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石原俊氏が同友会幹事に就任した1985年頃の世相は「抗争」だった
自民党幹部、日産をぶっ潰してやるよ!政治と財界の裏側
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120516/dms1205160709002-n1.htm
2012.05.16 夕刊フジ
麻布自動車グループの「麻布建物」には80年代の10年間で約30億円の「使途不明金」があった。すべて政治家への“裏献金”だった。
ある大物政治家に2000万円の現金を持っていったときのこと。この政治家が「200万円入りの袋を5、100万円入りの袋を10作れ」と秘書に命じた。「大臣、これ、どうするんですか?」と尋ねると、「役人への小遣いだよ。彼らは企業などからはもらえないから、オレたちがあげるんだ」。あのころはこういったこともまかりとおっていた。現在はそんなことはしていないと信じたいが。
当時、政治家の力は強かった。知り合いの社長が証券取引所に上場の申請をしても取り合ってくれず、7年も待たされたままだった。困って、私に相談にきた。「1億円の献金ができる?」と聞くと「大丈夫だ」。そこで、さる有力な政治家のところに連れていった。
その政治家先生、私たちの話を聞くと、すぐに大蔵省(現財務省)の証券局長に電話をし、「オレの後援者、いい会社なんだよ」と伝えた。もちろん、「上場の件、やってあげろよ」なんて具体的なことは言わない。そこはアウンの呼吸というか、役人も心得たもの。
その夜、この社長と飲んでいると、連絡が入った。上場が決まって証券取引所が資料を取りにくるというものだった。現在はそんなことはないと信じたいが。
別の意味で政治家の力を感じる出来事もある。私の海釣りの仲間の日産自動車・石原俊さんが経済同友会代表幹事に就任し、政界にも強い影響力を持っていたころの話。石原さんは「企業は一流、政治は三流」などと、当時の自民党政権に対する批判を繰り返していた。
<そんなある日、自民党の某幹事長がわざわざ私の会社にやってきて、「石原さんはけしからん! 仲がいいアンタから伝えてくれ。いい加減にしないと、日産をぶっ潰してやるよ」とすごい剣幕で言い放った。>
驚いて「どうやって潰すんですか?」と聞くと、
「東京本社や大阪、名古屋に国税庁の査察を入れて揺さぶるんだよ。逮捕者が何人か出れば、日産、ガタガタになるよ。メーンバンクの日本興業銀行(みずほ銀行、みずほコーポレート銀行の前身)からの融資も止めてやるよ。アンタ、言ったとおりのことを、そのまま石原さんに伝えてくれよ」。
私はあわてて、石原さんに言いにいった。何日かたって、石原さんのところでマージャンをやっていたら、石原さんが「なべさん、オレ、バカバカしくなったよ」とつぶやいた。その直後、石原さんは内定した経済同友会3期目の代表幹事を辞退した。(次回は「バブル崩壊の序章」編)
■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。著書に『人の絆が逆境を乗り越える』(ファーストプレス)。
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