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【第225回】 2012年4月24日 真壁昭夫 [信州大学教授]
日本は本当に“極東の小国”へ転落するしかないのか?
21世紀研『長期経済予測』の真贋と、今やるべきこと
“21世紀政策研究所”予測の衝撃
最悪の場合、日本は「極東の一小国」に
4月16日、経済団体連合会傘下のシンクタンクである21世紀政策研究所は、2050年までの日本と世界50ヵ国・地域の長期経済予測を発表した。それによると、日本は人口減少や高齢化の進行などの影響で、2030年以降マイナス成長に落ちこみ、最悪のケースでは先進国から脱落する可能性があるという結果になった。
今回の長期予測は、為替レートの変動を考慮しながら、労働(人口)・資本(投資)などについて一定の前提を設定することで、将来、それぞれの国がどのような経済状況になるかをシミュレーションしたものだ。
もともとシミュレーションとは、経済について一定の前提条件を設定し、その前提に基づいて将来のGDPや経済成長率などを試算する手法だ。そのため、前提となる条件などによって結果が大きく異なる。
今回の長期シミュレーションでは、わが国の少子高齢化の進展の結果、国民の貯蓄や企業の投資が鈍化することを想定している。
その想定に基づくと、モノ作りの効率を示す生産性が他の先進国並みを維持する基本シナリオで、2030年代からマイナス成長に転じ、50年には現在世界3位のGDP(国内総生産)が4位に落ち、GDP自体も中国と米国の約6分の1の規模となり、1人あたりのGDPも世界18位と韓国(14位)に抜かれることになってしまう。
また、成長率が最も下振れする「悲観シナリオ」では、GDP規模は世界9位となり、中国、米国の約8分の1に縮小してしまう。それが現実のものになると、わが国は、まさに「極東の一小国」に落ちこむ。今回の予測は、それに警鐘を鳴らしている。
今回発表された長期予測の前提となっている主な条件は、次の通りだ。
次のページ>> 「悲観シナリオ」で日本はGDPで9位に。先進国から転落か?
(1)わが国の人口は世界最速で少子高齢化が進み、2050年に総人口は1億人割れし、その時点で全体の38.8%が65歳以上となる。
(2)高齢化に伴い貯蓄は減少、それによって投資も落ち込む。
(3)為替レートについては、2005年の実力=購買力レートをベースにして、1人あたりのGDPの増加率等を加味して変動することが想定されている。
それに加えて、生産性=特定のモノやサービスを作り出すために、どれだけのインプットが必要かを示す数値について、以下の4通りのシナリオを想定して試算を行なっている。
(A)先進国平均並み(基本シナリオ1)
(B)失われた20年が続く(基本シナリオ2)
(C)財政悪化による成長率低下(悲観シナリオ)
(D)女性が労働に就く割合が高まる(労働力改善シナリオ)
「悲観シナリオ」ではGDPで9位に転落
日本はもはや先進国ではなくなる?
そのシミュレーションによると、2050年にわが国は、「基本シナリオ1」では、GDPが中国、米国、インドに次ぐ4位となり、世界経済における位置づけが大きく下落することは避けられる。「基本シナリオ2」では、同じく中国、米国、インド、ブラジルに次いで5位につけることになる。また、比較的楽観的な「労働力改善シナリオ」では、世界第4位の地位を確保することができるとしている。
一方、財政悪化によって成長率が下振れする「悲観シナリオ」では、中国、米国、インド、ロシアなどに次いでGDPベースでは9位に落ちこみ、GDPの規模で見ても首位の中国の約8分の1程度になってしまう。その場合には、文字通り経済大国の地位から滑り落ちることになる。
今回の長期予測が訴えたいポイントは、「財政悪化によって成長率が下振れする場合には、わが国は目を覆うばかりの凋落が避けられない」という点だろう。政府系ではない実業界のシンクタンクも、「財政悪化をかなり懸念している」とメッセージを送りたいのだろう。
次のページ>> 日本転落を回避するための「4つの提言」は、わかり切ったこと
人材活用から財政・社会保障改革まで
日本転落を回避するための「4つの提言」
今回のシミュレーションの結果を踏まえて、21世紀研究所は大きく分けて4つの分野で提言を行なっている。
1つ目は人材の分野だ。女性や高齢者の労働参加を促進したり、教育現場の工夫などを利用して人材の強化を推進し、「全員参加型」の社会をつくることを提唱している。現在、若年層の失業率の低下などの状況を考えると、この提言にはそれなりの説得力があるだろう。
2つ目は、経済・産業分野でアジア太平洋地域の活力を取り込み、わが国経済の成長力強化を求めている。この部分は当然とも言える提言だ。多くの人口を抱え、世界経済のダイナミズムの中心的存在になりつつある、アジア太平洋地域の成長エネルギーを取り込むことは、わが国経済の成長にとって必要不可欠だ。
3つ目は、税・財政・社会保障の改革の先送りを止めることだ。この部分は、今回の提言の肝とも言うべきポイントだ。今まで、痛みを恐れて、税制度や財政赤字、さらには社会保障制度の改革などを先送りしてきた。
