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アジア・国際>記者の眼
ギリシャ人は、いつから「怠け者」になったのか
欧州統合が生んだ“最後のソ連型国家”の皮肉
2012年5月8日 火曜日 大竹 剛
「アリとキリギリス(関連記事『「アリとキリギリス」の教訓は欧州を救わない』)」――。欧州債務危機におけるドイツとギリシャの関係は、イソップ寓話に例えて語られることがある。ドイツ人は、コツコツとまじめに働くアリで、ギリシャ人は遊んでばかりいる怠け者のキリギリスというわけだ。
ギリシャは長年の放漫財政によって、結果的に“秩序だった”デフォルト(債務不履行)を起こした。欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)から支援を受ける条件として、厳しい緊縮財政を強いられている。イソップ寓話では、キリギリスは冬になってアリに食べ物を恵んでくれと頼んだところ断られたが、ギリシャは助けてもらっている。しかし、それでも緊縮策の影響で、市民の生活は困窮している。
公務員の削減や賃金カット、年金受給年齢の引き上げ、付加価値税の引き上げなどの構造改革で財政再建を目指しているが、景気後退は今年で5年目に突入しており税収は減る一方だ。民間部門では過去2年の間に約60万人が職を失い、3人に1人が貧困層に転落していると言われる。
アテネ市内を歩くと、シャッターを下ろしたままの店の多さに驚かされる。実に、アテネの事業者の4分の1は閉店状態にあり、その比率は今年中に3分の1にまで上昇しそうな勢いだ。今年2月に起きた大規模デモ(関連記事「ギリシャはドイツの食い物にされた」)は記憶に新しいが、昨年1年間を振り返れば、アテネ市内で起きたデモの回数は約800件にも上っている。「デモの影響で、毎日4時間もの営業時間が失われている計算になる」とギリシャ全国商業連合会のバシリス・コルキディス会長は嘆く。
本来は働き者のギリシャ人
アテネで取材したギリシャ人エコノミストの多くが、ドイツなどのユーロ圏主要国がギリシャに過酷な緊縮策を強いているのは、見せしめ的な側面があると考えていた。放漫財政のツケを払わされているギリシャ人の姿を、財政規律が緩いスペインなどのほかの問題国に対して教訓として示すのが狙いだという。
だが、ギリシャの財政を悪化させた本質的な原因は、本当にギリシャ人がキリギリスのように根っからの怠け者だからなのだろうか。
アテネ大学教授でギリシャ欧州外交問題研究所(ELIAMEP)副会長のサノス・ベレミス氏は、「ギリシャ人が怠け者というのは根拠のない話だ」と強調した。
著名なギリシャ人政治歴史学者として知られるアテネ大学教授で、ギリシャ欧州外交問題研究所(ELIAMEP)の副会長も務めるサノス・ベレミス氏に話を聞いた。ベレミス氏は、「ギリシャ人が怠け者だというのは根拠のない馬鹿げた偏見で、本来は勤勉な働き者だ。例えば、ギリシャは内戦終了後(1950年代)に驚くほどの復興を遂げており、内戦後の国家再建の過程を振り返れば、ギリシャ人の国民性が本来は勤勉で働き者であることが分かるはずだ」と強調する。
アテネ大学経済学部教授のヤニス・ファロファキス氏も、似たような見方を示す。「汚職や非効率な働き方をしているのは事実だが、それは危機の原因とは関係がない。ギリシャには昔から汚職があり、脱税があり、非効率な官僚主義があった。ギリシャ人は良く働き、実はドイツ人の中にもその見方を共有している人たちがいる。55〜60歳以上のドイツ人は、50年代に約80万人のギリシャ人がドイツに移住し、ドイツ再建のために身を粉にして働いたことを覚えているはずだ」(ファロファキス氏)
EU加盟と社会主義政権の誕生で「怠け者」に
だが、働き者だったギリシャ人は、今や「怠け者」というレッテルが貼られてしまった。その原因は、どうやらギリシャを同時に襲った2つの歴史的な変化にありそうだ。その変化とは、1981年のEU(当時は欧州共同体=EC)への加盟と社会主義政権の誕生である。ベレミス氏は、次のように分析する。
「ギリシャは歴史的に、辛い過去を背負ってきた。トルコから独立しても、今度はナチスに支配され、それに続く内戦によって国家は完全に破壊されてしまった。さらに60年代には独裁政権まで経験している。そのギリシャが81年に、ようやくEU加盟を果たした。その時、多くのギリシャ人は、『これまで散々、苦労してきた。もう十分だろう。これからは人生を楽しもう』と考えるようになった」
