http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/136.html
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東電及び政府は原発事故賠償金確保のため、電気料金値上げで乗り切ろうと画策しています。
この事故の原因は、そもそも東電の安全対策過信による不備と地震発生後の東電及び政府の不適切な事後処理にあります。
したがって、先ずは、賠償金の埋め合わせは、東電の経営責任と行政府の行政責任が問われます。
そうなると、これだけの悲劇を起こした経営者および行政府の責任者は私財を投げ売ってでも、
責任を全うすべきです。
そこまで、責任者が誠意を見せれば国民は納得するでしょう。
これは信義則(信義誠実の原則)の問題です。
否、小学生にも分かる道徳、倫理以前の問題です。
(http://blog.livedoor.jp/mkld4001/archives/51835088.html)
今からでも大丈夫です。
ノブレス・オブリージュを復活させましょう。
今後の日本、否、世界でも、この高貴な人の責任がとわれますね。
(http://blog.livedoor.jp/mkld4001/archives/51862877.html)
社会人としての責任(1) - 人生意義即傍楽生甲斐
(http://blog.livedoor.jp/mkld4001/)
社会人としての責任
プロ意識、
人生の意義、
生き甲斐、
など、社会人としの責任の基本的な考え方は、本来、人が生きるための目的、価値観と等しく、
最終的には人生の意義に辿り着き、それらは結局、
各人皆がそれぞれ働く(はたらく、他たを楽くに)の意味に通じています。
ウィキペディアで『人生の意義』を引いてみると……
自己実現理論(じこじつげんりろん)とは、アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。又、これは、「マズローの欲求段階説」とも称される。 ウィキペディアより
態度価値(ヴィクトール・フランクル)
自分に与えられた運命に対してどういう態度をとるか。それによって実現されてゆく価値のこと。人生には、生まれつき決まってしまっている一種の「宿命」のようなものもあり、「運命」とも言えるものもあり、また生きている最中にはさまざまなことが起きる。このような「与えられたもの」に対してどういう態度をとりながら生きるかによって、その人の人生の真価がわかる、とフランクルは述べる。そして、この態度価値だけは、(前述の二つの価値とは異なり)人がいかなる苦境に追い込まれ、さまざまな能力や可能性が奪われても、実現の可能性がたたれることはない、と述べる。つまり、この価値をもってすれば、人は息を引き取るその瞬間まで、人生から意味が無くなることは無く、「人生の意味」は絶えず送り届けられ、発見され、実現されるのを待っている、ということになるのである[35]。 ウィキペディアより
神谷美恵子の見解(神谷美恵子)
人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われ、それは上記の問いの第一と第二が一致した場合であろう、と述べる。だが、これらは必ずしも一致しない。生活のための職業とは別に、ほんとうにやりたい仕事を持っている人も多い。それらの両立が困難になると、うっかりすると神経症になる人もあり、中には反応性うつ病や自殺にいたる人さえいる[37]。
「生きがい感」を一番感じている人種というのは、使命感に生きている人(自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力で歩いている人)、ではないか、と述べる[38]。このような使命感の持ち主は、立派な肩書や地位を持って目立っているというわけではなく、むしろ人目につかないところに多くひそんでいて、例えば小、中学校の先生、特殊教育に従事する人、僻地の看護士など、いたるところにいる、と述べる。
社会的にどんなに「立派」とされることをやっている人でも、自己に対してあわせる顔のない人は次第に自己と対面することを避けるようになる。心の日記もつけられなくなる。ひとりで静かにしていることも耐えられなくなり、自分の心の深いところからの声に耳をかすのも苦しくなる。すると、生活を忙しくして、この自分の心の深いところからの声が聞こえぬふりをするようになる。この、「自己に対するごまかし」こそが、生きがい感を何よりも損うものである、と指摘する[39]。
使命感に生きる人にとっては、たとえ使命半ばで倒れたとしても、事の本質は少しもちがわない。自己に忠実な方向に歩いているかどうかが問題なのであって、その目標さえが、正しいと信じるところに置かれているならば、使命の途上のどこで死んでも本望であろう、と述べる。これに対して、使命にもとっていた人(使命に背いていた人)は、安らかに死ぬことすらできない[40]。 ウィキペディアより
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