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これが「利益相反天国」の日本の実態
「投資家の利益が第一」なくして金融立国なし
安東泰志 [ニューホライズン キャピタル 取締役会長兼社長]
「金融立国を目指す」という場合に、何が重要なのか。連載第2回で検証したように、2010年6月に政府が公表した「新成長戦略」の中の金融戦略関連の具体的施策は、総合取引所の創設など極めて皮相的なものしか含まれていない。
政治家や関係官庁の姿勢も、わかりやすく意訳してしまえば、「メガバンクをどのようにコングロマリット化するか」「地域金融機関をどうやって維持して、中小企業を生き永らえさせるか」ということに尽きている。しかし、もし「金融立国」の意味するものが「東京を世界に冠たる金融市場のひとつにする」というものであるならば、明らかに方向性が違っている。
国際金融市場の2つの条件
そういう国際市場であるための条件は2つある。ひとつは市場参加者の多様性、もうひとつは十分な投資家保護である。
市場参加者の多様性とは、国籍や金融機能の差別なく、皆に開かれたマーケットであるということだ。もっと分かりやすく言えば、邦銀、特にメガバンクを太らせるという政策ではなく、証券・独立系PEファンド・ノンバンクなど、世界の多種多様な市場参加者が競って東京に拠点を構え、人を雇い、企業の資金調達を仲介することによって、アジアの橋頭堡として東京が世界に認められることなのだ。
しかし現実は、近年、多くの外資系金融機関がアジアのヘッドオフィスを香港やシンガポールに移転し、東京では多くの人員解雇が起きている。東京はアジアのローカルマーケットになってしまっているのが現実であるにもかかわらず、これに対する危機感が、政治や官庁に共有されているとは到底思われない。事実上の世界共通言語である英語への取り組み、香港やシンガポポールと比べた税制面での劣後、そして何よりも当局の姿勢が、こうした状況を生んでいるのではないだろうか。
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投資家保護についても同様だ。金商法(金融商品取引法)の制定によって、日本でも投資家保護の法制は強化されたかもしれないが、実際のところ、市場参加者の意識がついていっていない。連載第18回でも述べたように、経団連はコーポレートガバナンスの強化に反対の姿勢であるが、これは株主・投資家というステークホルダーの意見を反映したものとは到底言えない。経営者の利益が投資家より優先されているのだ。
日本で投資信託を買えば、非常に高い販売手数料や信託報酬を取られたうえ、元本取り崩しによるものと利益配当をごちゃまぜにした、見せかけの「毎月分配の高配当」で、お客を釣るような販売までもが許されている。金融商品を売る金融機関の利益の方が、投資家より優先されているのだ。
最近では、銀行による事業会社の株式保有を5%以下に制限する独禁法・銀行法の規定を緩めようというような、とんでもない議論まで出てきている(4月18日付日本経済新聞)し、オリンパスでは結局、銀行が送り込んだ役員がそのまま承認された。
優越的地位濫用による銀行と株主の利益相反は、投資家保護という点では最も基本的な問題なのに、この有様だ。日本人は「利益相反」という概念に余りに鈍感である。その結果、日本では数多くの利益相反問題が継続的に投資家の利益を損なってきた。投資家からの信認が得られなければ、東京市場を舞台とした資金仲介は発展しない。政治や官庁の意識を「投資家の利益が第一」くらいに変えなければ、東京市場に未来はない。
利益相反の典型例
日本の金融は、利益相反の巣窟である。以下に典型的な例だけを俯瞰してみたい。
(1)銀行系証券会社と株主
連載第3回でも触れたが、日本の銀行は世界の潮流に逆らうかのように、金融コングロマリット化を進めている。銀行による証券業務への参入は段階的に進められ、今では多くの銀行が証券会社を子会社にしている。銀行と証券の間にはいわゆる「ファイアーウオール(弊害防止)」規制があったが、これも近年の規制緩和で、実質的には撤廃されたに等しい。
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たとえば、以前は顧客の同意なしには顧客の非公開情報は、親銀行と共有できなかったのだが、現在では「オプトアウト方式」といって、「顧客がノーと言わない限りは、情報が共有されてしまう」仕組みも採用できる。親銀行と証券会社の役職員の兼務も、以前は認められていなかったが、現在では認められている。
