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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32453?page=9
デフレだ不況だと言うが、もちろん持てる人々はいる。お城のような家に住む人、金持ちなのに980円のシャツを着る人。47都道府県のナンバーワン金持ちが、ここに全員集合。その素顔と肉声を明かす。
北海道1位はニトリ社長
'05年を最後に高額納税者名簿の発表が廃止された。その後も国税庁による納税額ランキングは行われているが、それが表に出てこないことで、「全国長者番付」は国民にとって「知りたくても知れない」大きな関心事となっている。
米フォーブス誌が「日本の長者番付」を年に一度発表しているが、算定基準もわかりにくく、人数も限られているため、とても日本人読者の期待に応えるものにはなっていない。
そこで今回、本誌は独自に47都道府県の大金持ちをリストアップ。本人への直接取材や、さまざまな資料を検証して、その総資産と年収を割り出してランキングを行った(金額はすべて本誌推定)。
まずはそのベスト10を見ていただきたい。
(総資産ではユニクロの柳井正社長(東京)が約8800億円でぶっちぎりの1位、2位にサントリー創業家の鳥井信宏氏(兵庫)の約6500億円、3位に愛媛の今治造船会長・檜垣俊幸氏が約3000億円で続く。4位はアパホテル創業者の元谷外志雄氏(石川)、そして5位には無名だが、「沖縄軍用地主」の竹野一郎氏が入ってくる。6位が鹿児島の岩崎芳太郎氏で、ここまでが資産1000億円超。
7位は急成長するニトリ社長の似鳥昭雄氏、8位には麻生太郎元首相の弟で麻生グループ現当主・麻生泰氏の名が挙がる。
一方、年収のベスト10はどうか。
こちらも柳井氏が80億円でぶっちぎりの1位、元谷氏が33億円で2位、沖縄の竹野氏が20億円で3位に入る。4位の倉石和明氏(長野)は病院長だ。5位が福井の実業家・小野光太郎氏、6位にはステファニー化粧品の一家明成氏(千葉)。7位の裏千家・千玄室氏(京都)までが3億円を超えている。
このランキングは各都道府県の1位を決め、その中で並べ直したものだ。そのため東京で2位の孫正義氏がランク入りしない、といった点はご留意いただきたいが・・全国の「金持ちの基準」がありありと浮かび上がる。
ちなみに国税庁が発表している'10年度の国民平均年収は412万円だ。彼我の差がいかに激しいかを痛感させられる。
最終ページでは各都道府県の金持ちナンバーワンを表にし、総資産、年収とその横顔を記した。まさに、日本を代表する大金持ちのリストである。
ではここからは、本誌が直接取材した金持ちの肉声を紹介し、その生活や人生哲学を明かしていく。巨万の富を手にした男たちは何を語るのか。
■北海道・東北編
北海道1位は総合家具チェーン「ニトリ」社長の似鳥昭雄氏(68歳)。'11年2月期連結売上高は3143億円、'12年同期は3300億円を超えた。
'03年の売上高が1000億円だから、わずか10年で3倍以上に増えたことになる。それに伴い、店舗数も100店舗から300店舗に激増し、従業員数も6000人を超えた。
似鳥氏個人の総資産も約970億円に上り、年収は約1億2000万円。北海道樺太で生まれ、裸一貫からここまで上りつめた似鳥氏が言う。
「経営者の資産って株のことを指すと思うんですが、僕自身は株はお金だと思っていません。そもそもお金が欲しいとかお金を儲けたいと考えて仕事をしていませんからね。
なぜなら会社でも個人でも、『儲けたい』と思って商売すると、それは必ずお客様に伝わるんです。だから『お、ねだん以上。ニトリ』というコピーを掲げた。何よりもお客様に得をしてもらうことを優先する。品質が価格を上回った時、そこに初めてバリューが生まれると私は考えます」
似鳥社長は、'08年のリーマンショックを予見し、それに先がけ「値下げ」を断行した。小売業界で伝説となっている先見性だ。
「なぜ先が読めなくなるのか。それは願望が入るからですよ。期待や願望は、予測とは真逆の要素。だから間違う。仏教でいう『色即是空』の精神でいないと、先見力はつきません」
お客様最優先の発想と、願望を排した予見。それはいずれも「欲得」の対極にあるものだ。
■東北の金持ちの責任感
青森県1位の新戸部満男氏(79歳)は、自動車教習所など5つの事業から成るCSグループ創業者。総売上は約70億円、従業員約500人を抱える。
