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Q: 「経済的に豊かだ」という実感を持ちにくいのはなぜか
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投稿者 MR 日時 2012 年 4 月 25 日 14:51:10: cT5Wxjlo3Xe3.
 

Q: 「経済的に豊かだ」という実感を持ちにくいのはなぜか

   ◇回答
    □真壁昭夫  :信州大学経済学部教授


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       ■■ 編集長から(寄稿家のみなさんへ)■■

 Q:1259(番外編8)への回答、ありがとうございました。定宿のホテルの花壇
には、すでに一部開花しているツツジがありました。冬が寒かったせいでしょうか、
今年は梅が咲くのが遅かったように思います。わたしは、郷里の母とほとんど毎日メ
ールのやりとりをしていて、折々の花を添付するようにしているので、この数年、花
の写真を撮ることが多くなりました。ちなみに母は現在84歳ですが、80を過ぎてMac
を買い、まずキーボードに慣れてもらって、Thunderbirdでメールを送受信できるよ
うになりました。

 今年の梅の開花は、約1ヶ月遅れた感があります。梅も種類によって開花時期が違
うのですが、「枝垂れ梅(正式な名称はわかりません)」が咲くころには、もうすで
に桜が咲きはじめていました。以前のこのエッセイに書いたとおり、桜は苦手です。
桜の次はだいたいツツジのシーズンになり、そのあとアジサイが咲きはじめます。以
前は、植物には興味がなかったのですが、最近は、カメラを持って、犬の散歩のとき
に、近くの公園やご近所の庭にレンズを向けるようになりました。

 犬がいっしょなので、不審者として通報されることはありませんが、よそ様の庭を
撮影するのは緊張します。わたしは、人相や風体がどちらかといえば「怪しい」ほう
なので、なるべく「わたしは単に花を撮影しております」ということがわかるように、
建物にはカメラを向けないように心がけます。それにしても、春に、これほどいろい
ろな花がいっせいに咲くとは、これまで気づきませんでした。咲き誇る花に対し「き
れいだな」と思うことができるときは、神経が安定しているらしいです。今のところ、
春の花に対し、「きれいだな」と思うことができています。
 
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■今回の質問【Q:1260(番外編)】

 わたしは高度成長とともに育ちましたが、当時は、経済が成長し、豊かになってい
ることを日々実感することができました。今は、あのころより経済規模が格段に大き
くなっているにもかかわらず、「経済的に豊かだ」という実感を持ちにくいような気
がします。どうしてなのでしょうか。

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                                  村上龍
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 ■ 真壁昭夫  :信州大学経済学部教授

 わが国の高度経済成長期に、私たちが豊かさを実感できた要因はいくつかあると思
います。まず一つは、経済成長が始まる前の発射台が低かったことがあるでしょう。
1945年、わが国が終戦を迎えた時期、東京など大きな都市は焼け野原になってい
たと言われています。子供のころ、そうした写真を見た記憶は残っています。そこか
ら、わが国は"20世紀の奇跡"と呼ばれる経済成長を遂げました。

 食料さえも十分ではなかった焼け野原から復興するわけですから、当時の人びとは、
その間の経済成長を実感として肌で受け止めることができたのではないでしょうか。
子供のころ、両親や祖父母から、「昔は食べるものがなくて、芋の葉っぱを食べた」
などと聞かされました。そうした記憶は今でも鮮明に残っています。そのせいでしょ
うか、今でも、「食べ物を残すことはよくないことだ」という観念があります。現在
の子供たちに当時の状況を話しても、恐らくよく理解できないかもしれません。

 二つ目は、当時のわが国の成長率の高さです。特に、1965年から1970年ま
での"いざなぎ景気"の時期、わが国の経済成長率は平均で10%を越えていました。
少し前までの中国の成長率と同じような高成長を達成していたのです。この経済成長
率が10%ということは、ざっくりと言って、人々のお給料が平均10%で増えるペ
ースです。お給料が毎年二けたずつ上昇すると、経済的にも、精神的にも経済成長を
感じることができると思います。

 それに伴い、食べるものがとても潤沢になったことを覚えています。昔は、輸入物
のバナナは、遠足などの機会に買ってもらえるだけで、いつもは口にすることができ
ませんでした。ところが、経済成長が進み外貨事情が改善すると、輸入物のバナナは
いつでも買えるほど値段が下がりました。

 また、牛肉のすき焼きは、たまに来客があった時だけと決まっていたように思いま
すが、いつのころからか好きな時に牛肉を食べられるようになりました。実際、学生
時代に友人が集まってすき焼きパーティーをした時、「日本は高成長しているのだ」
ということをみんなで話し合ったことを覚えています。

 もう一つの要素は、当時のわが国は、米国経済というとても明確な目標があったこ
とがあります。そして、海外から入って来る製品に一種の憧憬の念を持ちながら、
「とにかく、みんなで頑張って米国に追い付こう」という意識を多くの人が持ってい
たように思います。あまり疑問を抱かずに、何か明確な目標に向かって進める時、
人々にはしっかりした希望が持てるのだと思います。

