http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/852.html
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(回答先: 6日のギリシャ総選挙、結果次第ではユーロ圏離脱も=与党党首 緩和的政策引き続き必要、景気悪化招くリスク 投稿者 MR 日時 2012 年 5 月 05 日 13:07:05)
「嘆きのギリシア〜700ユーロ世代の真実〜」NHKBS1
ドキュメンタリー番組のプロデューサー、上田未生(みお)氏に最新作について聞いた。今夜10時からNHKBS1で放送される「嘆きのギリシア〜700ユーロ世代の真実〜」である。番組概要は次の通り。
「ヨーロッパの経済危機の発火点になったギリシャ。社会保障の手厚さにひきかえ、国民の労働意欲が低いことが財政危機の原因と国際社会から非難されてきた。しかし、若者の二人に一人は失業、かろうじて職にありついても、月700ユーロ足らずしか稼げない実情があった。彼ら20代〜30代の若者たちは700ユーロ世代と呼ばれている。
11年前、EUの共通通貨ユーロ導入を機に、外国から大量の資金が流れこみバブル経済に突入していったギリシャに、多額の債務が発覚したのは3年前のことだ。その債務の多くは、使途不明金。「僕らが返済する借金は、いったい誰が何に使ったものなのか!」700ユーロ世代が、債務の開示を求めて、立ち上がった。債務の実態を追及する若者たちに密着、彼らの訴えから、ギリシャ危機の真実を見つめる。 」
上田氏によると、今回、バブル経済の真実をつきとめようとするギリシアの若者たちには日本の若者と通じるところが少なくないと思われたという。現地取材をしたディレクターは700ユーロ世代と同世代で、いわゆるロストジェネレーションと呼ばれてきた世代だ。
「ギリシアの若者たちが事実が何だったのかつきとめようとするのですが、問題があまりにも大きく、謎が多いのです。相手が大きすぎるという状況です。しかも、ギリシアの場合、破たんするスピードが速く、激しいのです。ですから、ギリシアの多くの若者たちは海外に流出しているのが実情です。一方、国にとどまった若者たちは未来を感じることができないでいます。ギリシアで取材したディレクターも700ユーロ世代と同世代なので、共感するところがあったのでしょう。」
NHKBS1「ドキュメンタリーWAVE」
4月14日(土)22:00〜22:49、
再放送4月16日(月)0:00〜0:49
村上良太の記事一覧へ
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201204141016516
ギリシャ「700ユーロ世代」の反乱
ヴァリア・カイマキ(Valia Kaimaki)
ジャーナリスト、在アテネ
訳:土田修
« 原文 »
「社会闘争の現場へようこそ。今から君は自分自身を守ると同時に、君の闘争を守る必要がある」。ギリシャ政界の長老で、左派の重鎮である80代のレオニダス・キルコスは、「現在デモをしている若者に何か言うことは」と聞かれ、こう答えた。
2007年12月6日、15歳のアレクシス・グリゴロプロスが警官に殺害された後、中学生や高校生、大学生が、アテネ、テッサロニキ(サロニカ)、パトラス、ラリサ、イラクリオンおよびハニア(クレタ島)、ヨアニナ、ヴォロス、コザニ、コモティニなど、ギリシャの多くの都市の街頭に飛び出した。これらのデモは自発的に組織され、SMS(ショート・メッセージ・サービス)や電子メールで集合の場所と時間が飛び交い、かつてないほど猛烈な怒りの爆発となった。