新戸部氏の総資産は約200億円だが、地域のために金を惜しみなく使う。取材は新戸部氏が持つ旅館・翠明荘で行われた。
「この建物は登録有形文化財で、いっさい助成をもらわずに維持しています。(お金は)かかりますねぇ(笑)。'89年にここを潰してマンションを建てるという計画が持ち上がったんですが、地元の人間として見過ごすことができず、借金して買い取りました。修理費も入れて10億円くらいです。
ここを守って良かったのは、地元の建築家たちが勉強をしてくれることです。太宰治の生家『斜陽館』を設計した堀江佐吉一族の手になる建物で、廊下は15mの檜一枚板。富山の職人が彫った欄間は、テレビの『なんでも鑑定団』で600万円の値がついたほど貴重なものです。優れた技術を次の世代に引き継げるなら、無駄ではなかった」
新戸部氏の経営哲学の一つに「先達の責を果たす」という言葉がある。
「判断に迷った時は『高い視点から決する』。自分を高みに置くのではなく、世の中や人のためになるかどうか、という視点から決断する。自分以外の人にどれくらい利益があるのか、それを常に判断基準にしてきたつもりです」
続いては山形1位の山澤進・ヤマザワグループ会長(82歳)。東北地方に65店舗を数える「スーパーヤマザワ」の'11年3月期売上は909億円に上る。山澤氏の総資産は約200億円、年収も1億円に近い。
山澤氏のスーパーに対する価値観は'63年、渡米してかの国の巨大小売店を見てガラリと変わった。
「ニューヨーク、ワシントンからバンクーバーまで回ったけど、なかでも驚いたのがサンフランシスコ。縦横無尽に高速道路が通り、ショッピングセンターには3000台規模の巨大な駐車場が併設されていた。
スケールに圧倒されると同時に、日本も車社会になって、駐車場付きスーパーで買い物をする時代が来ると確信しました」
さらに帰国後、山澤氏は「師匠」に出会う。それが「日本のチェーンストアの父」渥美俊一だった。
「ペガサスクラブという研究会を主宰されていて、ダイエーの中内(功)さんもイトーヨーカ堂の伊藤(雅俊)さんもジャスコ(現イオン)の岡田(卓也)さんも皆教え子だった。日本の流通革命はペガサスクラブによって実現したんです」
前出の似鳥社長も渥美氏を師と仰ぐ。現在、日本を代表する金持ちの多くが同クラブから誕生していることになる。
岩手代表は邉龍雄氏(63歳)。盛岡冷麺を全国区にした飲食店「ぴょんぴょん舎」のオーナー社長だ。年収約2000万円、総資産約10億円は、今後まだまだ増えていきそうだ。
「5月にオープンするスカイツリーに出店が決まり、いまはその準備にかかりっきりになっています」
朴訥とした口調で語る邉氏は、在日コリアン2世。父親はクズ鉄屋で生計を立てていた。
「弱虫で勉強もできなかった私は、高校時代まで『朝鮮人』とイジメられ続けました。でも、そんな私を励まし助けてくれたのも、岩手の優しい人たちでした」
'99年、盛岡駅前のビルを購入し、店を出したのは理由がある。
「駅前で地価も高く、本当は遠慮したかったけど、『岩手の観光のためにぜひ』と市や県からもお願いされ、これは恩返しの機会だと思って受けたんです」
39歳で飲食業界に飛び込んだ「遅咲きのやり手」。スカイツリーには出店するが、拠点を東京に移すことは考えていない。
全国6位創業者の哲学
■関東編
東京には日本一のリッチマン柳井氏がいるが、お隣千葉には年収約3億6000万円で全国6位に入った注目の人物がいる。銀座ステファニー化粧品創業者の一家明成氏(63歳)だ。
「無添加で、しかも長持ちする化粧品を売りたいと考えていて、そのカギとなる『腐らない水(活性マイナスイオン水)』に出会えた'92年に会社を興しました。
その時、5年で100億円という売上目標を立てましたが、実際は5年で78億円どまり。周囲は成功を讃えてくれたけど、僕自身には挫折感があった。それで奮起し、10年で200億円の売り上げを達成したのです」
ソフトで都会的な外見に反して、その経営哲学は地道かつ誠実だ。
「お客様からの電話の応対が極めて重要ですから、独自のトークマニュアルを作りました。電話だから見えないと思いがちですが、受ける社員が脚を組んでいたり、タバコを吸っていたりしたら、お客様にはすぐにわかる。本当の誠意とは何かを、ウチの社員には叩き込みました」
一家氏は会社が完全に軌道に乗った'05年、あっさり娘に社長の座を譲った。しかも娘に子供が生まれて社長業が困難になると、韓国のLGグループに株を売却した。
