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ソニーが国内外で従業員1万人を削減する計画を発表したのだそうだ(リンクはこちら)。
1万人という人数は、全世界に散らばるソニーの従業員の約6%に相当する。
思い切ったリストラ策と言わねばならない。続報によれば、この人員削減にあわせて、経営陣は、会長をはじめとするすべての執行役員の賞与を返上する意向だという。
決算について、日本経済新聞は次のような見出しを打っている。
『ソニー、「想定外」の連鎖 赤字最大の5200億円』
私は損益計算書やバランスシートを読める人間ではない。それでも、さすがにこの5200億という数字が容易ならざる金額であることぐらいは理解できる。
どうやら、ソニーは大変な局面に立っている。
今回は、ソニーの話をする。
といっても、私のような者が経営に口をはさんだところで仕方がない。だから、ここでは、ソニーにまつわる個人的な記憶を書き並べようと思っている。
記憶は、必ずしも実態とイコールなものではない。
が、われわれの記憶は、ソニーというブランドの基礎を形成している。その意味で、非常に根源的なものだ。
ソニーのロゴマークは、単なるひとつの家電メーカーの枠組みを超えた文化的な発信力を備えている。
ソニーがソニーであり、ソニーの製品が先進的で、高性能で、スタイリッシュであったことは、そのままわれわれ日本人がセンシティブで、賢く、勤勉であることを裏書きしていた。つまり、ソニーは、長らく、日本という国の優秀な側面を象徴する企業だったわけで、その意味では、われわれのプライドの核心を形成するブランドなのである。
ソニーについては、今回の報道に限らず、2003年の「ソニーショック」を初めとして、今世紀に入って以来、暗いニュースばかりが続いている。
ファンとしてとてもさびしい。
いま、「ファン」という言い方をしたが、私の世代の男は、自分で自覚していなくても多かれ少なかれソニーのファンだ。おそらく、ソニーの名前ややり方を嫌っている組の人々でさえ、ソニーというブランドの価値を否定することはできなかったはずだ。
だから、ソニーの調子が悪いというニュースは、われわれ世代の男性の士気を損ねる。もう少し踏み込んだ言い方をするなら、ソニーの衰退は、わたくしどもの世代の日本人男子の愛国心をかなり致命的な次元で傷つけている。このことは、誰もあえて指摘していないが、とても深刻な出来事なのだ。
国民の間に健全な愛国心を涵養するために、卒業式で君が代を歌わせたり、日の丸の前で起立する習慣を定着させることは、おそらく無意味な努力ではない。同様にして、愛国心教育に相当するカリキュラムを組んで、子供たちに愛国心の何たるかを教え、その必要性を説くことにも、一定の効果を発揮するはずだ。
でも、本当のところ、一般の国民が愛国心を抱くのは、誰かにそれを持つべきであることを教えられたからではない。
われわれの愛国心は、自国の自然、文化あるいは生産物に対して尊崇の念を抱くという、至極まっとうな道筋を通じて獲得されるものだ。ということは、身の回りの自然を守り、優秀な製品を生産するべく努めていれば、愛国心は誰が強要するまでもなく、ごく自然に、国民一人一人の精神のうちに醸成されていくはずのものなのである。
私のケースで言えば、ソニーは、いつでも私の愛国心を支える重要な柱だった。
いまでもよく覚えているのは、1990年代の初め頃、ウェストハリウッドでソニーのムービーカムを回していると、現地のオタクがわらわらと寄ってきたことだ。
「なんだこれは。お前の持っているこの小さいマシンは何なんだ?」
「カメラか?」
「おお、ムービーなのか」
「この画面は何だ?」
「ここに何が映るんだ?」
私の英語力では、正確な説明はできなかった。それに、大柄な彼らに囲まれる経験は、多少恐ろしくもあった。
が、総体として、それは、誇らしい経験だった。
「これはソニーだよ」
「おお、ソニーか」
「何ドルだ? トーキョーで買ったのか?」
「こっちではいつ発売になるんだ?」
領土や軍隊が愛国心を鼓舞していたのは19世紀までのことだ。20世紀以降の愛国心は、ブランドが作っている。私はこのことを声を大にして言いたい。
ブランドの衰退は、だから、愛国心の危機なのである。
似たような出来事を逆の立場で経験したことがある。
1980年代の半ば頃のことだ。
私は、その日、ドイツからやってきた二人の若い女性をエスコートすることになっていた。
いや、そんなに色っぽい話ではない。交換留学生としてドイツに留学していた友人(M田)のところに、ドイツでの寄宿先のお嬢さんが友だちを連れて遊びに来たのである。
「舞姫か?」