歴史的に見て、日本の銀行は企業に対して強大な影響力を保持している。その銀行が証券会社との間で人や情報を共有してしまうと、当然に利益相反の芽が出てくる。たとえば、銀行から融資を受けている企業は、資本市場から資金調達をしようとすれば、当然のようにその銀行系の証券会社を主幹事にするように「紹介」を受けることになる。
また、資金運用をしようとすれば当然、その銀行系の証券会社を使うように「紹介」されるだろう。もちろん、銀行は「要請」するわけではないし、ましてや無理強いするわけではない(それをしたら独禁法の「優越的地位の濫用」になってしまう)。しかし、日本市場においては、そこに「あうん」の呼吸が存在することは、誰にも否定できないことだろう。つまり銀行の取引先は、最も有利な証券会社を選ぶ自由を半ば奪われているに等しい。
最善の選択ができないこと自体が、当該企業にとっては銀行取引と自社株主等との間の利益相反なのだが、もっと直接的に銀行による利益相反が起きかねないのが、債権保全と起債の問題である。
たとえば、業績不振企業向けの融資がある銀行があったとする。その債権を保全するために、当該企業の資本増強が望ましいというようなケースは多々あるだろう。その時、起債を銀行系証券会社が主幹事・幹事として取り扱うことをどう考えるか。ましてや、その起債による調達資金が、銀行の融資回収に充当されたとしたら、どうだろうか。
これは決して絵空事ではない。2006年7月、JALが株主総会直後の取締役会で発行株式数が約4割も増える大規模増資を行なって、株価が急落した事件があったことは記憶に新しい。そのタイミングや手法も大問題であるが、この公募増資の主幹事証券が、JALのメインバンク系の証券会社であったことも見逃せない。
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(2)銀行とファンドの投資家
ここまで、銀行と「銀行系証券会社」の間の利益相反の可能性について触れてきたが、さらに悪質なのが、銀行と「銀行の影響下にある投資ファンド」の間の利益相反である。筆者が、ここで敢えて「銀行系投資ファンド」と言わなかったのには理由がある。「銀行系」と言えば、銀行がその投資ファンドの運営会社に出資をしているか、あるいは、役員を送り込んでいるようなものが想定される(それは論外であるが、実在する)。
しかし、実際には、銀行は、投資ファンドの運営会社に出資や役員派遣をしなくても、実態的に影響力を及ぼし得るのだ。たとえば、銀行が投資ファンドの運営会社の株を持っていなくても、銀行の役員OBがその運営会社の運営に携わっているとか、何らかの有形無形の合意によって、投資行動が実質的にコントロールされているようなケースがこれに該当する。
さて、ここで(1)と同様のケースを想定していただきたい。業績不振、ないし財務に問題がある融資先(その背後に粉飾があるケースも多々ある)に対して、こうした「銀行の影響下にあるファンド」が増資をし、それによって債権の保全が図られたり、融資が回収されたりしたとしたらどうだろう。投資家の資金が銀行の利益(債権保全)のために使われたことにならないだろうか。
誤解のないように補足するが、筆者は、銀行と投資ファンドが協調関係を維持することは非常に大切だと考えている。株主と債権者という2大ステークホルダーが協力してこそ、企業の再生や成長が実現できることに疑いはない。しかし、だからこそ、そこには規律が必要なのだ。
ファンドはあくまでも投資家の利益を第一に考える忠実義務を負っている。銀行は債権保全を第一に考える。ここには明らかな利益相反があるのだから、両者の間には協調と共に一定の緊張感・対立関係があるのが正常な姿のはずである。そうでなければ、日本に健全な投資ファンドは育たないし、そもそも日本の投資ファンドにお金を投じる投資家など、世界の中に一人もいなくなってしまうであろう。それは、資本性の資金を必要とする日本企業のみならず、融資先の財務を健全に保ちたい日本の銀行にとっても不幸なことだ。
次のページ>> ファンド運営会社と投資家の間の利益相反
(3)ファンド運営会社と投資家
