闘争から脱落させようとした。和解金の受け取りを拒否して解雇撤回を求める136人は、今もなお、悲惨な生活を送っている。
■国際労働機関からの勧告もなんのその
フィリピントヨタの労働争議が日本である程度知られるようになったのは、04年にフィリピントヨタ労組が、日本の全造船関東地協(神奈川県)という労働組合に加盟して以降のことだ。加盟翌日にトヨタ本社へクベロ委員長らは出向き、組合加入通知と団交開催要求書を提出。その2週間後に、拒否回答を得たが、その理由は「彼らはフィリピントヨタ社の解雇者であって当社は関係ない」というもの。
多くの雇用を生むためか、フィリピン政府はトヨタに協力的で、工場近くに陸軍の分隊を駐屯させ、工場内に兵隊が出入りし、一時はクベロ委員長に対する暗殺の危機が叫ばれるほどだった。
余談だが、フィリピンでは、01年から09年の間に労組活動家だけで95人が暗殺されているという。
こうした状況を問題とみたILO(国際労働機関)は、フィリピン現地に高位派遣団を送って実施調査するなど、復職に向けて労使が交渉のテーブルにつくように何度も勧告をだしたが、トヨタ本社は完全に無視している。
世界では当然、このような態度を認めず、IMF(国際金属労働組合連盟)も動き出した。同労組は、1904年に結成され全世界に2500万人の組合員を抱える。フィリピントヨタ事件を重く見たIMFは06年、「反トヨタ世界キャンペーン」を開始。フィリピントヨタ労組や世界中の支援者が45カ国で開催し、各国のトヨタの工場や日本大使館前で一斉に抗議活動を実施し、以後毎年続いている。
世界的な動きと並行してクベロ委員長らは毎年来日して解雇撤回に向けての交渉を求めているが、トヨタは一切交渉に応じておらず、「フィリピン現地のことは現地で解決すべき」と主張している。実は、フィリピントヨタ労組は、解雇を肯定した中央労使関係委員会の裁定を不服とした訴えを起こしていた。07年10月、フィリピン最高裁はその訴えを棄却したのである。
横浜私立大学の教授で経済のグローバル化を研究する金子文夫氏と、多国籍企業の労働問題を調査・支援する遠野はるひ氏による『トヨタ・イン・フィリピン』(社会評論社)では、大量解雇を発表した直後に、貿易産業省長官・労働雇用省長官・フィリピントヨタ社が何回も会合を開いたことを指摘。複数の地元紙の報道を引用し、「トヨタは会議の席で、早期解決がなければ投資を撤収すると発言した」という。さらに同席した日系企業10社は「政府がこれ以上急進的な労働運動に寛容な態度を取るのであれば、トヨタに続き投資の撤収もありうる」と発言したという。判決の背景には、日系企業を保護しようという政府の強い意向があることは確かだ。
いずれにせよ、最高裁の判決を根拠に「この問題は解決済みである」との見解をトヨタは崩していないのだ。
■ほとんど報道されないトヨタの労働争議
さらにフランスでも09年4月と11年4月にストライキが起きたが、日本ではまるで報道されていない。09年4月3日、フランス北部ノール県のフランストヨタ工場で、自然発生的なストライキが始まった。
リーマンショックが起きた08年9月以降、フランストヨタでは一部操業停止日が設定されており、操業停止日の給料全額支払いを要求するストだった。
組合の「ストライキニュース」によれば、現地法人のディディエ・ルロイ社長(当時)が「100%支払うくらいなら、私は破滅するほうを選ぶ」などと言い放った。
さらに当時、副社長の野中氏が出したメッセージには「我々は、(労組側の人間が)非難に値する行為(をしていたの)を確認する(=見た)複数の警備員を持っており(が、いるので)、そのような行為の実行者(=したもの)は、結果について責任を負うことになるだろう(カッコ内編集注)」とある。全面対決も辞さない構えだった。
このような発言が火に油を注ぎ、約3000人の社員のうち、60人で始まったストは400人以上に増え、入れ代わり立ち代わりのピケ(監視)で工場の一部を封鎖し、2週間続くことになった。結果、労働者たちの要求が通り、スト参加者の処分もしないとする協定を結んで収束したのである。
11年も800ユーロ(約8万8000円)のボーナス支給などを要求して500人規模のストライキが2週間余り続いたが、東日本大震災直後という事情もあり、中断した。
会社に対して何も言わない御用組合と我慢し続ける労働者に支えられている日本国内のトヨタグループでは表面上、大きな波は立っていないと装っているが、海外では通用しないのだ。
なお海外では、このほかにもアメリカでのセクハラ裁判を始め、中国やインドの労働争議など、各国で問題が起こっている。実は、今年の4月24日にもオーストラリアで、トヨタの現地法人、トヨタ・モーター・コーポレーション・オーストラリア(TMCA)による人員削減をめぐり、解雇された元従業員が、労組幹部などを狙った違法な解雇だったとして、復職を求める訴えを、豪連邦裁判所に起こした。これを報じたのも時事通信のみである。
労働トラブルの根本原因は、度を越した効率性を追求するあまり人間を機械のように扱うことだ。加えて、トヨタ自動車を頂点とする“トヨタピラミッド”は、一次下請け、二次、三次、四次の下請けを多く抱えていて、下にいくほどきつくなる。下請けに対する納入価格の度重なる切り下げで、末端孫請け企業の社長の年収は軒並み200万円割れ。さらに外国人労働者は不法に酷使される……。多くの労働者の犠牲でトヨタは巨額の利益を得ているのだ。
にもかかわらず、全上場企業の中で10年以上も広告費トップを続けたこともあるトヨタに不利な報道は、日本のマスコミにはできない。
言うまでもなく、トヨタは日本を代表する企業のうちのひとつ。経済のグローバル化が進み、企業の海外進出が進む今、こうしたトップメーカーの対応が、現地での評判に即つながることになる。
であるならば、やはりこうした問題に対して、トヨタは誠実に、積極的に対応すべきだろう。
(取材・文/林 克明)
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