「人生を楽しもう」という国民感情は前向きなもので、その考え自体が「怠け者」を生みだすわけではない。むしろ、国作りの原動力にもなり得たはずのものだ。だが、その感情は政治家によって間違った方向に向けられてしまった。
ギリシャは81年以降、「EU加盟国」という信用力を背景にして、従来よりも低い金利で資金を調達できるようになっていった。その市場環境を活用して国民を懐柔するかのような政策を推進したのが、社会主義政党の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)だった。ベレミス氏は、「PASOK政権は81年に保守派の新民主主義党(ND)から政権を奪うと、ギリシャ人が自ら生み出した富を再分配するのではなく、借金で調達したカネを国民に分配するという安易な政策を推進した。EU加盟と社会主義政権の誕生という2つの出来事が不幸にも重なり、雪だるま式に問題が大きくなってしまった」と批判する。
「政権交代のたびに公務員の数が膨れ上がった」
財政規律はPASOK政権が誕生するまで、比較的健全だった。80年時点の国内総生産(GDP)に対する政府債務の比率はわずか約20%。現在の約160%に比べると極めて小さい。だが、PASOKが政権を奪ってから、財政規律は緩んでいった。
その典型が公務員の過剰な採用だ。ベレミス氏によれば、PASOKが政権を奪取するとPASOKの支持者を公務員に雇うようになったとされる。だが、自らの支持者を公務員に取り込んでいったのは、PASOKだけではない。NDも政権交代を実現すると、今度はND支持者を新たに公務員に雇い入れた。結局、PASOKとNDの2大政党が政権交代をするたびに、公務員の数は膨れ上がっていったという。
ちなみに、経済協力開発機構(OECD)の2008年時点のデータによると、ギリシャの労働人口に占める公務員比率(国営企業の従業員含む)は20.7%で、フランスの24.3%やオランダの21.4%よりも少ない。この数字を見る限り、ギリシャだけが突出した“公務員天国”ということにはならない。ギリシャの労働人口は約500万人だから、公務員の数はざっと100万人という計算になる。その内訳は、役所などに勤める狭義の公務員の比率が7.9%で、国営企業の従業員が圧倒的に多い。
だが、一説には正確な統計は存在せず、その数は公式数字よりもずっと多いという見方もある。ギリシャ最大の公務員の労働組合であるADEDYによると、ギリシャの公務員の数は約68万人だという。ADEDY副会長のエリアス・ブレタコス氏は、「公務員が多過ぎるというのは、政治家とメディアが作り上げた神話だ」と話す。一方、ベレミス氏は、「ギリシャは、人口がほぼ同じ規模のオーストリアと比べて2.5倍もの公務員を抱えている(編集部注:ギリシャは1130万人でオーストリアは830万人)」と話す。政府はEUとIMFとの合意の中で、2015年までに15万人の公務員を削減することを公約している。いずれにしても、それだけムダが多かったという1つの証だろう。
250種類の参入障壁で守られた民間労働者
政府に保護されているのは公務員だけではない。民間部門でも規制によって労働者は守られてきた。ギリシャのシンクタンク、経済産業調査機関(IOBE)によれば、ギリシャは各産業分野に約250種類にも上る参入障壁があり、経済協力開発機構(OECD)の中で最も規制が多い国だ。危機が起きてからEUやIMFに構造改革を求められてきたにもかかわらず、これまで取り除かれた参入障壁はまだその10%にも満たないという。
IOBEのニコラス・ベントウリス氏は、「ギリシャは最後のソビエト型国家だ」と批判する。政府は150項目に上る規制の緩和を公約しているが、労働者からの激しい反発が起きており、計画通りに進むかどうかは未知数だ。
インフラ・運輸・通信相だった新民主主義党(ND)のマキス・ボリディス氏は、新エネ分野の投資環境整備や空港などの民営化には積極的だが、タクシーや美容師など身近なサービス分野の市場開放には慎重姿勢を見せていた。
NDのマキス・ボリディス氏は、インフラ・運輸・通信省の大臣を務めていた当時、「まずは、海外投資を呼び込める再生エネルギーや環境分野で事業環境を整備する。鉄道や空港の民主化も優先事項だ」と話す一方で、「不況の最中に、美容師やタクシーなどの市場開放を図っても、それがすぐに成長に寄与するとは思えない」と語り、全面的な規制緩和には慎重な姿勢も見せていた。
世界の潮流に逆行した“失われた30年”
