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$global_theme_name>震災を経て見えた日本経済の課題
「社会的結びつき」は経済成長につながる?震災後の日本社会とソーシャル・キャピタル
• 2012年5月16日 水曜日平井 滋
今回の大震災に際して、多くの人が、家族や社会とのつながりや社会的連帯、さらに言えば「絆」を意識したと言われている。実際に昨年の「流行語大賞」や「今年の漢字」でも、「絆」という言葉が選ばれた。
未曾有の大災害の中でも整然と行動する被災者の姿が海外メディアなどから大きな称賛を受けたが、そうした行動の裏側には、中心的な被災地域となった東北地方において、地域のつながりが強く残っていたこともあっただろう。
こうした「絆」や社会的つながりはどのように測定されるのだろうか? また、こうした社会的つながりが卓越しているとどういったメリットが期待できるのだろうか? また、こうした地域のつながりへの期待が過大になることで問題は生じないのだろうか?
本稿ではさまざまな研究を参考にしながら、これらの論点について議論する。通常、「社会的つながり」を経済学や社会学において表現する言葉として、「ソーシャル・キャピタル」という用語が用いられることが多いので、ここでもこの用語を用いる。
ソーシャル・キャピタルとは何か
社会的つながりを定義、測定し、経済や社会との関係をみようとする試みは相当古くからあったようであるが、「ソーシャル・キャピタル」として広くその有用性を一般に広める役割を果たしたのは米ハーバード大学の政治学者パットナムによる2冊の本の功績だろう。パットナムは1993年、2000年に著書『哲学する民主主義』、『孤独なボウリング』をそれぞれ発表した。
『哲学する民主主義』では、イタリアの南北格差を題材に、イタリア20州の市民コミュニティー指数を作成し、分権化された地方政府が良好なパフォーマンスをあげるには、南部イタリアでみられた家族主義ではなく、北部イタリアにおいて強く見られる市民参加の伝統、社会的結びつきが必要であることを示した。
『孤独なボウリング』では、米国における市民参加の伝統の崩壊を題材に、米国50州のソーシャル・キャピタル指数を作成し、60年代以降にこれが急速に衰退していることを示した。その原因として、女性の労働参加、人口の流動化、離婚率の上昇、テレビの普及などを挙げており、本書の題名にもなっている「孤独なボウリング」を、一緒にボウリングに出掛けられるような隣人との結びつきが弱まっている例として挙げている。
パットナムは、ソーシャル・キャピタルを「人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を高めることのできる、『信頼』『規範』『ネットワーク』といった社会組織の特徴」と定義づけている。
ソーシャル・キャピタルを計測する手法としてはどのようなものがあるだろうか。まず、「ゴミを公共の場に捨てるか」「見知らぬ人を信用できるか」といった質問で、個人の価値観や信条を直接質問し、その答えを集計するという方法がある。
また、献血やボランティア活動といった社会的なつながりと関係のありそうな行動に関する客観的指標を利用するという方法も考えられよう。実際には、こうした利用可能なさまざまな指標を組み合わせて用いられており、パットナムも米国各州における地域活動への参加頻度、大統領選投票率、ホームパーティーへの参加数などを合成して指数を作成している。
日本でも、2003年に公表された内閣府の調査において、各県ごとのアンケート調査から得られた「つきあい・交流」(隣近所との交流の程度など)、「信頼」(見知らぬ人への信頼度合など)、「社会参加」(ボランティア活動への参加実績など)といった各種質問への回答結果を組み合わせて、県別のソーシャル・キャピタル指数を試算している(図1)。
これを見ると、東京、大阪やその周辺地域で低く、中部、山陰、九州などの非大都市圏地域において相対的に高いという傾向がみられ、都市部において地域の人的つながりが弱まっているという日常的な認識と一致する結果が得られている。
社会的つながりはなぜ重要なのか
このようなソーシャル・キャピタルが高い社会では、どのようなことが期待できるのだろうか。
第一に、ソーシャル・キャピタルが卓越している国や社会は、経済成長でも有利になると考えられている。実際、一人当たりGDPと、見知らぬ人への信頼度や駐車違反の件数との間に強い相関があるという結果も示されている(Guiso et.al.(2011))。