違う。M田は森鴎外みたいな大インテリではない。色男でもない。やってきた娘も、あいつに惚れていたわけではない。踊り子でもない。それに、余計なことかもしれないが、そんなに綺麗でもなかった。名前はたしか、バーバラとアネッテと言った。
とにかく、1980年代半ばの、まだ寒い季節のある一日、私とM田は、そのバーバラとアネッテを伴って、彼女たちが土産としてドイツから船便で発送したワインを受け取るべく東京港に出向いたのである。で、ことのついでに、中華街あたりに繰り出して珍しいものでも食べようというプランを立てた。その小旅行のために、クルマと運転の労を提供したのが私だったということだ。
このエピソードの中で、今回の話題にとって大切なのは、二人のドイツ娘が大変な愛国者だったということだ。特に背の高い方のアネッテは、多弁で、率直で、著しくゲルマン的な愛国少女だった。
彼女は、ベンツを見かけるたびに
「おお、あれはうちの国のクルマだ。知っているか?」
と尋ねた。
「知っている。メルセデス・ベンツだ」
「メルツェデスはこの国でも有名なのか?」
「とても有名で大変に高く評価されていて猛烈に高価だ」
「そうだろうとも。わがメルツェデスはミュンヒェンが生んだ芸術であるのだからな」
BMWを見ても、アウディを見ても同じだった。フォルクスワーゲンも、だ。
「おお、これはジエッタだ。知っているか? 乗ったことがあるか?」
中華街を歩いている時も、まったく同様だった。
「タカーシ。見ろ。行くな。戻ってきて見ろ。これは何だと思う?」
「バイクじゃないのか?」
「BMWのモトラート(Motorrad)だ。見ろ。これもドイツ製だ」
「あ、そう」
「見ろ、このフォルムの美しさを見ろ。こんなバイクが日本にあるか?」
「バイクならホンダの方が売れてると思うが」
「何を言うか。ホンダは普及品だ。売れて当たり前だ。モトラートは工芸品だ。芸術だぞ」
アネッテは、非常に誇り高く、強気で、高飛車だった。
が、彼女のその強力な愛国心は、私の目から見て、最終的には、ほほえましく思えた。その理由は、彼女のプライドが、軍隊の強さや植民地の広さに根ざしたものではなくて、自国の工業製品の優秀さを誇る、一種クラフトマンシップに似た感情だったからだ。アネッテは良い娘だ。私はそう思った。
余談がある。
横浜からの帰り道のどこかで、夕日に映える富士山が見えた。
「見ろ。あれがマウント・フジだ」
私は、自国の誇るべき美しい山を紹介した。
「おお。素晴らしい。これから行こう」
「……無理だ」
「なぜ無理と言うか」
「マウントフジはとても遠い」
「見えている景色のどこが遠いというのだ?」
これだから大陸の人間はいやだというのだ。
私は弁解の方向を変えた。
「私はたくさん運転して疲れている」
「これは驚きだ。ニポンの男は半日ばかり運転しただけでもう疲れたと言うのか」
これにも参った。どう言えば良いんだ?
「そうだよ。だから戦争に負けたんじゃないか」
こういう冗談はドイツ人には通用しない。
きっと、彼女は、帰国した後
「カミカゼというのは、ありゃウソだぞ。日本人は根性無しだ」
と、母国の人間に話したと思う。
誇りというのはやっかいなものだ。
理解される誇りは、共有され、共通の誇りになる。が、一方通行のプライドは、人々の関係をこじらせてしまうことがある。
そんなアネッテも、ソニーだけは認めていた。
私が乗っていたブルーバードについては、狭いとかペナペナだとかさんざんな言いようだったが、カーステレオとソニーのカセットには大いに感心していた。
「このクラスのクルマにこんなオーディオがついているのは驚きだ」
「さすがはソニーの国だ」
音楽には厳しかった。
「ん? なんだこの歌は?」
「キング・クリムゾンというイギリスのバンドの『土曜日の本』という歌だ」
「タカーシよ。教えておくぞ。この曲はドイツ・リートのパクリだ。そっくりなメロディを私は知っているぞ」
「そうか」
「ん? この曲もうちの国の曲に聞こえるが」
本当のところは知らない。
が、誇り高いアネッテはそう言っていたのだ。こと音楽と工業製品については、彼女はゲルマンの優位を決して譲らなかった。それが彼女の愛国心の足場だったからだ。
でも、「小さくて精密で電気の通った音の鳴るハイ・デザインな工業製品」については、さすがのアネッテもソニーの優位を認めていた。かくして、わたくしどものささやかな枢軸には、ひとつの友情が生まれたのである。
この先どこか外国に行く機会があるのだとして、私はそういう時にサムスンのムービーカムを持ってこうとは思っていない。多少高価でも、機能的に見劣りがしても、私はソニーの製品を買うはずだ。外人の若いオタクが集まって来なくてもがまんする。同年輩の年寄りが寄ってきて、