ベレミス氏が、ギリシャ人が“キリギリス化”する転換点だったと位置付けた81年から、既に30年の年月が過ぎている。その間、ベルリンの壁が倒れ、東欧諸国は民主化され、ソビエト連邦も崩壊した。今や、世界は市場原理を軸にした熾烈なグローバル競争に飲み込まれている。一方、EU加盟後のギリシャは、こうした潮流に逆行するかのように、「最後のソビエト型国家」と呼ばれるほど社会主義的な政策に傾倒していった。
欧州がEU拡大と統一通貨ユーロの導入を進めたのは、グローバル競争に立ち向かうという目的が1つにあった。ところがその結果、西欧の一員であるギリシャがグローバル競争から完全に取り残され、ソビエト型国家に成り下がってしまったというのは、皮肉としか言いようがない。
ギリシャは5月6日に実施された総選挙の結果を踏まえて、新政権の下で再出発を切る。だが、ギリシャ危機は、今も欧州経済の火種として燻ぶり続けている。「ギリシャ人は働かない」と批判することは容易だが、ギリシャがEU加盟後の「失われた30年」を取り戻すことは容易ではない。
記者の眼
日経ビジネスに在籍する30人以上の記者が、日々の取材で得た情報を基に、独自の視点で執筆するコラムです。原則平日毎日の公開になります。
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大竹 剛(おおたけ つよし)
1998年、デジタルカメラやDVDなどの黎明期に月刊誌「日経マルチメディア」の記者となる。同誌はインターネット・ブームを追い風に「日経ネットビジネス」へと雑誌名を変更し、ネット関連企業の取材に重点をシフトするも、ITバブル崩壊であえなく“休刊”。その後は「日経ビジネス」の記者として、主に家電業界を担当しながら企業経営を中心に取材。2008年9月から、ロンドン支局特派員として欧州・アフリカ・中東・ロシアを活動範囲に業種・業界を問わず取材中。日経ビジネスオンラインでコラム「ロンドン万華鏡」を執筆している。
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IT・技術>熊谷徹のヨーロッパ通信
オランド勝利でさらに長期化するユーロ危機
メルコジの緊縮財政路線に「ノー」
2012年5月8日 火曜日 熊谷 徹
ユーロの将来を左右する2つの選挙
5月6日、ヨーロッパで2つの重要な選挙が行なわれた。フランスの大統領選挙の決選投票では、フランソワ・オランド氏が当選した。ギリシャ国民議会選挙では、極左政党が得票率を前回の選挙の3倍に増やして躍進。現在連立政権を形成し、EU(欧州連合)が求める緊縮政策を支持している新民主主義党(ND)と全ギリシャ社会主義運動(PASOK)は大幅に得票を減らした。両党の得票率は合計で40%に満たないことが判明した。PASOKとNDは、他の政党の支持を得なければ議席の過半数を確保できない。このため、ギリシャ政局の混乱は避けられない状況だ。EUが要求する緊縮政策が実行されるかどうかも、未知数となった。
ヨーロッパでは、これらの選挙の結果がユーロ危機の行方、EU諸国の公的債務危機との戦いに大きな影響を与えるという見方が有力だ。ドイツのメルケル首相は、ユーロ加盟国に財政規律の強化と緊縮を強く求め、拡張的な財政政策を拒否してきた。フランスとギリシャの有権者はドイツの路線にはっきりと「ノー」の意志を示したことになる。
今後ドイツに対しては、「財政規律の強化だけではなく、景気刺激と経済成長を重視する政策も取るべきだ」という圧力が高まる。これは一部の国々で、公的債務が再び増加する危険を意味する。また中央銀行の独立性を重視するドイツは、欧州中央銀行が過重債務国を直接支援することを拒否してきた。この姿勢を変更するよう求める声が、ユーロ圏内で高まるだろう。
だが財政規律や緊縮策は、ギリシャやスペインが経済構造を改革して借金への依存度を減らすために、避けて通ることができない道である。フランスとギリシャの選挙結果は、南ヨーロッパの過重債務国に対する財政健全化のための圧力が弱まることを意味する。そして経済成長を促すための拡張的な財政政策・通貨政策の財源は、新たな借金である。このためドイツでは、今回の選挙結果のために、ユーロ危機との戦いがさらに長引くことになるのではないかという悲観的な見方が浮上している。
まずフランス大統領選挙の影響について、分析する。
景気刺激策を求めるオランド氏