この反乱にはいくつもの原因がある。警察による弾圧行為は、そのうち最も見えやすいものにすぎない。アレクシスは最初の犠牲者ではなく、犠牲者の中で最若年だというだけだ。今回の反乱が醸成された土壌は、言うまでもなく経済崩壊にある。それは世界的な嵐が波及する以前からギリシャに襲いかかっていた。もう一つの原因は、深刻な政治危機だ。それは制度の問題であると同時に、心理の問題でもある。この政治危機は、政党と政治家の活動の不透明性を引き金として、あらゆる国家機構への不信にまで至っている。
アレクシスの殺害はいわゆる「逸脱行為」とはほど遠い。デモ参加者や移民が犠牲になり、関与者が処罰を受けることのないままの、数多くの殺人や拷問の一つにすぎない。1985年にも、ミハリス・カルテザスという15歳の若者が警官に殺害されたが、ザルよりもひどい穴だらけの司法制度によって、警官は無罪とされている。アテネの治安部隊が、他のヨーロッパ諸国の治安部隊と比べて突出しているわけではない。しかしギリシャでは、独裁政権時代の傷口が今なお開いたままだ。あの暗い7年間が、社会の記憶の深層にくすぶっている(1)。ギリシャ社会は他国の社会ほど簡単に暴力を許容しはしない。
その点が、2005年にフランス各地の郊外で起きた騒動とは大きく違う。当時、内務大臣だったサルコジ現大統領は、「法と秩序」という言い方に訴えることで、難局をうまく乗り切った。ギリシャでは、弾圧行為に対して統一戦線が結成され、右派政権の基盤を揺るがした。この戦線の先頭には、年端のいかない若年世代がいた。もっともなことだ。高校生活は勉強漬けの毎日で、その第一の目的は大学に合格することだ。大学入試は厳しく、すでに12歳から準備が始まる。首尾よく大学に入れても、卒業後は、月給700ユーロの職にありつければ良い方だという現実に直面する。
ギリシャには、こうした「700ユーロ世代」がかなり前から存在する。彼らの一部は、「ジェネレーション700」または「G700」と称する団体を結成して、自分たちの意見の表明や、無料の法律相談の提供といった活動に取り組んでいる。というのも、700ユーロを稼ぐ「チャンス」に恵まれた者も、雇用形態は個人請負でしかないからだ。有期雇用でさえもギリシャでは例外的だ。有期雇用には、フランスと同じように、社会保障やボーナス、解雇手当が伴うからだ。公共機関にも多い請負契約なら、労働法の埒外である。彼らの状況は「不安定な仕事」どころか、労働者の「レンタル」だとさえ言われている。
若者たちが激しく反発しているのは、こうした暴力的な雇用状態に対してだ。統計機関メトロン・アナリシスのストラトス・ファナラス所長は、次のように述べる。「景況指数も市民の期待値もかつてないほど悲観的だ。人々は絶望しており、状況が良くなるとは思っていない。しかも、そうした認識は社会階層や教育水準、性別とは無関係だ。1981年から月例報告を出してきた経済産業調査財団からも、けた外れに低い経済指標が出てきている」
若者たちの政治不信
こうした沈滞ムードの中で、一般大衆には状況分析の手段がない。そこに警察の暴力行為が起きたことで、彼らも受け身の態度を改め、政治的陣営の区分がはっきりするようになった。いつもは方向性の定まらない「人々が、あの殺害事件については、明らかに善悪二元論で捉えている。この悲劇によって、再び善悪の区別を付け、自分の立場を決めるようになったのだ」とファナラス所長は話す。
だが、こうした社会関与の姿勢が、政治関与の姿勢であるとは言えない。政治体制と政党に対する若者の不信はそれほど大きい。ギリシャの政治は、1950年代以来、3つの勢力によって取り仕切られてきた。政権を交替で担ってきたのは、新民主主義党(ND、右派)と全ギリシャ社会主義運動(PASOK、社会主義)の2大政党である。ギリシャ共産党(KKE、いわゆる「在外派」)は、スターリニズムの伝統があるため(2)、それらに替わる勢力とは見なされていない。
他方、いわゆる「国内派」共産党(1968年に結成)を軸とする急進左派運動の連合体(SYRIZA)には、若者たちとの回路がある。そのため、2007年9月の総選挙では得票率わずか5.04%にすぎなかったのが、6カ月後の世論調査では支持率13%に急伸している。