「一つの目標を達成すると新たな挑戦がしたくなる。次はゴルフクラブの開発を本格的に始めます。ブランド名は『師匠』。もうパターはできあがっています」
続いて登場するのは、天野洋一・群馬日産社長(55歳)だ。県内ディーラー550人を指揮しながら、'08年から今年2月まで、全国に約1600社あるディーラーの上部団体・日本自動車販売協会連合会(自販連)の会長を務めた。
自販連会長と言えば、メーカーの社長ですら頭が上がらない存在と言われる。51歳の若さでその地位についた天野氏は、初めての戦後生まれの会長だった。
「日産のカルロス・ゴーン社長とは何度もお会いしました。群馬にもお見えになりましたが、やはり類いまれなカリスマ性があり、誰もが握手を求めたくなる」
祖父・父と2代続いた店にも、洋一氏は変革をもたらした。
「店内の展示車に『車は高額商品です』とあえて表示しました。慎重に選んでもらい、納得して買っていただいてこそ、信頼されると考えたからです」
世間ではとかく評判の悪い「3代目」だが、「1ヵ月で完全休日は2日だけ」という天野氏が会社を危うくする心配はなさそうだ。
■北陸・中部・東海編
石川県1位のアパグループ創業者・元谷外志雄氏(68歳)は、年収約33億円で全国2位、資産約2200億円で全国4位の超金持ちだ。
「私が社長です」の妻・芙美子氏のキャラクターで有名になった同社が、今も石川に本拠を置いていることは意外と知られていない。
「石川は私の生まれ故郷。小松市で生まれ、そこで学んでそこで育って、そこで事業を興したわけだから、特別な場所なんです。だから納税地は今も石川。現住所は金沢に置いている。
東京進出の際に、本社を含めて全部東京に持っていく計画もあったのですが、当時の県知事から『県の税収の5%はアパさんだ。どうか移らないでほしい』と『逆陳情』され、そこで考えて、故郷は大事にせなあかんと思ったんです」
アパホテルと言えば、耐震不足が話題になった時に批判にさらされたのは記憶に新しい。あの騒動をどう受けとめているのか。
「悪いのは構造計算した設計事務所であり、それを検証せず通した検査機関。ユーザーであるウチが非難を浴びるのはそもそもおかしな話だったんです。
でもね・・・・・・、じつはあれがあったおかげで、銀行が心配して『借金全部返せ』というから、いちばん高い時期にホテルやマンションの開発用地を売ったんです。そして、買い手がつかないマンションは半値で叩き売った。つまり、買い値の2~3倍で売れた土地と、半値で売ったマンションとで損益通算(赤字の相殺)ができたわけです。
その結果、税金をさほど払うことなく資金繰りが好転した。だから今振り返ると、あの騒動には感謝したいくらいです」
愛知の1位は大島宏彦・中日新聞社最高顧問。資産では老舗に負けるが、名古屋で今最も勢いがあると言われるのが「カレーハウス CoCo壱番屋」(社名は壱番屋)。3月末現在、国内に1229店舗を展開し、売上は721億円に達する('11年5月期)。同社創業者の宗次徳二氏(63歳・現在は特別顧問)の半生は、今回登場するどの大金持ちより壮絶だ。
「戸籍上は石川県生まれですが、両親が誰なのかはわかりません。兵庫の孤児院で育ち、3歳の時に雑貨商を営む夫婦に引き取られました。ところが養父がギャンブル(競輪)にはまって財産をなくし、夜逃げするように岡山に移ったんです」
---電気すらない生活だったとか。
「岡山でも養父のギャンブル熱は収まらず、業を煮やした養母が家を出てしまったんです。アパートの家賃も払えず、廃屋を転々としながら電気も水道もない生活が何年も続きました」
---つらくなかったのか。
「泣いてる余裕もない。学校から家に帰ると、養父の帰りを待ちながら、ローソクの灯りで掃除や炊事をするのが私の仕事でした」
---養父を嫌いにならなかったんですか。
「大好きでした。年に一度だけ、職安でもらう年末一時金で私の大好きなリンゴを二つ、お土産に買ってきてくれる。あのリンゴの味は格別でした」
この頃の経験は、間違いなく宗次氏の人格形成の背骨となっている。ほぼ毎日、名古屋・栄の街を早朝、掃除する。花を植える。雪の日も嵐の日も。
「お金を自分のために使うのは恥ずかしくてできません。贅沢もしたくないし、しません。時計は9800円、シャツは980円。自宅は接待用に少し大きなものを建てたのですが、それも恥ずかしいことです」