オランド氏が次期大統領に決まったことは、ドイツのメルケル首相に複雑な感情を与えているに違いない。サルコジ氏の落選で、彼女はユーロ危機との戦いにおける重要な盟友を失ったからだ。
サルコジ氏は「メルコジ」というあだ名を付けられるほど、メルケル首相の緊縮路線を強く支持してきた。両国は、ユーロ圏だけでなくEUのリーダー格としてスクラムを組み、南ヨーロッパの過重債務国に節制を強いる政策を次々に実行してきた。だがオランド当選によって、独仏蜜月の時代、特にユーロ危機への対処の方法をめぐる両国の強固な団結に大きな変化が生じることは確実だ。メルケルは、ユーロ圏の中で孤立を深めるだろう。
オランド氏は、英国を除くEU加盟国が昨年12月に合意した「財政規律協定」を見直す方針を選挙戦の中で打ち出している。彼は「ギリシャやスペインの状態を見れば明らかなように、ドイツ主導の財政規律の強化や緊縮策だけでは、不況が悪化してユーロ危機の解決が遅れる。緊縮策と並行して、経済成長を促すための政策を強化するべきだ」と考えている。
そして、EUに対して、加盟国に緊縮策を要求するだけではなく、加盟国の景気回復を助けるために、拡張的な支援策を打ち出すことを求めている。オランド氏が考えているのは、公共事業などによる景気刺激策だろう。彼は、4月12日のサルコジ氏とのテレビ討論で、景気刺激策の財源を新たな債務によって調達することを明言している。
欧州中銀の改革も要求
さらにオランド氏は、欧州中央銀行の改革も検討している。彼は5月2日にフランスのテレビ局とのインタビューの中で、「欧州中銀は、民間銀行に対してではなく、今年7月に発足する緊急融資機関・欧州金融安定メカニズム(ESM)に対して融資するべきだ」と述べている。オランド氏は、「欧州中銀が1%の低利で民間銀行に融資しているのに、民間銀行が6%の金利でスペイン政府に融資するのは理不尽だ」と主張した。欧州中銀は現在、加盟国政府に直接融資することを禁じられている。オランド氏は欧州中銀を改革して、過重債務国が成長戦略を取るのを支える立役者にしようと考えているのだ。
ドイツ政府は、オランド氏の方針に強く反対するだろう。メルケル首相は「EU財政規律に関する条約をすでに批准した国もあるので、この協定の変更は不可能だ」という姿勢を打ち出している。
ドイツは、ギリシャやスペインに対する融資額・保証額の約27%から29%を負担している。これはEU加盟国の中で最大の比率だ。このためドイツの政治家や経済学者の間では、「過重債務国だけでなく、すべてのユーロ加盟国が公的債務や財政赤字を減らすために緊縮策を取るのは当然」という意見が強い。それどころか、ドイツがEMSに参加することについて、懸念すら高めている。「ドイツは他の加盟国の債務を肩代わりさせられることになるのではないか。欧州通貨同盟は債務同盟に変質する」。
オランド氏の求める景気刺激策を実行した場合、ユーロ圏の公的債務が再び増加する可能性がある。
さらにドイツ政府は、欧州中銀が政治からの独立性を保つことを極めて重視している。これは、ユーロ導入まで、この国の通貨政策を取り仕切ってきた連邦銀行(ブンデスバンク)が政治の介入を拒否し、マルクの信用性を高めることに成功した経験に基づいている。欧州中銀は昨年、ギリシャやイタリアの国債を買い上げて、これらの国々の政府のために援護射撃を行った。この時ドイツの連銀関係者は「国家への間接的な融資だ」と厳しく批判。ヴェーバー連銀総裁ら2人が、抗議の姿勢を示すために欧州中銀の理事を辞任した。このエピソードは、欧州中銀を景気刺激や国家への融資に使うことへの反対が、ドイツ国内でいかに強いかを示している。
もしもオランド氏が大統領就任後に、「欧州中銀によるユーロ加盟国政府への直接融資を可能にするべきだ」と主張した場合、ドイツ政府との全面衝突につながる可能性もある。
また去年、EUのバローゾ委員長やイタリア政府などがEU共同債(ユーロ・ボンド)の発行を提案したことがある。ギリシャやポルトガルなど過重債務国の資金調達コストを引き下げるためである。
だがドイツ政府が「ユーロ・ボンド発行は一部の国の債務をユーロ圏加盟国全体に負わせることにつながる。これは、リスボン条約に定められたNo bail-out clause(救済禁止条項)に違反する」と強く反対したため、実現しなかった。これに対しオランド氏はテレビ討論の中で「ドイツがユーロ・ボンド発行に同意するように説得する」と述べている。彼が大統領に就任した後、ユーロ・ボンドをめぐる議論が再燃する可能性がある。