SYRIZAの中で最大勢力の左翼運動エコロジー連合(Synaspismos、旧左翼進歩連合)の代表選で、33歳のアレクシス・ツィプラスが選ばれたことも支持率を大きく押し上げた。目下の問題について独自の立場をとっているだけでなく、大統領のレセプション(3)に移民の若い女性を連れて行くなど「メディア受け」する言動が、一部の若者の共感を呼んでいる。SYRIZAは、瞬間風速的な支持が収まった現在も、8%の支持率を得ている。こうした変動を理解できないKKEよりずっと高い。
体制批判的左派の中での覇権争いの結果、KKEは、ND政権および国民正統派運動(LAOS、極右[4])と手を組んだ。SYRIZAを公然と「暴徒の吹きだまり」呼ばわりしてくれたからだ。政権側には、暴動の真の原因についての議論から世論の関心を逸らすのに、スケープゴートが必要だった。PASOKはと言えば、政権復帰の前倒しを狙っていることから、沈黙を守った。
現在の事態に関して、政府には大いに責任がある。2004年、政治の透明化を公約して、第一次カラマンリス内閣が発足した。カラマンリス政権は、歴代政権以上にスキャンダルにまみれてきた。汚職、豪勢な暮らし、縁故主義など、スキャンダルの種には事欠かない。最新の事件は、アトス山の修道院への国有地の違法な売却だが、その責任者はまだ明らかになっていない。この国は汚職まみれであり、何をやっても罪に問われることはないのだと、若者が考えるのももっともだ。「破壊行為」や放火を行う最も過激なデモ参加者は、バンダナや目出し帽で顔を隠しており、「覆面族」と呼ばれている。彼らが好んで集まるのが、アテネ市中心部のエクサルヒア広場、アレクシスが命を落とした場所である。警察は、この種の若者への仕返しを夢見ている。このギリシャ版「グリニッジ・ヴィレッジ」が(5)、アテネ工科大学の横にあるだけになおさらだ。そこは、1973年に若者が独裁政権に決戦を挑んだ場所である。アナーキストと治安部隊との対決は、昨日や今日に始まったことではない。
全世界のテレビに流された映像で特に目立ったのは、これらの集団による放火の光景である。注意深い視聴者なら、見慣れた光景と大きく違う点があることに気付くだろう。「暴徒」の数が以前よりもずっと増えていた。また、アテネだけでなく、全国各地の都市が舞台となった。さらに、そうした都市部での暴力行為は何日も続いた。つまり今回は、これまで大部分はアナーキズムと無関係だった多数の若者が、暴力行為に加わっていたのだ。あちこちに築かれたバリケードの背後には、13歳、14歳の中学生たちまでいた。
2つのでっち上げ
政府は「覆面族」の姿を強調し、「民主主義への侵害だ」と言い立てた。「いったい、どの民主主義のことを言っているのか」と、政府に抗議する人たちは反論する。中学生や高校生が警察署へ向けて投石したり、銀行支店の破壊に加わったりしたことは、紛れもない事実である。しかし、その数日前、数十万人の国民の貧困化に関心を払わない政府が行ったのは、銀行に対する280億ユーロもの資金提供だった。にもかかわらず銀行は、民間の債権回収会社を通じて、侮辱や脅迫、差し押さえといった手段により、少額融資の取り立てを進めている。
時として暴力的に表現された若者の怒りは、特段の政治的な期待を表しているわけではない。極左を除いた諸政党が運動の要求に耳をふさいでいる以上、それも仕方ないことではないだろうか。先のファナラス所長は「対話が開かれることもなければ、メッセージが受け取られることさえない。当然ながら、何かしらの結論が導き出されることもない。まるで若者が『破壊行為』に飽きれば反乱が終わると期待しているかのようだ」と話す。彼の予想では、デモ参加者の多くは自宅に戻るだろうが、それも次に何らかの口実による挑発を受けるまでのことにすぎない。一部の者たちは、暴力的な集団に引き込まれていくだろう。「以前、カルテザスが殺された後に起きた現象だ」とアレクサンドロス・イオティスは言う。元ジャーナリストで、アナーキスト的な共産主義グループの一員として、フランス、スペイン、ギリシャで活動していた経歴を持つ。「特に拡大したのが、テロリスト組織『11月17日』だった(6)」。活動からは引退したイオティスだが、デモ行進で若者が振りかざしていた旗の大部分が、赤と黒の組み合わせだったことを指摘する。