パットナムの研究も、イタリアの南北格差が契機の一つとなっている。ソーシャル・キャピタルの高い地域では、取引関係者となる他人を信頼できること、商行為の履行可能性や公的制度の効率性といった経済活動にとって不可欠な諸要素の信頼性が高まるためと考えられている。
第二に、日本についても、都道府県のレベルで比較すると、ソーシャル・キャピタルの高い地域において、失業率が低く、出生率は高く(2010年の県別合計特殊出生率については図2参照)、そして、犯罪の抑制や新規開業の増加にもプラスの影響があるという傾向が報告されている(内閣府(2003))。
また、イタリアでは、ソーシャル・キャピタルの高い北部地域で国民投票の投票率が高くなっているが、日本でもソーシャル・キャピタルの高い都道府県で相対的に選挙における投票率が高いという傾向がある(直近の国政選挙である2010年の参議院選挙の比例代表での投票率については図3参照)。地域のつながりの強さが出生行動や社会参加と一定の結びつきがある。
第三に、高いソーシャル・キャピタルは個人の生活の質を向上させる。2011年4月に連合総研において実施したアンケート調査をみると、生活満足度、仕事の働きがいといった主観的な幸福度と、相談相手の存在などの社会的つながりを示す指数との間に一定の相関が確認できる(図4)。社会的つながりは、生活満足度や働きがいといった主観的な幸福感とも一定の関係を有している。
災害時にソーシャル・キャピタルはどのように機能するか
今回の震災の影響が大きかった地域は比較的高いソーシャル・キャピタル指数を示した県に含まれ(図1参照)、それが避難や被災後の生活における冷静でがまん強い対応につながった面もあるだろう。
実際、自主防災組織が津波からの避難において大きな役割を果たしたことは多くの報道に見られるとおりであるが、こういった組織の日常活動とソーシャル・キャピタルの間には強い関係があることが知られている。ボランティアや寄付といった社会貢献手段も同様であろう。
復旧・復興過程においてもソーシャル・キャピタルが果たす役割は非常に大きい。実際、ジャワ島中部地震(2005年インドネシア)やグジャラート地震(2001年インド)など、世界各地の自然災害からの復興において、被災地域に根差したコミュニティーの結びつきやミクロの調整機関を核に醸成された地域のつながりが復興を促進し、復興過程における被災者の満足感につながっていることが報告されている。
わが国でも、阪神大震災からの復興過程で、人に対する信頼度や地域団体への所属と住民満足度の間には一定の関係があり(川脇・奥山(2011))、復興プロセスにおいても、地域の結びつきやソーシャル・キャピタルが非常に重要であることを示唆している。
今回の震災からの復興では、津波で被災したコミュニティーの高台移転や、原発事故によって、根こそぎ移転を余儀なくされたコミュニティーがあったことをかんがみ、ソーシャル・キャピタルの基盤となる地域社会の維持に特に注意がはらわれなければならない。
ソーシャル・キャピタルをどのように養っていくか
こうしたソーシャル・キャピタルに一定の期待をし、政策的に養っていく一方で、その限界についても十分意識しておく必要がある。
第一に、ソーシャル・キャピタルに強い偏在性があることである。前述の内閣府の調査では地域における偏在が示唆されているが、連合総研の調査は、都市部の勤労者間においても社会的つながりに差があることを示している(図5)。
ここでは、社会的つながりの一環として、相談できる人の存在やお金の工面をお願いできる人の有無などを用いているが、例えば男性非正社員や一人暮らしといった人については、こうした要素が比較的低い。都市部において、地域のつながりが弱まっていることは広く知られているが、都市部の中でも、こうした社会的ネットワークからこぼれ落ちるのは、一定のカテゴリーにあたる人に集中する可能性がある。
このアンケート調査では高齢者や仕事をしていない人は対象としていないが、都市部での高齢者の孤独死が多発する中、こうした社会的ネットワークの枠組みを真に必要とする人がソーシャル・キャピタルの網からこぼれ落ちやすい可能性があることには、十分注意する必要がある。
第二に、ソーシャル・キャピタルの有するマイナス面にも注意が必要である。ソーシャル・キャピタルには、結束型(bonding)と橋渡し型(bridging)と言われる二類型があることが知られている。
前者は、地域や社会的な階級などに基づき同一のグループに属するメンバーが閉鎖的にソーシャル・キャピタルを形成するものであり、それに対して後者は、見知らぬ人への信頼などグループ間の橋渡しを促進するようなソーシャル・キャピタルである。地方の地縁や血縁、都市部での会社内のつながりといったものは、往々にして、前者に偏ったものになりがちであり、グループ内の既得権の擁護、他者への排外的姿勢といったことが前面に出てしまう可能性がある(稲葉(2011)、稲葉他編(2011))。