ファンド運営会社を一般にGP(General Partner)、その投資家のことをLP(Limited Partner)と呼ぶ。GPはLPに対して、その利益を極大化する忠実義務を負っている。ところが、このGPが、自分個人や自分の出身企業が関係する事業に投資をしたり、特定のLP(たとえばGPの株主)の利益を優先して投資運営したりすることがあれば、それはGPとLPの間の利益相反である。
よって、投資ファンドのGPは、特定の事業会社や金融機関から独立したものであることが望ましいのだ。もっと言うならば、LPの利益とGPの利益が一致していることが望ましい。すなわち、LPが儲かればGPやそのパートナーも儲かるという成功報酬の仕組みである。
ところが日本社会では、独立系のGPやそのパートナー個人が儲けることに対しての抵抗感が強いようであり、また、日本の投資家の側も、「一流企業の傘下にあるファンド(役員はその企業の給与体系で仕事をする)の方が信頼できる」などと考えがちである。よってGPの多くが事実上、特定の商社や金融機関などの系列に入っているのが現状だ。
それではLPの利益を極大化しようというインセンティブが、GPに湧いてくるはずがない。つまり、日本社会には、もともとGPとLPの間に利益相反を生む風土があるのだ。
(4)証券会社と投資家
証券会社と投資家の間にも利益相反のリスクが常に存在する。たとえば、M&Aのアドバイザーをしつつ自己投資部門が投資をするとか、株式公開の主幹事証券が未公開株を引き受けて、上場時に売り出す際などには、投資家との利益相反が発生し得る。
次のページ>> 年金受給者の利益より大手金融機関の利益が優先
また、一時、証券会社が投資ファンドを保有し、または、自己資金によるバイアウト(企業買収)ディールを活発化する動きがあったが、これも株式の取得や売却に際して利益相反取引の温床となる。さらに、AIJ問題では、投資顧問の下に証券会社があったため、親会社の利益のために投資家の利益が犠牲にされた面がある。
(5)総幹事と年金受給者
これは先々月のAIJ関連記事で触れたことであるが、日本では信託銀行や生保など事務受託を行なう金融機関が「総幹事」となり、事務代行の見返りに大きな運用シェアを取っている。
しかし、本来、年金の委託者(年金基金など)は、年金受給者の利益のためにベストの運用先選定を行なうべきである。いわば寡占的な幾つかの大手金融機関の利益が、年金受給者の利益より優先されているのである。
(6)MBOにおける経営陣と株主
MBO(マネジメントバイアウト)は、本来は企業価値の向上を通じて株主の利益を代表すべき取締役が、自ら株主から対象会社の株式を取得することとなり、必然的に取締役についての利益相反構造が生じる。
そして、取締役は、いわばインサイダーであるから、対象会社に関する正確で豊富な情報も持っているため、株式の買付者側である取締役と株式の売却者側である株主との間に、情報の非対称性も存在する。この問題に対しては、2007年に企業価値研究会からガイドラインが出されているが、今後ともMBOのたびに問題にされるポイントであろう。
利益相反の一掃こそ第一歩
冒頭に述べたように、現在の政策の方向は、金融機関、特に邦銀をコングロマリット化する方向に向いている。しかし、金融機関が巨大化し、銀行・証券・信託・ファンドなどに業務が多角化すればするほど、利益相反の芽がどんどん生まれてくる。
次のページ>> 地銀の利益のための単なる問題の先送り
一方で、地銀には自ら企業再生ファンドを設立させたり、自らが融資先の株式ないし劣後ローンを保有する方向の政策が取られつつあるように見受けられる。だが、これでは企業再生という課題の抜本的な解決策にならず、地銀の利益のための単なる問題の先送りであるため、本来最も尊重されるべきファンドの投資家(その一部は国民の税金が使われる政府系機関であることが多い)の利益も損なうものである。
銀行の利益から完全に独立した、十分な経験のある企業再生ファンドが「真水」を企業に注入し、経営改善に汗をかいてこそ、企業は再生し、結果的に地銀のためにもなるのだ。
東京市場を世界に冠たる金融市場にしたいのであれば、当局は、「投資家の利益が第一」の姿勢を貫かなければならない。そのためには、利益相反の温床を取り除き、なるべく相互に牽制の効く多様な金融機能を東京に育てることこそ、日本が歩むべき道である。
質問1 我が国の金融市場は「投資家の利益が第一」となっている?
なっている
あまりなっていない
全くなっていない
わからない
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