テレビをはじめとするメディアが流した政府のプロパガンダには、特に目に付く点が2つある。1つは事件の中で移民が果たした役割の強調だ。放火された商店からの略奪は、飢えた移民の仕業だと言うのだ。アジアでは「デモ行進し、破壊行動を行い、盗みを働くのは普通の出来事だ」というコメントが、テレビで流れさえした。だが、暴力を働いたのは他の誰にもまして、腐敗した政治体制に憤慨したギリシャ人たちだった。ロマ人が略奪に加わった主な動機は、警察による弾圧の忘れられた犠牲者である仲間の仇を討つことにあった。
略奪に走ったのは飢えた群衆であり、その大半はギリシャ人である。ある男子学生はこう評する。「新しい現象だ。以前、デモでは学生と労働組合が先頭に立ち、次いでSYRIZAを最後尾に政党が行進した。その後にアナーキストが来た。状況が緊迫すると、彼らはSYRIZAの列に紛れ込み、皆が一緒くたに警察にぶちのめされた。今ではアナーキストの後に、新たな集団が続いている。移民、麻薬常用者、窮迫者など、飢えた人たちだ。デモに行けば食べ物があると知っているからだ」
政府とメディアによる2つ目のでっち上げは、法を守り、暴徒を追い払うために、「腹を立てた市民」が相互連携したというものだ。事実は逆である。市民が追い払おうとしたのは警官だった。商店主は警官に「消え失せろ」とどなり、通行人は逮捕された中学生を救おうと警官に飛び掛かった。子供たちを自宅に引き留めておくことができないので、彼らを守るために両親や祖父母も一緒に街頭に繰り出した。そこにあったのは、報じられたものとはあべこべの世界だった。
今回の運動は長期化するのだろうか。「世界経済危機がじきにこの国に押し寄せ、若者の大半が社会の隅っこへ追いやられたままで、教育問題が一朝一夕には改善されず、政治家の汚職がすぐにはなくならない以上、火に油を注ぐ材料には事欠かないだろう」と、ジャーナリストで政治評論家のディミトリス・ツィオドラスは強調する。
今や、ギリシャだけの問題ではない。ギリシャの運動は国外への「輸出」に成功した。というか、他の国々の運動と同調した。そこにはもっともな理由がある。第二次世界大戦後初めて、自分の両親より良い生活を望めない世代が出現した。それは、ギリシャだけの現象というにはほど遠い。
(1) 1967年4月から1974年7月まで、ギリシャは軍事政権によって支配されていた。
(2) 第20回ソ連共産党大会が開かれ、スターリニズムの犯罪についてのニキータ・フルシチョフの秘密報告が出た1956年の時点で、ソ連は崩壊していたという見方を取っているほどである。
(3) ギリシャ民政復帰34周年の記念レセプション。
(4) この人種差別・反ユダヤ主義政党が2007年の選挙で議席を得たことで、1974年以来初めて極右が国会に復活した。
(5) グリニッジ・ヴィレッジは、ニューヨーク市マンハッタンの芸術家・学生街で、1960年代には、反体制的なアンダーグラウンド文化の中心地となったことで知られる。[訳註]
(6) この極左武装グループは1975年に創設され、2002年に壊滅するまで、数々の暗殺事件の犯行声明を出している。See Gilles Perrault, << La revanche des juges grecs >>, Le Monde diplomatique, May 2003.