第三に、政策的な観点から見ると、ソーシャル・キャピタルはその性質の故に正面から振興を図ることが困難であり、具体的な施策に結びつきにくい。ソーシャル・キャピタル形成においては教育が重要であることや、過大な経済的格差がその維持に対して悪影響を与えることが知られている。例えば、学校教育におけるボランティア活動評価の積極的な取扱いや経済的格差がソーシャル・キャピタルなどの社会的結びつきに大きな影響を与えることへの配慮といった、周辺環境の整備が大切になるだろう。
震災と「公共空間」の再生
パットナムは2010年に『まだ孤独にボウリング?』を書き、2001年の同時多発テロ以降の米国の状況をフォローしている。この中で、同時多発テロを重要な契機として、オバマ大統領の当選やフェイスブックなどによるネット発の社会的結びつきの拡大も背景に、米国の若者(大学新入生)が政治や公共問題への関心を再び取り戻しつつあることに、強い期待感を持って言及している。
日本では、震災の前から、哲学者サンデルのテレビ番組や著作が人気を博し、随分と広まり、公共哲学ブームが起きていた。サンデルもその論者である「コミュニタリアニズム」は、20世紀後半の米国に起きた地域や社会的結びつきといった共同体を重視する社会哲学であり、パットナムの「ソーシャル・キャピタル」研究とも非常に近い位置にある。
日本社会におけるコミュニタリアニズムの流行も、ロールズ流のリベラリズムやリバタリアニズムといった左右の政治思想の行き詰まり、さらには、日本の抱える具体的問題についての政策論争における物足りなさを感じた人々のニーズの高まりを反映した面もあったのだろう。
サンデル・ブームや「ソーシャル・キャピタル」への関心が一時的な流行に終わらず、東日本大震災後のあるべき社会的つながりや「公共空間」を取り戻すきっかけとなることを期待して、本稿を終わりたい。
参考文献
稲葉陽二(2011)「社会関係資本をどう醸成するのか―政策対象としての視点」連合総研レポートDIONo.265所収
稲葉陽二・大守隆・近藤克典・宮田加久子・矢野聡・吉野諒三編(2011)「ソーシャル・キャピタルのフロンティア」(ミネルヴァ書房)
川脇康生・奥山尚子(2011)「ソーシャル・キャピタルと災害復興」下記山内・田中・奥山(2011)第18章所収
内閣府(2003)「ソーシャル・キャピタル:豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めて」
山内直人・田中敬文・奥山尚子編(2011)「ソーシャル・キャピタルの実証分析」大阪大学大学院国際公共政策研究科NPO研究情報センター
山内直人(2011)「防災・災害復興におけるソーシャル・キャピタルの役割」連合総研レポートDIONo.265所収
連合総研(2011)「第21回勤労者短観」
Luigi Guiso, Paola Sapienza and Luigi Zingales(2011) “Civic Capital as the Missing Link” in the Handbook of Social Economics Vol.1A
Robert D. Putnam(1995) “Bowling Alone: America’s Decline of Social Capital” Journal of Democracy 6(1), 65-78
Thomas H. Sander and Robert D. Putnam (2010) “Still Bowling Alone? The Post-9/11 Split” Journal of Democracy, 21(1) 9-16
震災を経て見えた日本経済の課題
東日本大震災後、日本経済はどのような姿になったのか。人と人とのつながりの大切さが言われるようになったが、「絆」の強さは経済的にどような効果を生み出すのか、東北の農業の姿はどのように変わったのかなど、マクロの視点から日本経済を読み解く。
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平井 滋(ひらい・しげる)
連合総合生活開発研究所主任研究員。1999年東京大学法学部卒業。同年経済企画庁(現内閣府)入庁。2010年から現職。
http://diamond.jp/articles/-/18564
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