■近畿編
商都・大阪も今は昔、船場の苦境などがつとに伝えられるなか、大阪代表として登場するのは47歳の俊英、カトープレジャーグループ代表の加藤友康氏だ。うどん専門店「つるとんたん」でブレイクした。従業員4000人、売上246億円('10年3月期)。「つるとんたん」は東京にも六本木、丸の内など5店舗進出し、どの店もOLを中心に常に行列ができて
いる。
総資産約100億円、年収約7000万円の加藤氏は、社長というよりもプロデューサーに近い。
「飲食店を新規オープンするにはマーケティング、コンセプトワーク(理念)、プランニング、オペレーションが四つの柱ですが、私はオペレーションこそが最も重要だと考えています。『つるとんたん』は店舗ごとにメニューも内装も違う。器もこれまでに6回モデルチェンジしています。
オペレーションが散漫になると会社はダメになる。レストランが大きくなって上場して、常に新規出店を迫られるようになると、味が落ちる、サービスが悪くなるというマイナス面が必ず出てくるんです」
立て板に水、まさにプレゼンのように話すが、記者を「先生」と呼ぶのがナニワ流。大阪商人らしく、売上高が200億円を超えた今もみずからを「中小企業の社長」と言い張る。
「大規模開発ではなく、皆で細かいアイデアを出しあい、それを積み重ねて発展していく。それこそが、大阪を東京と差別化する道だと思います」
お城を建てた徳島の富豪
近畿からもう一人、加藤氏とは親子以上に歳の離れた名物経営者にご登場願おう。奈良代表の高鳥王昌氏(87歳)。かつてパンストの縫製機械で一世を風靡したタカトリの創業者だ。
従業員200人強ながら、売上80億円以上、経常利益8億円近くを叩き出す超優良企業で、'11年冬のボーナスはなんと8ヵ月、日経新聞調べの支給額ランキングで全国2位となった。
老境を迎えても、その発想には古さがない。
「事業いうのは、同じことは長くは続かんと思うてるんですわ。人生、今は80年やけど、私は企業はええとこ30年と思っている。時代の進みが早くなると、機械屋だと15年じゃないかな、一つの機械を作ってから、世の中でいらなくなるのが。だから常に新しい仕事を探さなイカン」
パンストから半導体、そして現在はLED用のスライス加工機と、次々に主力商品を開発していく原動力はこの創業者の才覚だ。
「今の時代、親が一生懸命に学費を払っていい大学に入れようとするけど、最終的に子供が幸せになるかどうかはわかりまへんわな。ホント言うたら、私らみたいに食うもんもないような生活を一回させてやったほうがエエんじゃないかな」
■中国・四国編
岡山という地方都市にあって、グループ52社、社員8000名を擁し、年商約1300億円を売り上げる企業がある。'10年に設立100周年を迎えた両備グループだ。事業は運輸交通からIT、不動産、スーパーなど多岐にわたる。
5代目の小嶋光信氏(67歳)は3代目の娘婿。元は三井銀行の行員で、岡山に縁もゆかりもなかったが、3代目にこう言われた。
「両備運輸が赤字で困っている。銀行での経験を活かして立て直してほしい」
'73年、28歳の時だった。
「東京を離れたこともないわけだから、田舎暮らしなんかしたくなかった。ただ、考えた末に『これも運命かな』と思いいたった」
そう小嶋氏は言う。両備グループの理念に打たれたところも大きい。
「創業以来『忠恕(真心からの思いやり)』を経営哲学として掲げてきた。リストラはしない。これだけは絶対に譲れない。両備グループは地域なくしては存在しない地場企業です。交通を担い人とモノを運ぶ、いわば地域の動脈。ゆえに事業を通じて地域に貢献することが最大の目的なのです」
そして'09年から、本格的に東京進出を始めた。
「一言で言えば『出稼ぎ』。岡山の会社であり続けるために、これ以上岡山で事業を拡大することは難しい。そこで、東京から富を持って帰ってこなければならない。地方企業としての生き残りをかけての挑戦です」
普通は逆だ。東京に本社を置き、生産拠点を地方に置こうとする。
「地方が生んだ富をわざわざ中央に落としている。その結果、税収が中央に一極集中している。これは大きな勘違いだと思います」
江戸時代の城主の貫禄を思わせる、小嶋氏の力強い一言だった。
徳島1位はタカガワグループ創業者の高川晶氏(63歳)。学校法人、ゴルフ場、医療・介護施設と幅広く事業を展開し、グループ総売上は100億円、従業員840人の徳島随一のグループ企業だが、創業は1985年と歴史は浅い。