(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年1月号)
All rights reserved, 2009, Le Monde diplomatique + Tsutchida Osamu + Fujiwara Aki + Saito Kagumi
http://www.diplo.jp/articles09/0901.html
ギリシャ‘700ユーロ時代’の挫折
○国内GDP4lを堅持、欧州共同体の優等生(ギリシャ)は、労働者階級と若者の悲惨な犠牲の上にのみ、築かれている。
○国民5名中1名の貧困層、 平均失業率8.9l、 30歳以下の労働者43.6lの平均月給は600〜700ユーロだ。
○韓国88万ウオン世代も、日本の200万円以下世代も、ギリシャ労働者と一緒だ。世界中の労働者階級が、資本家どもの容赦のない攻撃に立ち向かわなければならない時が来ている。
○ギリシャの青年労働者、学生の戦いは、12月19日も尚、全国に拡大し、ヨーロッパへ拡大の様相を見せている。」 (訳者注)
‘88万ウォン世代’(韓国の経済学者、ウ・ソクホンが名付けた、88万ウオンの平均賃金しかない非正規職の若者を指すー訳者注)とおなじく、過労・低賃金・借金に追い立てられた若者達が、少年の血を契機に石飛礫(いしつぶて)を持った。
“一杯に、4ユーロ(約7200ウオン)もするコーヒーを飲むお客さん達で賑やかな大学街のカフェを見ていたら、ギリシャの若者達には、特別な心配はない様に見える。しかし現実は、正反対だ。ギリシャの若い世代は今、危機に落ち込んでいる。欧州連合(EU)平均の、2倍を越える青年の失業率。ギリシャの若者達は未来に対する不安に苦しめられている。”参加ジャーナル
△‘ギリシャは戦争中?’一人の少年の死が触発したギリシャ市民達の憤怒が、ギリシャ全域の街を襲っている。去る12月8日、激烈な示威が繰り広げられたアテネ中心街で、覆ったまま火炎に包まれた、車両のそばを通っている。 (ロイター/イオルゴス・カラハリス)
四カ国語を駆使する者の月給、770ユーロ
‘700ユーロ世代。’ギリシャの若者達は、自らをこの様に呼ぶ。20台大半が無一文のところに、運よく仕事を手に入れたとしても、ひと月の平均賃金が、700ユーロ(現・交換率で、約126万ウオン)に達する事が出来ないと言うありさまだ。‘タナシス’と言うギリシャのネチズンは、自身のプログ(g700.blogspot.com)で‘700ユーロ世代’をこの様に定義した。“沈黙している多数の若者達。年は25歳から35歳まで。過労に駆り立てられ、低賃金に苦しめられ、借金にやつれ、不安定な日常にあえぐ人々。”ギリシャ公営放送<ERT>が去る5月末、放送した‘700ユーロ世代’関連放送の内容の一部を取り出してみよう。
“大学で言語学を専攻したチナ(32)は、4ヶ国語を流暢に駆使する。イタリアへ留学に出かけ学校を終えた後、安心な職場まで得たが、2004年アテネオリンピックの熱気の中で、故国に帰ってきたそうだ。問題は、それからだった。働き口を探すことは容易ではなかった。難しい中で秘書職に就職して貰っている月給は、770ユーロ。5歳になる娘を育て生活する事には、人生が重苦しいだけだ。
・・経営学徒出身であるイオルダニス(31)は、大学卒業後7ヶ月ぶりに働き口を得た。営業職だった。仕事は辛かったし、月給は680ユーロに過ぎなかった。父母の家で世話になるのも済まなく、結局ギリシャを離れる事とした。オランダで働き口を探した、彼の初めての月給は1700ユーロであり、アムステルダム中心街のコーヒーの値段は、1,2ユーロだった。
・・夫人と3歳、6歳の子女を持ったマノルリス(43)は、任用試験に合格しても、長い歳月正式教師の発令を受けることが出来なかった。時間制教師として働きながら、彼が受ける月給は340ユーロ、そのうえに、何月か、ごとに滞ることが常だ。夫人の給与と貸し出し、信用カード、そしてつつましく暮らす生き方で、それでも耐えている。子ども達が、病院でも行かなければならない状況になれば、それこそ致命的な打撃を受ける事となる。”