 そうした精神状態にあるとき、人間は強いコミットメントを持つことができますし、
それに対して目で見える格好で進んでいくことができると、それなりの達成感を持つ
ことが出来ます。経済成長によって物質的な充足感を得ると同時に、精神的な充実感
を感じることができたことが大きかったはずです。

 ところが、80年代後半のバブルを過ぎ、90年代初頭にバブルが崩壊すると、わ
が国の経済は不良債権処理や企業のストック調整などに汲々とする状況が続きました。
その調整幅が大きかったことに加えて、私たちはその状況を直視することから逃げて、
今まで安易な弥縫策に終始してきました。

 しかも、国内の少子高齢化の加速や、経済のグローバル化の動きにも十分な対応を
することができていないと思います。そうした状況下で、実質ベースで経済が成長し
ているといっても、なかなかそれを肌で感じることができないのは当然のことと言え
るかもしれません。

                       信州大学経済学部教授:真壁昭夫

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 ■ 水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家

私は1967年生まれで、狭い意味での高度成長期は小学校に入るころには終わっていま
したが、時代の雰囲気のようなものはバブルの到来まで変わらずに残っていました。
その頃は確かに、昨日よりも今日、今日よりも明日という成長の実感があり、「ノス
トラダムスの大予言」の流行といったことはあっても、現実的な次元で将来に不安を
持つことはなかったように思います。

その当時と比べると今は、単純に豊かさで比べれば大変に豊かです。私の家族は私が
幼稚園生の頃、一家五人で四畳半二間に住んでいました。特に狭いという印象もな
かったのですが、今そんな一家はなかなかいないでしょう。みんなもっと広く清潔な
ところに住んでいます。電化製品もその頃の我が家ではテレビと冷蔵庫、炊飯器、ア
イロンぐらいだったと記憶していますが、今では貧困とされる人でもこれよりも多く
の電化製品、しかもはるかに高性能なものを持っているでしょう。さらにパソコンや
携帯電話に象徴されるICTの発達が生活を大きく変えてしまっています。

こうした物質的な豊かさにも関わらず、確かに今豊かさを感じにくいとすれば、その
大きな理由が格差の拡大にあることは間違いないと思います。かつては一億総中流時
代と言われました。実際の所得格差はやはりそれなりにありましたが、それでも平等
の実感は揺るぎないものでした

たとえば小学校のクラスメートの間に、経済的に差があるという感覚がほとんどあり
ませんでした。実際には開業医の家もあれば母子家庭もあり、家に遊びに行った時の
ことを思い出しても、豊かな家もあれば、比較的貧しい家もありました。ただそれも
後から考えてみれば、ということで、その当時、そういうことを意識した記憶がない
のです。クラスメートの間で、誰それの家はお金があってうらやましいとか、貧しく
て可哀そうだとか、そんな会話をしたこともなく、ただただ「みんな同じ」だと思っ
ていたのです。

それは「そうあるべき」という理想でもありました。クラスメートの間に差があるこ
とは許されないことであり、もしそんなことがあれば、みんなで助け合って乗り越え
ていかなくてはならない。ちょっと大げさですが、そんな感じでした。

「みんな同じ」と思えた一つの根拠は、もともとのレベルに差はあっても、各自がそ
れぞれに少しずつ豊かになっていたということでしょう。テレビをもう一台買ったと
か、一家で一泊の温泉旅行に行ったとか、天体望遠鏡を買ったとか、ささやかでは
あっても、豊かさを感じさせる話を聞くことが多かったと思います。

もう一つの根拠があるとすれば、それは家族・親族や地域のつながりが強かったこと
だと思います。私の家族は私が小学校一年生の時に東京から転勤でやってきたので、
つながりの輪から外れていたのですが、友達からはよく親せきの集まりや法事、地域
の祭りなどの話を聞きました。他クラスや他学年の誰それは自分のいとこであると
いった話もよく聞き、濃密な地縁・血縁の中で助け合いながら生活していることが伝
わってきました。こうした環境の中で貧困に陥った家があれば、周囲から援助の手が
差し伸べられていただろうと想像できます。

そもそも当時は、多くの家では米は買うものではなく、農村の実家や親せきから送っ
てくるものでした。いま私の実家の周辺にもファーストフードや郊外型の洋服店、メ
ガネ店、電機店、書店、手作りパン店等々がびっしりと立ち並んでいますが、私が子
供のころは店というものは非常に少なかったのです。牛丼店もハンバーガーショップ
もなく、外食は月に一度、家族で駅前の洋食レストランに出かける時だけ。ハレの時
でした。靴下もシャツも穴があけば母が繕い、新しいものを簡単に買うことはありま
せんでした。ユニクロなどない当時、服はほとんど国産で高いものでしたが、型紙で
自分の服や家族の服を自作していた女性も多かったし、服を新しく買う機会そのもの
が、今と比較にならないほど少なかったのです。電化製品は一年に一つ買うか買わな
いか。類似製品を何か月も比較検討して迷った挙句、ようやく買ったものです。一回
買えば修理しながら長く使いました。