フランス大統領選の3日前にバルセロナで開かれた欧州中銀の理事会の後、マリオ・ドラギ総裁は「経済成長のための協定と、財政規律協定は矛盾するものではない」と述べて、ユーロ加盟国の経済成長を支援することに前向きな姿勢を示した。このように、景気刺激策を求める人々による「ドイツ包囲網」は、じりじりと狭められている。ドイツ政府も、過重債務国の財政健全化と経済構造改革を最重視する政策から、経済成長を促進する政策に重点を置かざるを得なくなるかもしれない。
もちろん、オランド氏も財政規律協定への批判を、大統領就任後は若干弱めるかもしれない。この批判には、サルコジ氏に差をつけるために選挙戦で展開したレトリックという面もある。「ドイツとフランスの意見が決裂」という見出しが新聞に載った場合、金融市場で過激な反応を引き起こす危険がある。例えばオランド氏が第1次投票で勝った翌日の4月23日には、フランスの平均株価指数CAC40が、2.83%下落した。このような事態を避けるために、独仏政府は、今後表面的には協調路線を前面に押し出すだろう。しかし水面下では、独仏政府間の「痛みを伴う改革か? 借金による景気刺激か?」をめぐる論議が、激しく行われるに違いない。
サルコジ氏の下で悪化したフランス経済
フランスには、オランド氏が「反緊縮政策」の旗を掲げ続けなくてはならない、国内事情もある。それは、4月22日の第1次投票にはっきりと表われた、フランス市民の強い不満である。
この日、私はパリの中心部にいた。「強いフランスを」と書いたサルコジ氏の選挙ポスターと、「今こそ変革を」と大書したオランド氏のポスターが、町の至る所に貼られていた。町の各所に設けられた投票所に、人々が次々と吸い込まれていった。
第1次投票でフランスの有権者は、サルコジ氏に屈辱的なパンチを与えた。第1次投票における彼の得票率は27.06%で、オランド氏の得票率(28.63%)を下回った。現職の大統領の得票率が第1次投票で対立候補のそれを下回ったのは、戦後フランスで初めてである。
フランス人の間からは「サルコジとオランドのどちらについても、満足していない。しかし富裕層を優遇して、庶民には緊縮策を押し付けたサルコジは特に嫌いなので、オランドに投票した」という声をよく聞く。
フランス大統領選・主な候補者の第1次投票の得票率
(2012年4月22日)
候補者 政党 得票率
フランソワ・オランド 社会党(中道左派) 28.63%
ニコラ・サルコジ 国民運動連合(中道右派) 27.06%
マリーヌ・ル・ペン FN(極右) 18.03%
ジャン・リュック・メランション 左派党(極左) 11.14%
フランソワ・バイル UDF(中道右派) 9.10%
エヴァ・ジョリー EELV(緑の党) 2.27%
サルコジ氏は2007年に大統領に就任して以来、目立った業績を上げることができなかった。債務や財政赤字を減らすために緊縮政策に重点を置き、公務員、特に教員の削減や、年金支給開始年齢の引き上げを提案した。これらは、多くの国民を怒らせた。
サルコジ氏の失政は、様々な経済指標にはっきり表れている。誇り高きフランスがいつの間にか、ドイツの後塵を拝するようになってしまったのだ。
フランス労働省によると、今年3月の失業者数は約312万人。11カ月間連続で増え続けている。ドイツの失業率が2010年から低下する一方で、今年4月に300万人の大台を割ったのとは対照的である。2011年のフランスの失業率は、ドイツより3.6ポイント高い。
元々パリはホームレスが多い町だが、今年1月と4月に行った時には、特に路上生活者の姿が目立った。ある日の夕刻、私はパリの裏町を歩いていた。あるパン屋の店員が売れ残りのパンをビニール袋に入れて路地のゴミ捨て場に出した。すると、4人の路上生活者たちがまるで犬か猫のようにゴミ袋にたかり、パンを奪い合っていた。これより以前に、人間が食べ物を求めてゴミ袋を漁っている光景を目撃したのは、1980年代末のニューヨーク・ハーレムだけである。「今日のフランスは、不況に苦しんでいた30年前の米国と似た状況にあるのか」という思いが、一瞬脳裏をよぎった。
ドイツとフランスの失業率・比較
資料・欧州連合統計局(2012年4月発表)
2011年のフランスの国内総生産(GDP)の成長率は1.7%で、ドイツ(3%)に大きく水を開けられた。2000年から2005年までフランスのGDP成長率はドイツを上回っていたが、2006年以降フランスのGDP成長率はドイツのそれを下回ったままだ。