毎週60分間放送する<ERT>の看板時事プログラム、<国境なき報道>が追跡した探査報道の決定版だった。波長は大きかった。1996年初め、放送時からプログラムの取材・進行の責任を負ってきた著名な言論人、ステリオス・コロクルロが、釈然としない理由で放送社を去ることとなった。‘700ユーロ世代’関連放送を目前に、経営陣と摩擦を引き起こす有様に、契約期間延長時点が偶然にぴったし合った。放送社側は特別な理由なく、コロクルロとの契約延長を‘放棄’して、<国境なき報道>やはり6月に入って突然、看板を下した。‘700ユーロ世代’問題が、ギリシャ社会でねばり強い‘敏感性’を、端的にみせて呉れる事例だ。だから、彼らこそ、去る12月6日からギリシャ全域を覆っている怒った民心の‘背後’と見なすに値する。
△さる12月9日、ギリシャの高校生達が、アテネ中心街に構える国会議事堂前で、激しい示威を繰り広げている。(EPA/SIMERA PANTZARTZI)
過激示威と三発の銃弾
ギリシャで‘過激示威’は、決して珍しい事ではない。英国時事誌<エコノミースター>は、12月9日インターネット版で、“ギリシャ議会前には、一週間に、平均二つ程、順に各種示威が繰り広げられ、激しい示威はさまざまな暴力を同伴することもする。”とし、“1年にも何回毎に‘無政府主義者’を自認する若者達が、顔を隠したまま鉄パイプと火炎瓶を持って街に出て、示威鎮圧の警察と激烈な衝突を拡げる。”と伝えた。しかし、12月16日夜9時30分頃、ギリシャ首都アテネの真ん中で、15歳の‘無政府主義者’が、公権力の凶弾に命を失ったことは明らかに希な事だった。
事件が起きた場所は、所謂、‘無政府主義者’たちが、好んで訪れる地域であるアテネ中心街、エクサルチア地区だ。各層の示威が頻繁なこの場所では、事件当時にも激しい、若者達と鎮圧警察間の攻防が広げられていた。
事件直後、警察は、犠牲者一行が石と火炎瓶を投げて、‘防御’次元で虚空と地面に銃を撃ったと主張したが、現場目撃者達の証言は全く異なる。<カシメリニ>など現地言論と、外信などが報道した目撃者等の証言を基に事件を再構成して見よう。
息絶えた、アレクサンドロス・クリゴロポルロスは、命名の祝日(洗礼を受けた日)を記念する為に、友達とともにこの日の夜、遅くまで街を歩き回った。一行が事件現場に到着した時、一部示威隊が、何かを通り過ぎる警察巡察車に投げつけた。
巡察車は立ち止まり、車から降りた警官たちは、クリゴロプルロスと友達らに近付いて、罵詈雑言を浴びせて脅した。
オ怒ったクリコロプルロスは、からのプラスチック瓶を投げつけて、これに警察は銃撃で応酬した。皆で三発、中でも一発が少年の胸を貫通した。
病院へ運ばれた途中、少年は遂に息を引き取った。一部言論の大げさな振る舞いとは異なり、息を引き取ったクリゴロポルロスは、中産層の家庭出身で、示威に出た‘無政府主義者’ではなかった。
偶然な悲劇は、時として‘必然’に繋がる。そしてロプルロスの死が知られた直後から、ギリシャ全域が揺れ始めた。野火の様に、怒った民心は至る所で車両を燃やしたし、火炎瓶を飛ばしたし、商店のガラス窓を粉みじんにした。アテネを始めとする全国10余の都市で警察署と官公署が示威隊の攻撃を受ける事もした。クリゴロポルロスの葬礼式が開かれた12月9日には、高校生の数百名が、アテネ外郭周り地域で警察と衝突した。<ロイター通信>はこの日、“ギリシャ全域が、紛争地域を彷彿とするようになった。”と、伝えた。ギリシャ産業人連盟が集計した資料を見れば、示威事態5日目である12月10日現在まで、アテネでだけ、全部で565の店舗が破損され2億ユーロ相当の財産の被害が出た。
新民主党出身のコスタス・カラマンリス総理が、直接出て犠牲者家族達に謝罪した。パプルロス パプルロプルロス内務長官は、事態に対する責任を取って辞任した。しかし事態は手の付け様もなく、広がってばかり行く。<CNN>放送が運営する参加ジャーナリズムのサイト<アイリポート>で、一人のギリシャのネチズンは、このように書いた。“今回の示威事態は、ギリシャの若者達の憎悪と挫折の表現だ・・・これほど耐えてきたことが、かえって奇跡だ。”
5名中、1名が貧困層