しかし今は、そのような悠長なことを言っていられるときではない。痛みを伴う改革であっても、早期に着手することによって事態の改革を急がないと、わが国の将来を見通すことができない。
その提言と悲観シナリオに基づくシミュレーションが、今回のレポートの言わんとするところだ。そして4つ目に、日米関係を主軸とした国際秩序の構築を提言している。
これらの提言はいずれも、誰も反対することができないほど、当然と言える提言だ。それだけに、目からウロコが落ちるような鮮烈な印象はない。逆に言えば、「誰でもわかっていることを着実に片づけることこそ、わが国にとって最も必要なこと」との含意があるのだろう。
次のページ>> わかっていることを着実にやる。それができていないのが問題
誰でもわかっていることを着実に実行
「イノベーション」を成功させられるか
今回のレポートを読んで最も強く印象に残った点は、「財政再建が最も重要な課題」という視点と、「誰でもわかっていることを一歩ずつ実行すべき」という問題意識だ。
一定の前提条件を設定したシミュレーションの結果は、現実になるかもしれないし、あるいは全く異なったことになるかもしれない。しかし、財政悪化を食い止められないと、経済の下振れリスクは増大し、わが国はアジアの一小国になり下がることも考えられる。それは、かなりインパクトのある警鐘と言える。
それに対して提言が示されているのだが、提言自体は、どちらかと言うと総論的な意味合いが強い。おそらく、その提言を読んだ人の多くは、「実際に、改革をどうやって実行するのか?」という疑問を持つことだろう。
現在のわが国の社会・経済の状況を考えると、おそらく誰が考えても、やらなければならないことに大きな違いはない。問題は、既得権益層の反対を押し切って、社会の仕組みや制度を変える=イノベーションを実行することが難しいことだ。
それをするためには、2つのことが必要だと思う。1つは、トップダウン型の意思決定だ。具体的には、政治のリーダーシップ、もっと有体に言えば権益層間の調整だ。
今までの政治は、ともすればポピュリズム=人気取りに走って、痛みや不利益の調整を避けてきた。それを厭わずに実行できる政治の存在が必要だ。かつて「英国病」に悩んだ英国を蘇生させた、サッチャーのような人材の出現が好ましい。
もう1つは、国民1人1人が、将来の国のイメージを持つことだ。将来、若い人たちが希望を持って生きられる国を作るためには、今、何が必要かを考えるのである。それがないと、わが国は変われないだろう。
もし変われないと、このシミュレーションが示すような状況が待っていることを、頭に入れて置くべきだ。
質問1 近い将来、日本は本当に「先進国」から転落すると思う?
http://diamond.jp/articles/-/17640
出口治明の提言:日本の優先順位
【第46回】 2012年4月24日 出口治明 [ライフネット生命保険椛纒\取締役社長]
社会保障改革を考える視点――わが国の制度の原点はどこにあったか
わが国の財政は危殆に瀕している。この20年間で歳出は約200兆円増加したが、そのうち、約150兆円が社会保障関係の費用で占められている。この一事をとっても、社会保障改革が必要なことは誰の目にも明らかだが、改革自体は遅々として進んでいない印象を受ける。
およそどのような制度・仕組みであれ、抜本的な改革を行う上では、そもそもの原点に立ち戻って考えてみることが、最も有効な方法である。今回は社会保障改革を考える視点について考察してみたい。
自助、共助、公助の関係は
これでいいか
近代社会では、原則として、全ての市民が社会的・経済的・精神的に自立することが暗黙知として共有されていると考えるが、市民の安心感を醸成し、その社会、経済の安定性を確保する観点から、自助、共助、公助のバランスがほどよく取れている社会が望ましいことは明らかである。
その場合、言うまでもなく、基軸となるのは自助である。自分のご飯は自分で働いて食べるということが大人になるということであり、市民社会のいわば掟でもある。そして、自分で働くためには、自らの健康管理が何より重要であることは言をまたないであろう。このような自助を、政府が側面支援する場合もある。例えば、貯蓄を奨励する目的で税制を多少優遇する等のケースがその典型であろう。
自助を補完するものが、生活のリスクを相互に分散して担保する保険制度等であろう。これには、民間企業が担う私保険(生命保険や損害保険)と、公的セクターが担う社会保険(わが国の健康保険制度や年金制度等)がある。わが国では、私保険についても一部政府の側面支援(税制における保険料控除等)が行われているが、社会保険については政府の関与が相当に大きくなっている(社会保険料負担約65%程度に対して税負担が約35%程度)。
そして、憲法によって定められた市民の生存権を担保する、いわば最後のラストリゾートが公助であろう。即ち、自助や共助では十分に対応しきれない貧困世帯や生活困窮者等に対して、一定の受給要件を定めた上で必要な生活保護を与える仕組みが公助であって、その財源は100%税金となる。なお、公助の分野を寄付やボランティアによって市民が一部担う場合もある。
次のページ>> わが国の社会保障制度はいつ出来上がったのか