去年フランスの貿易赤字は、700億ユーロ(7兆3500億円・1ユーロ=105円換算)。同国の歴史で最悪の水準に達した。ユーロ安であったにもかかわらずである。隣国ドイツが貿易黒字を2%増やして1581億ユーロ(16兆6000億円)に拡大させたのとは大きな違いだ。
ドイツとフランスのGDP成長率・比較
資料・欧州連合統計局(2012年4月発表)
ドイツとの格差の原因
ドイツのダイナミックな経済成長の原因の一つは、1998年に誕生したシュレーダー政権が、2003年以降、労働市場や社会保障制度を大幅に改革して、企業の人件費負担を減らしたことだ(関連記事「日本ができない「社会保障費の削減」に切り込む!」)。労働組合も、大幅な賃上げ要求を差し控えた。この結果、ドイツの単位労働費用(財やサービスを生産するためにかかる費用。労働者の報酬をGDPで割って算出する)は、2000年からの10年間に5.8%しか増えなかった。
これに対しフランス政府は抜本的な社会保障改革を行わず、労働組合はドイツを上回る賃上げを要求してきた。この結果、同国の単位労働費用は、同じ期間に22.7%も増えた。ケルンのドイツ経済研究所によると、2010年のフランス製造業界の単位労働費用は、ドイツのそれを13%上回っている。つまり過去10年間に、フランスの国際競争力はドイツに比べて、大幅に低下したのだ。ユーロ安にもかかわらず、フランスが2011年に大幅な貿易赤字に陥った理由は、ここにある。
この結果フランスの地方都市では、企業が生産施設を閉鎖して国外に移す例が増えている。例えば「ル・モンド・ディプロマティーク」紙は今年3月号で「フランスの大手自動車メーカー・ルノーが今年2月、モロッコに組立工場を開いた。同社としては世界最大のものだ。しかし、サルコジは拱手傍観しているだけだった」と指摘した。サルコジ氏が雇用の国外流出に対して有効な対策をとらなかったことを厳しく批判している。
現在EU域内では、「10年前に“ヨーロッパの病人”と呼ばれていたドイツは、痛みを伴う構造改革を断行し、現在では“ヨーロッパのスーパーマン”になった」という意見が高まっている。このため、サルコジ氏はオランド氏とのテレビ討論の中で、「フランス経済を再生させるには、ドイツが行ってきたような構造改革と緊縮策を実施しなければならない」と繰り返し訴えた。誇り高きフランスの大統領が「ドイツを見習え」と公言するのは、異例のことだった。
独仏の単位労働費用の比較
資料・欧州連合統計局
2000年の単位労働コストを100とする。
「反ユーロ」の極右政党、躍進
現在フランスでは、労働コストの高さのために、国外での生産比率を引き上げる企業が増え始めている。「産業の空洞化」は、フランスの庶民に最も大きな不安を与えている問題の一つだ。このことが、今回の選挙で、多くの労働者を過激勢力に走らせた。第1次投票で、極右政党フロント・ナショナール(FN)が躍進したことは、サルコジ陣営に衝撃を与えた。
FNは元外人部隊の兵士だったジャン・マリー・ル・ペンが1972年に創設した政党。ル・ペンは「アウシュビッツにガス室があったかどうかは、第二次世界大戦の歴史の細部にすぎない」と発言して、フランスの裁判所から罰金刑を受けたことがある。また「ヒトラーの台頭は通常の選挙によって達成されたのだから、民主的である」とも語っている。多くのドイツ人はこの人物を歴史修正主義者、もしくはネオナチと見なしている。
去年父親の跡を継いで党首に就任したマリーヌ・ル・ペンは今回の大統領選挙で、初出馬にもかかわらず、18.03%の得票率を記録、約640万人の有権者の支持を得た。5年前の選挙で父親が得た票を、ほぼ2倍に増やした。保守派のサルコジ氏は、パリ以外の地方、特に農村部でマリーヌ・ル・ペンに大量の票を奪われた。
彼女は「反EU」「反グローバル化」の旗手である。フランスのユーロ圏からの脱退と通貨「フラン」の再導入、国境検査とヨーロッパ諸国間の関税の復活、EU圏内の労働者の移住の自由の廃止を求めている。マリーヌ・ル・ペンは、産業の空洞化、移民流入、治安の3つをフランスが解決しなければならない緊急の課題として、選挙戦を展開した。このことが有権者の心をつかんだのだ。
世論調査機関が行ったアンケートによると、「マリーヌ・ル・ペンを支持する」と答えた労働者の比率は29%に達した。労働者の間ではFNへの支持率が最も高い。さらに年齢別に見ると、35歳から44歳の働き盛りの有権者の間で、マリーヌ・ル・ペンに対する支持率が最も高くなっている(24%)。工場労働者など、労働集約型の産業で働く人々は、生産施設の国外移転を最も脅威に感じている。つまり、産業の空洞化で自分の職場がなくなるかもしれないと不安を募らせている労働者が、極右政党に票を投じたのだ。
