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経済分析の哲人が斬る!市場トピックの深層
【第60回】 2012年4月11日
人口動態が迫る「ホーム・バイアス」の見直し
――森田京平・バークレイズ・キャピタル証券
チーフエコノミスト
フラット化する「賃金カーブ」
少子化や高齢化は国レベルだけでなく、企業レベルでも生じている。すなわち、企業内で若年労働者に対する高齢労働者の割合が高まっている。その結果、かつてのような「年功序列賃金」の維持は一層難しくなっている。
実際に「年功賃金」の性格は、景気循環とは独立して弱まっている。働き始めた年である「勤続年数0年」を100として、1970年から直近2010年までの「賃金カーブ」を描くと、明確にフラット化している(図表1参照)。
特に勤続年数が10〜14年より長いところで、賃金の上昇幅がかつてと比べてかなり小さくなっている。これは、少子高齢化が進む中、年功型の賃金制度を維持することが難しくなっていることを示すものだ。勤続年数を蓄積しても賃金の上昇度合いが低いとすれば、それは賃金の期待成長率(労働力に対する期待リターン)の低下につながる。
労働力の「デフォルト」リスク
期待成長率の低下のみではない。失業率は景気に連動する「需要不足失業率」と、その他の構造的な問題に根差す「均衡失業率」に分けられる。たとえば、どんなに景気が良くても、労働力の需要と供給の間でスキル、年齢、地理などのミスマッチがあると、一定水準以上に失業率は改善しない。
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2000年代に入ってから、こうした構造要因を反映する「均衡失業率」が4%前後で高止まっている(図表2参照)。この一因として、高齢化が進む中、年齢を軸として労働力需給のミスマッチが生じている可能性が挙げられる。
「学業」を労働力への投資、「就業」を労働力の運用とすれば、「失業」は労働力のデフォルトと言える。均衡失業率の高止まりは、労働力のデフォルトリスクの高止まりに他ならない。
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リスク資産と化した労働力
少子高齢化を一因に賃金カーブがフラット化、同時に、年齢やスキルなどのミスマッチにより均衡失業率が高止まるようになった。期待リターン(賃金)の低下とデフォルトリスク(失業リスク)の上昇という形で、日本の労働力が「リスク資産」と化したようだ。
家計の「ホーム・バイアス」と
銀行の「ソブリン・バイアス」
労働力のリスク資産化は、家計のリスク許容力を一層弱めることとなった。その結果、家計の金融資産形成が預貯金など国内低リスク資産に偏る状態が続いた。
これは預貸ギャップの拡大(預金の増加、貸出の低迷)を通じて、銀行などに国債への投資を促した。家計の「ホーム・バイアス」と銀行の「ソブリン・バイアス」が、共振しながら強まる構造だ。
家計の資産形成に強い「ホーム・バイアス」がある場合でも、国内企業が活発に輸出や対外直接投資で海外経済の強さを享受していれば、家計は間接的に海外経済の強さを味わうことができるかもしれない。
しかし、以下に見るように、日本では「国内企業が海外経済の強さを享受していれば」という前提がマクロレベルでは当てはまらない。
グローバル化の遅れ(1):
輸出のGDP比の低さ
輸出の位置づけから見ておこう。名目GDPに占める財・サービス輸出の割合を見ると、日本は15%(2010年)となっている(図表3参照)。これは25〜30%の英国、フランス、中国、40%を超えるドイツ、50%を超える韓国と比べて突出した低さ。日本並みに低いのは主要国では米国ぐらいであろう。
次のページ>> ホーム・バイアスは、リターンの低さではなくリスクそのもの
しかも、驚くことに、日本ではこの割合が過去30年間ほとんど変わっていない(たとえば1980年代の同割合は12%と、2010年の15%とほぼ同じ)。つまり、GDPの需要構造で評価する日本の経済構造は、輸出依存度が高いどころか低すぎる。
グローバル化の遅れ(2):
対外直接投資残高のGDP比の低さ
海外経済とのつながりという点では、直接投資(対外、対内)も重要だ。日本については、対外直接投資が対内直接投資を大きく上回ることは広く知られている。しかし、その対外直接投資も絶対額を見ると、むしろ小さいと言わざるを得ない。
対外直接投資の残高をGDP比で見ると、直近2010年で日本はたった15%程度に止まる。英国(75%)、フランス(60%)、ドイツ(44%)、米国(31%)など他の先進国と比べると、その低さは歴然としている。韓国よりも若干高い程度に過ぎない。先ほどGDPに占める輸出の割合では米国は日本並みに低いとしたが、直接投資残高では米国は日本を大きく上回る。
結局、マクロレベルで見ると、日本では貿易、直接投資の両面から見てグローバル化が浸透していない。これは、企業活動を通じて海外経済の高成長を国内に取り込む経路が細いことを意味する。日本の家計のホーム・バイアスは、海外の高成長を反映しにくいという意味で、相対的に低いリターンに直面しているといえよう。
今後の「ホーム・バイアス」の問題:
