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世界の中の日本
税金の無駄遣い、官僚機構の利権拡大、それでも「外国人介護士」に門戸を開くのか
2012.04.25(水)
出井 康博:
2009年の総選挙で、民主党は「税金の無駄遣い」や「官僚利権」の撲滅を公約に掲げて政権交代を果たした。
その公約が全く果たされていないことを象徴するテーマがある。「外国人介護士・看護師」の受け入れ問題だ。
外国人介護士らの受け入れは2008年、日本がアジア諸国などと結ぶ「経済連携協定(EPA)」に基づき始まった。これまでインドネシアとフィリピンから、介護士と看護師を合わせて約1400人が受け入れられている。それがなぜ「税金」や「官僚」と関係するのか、ピンとこない読者も多いだろう。新聞やテレビは、そんな話など全く取り上げないのだから無理もない。
筆者は介護士らの受け入れが始まる以前から、日本国内の看護・介護現場や行政、政界に加え、送り出し国のインドネシアやフィリピンを訪れ取材を続けてきた。2009年には『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)という単行本を出版し、受け入れ制度の問題点をルポした。
そこで強調したのは、現行制度下での受け入れが現場に全く役立たず、税金の無駄遣いや官僚利権の拡大のみを招いていることだ。
現場の状況と無関係に始まった外国人介護士の受け入れ
そもそも、なぜ外国人介護士らの受け入れは始まったのか。受け入れを決断したのは小泉純一郎・元首相である。小泉氏は首相を務めていた2006年、交渉中だったEPAを有利に運ぶため、フィリピンからの求めに応じて受け入れを決めた。
日本には産業廃棄物のフィリピンへの持ち出し、一方のフィリピン側には日本への出稼ぎ手段の確保という思惑があった。
つまり、介護士らの受け入れとは、日本の看護・介護現場の状況とは全く無関係なところで始まったわけだ。
翌2007年には、日本政府はインドネシアともEPAを通じての介護士らの受け入れに合意。この時点で、フィリピンとインドネシアから当初の2年間でそれぞれ1000人の看護師・介護士を受け入れることが決まった。
「外国人に門戸を開け」と論じる新聞各紙
外国人労働者の受け入れを嫌う厚生労働省にとっては寝耳に水である。受け入れ数が増え、日本人の雇用に影響することを恐れた同省は、外国人介護士らの就労が長引かないよう、ある条件を設けた。それが「国家試験合格」というハードルだ。
EPAで来日する外国人の在留期限は看護師が3年、介護士が4年。期限を延長して日本で仕事を続けるためには、国家試験に合格しなければならない。
試験は日本人と同様、日本語で受験する。看護師の場合、入国翌年から3回の受験が可能だ。介護士は「介護福祉士」試験に3年間の実務経験が必要なため、回数は1度きり。看護師、介護士とも一定の点数を取った者には1年だけ再チャレンジが許されるが、それでも合格できなければ強制的に帰国となる。
2009年から2011年までの3年間で、外国人看護師の国家試験合格率は3パーセントにも満たなかった。今年の試験では11パーセント(415人中47人)と、やや合格率が上がったが、日本人の9割と比べればずっと低い。
2012年1月には、EPA枠の介護士95人が初めて「介護福祉士」試験に挑んだ。その合格者は36人で、6割を超す日本人の合格率をやはり大きく下回った。両方の試験とも日本語がハンディとなったことは明らかだ。
3月末に試験結果が発表された直後、全国紙は揃って社説で「外国人介護士」問題を取り上げた。その論調は、「もっと外国人の合格率が上がるよう、受験勉強をサポートすべし」「日本人の人手不足を補うため、さらに外国人に門戸を開け」といったものばかりだ。これほど各紙が歩調を合わせるのは珍しいことである。
確かに「人手不足」という問題はある。とりわけ介護の分野では著しく、厚労省によれば、団塊世代が70代後半を迎える2025年には全国で70万人もの介護職員が足りなくなるという。だが、そのうちどれだけを外国人で補うべきなのか。新聞各紙は「門戸を開け」と言うだけで、具体的な数字は挙げていない。
一方で厚労省は、介護士らの受け入れを人手不足解消の手段とは認めていない。目的は「国際貢献」や「人材育成」なのだという。