この現象は、「la France des invisibles(目に見えないフランス)」の反乱と呼ばれた。つまり普段はニュースなどで脚光を浴びることがない、地方の労働者や農民たちが、サルコジ氏に痛撃を与えたというわけだ。
ちなみに左派党から立候補し、第1次投票で約11%を確保したジャン・リュック・メランションも、リスボン条約を改正して欧州中銀を改革することを求めている。FNと左派党の得票率を合計すると、約29%になる。つまり、フランスの有権者の30%近い人々は、「メルコジ」が進めてきたユーロ救済のための緊縮政策、「痛みを伴う構造改革」に反対する勢力を支持しているのだ。オランド氏の第1次投票での得票率は28.63%であり、ほぼ拮抗している。極右と極左の「反ユーロ派」は、フランスで無視できない勢力なのだ。
このように、ドイツ主導のユーロ救済策に批判的な勢力が国内で拡大している。したがってオランド氏は、サルコジ氏のように全面的にメルケル路線を支持するわけにはいかないのである。これまでドイツの厳格な緊縮政策を苦々しく思っていたギリシャ、イタリア、スペインなどの政治家たちの中には、オランド政権の誕生を歓迎する者も少なくないだろう。メルケル首相に同調しない政治家が、フランスで最高権力を握ったからである。
ドイツとフランスが対立する局面は、オランド政権の誕生によって今後増えていくだろう。私はユーロ危機が少なくとも今後10年間は続くと考えている。ギリシャなど南ヨーロッパの国々は、過去10年間にわたり、「甘い生活」にどっぷり浸かってきた。ユーロ加盟によって、低利の借金が可能になったからだ。10年間に及ぶ「借金依存症」の治療が、1年や2年で終わるわけがない。
これに加えて、メルケルの緊縮路線に満足していない「成長重視派」、オランド氏の勝利によって、債務危機との戦いは一層の長期戦になる可能性が高まったと言える。
次回は、債務危機の台風の目の一つである、ギリシャの選挙の影響を詳しく分析したい。
熊谷 徹(くまがい・とおる)
在独ジャーナリスト。1959年東京都生まれ。早稲田大学政経学部経済学科卒業後、日本放送協会(NHK)に入局、神戸放送局配属。87年特報部(国際部)に配属、89年ワシントン支局に配属。90年NHK退職後、ドイツ・ミュンヘン市に移住。ドイツ統一後の変化、欧州の安全保障問題、欧州経済通貨同盟などをテーマとして取材・執筆活動を行う。主な著書に『ドイツ病に学べ』、『びっくり先進国ドイツ』『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』『顔のない男―東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』『観光コースでないベルリン―ヨーロッパ現代史の十字路』『あっぱれ技術大国ドイツ』『なぜメルケルは「転向」したのか――ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。ホームページはこちら。ミクシィでも実名で日記を公開中。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120507/231717/?ST=print
オランド氏当選、欧州緊縮策の終えん意味せず 独の抵抗続く
2012年 5月 7日 9:42 JST
【ベルリン】フランスの大統領選挙で社会党候補のフランソワ・オランド氏が当選した結果、欧州の緊縮策の時代が近く終わりを告げるとの予測が強まっている。しかしそれをまともに信じるべきではない。
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AFP/GettyImages
オランド氏の当選に沸く社会党支持者(6日、パリ)
当選の夜の興奮が収まるころには、欧州の政策が大きく転換するとの一部の期待は、危機の時代のユーロ圏の政治という冷たい現実にとって替えられるだろう。つまり、ベルリン(ドイツ政府)が欧大陸の財布のひもを牛耳っているという現実だ。
緊縮路線の転換には、欧州の唯一の健全な経済大国であるドイツの支持が不可欠だ。しかしドイツのメルケル首相と同国政府は、ドイツ国民の抵抗を恐れており、フランスの大統領に誰が当選しようとも、緊縮路線の要求を緩めることはしないと最近数週間はっきり強調している。