東大受験に失敗して慶応大学に進むも退学、名古屋大学法学部に入り直し、卒業後に香川大学医学部へと進学した。
大学受験に3度成功した経験を活かして学習塾を始め大成功、そこを起点に事業を拡大していった。
高川氏は「豊かさ」について独特の持論を持つ。それは、「経営者は社員より圧倒的に豊かで強い存在でなければならない」というものだ。ご本人が語る。
「トップには『この人じゃないと任せられない』と思わせる圧倒的オーラが必要です。そのためには人間の本能の部分でも憧れの存在であるべき。大企業の経営者でも服にこだわらない方もいますが、私はそうは思わない。腕時計でも車でも、少なくとも社員よりはリッチでなければならない」
年収約1億5000万円の高川氏が、この哲学を究極的に実践したのが、41ページの写真、高川氏の持つ「カルカソンヌ」というゲストハウスだ。
「南フランスを旅行した時に同名のお城を見て感動し、それを徳島で再現しました。接待を受けるのが嫌なので、取引先との食事はここに招く。テレビ局から『中を撮らせてほしい』と依頼をいただきますが、すべてお断りしています」
高川氏の持論はもう一つある。
「ゲストと食事をする時は常に家族または幹部社員を同席させます。情報の共有が目的、もちろん、後継者づくりを意識しています。私にとっては幹部社員も家族のようなもの。私は『家族』を基軸としてビジネスを行っているんです。
そして会社の拠点はあくまで徳島。生まれ育った町に根差す。地域限定型ビジネスと呼んでいます」
小嶋氏にも通じる「地方のリッチマンの矜持」を、高川氏も感じさせた。
1億8000万円のフェラーリ
■九州・沖縄編
九州の大金持ちと言えば、やはり真っ先に名が挙がるのが麻生グループ。麻生太郎元首相の実家だ。連結売上1411億円('11年3月期)、従業員約7000人の一大財閥で、現当主・麻生泰氏の総資産約800億円は全国8位にランクインしている。
その「旧財閥」の向こうを張って、急激に会社を大きくしている人物がいる。
「STONE MARKET」社長・中村泰二郎氏(47歳)。天然石のアクセサリーやパワーストーンを販売する同店は、新しい複合施設やファッションビルに必ずといっていいほど出店している。現在、世界141店舗。年内にも150店舗に増える予定で、右肩上がりに伸長している。
「福岡の資産家はあまりメディアに出たがらないし、資産を隠したがる方が多い。僕は隠してもしょうがないと思う。どんどん見せて、皆が楽しんでくれたらそれでいい。日本は今、ヒーローというか、憧れの対象になるような人がいないからね」
中村氏はそう言う。有言実行で、敷地880坪の同氏のゲストハウスには、フェラーリ430スパイダー(3800万円)、フェラーリ458イタリア(3800万円)、さらに1億8000万円で購入した希少なエンツォ・フェラーリが置かれている。
中村氏は29歳の時、事業で騙され4000万円の借金を抱え、「逃げたい」と思い、アメリカへ飛んだ。
「あの時、ロスからニューヨークに行くと決めて、2週間待てば8万円のエコノミーチケットが手に入った。でも一刻も早く発ちたくて、1席だけ空いていた48万円のビジネスクラスをその場で購入したんです。金がないのに(笑)。
でも、それが運命を変えた。機内で出会った白人ビジネスマンの『アメリカの本当の良さが知りたければ田舎に行ったらいい』という言葉がずっと残っていたから、ロスからヒッチハイクで何の予備知識もなくアリゾナ州ツーソンに着いた。そこからニューメキシコのサンタフェに行き、僕は『石』に出会ったんです」
インディアンが身につけていた、ターコイズブルーのピアスの美しさに驚き、それが現在のビジネスへとつながった。
「2週間待てば40万円安くなるなら、普通待ちますよね。しかし、もしそうしてたら、ロスから直接ニューヨークに行って、今も皿洗いでもしていたかもしれない。その時の40万円が、間違いなく今の128億円の売上につながっているんです。お金は、遣ったら遣っただけの意味がある」
本文で取り上げきれなかったなかにも、宮城1位のアイリスオーヤマ社長・大山健太郎氏、熊本1位の再春館製薬所会長・西川通子氏といった有名社長や、「田部の山を通らずに瀬戸内海に抜けられない」と言われる島根の山林王・田部長右衛門氏など、錚々たる金持ちが全国にいる。。
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