去る2004年、執権した新民主党は、強力な緊縮政策で財政赤字を、欧州共同体がユーロ化採択地域に基準として提示した‘国内総生産(GDP)3l’の線で減らす事で専念した。欧州共同体は、当然にも賛辞を送ったが、ギリシャ市民達の不満は重なった。欧州共同体で、先頭圏である年平均4lの経済成長率を、維持してきたギリシャで、人口5名中1名に達する200万名ほどが貧困層だ。ギリシャ統計庁が公開した資料を見れば、30歳以下の労働者43.6lが平均月給600~700ユーロを受けている。経済協力開発機構(OECD)が、昨年発行した資料を見ると、2006年、ギリシャの平均失業率は8.9lだ。
それさえも“1988年以来最も良い記録”である事も、欧州共同体の平均である7.4lより1.5lポイントが高い。失業者の中で55lは長期失業状態であり、長期失業者の40lは29歳以下の青年だ。
殺人的な物価も桎梏だ。ギリシャの日刊<カシメリニ>は、去る5月17日分英文版の記事で、市民団体 消費者保護センター(KEPKA)が公開した資料によれば、“ギリシャの物価はドイツや、オランダに比べ66lも高く、目立っていた。”とし、“ギリシャ人たちは86まで、生活必需品に、ひと月平均215.70ユーロを消費する反面、同じ品目を買うのにドイツ人は、162.71ユーロ使うだけ”だと伝えた。新聞は、ギリシャ統計庁の資料内容によって“ギリシャ消費者は、1974年の民主化以後はじめて、食料品の費用を減らし始めた。”とし、昨年12月以後、持続的に貧困層の食料品支出が減少している”と伝えた。
△警察の銃撃で息を引き取った15歳の少年、アレクサンドロス・クリゴロポルロスの葬儀が、事件の4日めである12月9日、家族達の嗚咽の中 (REUTARS/OREG POPOV)
こんな状況で、地球村次元の景気低迷が切迫して来たが、重ね重ねに積まれてきた疎外階層の憤怒が、“パニック”として流れるのは当然であるかも知れない。これ以上、忘れる事もない‘700ユーロ世代’は、止まるところなく、街に溢れ出て来た。<英国・BBC放送>は“示威隊の大部分は、この示威事態が生涯初めての街頭示威の経験”だとし、“まさに、どの誰も、示威事態に対処する新民主党政権の無気力な事に驚いていない。”と伝えた。示威隊の暴力性には同意しない彼らさえも、彼らの憤怒くらいは共感すると言う。
国民を保護しなければならない政府が責任を放棄した時、感じる背信感、それが,終わり知れない憤怒として爆発しているものだ。
現在では、今回の事態が政治的妥協点を探すのは難しいと見える。第一野党である社会党のゲオルゲ・パパンドレオス代表は、すでに、カラマンリス総理の辞任と早期総選挙を要求してのりだした状態だ。昨年夏、山火事事態を早期に鎮火出来なくて国家的災難に直面した新民主党政権は、18ヶ月余が流れた今まで、再建も、森林復旧もやり遂げることが出来ていない。腐敗して、無能であり、大衆の信頼を全く得ることが出来ない政府として、烙印を押される理由の中の一つだ。示威事態が起こった時点も良くない。ギリシャ正教会側と一連の国有地売却・対等交換取引を進める過程で、政府高位人士が連座した腐敗疑惑が相次いで噴出してきたわけに、ギリシャ議会が去る10月末、真相調査委員会を構成し聴聞会が真っ最中だ。国会全体議席300席の中で、151席をもつ新民主党は、もはや世論調査でも社会党に4〜5lも覆されている。
統治不可から、統制不可へ
アテネの2,008年12月で、1968年5月のパリ(フランス・パリの‘学生5月革命’を指すー訳注)を思い浮かべるのは未だ早い。しかし、一つの枝は明らかに見える。
<BBC放送>は、12月11日インターネット版で、ギリシャ政論紙<カシメリニ>の社説の内容を引用し“少年の血が、複雑多端な抵抗と不満の勢力を、憤怒の、一つの隊伍に束ねてきた。”とし、“今までギリシャが、統治しにくい状況であったなら、今後は、統制自体が不可能な状態に至る事となること”と警告した。する事は、<ギリシャ人 チョルパ>の作家ニコス・カジャンチャキスは語った。“若者が抵抗しなければ、大体、世上がどんなに為ると言うのか”と。
(訳 柴野貞夫 2,008年12月19日)
http://www.shibano-jijiken.com/SEKAI%20O%20MIRU%20SEKAI%20NO%20SHINBUN%20121.html
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