一見もっともらしいが、来日する看護師は母国での有資格者だ。別に日本で「育成」する必要もない。介護士に至っては、インドネシアやフィリピンでは日本のような施設介護は普及していない。母国に戻っても仕事はないのである。
80億円の税金を投じて合格者はたったの約100人
その裏で、受け入れには2008年以降、計80億円にも上る税金が注ぎ込まれている。その大半は、日本語研修や国家試験の受験対策の費用だ。
だが、試験に不合格となって帰国となれば、彼らと日本の縁は切れる。せっかくの投資も無駄になってしまうのだ。これまで誕生した合格者は104人。1人の合格者を出すために8000万円近い税金が遣われた計算だ。
「80億円」という金額は、兆単位の国家予算を扱う官僚や政治家にとっては取るに足らないものかもしれない。しかし、私たち国民が負担した血税だ。
もちろん、現場で有益に遣われていれば構わない。だが、100人程度が国家試験に合格したところで、数十万人規模の人手不足には焼け石に水である。
介護士らの受け入れが決まった当初、日本人の働き手確保に悩む介護施設や病院では期待が高かった。しかし、その期待は急速に萎んでいく。「2年間で2000人」を予定していた受け入れも、4年が経っても7割程度しか達成されていない。受け入れに手を挙げる施設が集まらないのだ。
外国人の合格者の低さにマスコミから批判が相次いだことで、厚労省は「国家試験」のハードルを下げ始めている。今年の試験では、難しい漢字に仮名が振られた。小宮山洋子厚労相は、来年からすべての漢字に振り仮名をつけ、外国人に限って試験時間も延長するよう指示を出した。全く的外れな「改革」である。それで受け入れ施設が増えるとでも考えているのだろうか。
「斡旋」と日本語研修で利権を貪る官僚機構
「税金」に加えてもう1つ、マスコミが触れない問題がある。介護士らの受け入れが、官僚機構の利権となっていることだ。
受け入れ施設は、介護士ら1人を受け入れる際に約60万円の費用が必要だ。斡旋手数料に16万円、就労前に受ける日本語研修の一部費用に36万円などである。
斡旋を独占しているのが厚労省の天下り機関だ。日本語研修も、同じくEPAに関係する経済産業省と外務省の関連機関が担う。
「斡旋」といっても、人材の選考は送り出し国任せで、厚労省機関の仕事は単に介護士らと受け入れ施設をマッチングするだけだ。日本語研修にしろ、何も外務省や経産省の機関がやる必要もない。
施設から金を吸い上げ、しかも税金まで使いながら、介護士らは満足な日本語力さえ身につけられていないのだ。
施設には、外国人介護士らに日本人と同等以上の賃金を支払う義務もある。また、いくら彼らを教育しても、国家試験に合格する可能性は低い。施設側にすれば、やっと仕事に慣れた頃に人材を失ってしまうわけだ。これでは施設が嫌がるのも当然だろう。
合格率を上げる前に話し合うべきことがある
そもそも、日本は何のために介護士らを受け入れるのか。長期的な戦略もなく、官民が同床異夢で受け入れを続けていては、いくらマスコミが旗を振ろうとうまくいくはずもない。現在の制度を喜んでいるのは、介護士らの「受け入れ利権」を得た官僚機構だけである。
まず、外国人看護師・介護士が本当に必要なのかどうかを議論すべきだ。必要だとすれば、どれほどの数の外国人を、どこの国から受け入れるのか。
そして、どうすれば優秀な人材が確保できるのか。国家試験の「漢字」や「時間延長」といった瑣末な問題は、そうした大枠を決めた上で話し合うべきものだ。
しかし現実には、なし崩し的な受け入れが続いている。4月18日には、野田政権がベトナムからの介護士・看護師の受け入れにも合意したばかりだ。
彼らは国家試験に合格すれば、日本に永住して仕事を続けることができる。つまり、この国の「移民」となるわけだ。
受け入れを増やすことは、日本が「移民国家」に向けて舵を切ることも意味する。そんな議論を先頭に立って始めることも、私たちが3年前の総選挙で民主党に期待した「政治主導」だったはずだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35044
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