以上に述べてきた社会保障制度の基本的な考え方、即ち、自助が基軸となり、共助がそれを補完し、それでも対応できない分野はラストリゾートとして公助が出動するという伝統的な枠組み自体は、改革に当たっても、当面、これを維持してさしたる問題はないと考える。
また、格差が生じつつある中では、現行の皆年金、皆保険という骨格についても、これを守るべきであろう。なお、わが国の社会保障給付費の8割は、共助の分野の主軸を占める年金(5割)と、医療(3割)が占めている。
わが国の社会保障制度は
いつ出来上がったのか
わが国の社会保障給付費の大宗を占める年金と医療は、1961年に国民皆年金・国民皆保険としてスタートし、70年代にかけて制度の骨格がほぼ固まったと言われている。この時期のわが国は、高度成長と人口の着実な増加という2大特徴を有していた。即ち、将来、社会保障給付が増大しても、成長に伴う所得の上昇によって社会保険料収入が増大し、かつ税収も増加するので、給付の増加部分を十分吸収することができると考えられていたのである。
また、高度成長と人口の増加は以前の当コラムで述べたように、「青田買い、終身雇用、年功序列、定年制度というワンセットの労働慣行」を産み出した。それを受けて、職域保険(健康保険、厚生年金)をどちらかと言えば主とし、地域保険(国民健康保険、国民年金)を従とするわが国独特の仕組みが出来上がったのである。
加えて、当時の圧例的な主流であった専業主婦を前提に、制度設計がなされた。また、当時の高齢者は戦争の影響により貯えも少なかったので、相対的に高齢者に対する給付は手厚く設計された。何れも、当時の社会状況に照らして考えてみれば、極めて合理的な選択であったと評価することができよう。
次のページ>> 歴史から学ぶ改革のポイント
ここで、社会保障給付費の歴史的な推移を見ておこう。
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わが国の社会保障制度がほぼ完成した60年代から70年代にかけて、社会保障給付費は国民所得のわずか5%程度を占めるに過ぎなかった。しかし、経済の低成長に伴い、国民所得が伸び悩むとともに、少子高齢化が急速に進行し、2010年では社会保障給付費が実に国民所得の31%を占めるまでに至っている。また、国民所得の伸び悩みは、社会保険料収入の伸び悩みとほぼイコールであるため、税による補填額が急増する結果となったことは、冒頭に述べた通りである。
歴史から何を学ぶか
以上、ごく簡単に、わが国の社会保障制度の歴史を見て来たが、私たちはここから何を学ぶべきだろうか。
まず、第1に確認すべきことは、社会の高齢化に伴い、年金も医療もこのまま放置すれば給付金額が増大する一方であるという事実である。
第2に、低成長の経済の下では社会保険料にあまり多くを期待することができないということであり、そうであれば税による補填を増やすしかないということになる。
第3に、高度成長と人口の増加という2つの前提条件を、わが国がほぼ失ったということは、終身雇用に象徴されるわが国の労働慣行がこの先、変わらざるを得ないということを意味しており、職域保険重視の考え方は転換を迫られるということである。
第4に、わが国は高度成長の結果、相当の資本蓄積を果たして、国民の保有する金融資産も約1500兆円に達しているが、そのほとんどを高齢者が保有しているという事実がある。即ち、現時点では若者よりむしろ高齢者の方が、金銭負担能力が高いのではないかと、一般には考えられているのである。そうであれば、高齢者イコール一律に弱者と見做した諸制度は、全て見直す必要があろう。同様に、所得の低下等に伴って、女性の社会進出が加速している。そうであれば、専業主婦を主とするのではなく、むしろ働く女性を主とした制度設計を今後は考えていくべきであろう。
次のページ>> まず「改革の視点」の共有が必要
最後に、財政に全く余裕がなくなっているわが国の現状に鑑みれば、共助と公助の関係を今一度見直すことも、あるいは必要であるのかもしれない。
1つの極論ではあるが、皆年金を例えば高齢者のラストリゾートと位置付ければ(ラストリゾートである以上、ある程度の所得がある高齢者には年金は支払われない)、生活保護は高齢者以外のための制度として、重複を避けて、純粋に設計すべきであろう。年金受給権の問題もないではないが、財政が破綻しインフレになってしまっては元も子もない。両者を一体化して、貧困層に対するベーシックインカムのような制度に変えていくことも、1つの選択肢として構想できるかも知れないのである。
社会保障改革の具体案については、市民にとって切実な問題でもあるだけに、未だ百家争鳴の観がある。私見については、以前のこのコラムで述べたのでここでは繰り返さないが、社会保障改革について市民のコンセンサスをまとめていく上で最も大切なことは、上述したような「改革の視点」をまずみんなで共有化することではないだろうか。
(文中、意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)
http://diamond.jp/articles/-/17640
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