要するに、人々の生活の中で市場経済が果たす役割が、今よりもはるかに小さかった
ということです。買わないで済ます部分が大きく、それが人々の生活を下支えしてい
ました。ですから、所得自体は今の何分の一でも、それなりの豊かさを感じながら暮
らすことができました。

今は服にしても電化製品にしても価格は安くなり、買うのが当然になりました。それ
は同時に、買わずに済ますことはなかなかできないということでもあるのです。電化
製品にしても、今の製品は修理が難しくなっています。新しく買うか、買わずに我慢
するか。今の生活は、どうしてもお金のあるなしに左右されます。

一方で地縁・血縁は薄れ、それは個人が自由を求めた結果でもあるのですが、その代
わりに、一人ひとりが自分の経済状態に直接に向き合わなければならなくなりました。
閉め切ったマンションの鉄の扉の中で、ブランドバッグを数十個もため込む人もいれ
ば、母親に放置されて飢え死にする幼い子供たちもいるという状況です。

こうした中で、グローバリゼーションの進展、生産工程の機械化や経済のサービス化
など多くの要因から、かつて多くの中流家庭を支えていた安定した仕事が失われ、格
差が拡大しつつあります。特に若い人の仕事が少なく、新卒での就職率が下がってい
ます。生活の中でお金のあるなしに左右される部分が大きく、地縁・血縁も薄れた現
代社会では、安定した職がないことは決定的なマイナスになり、将来に大きな不安を
投げかけます。

そうした不安にさらされている人が同じ社会にいるということは、自分自身がそうで
なかったとしても、潜在的な不安を感じさせることになります。自分もいつかは失業
する可能性があるということだからです。たとえ今の自分は豊かな生活を送っていた
としても、経済的な幸福感に影を落とし、衰退の感覚をもたらすことになるのではな
いでしょうか。

                     日本語学校教師、評論家:水牛健太郎

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コメント
 
01. 2012年4月25日 18:36:40 : uAV144cJFI
テーマからは逸れるが「親に」 ではなく「母親に」 という表現に違和感をおぼえる人は少数なんだろうな・・・

02. 2012年4月25日 19:51:30 : D4z0D8fOpI

本来労働者が直接給料を受け取ればGDPには入らないと思うが、派遣会社が受け取れば売り上げとしてGDPに加算される。

輸出で稼いだドルは、米国債その他で米国に還流させられている。

∴数字ほどのカネは国民に回っていないってことでしょう。


03. 2012年4月25日 21:20:36 : 2kJgmZ0JsY
>経済的に豊かだ」という実感を持ちにくいのはなぜか

実際に豊かじゃないからだよ。
日本は今や国民一人当たりの所得が世界20位近辺でシンガポール以下。

その上、高額所得者の所得税が下げられて庶民苛めの消費税が導入されてから、貧富の格差がどんどん広がっている。

だから庶民の生活レベルなんてものは、平均値よりも更に引くなっている訳だ。


04. 健奘 2012年4月25日 23:49:48 : xbDm84QDmOFmc : HxDkBKBLY2
合衆国もイギリスも、同じでしょ。

19世紀初めまで、皆、貧しかったのでした。夏服は一着、冬服も一着、そんな時代でした。19世紀はじめ、ニューヨークの道路は、生ごみがちらかり、それを豚が食っていたのでした。

豊かになりたい、その目標は、150年ほどで、達成できました。大成功だったのでした。そして、21世紀はじめになって、3割、4割の衣料品を捨て、3割、4割の食料を捨てるようになりました。

食料が余るというのは、人類史、初のことです。だから、見方、考え方を、変える時が、来たのです。

しかし、変えることができないので、自分たちを、壊しにかかっているのです。だから、豊かな中で、貧しくなってしまうのです。


05. 2012年4月26日 09:00:13 : UDls5sKIrE
「経済的に豊な実感が持ちにくい」なんと気楽な投稿。最近、阿修羅はピントの外れた、投稿が多いなー。質も低い。

06. 2012年4月26日 11:49:00 : Pj82T22SRI

>経済的に豊かだ」という実感を持ちにくいのはなぜか

3丁目の夕日の高度成長期に比べ、実質的な生活水準が遥かに向上しているのは確かだが、人間は過去を美化する傾向がある

将来にさらに豊かになるという希望が見えず、一方で固定した格差や、優遇されている人々(既得権層)がいると思うと不満が強まる

それに現在の若者は、昔を知らないし、マスコミから、これから悪くなる、お前たちは搾取されている、と散々脅され続ければ、実感も何もないだろう


07. 2012年4月26日 21:12:14 : qV7s5MjmwM
「放っておくと財政破綻するから増税に賛成しろ」
「産業空洞化を防ぎたいなら賃下げを我慢しろ」

などと毎日々々聞かされていれば誰だって不景気な気分になって
ますます財布の紐は固くなり、個人消費が冷え込んで更に不景気、
という悪循環。

日本は世界有数の内需国なんだから、いかに国内でカネを回すかを本気で
考えないと・・・と主張するとC*Aとかいう秘密機関が動き出して一服盛られて
酩酊会見をさせられたり痴漢に仕立て上げられたり「強制起訴」されたり
する。

桑原桑原。


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