例えばドイツ連立政権の一角である自由民主党(FDP)の財政政策専門家フォルカー・ウィッシング氏は「われわれはこれまで同様、この問題では譲歩しない」と述べ、「われわれは通貨(ユーロ)安定のために戦う。ドイツに関しては通貨を弱める可能性は全くない」と強調した。
欧州経済政策を牛耳っているのはメルケル首相と、同首相と連携している欧州中央銀行(ECB)のタカ派だ。そしてメルケル首相と同様に、ECBのドラギ総裁とドイツ連銀のワイドマン総裁は欧州構造改革を緩めたり、財政刺激策をとったり、ユーロ共同債を発行したりすることに反対している。
それでも、欧州の有権者の不満にもかかわらずドイツが強硬路線をとれば、フランスやユーロ圏のその他の国の反発を呼び、ユーロ防衛努力が損なわれる恐れもある。債務危機以前、ユーロ導入によってどれほど自らの国家主権を犠牲にするかを自覚している欧州の人々は少数だった。しかし過去2年間、ギリシャ、スペインなど苦境に陥った国では、ドイツの政治的・経済的な影響力が高まるにつれ、自国政府の力の欠如を深く自覚するようになった。
予想通り、ドイツのショイブレ財務相がユーロ圏の危機対応策を形成する場であるユーロ圏財務相会合の議長に就任すれば、欧州の諸政策に対するベルリンの影はさらに大きくなるだろう。
ドイツの政府当局者は既に、欧州金融安定基金(EFSF)を含めて、欧州の危機克服の枠組みにおいて重要な舵取り役になっている。
欧州の緊縮路線をやめようという欧州の一部政治家たちの要求の邪魔をしている障害は、決してドイツだけではない。投資家たちも、欧州が債務問題を克服してユーロを防衛できるか疑問視し続けている。
欧州が緊縮路線から逸脱すれば、金融市場でさらにユーロ売りを引き起こし、欧州各国政府による資金調達が高くつき、信用格付けが一層格下げリスクにさらされる公算が大きい。
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Bertrand Guay/Agence France-Presse/Getty Images
Mr. Hollande was seen on a large television screen outside his party's headquarters.
フランスの大統領に当選したオランド氏は、欧州南部諸国のチャンピオンとして支持者たちに持ち上げられている。欧州南部諸国は、ドイツの緊縮路線という処方せんによって苦境に追い込まれている国々だ。
しかしオランド氏自身、ユーロ圏を緊縮路線から成長路線にシフトする具体策をほとんど提示していない。これは、欧州のレアルポリティーク(現実政治)と金融市場の圧力によって説明がつく面がある。
オランド氏は、欧州の「財政協定」の変更を呼び掛けた。同氏はその代わりに、欧州の弱い経済国に資金を融通するような「成長協定」の創設を訴えた。財政協定は、ユーロ圏の債務危機を解決するためのメルケル首相の政策の柱だ。
しかし、ドイツの実質的な支持なくして、このようなイニシアチブは張り子のトラにとどまる公算が大きい。
もしオランド氏がケインズ流の景気刺激プログラムに着手すれば、金融市場は財政再建というフランスの約束に対する信頼を失うだろう。借入コストを低く抑えるフランスの格付けも、リスクにさらされるだろう。
ドイツの世界経済研究所の主任エコノミスト、ヨアヒム・シャイデ氏は「オランド氏がその要求を最大限確保でき、欧州であらゆるものをひっくり返すことはないだろう」と予想している。
メルケル首相は、フランス大統領選挙でサルコジ大統領を支持していたが、オランド氏の下でもフランスとの提携関係を温存する意向を示唆している。ドイツとフランスは、オランド氏のメンツを立てるようなある種の成長協定を締結する公算が大きいが、メルケル首相の欧州政策を脱線させるようなことはしないだろう。
欧州の中道左派の間で人気のあるユーロ共通債に対するドイツの抵抗姿勢は変わらないだろう。ドイツ政府は、このような債券を発行すれば、ドイツは近隣諸国の債務を実質的に保証することを余儀なくされるわけで、ドイツ自身の安定をも損なう恐れがあると警戒している。
記者: William Boston、Matthew Karnitschnig
http://jp.wsj.com/World/Europe/node_438116?mod=WSJWhatsNews
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