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1950年ごろの日本、農家の割合は、全戸の40%とかでしたが、2010年は、5%以下になりました。それでも農産物の生産量は増えました。
衣料品もあふれているだけでなく、流通の革新で衣料問屋のほとんどが仕事の仕方を変えました。住も数としては余っているくらいで、供給能力となれば過剰です。
今までずっと衣食住が足りない時代だったのですが、ここにきて、衣食住が足りるという、物的には豊かな時代になったのです。今までの経済の目標、物的に豊かにする、は、達成されました。
大成功です。
経済学は、大成功する経済のやり方を研究してきました。
しかし、衣食住が足りるようになった今、経済学者も、そして多くの人々も、次、どうするかを見いだせないでいます。
悪いことに、いままでの延長で、"安い、速い、良い品質"を継続して追求すると、自分たちの首を自分たちで締めてしまいます。
たとえば、8000人が住む、関ケ原町(天下分け目の合戦を行ったところ)で、農業の効率をさらにあげるために大規模化するとして、何戸が農業をやることになるでしょう?
合衆国の規模で、10戸とか、20戸とかになり、農業従事者は、100人に満たなくなります。オーストラリアの規模なら、もっと少なくなります。関ケ原町の人々は、じゃあ、何をします?パチンコでしょうか、それとも名古屋に移住でしょうか?で、名古屋に出て何をします?
同じことは、日本全国、過半の地域で言えます。
経済のやり方を、見直す時でしょう。衣食住が足りない時に発達した経済学もだから未知の領域を開拓するときでしょう。
経済学は、封建制度下の経済を研究しませんし、部族経済も研究しません。データが残っていないことが、一番大きな理由です。経済学は、科学でありたいとの望みから、データがなければ、始めることができないので、社会実験的な特区とかを作ってデータをとることも必要なのでしょう。
今までのやり方を続け、うまくいくのであれば、大きく変わる必要はありませんが、それを続けると、物やサービスを提供する側は、ますます人の時間を奪い合い、失業は漸増します。(時間の奪い合い、ここに、精神疾患の数が増えている原因があると思います。)
そもそも経済をやるのは、生物的な種として、あるいは部族として生存できるのが、一番の目標でした。足りるようになったのであれば、今までとは異なる目標を立て、それを競うのが時代にあっていませんか。
一言でいうと、部族経済とゲームというか愛で楽しむことでしょう(参考は、↓に)。"さぬきうどん駅"も、"萌え寺"も、ほんの一例だと思います。
部族的な土台の上に、ゲームをやるというか、愛で楽しむ多様性を競うという構図です。
土台は足りるのですから、着実に維持すれば良いのです。まず、そういう社会を意識することが出発点だと思います。
おそらく、子育てや、介護などは、資本主義経済というより、部族経済で考えるほうが良いのではないかと思われます。鳩山さんや小沢さんの直感もそのあたりにあるのではないでしょうか。
また、失業の問題も、部族経済から見ると、今までとは異なって見えます。福祉という考え方を止めます。部族として、どれだけの資源があり、それを、どうやって配分するかに視点を変えます。
部族としては、食料も衣料品も、捨てるほどあります。10万台の車は、10万人で作ろうが、5万人で作ろうが、10万台の車で、部族には、10万台あるわけです。
そこで、部族としては、まず、すべては、部族の維持のためだと、明確に意識します。その上で、どこまでは部族的に配分し、どこからは、ゲーム的な競争を楽しむかを決めていけば良いわけです。
部族的な配分を考えるとき、税や年金の徴取は、ひとつのやり方で、それに限りません。他にもやり方はあります。
衣食住が足りない時代は、税が優れたやり方だったのですが、衣食住が足りる、余る時代には、他のやり方もありえます。("財源が"などの議論は、そのうち、古い観点にしばられた議論だったと振り返ることになるでしょう。足りない時代には、売り惜しみは常に起きるので、取り立てることになりました。税です。)
失業者が余る物を取りに行くとみなせば、取りに行くとき、部族のために何かをしたというような証明書があれば、取っても良し、そんなやり方があるわけです。
子育てから看取りまで、部族の仕事は常にあります。人という種の維持から見ると、失業者には、常に、何らかの貢献をしてもらえるわけで、貢献してもらった証明書を、部族が出します。
証明書は、部族発行の通貨というか、給料の形で出せます。部族の仕事では儲ける必要がありませんから(子育てや看取りで儲ける必要があります?)、部族として足りている資源がいきわたるようにすれば良いわけですから、給料総額は失業者の数に比例し、それが回るだけです。
当面は、競争して資源の質をあげる人々の給料より低く設定する必要があるでしょうが。(対外的な仕事、防衛、あるいは治安などは、別でしょうけど。)
そして、各地域の人々が、部族経済の主体となるのでしょう。
−− 技術的には、捨てる物というか余力になった分を積み、それを信用にして部族発行通貨をはじめても良いです。ポイントを出し合って貯めても、すぐに兆の規模に達します。 −−
参考
すでに、経済社会は、ゲームが主流、という方向にシフトしています。電子産業と言いますが、電子産業が作りだす物は、大半が、余暇用です。スマートパッドとか、電子図書とか、携帯・・・、そして、テレビも。航空機産業ですが、飛行機の乗客は、過半が遊び目的でしょう。
このように、人々の余暇時間、遊びの時間のための産業が、過半です。
昔ながらの衣食住を足るようにする産業は、2割、あっても3割です。売り上げでみると、パチンコは20兆円、農林水産業ぜんぶ合わせて8兆円。(パチンコ、多いときは、30兆円でした。)
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