「おお、これはなつかしい。ソニーじゃないか」
と言ってくれたら、それで満足する所存だ。
ファンとは、なんといじらしい生き物ではないか。
あるいは、私は、ファンというよりは、信者に近いのかもしれない。
ウォークマンが発売された1979年の夏、仲の良かったKという男が、あの貴重な初号機をいち早く購入し、その日のうちに私の家にやってきた。彼は布教をしに来たのだ。
アップルの一連の製品もそうだったが、あの時代のソニーのギミックは、伝道者を作り出す力を備えていた。
「とにかく聴いてみろよ」
と言って彼が持ってきたウォークマンの音を聴いた時から、大げさに言えば、私はソニーの信者になったのだ。
以来、30年ほど、色々と紆余曲折はあるが、私の心には、あの時の感動がいつも残っている。だから、ソニーのブランドに対しては、アップルにおけるジョブズへの個人的な崇拝とは少し毛色の違う、製品への忠誠心を抱いている次第なのだ。
ソニーが昔と同じ輝きを取り戻すのかどうかは、わからない。
個人的にはむずかしいと思っている。
仮に、ソニーが業績を回復することになるのだとしても、その業態は、前世紀の姿とはずいぶん違ったものになっているはずだ。
というのも、イノベーティブな企業は、その精神を目に見えるカタチで体現していた創業者の死を契機として、新しい段階に移行せねばならないはずだからだ。
「モリタさんならどうするだろう」(あるいは「ホンダの親父さんならどうするだろう」「ジョブズならどうするだろう」でも良いが)という問いが、とうの昔に全社員にとっての自明の前提でなくなっている以上、ソニーは新しい問いを発明しなければならない。そういうところに来ている。
ソニーといえば、ずっと昔、トリニトロンカラーテレビのCMで、タコの赤ちゃんが誕生する瞬間を撮影した美しい映像があったが、タコのタマゴは、実は、簡単に孵化するわけではない。
何年か前にディスカバリー・チャンネルでタコの出産のドキュメンタリーを見たことがある。それによれば、タマゴが孵化するまでの間、タコの母親は、タマゴに酸素を供給するべく、つきっきりで新鮮な海水を吹きかけている。その間、母ダコはほとんど食事も取らない。だから、母ダコは、孵化が近づく頃には自分の身体を支えられないほど衰弱してしまうのだという。
がんばってください。応援しています。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120412/230906/?leaf_rcmd
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そうですね。確かに小田島さんの言われる傾向はあると感じます。
SONYですか。私にとっては悪いイメージしかありません。
当時かなり高価なCDプレイヤーを購入したのですが、そのヘッドホン端子で聞く音の貧弱なことといったらひどいものでした。まぁ、CDプレイヤーのヘッドホン端子はライン端子に比べて手を抜く例が多いのは確かですが、それなりに高価な製品なのにもろ手抜きは明らかでした。
同時に購入したアンプは、2年ほど経った頃、リレーが故障し、スピーカの切替えができなくなりました。リレーといえば少なくとも数万回のON/OFFにも耐えられる部品のはずですが、のべ数百回のON/OFFで動かなくなりました。
BRAVIAブランドの平面ガラスがはやっていた頃、購入した28型のアナログハイビジョンテレビ。画面の暗い部分が黒く潰れてしまうのには参りました。これ欠陥品じゃないのと思いました。小音量時の音量調節がやりづらく、大き過ぎる音か小さ過ぎる音かのどちらかしか選べません。消費者の使いやすさが考慮されていないと感じました。開発現場は騒音で騒がしいので静かな環境で聞くシーンを想定できていないのだと思いました。
テレビ番組をハードディスクに録画できるという、従来の製品ジャンルになかった新製品は、購入後1年あまりで番組予約ができなくなりました。ソフトウェアの重大なバグであることは明らかでしたが、もうその頃にはSONY製品のいい加減さに呆れていましたので、またかという感じでした。
その後で購入したパナソニックのテレビは、音量の調節がとてもしやすく、変化する音声出力の強弱を平準化する機能も有しており、とにかく消費者の使いやすさがよく考慮されていて、SONY製品とは雲泥の差でした。
確かにSONY製品が優れていた時代があったのは確かです。それは90年代初めごろまでだったように思います。
私にとって「SONY」は粗悪品の代名詞となっております。
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