リターンの低さではなくリスクそのもの
しかし、今後の人口動態を踏まえると、「ホーム・バイアス」の問題はリターンの低さからリスクそのものへと深刻度を増しそうだ。背景として、人口動態がもたらす経常収支への影響が無視できない。
経常収支は、家計、企業、政府など国内主体の貯蓄投資差額(ISバランス=貯蓄−実物投資)の合計に一致する。このため、経常収支は一国の「連結会計」と位置づけられる。日本の貯蓄投資差額(つまり経常収支)においては、家計が一貫して貯蓄余剰主体である。したがって、家計の貯蓄行動は経常収支を展望する上で重要な要素である。
次のページ>> 高貯蓄率人口は、2015年にかけて順次ピークアウトする
「高齢化」と「少子化」が
下げる貯蓄率
日本には、年齢別の貯蓄率のデータがない。そのため次善の策として、「世帯主の年齢」に基づいて貯蓄率を分解した(図表4参照)。
60歳以上の貯蓄率を見てみよう。もともとこの年齢層の貯蓄率は、他の年齢層よりも低い。したがって、「高齢化」は家計全体の貯蓄率を下げる。加えて、直近2010年にはこの層の貯蓄率が11.7%と、1980年以降の最低水準を記録した。
その背景には、「少子化」によって遺産を残す動機が弱まった可能性を指摘できる。つまり「高齢化」と「少子化」が折り重なる形で、家計の貯蓄率に下げ圧力をかけている。
一方、世帯主が20〜40歳代の家計では、貯蓄率は上昇してきた。特に30〜44歳は貯蓄率が安定して高い。これらの年齢層は雇用や所得の将来不安に加えて、年金制度に対する不信感がある。そのため「公助」ではなく「自助」に注力する形で、自らの貯蓄率を上げてきた。
高貯蓄率人口は2015年にかけて
順次ピークアウト
ここで問題となるのが、高い貯蓄率を有する30〜44歳人口が2008年に歴史上最後とも言えるピークをつけ、2009年から長期の減少過程に入ってしまったこと。
主因は、@1971〜74年生まれの第2次ベビーブーム世代(団塊ジュニア)が30〜44歳という年齢を超えたこと、A第3次ベビーブームが起きなかったこと、の2点にある。高貯蓄率の年齢層を「30〜34歳」「35〜39歳」「40〜44歳」に分けて見ると、2015年にかけてこれらの層が順次ピークアウトする(図表5参照)。
次のページ>> 本稿の結論、人口動態は対外証券投資の重要性を高める
「高齢化パート1」から
「高齢化パート2」へ
貯蓄率が高く、かつその水準自体を高めてきた30〜44歳人口の絶対数の減少を伴うという意味で、日本の高齢化は2009年以降、新たな局面に入った。高貯蓄率人口の増加を伴った1990年から2008年までの高齢化を「高齢化パート1」と呼ぶとすれば、2009年以降の「高齢化パート2」は、これまで以上に家計の貯蓄率を抑制する可能性が高い。
その結果、経常収支黒字が縮小ひいては消滅することになれば、それこそが日本の対外ソルベンシー(支払い能力)の弱まりを象徴する。
筆者は経常収支黒字が消えうる最も早いタイミングとして、2018年に警戒している。この段階に至ると、銀行などの「ソブリン・バイアス」のリスクが意識され、これが預金者である家計の「ホーム・バイアス」に徐々に見直しを迫る可能性が出てくる。
人口動態は対外証券投資の
重要性を高める
少子・高齢化は、経常収支の変化を通じて日本の対外ソルベンシーを弱めるリスクがある。同時に、社会保障関連の歳出を増やすことで財政運営の裁量を著しく狭める。
こうしたなか、政府が国内でリスク分散の機会を提供することには限界がある。加えて、前述したように、日本はマクロレベルで見ると、企業活動(貿易、直接投資)を通じて海外の高成長を国内に取り込む経路が細い。
結局、対外証券投資という形で海外の高成長を取り込み、国内人口動態のリスクを分散することが中長期的に重要となる。「人口動態は対外証券投資の重要性を高める」が本稿の結論だ。
質問1 あなたの家庭の「貯蓄」は、以前と比べてどう変わってきた?
島本幸治 [BNPパリバ証券東京支店投資調査本部長/チーフストラテジスト],高田 創 [みずほ総合研究所 常務執行役員調査本部長/チーフエコノミスト],森田京平 [バークレイズ・キャピタル証券 ディレクター/チーフエコノミスト],熊野英生 [第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミスト]
http://diamond.jp/articles/-/17060
山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
「鉄板!生活」のマネー・プランニング
老後への危機感こそ最大の商材
金融業界に煽られる不安の正体
内外を問わず、「老後不安」こそ、金融・運用業界にとって最大の「商材」だ。「老後にはカネが必要だ。カネのない老後は心配だ!」と顧客に印象づけることによって、金融・運用業界は、判断力の乏しい顧客のお金を実質的な手数料の高い商品に惹きつけて来た。
不安を煽って、その解決策であるかのように商品・サービスを売りつけることは、マーケティングの常套手段の1つだ。金融・運用業界だけが特別に悪いわけではない。
しかし、資金運用は動かすお金の金額が大きい。それだけ多くの手数料(顧客にとってはマイナスのリターン)を、顧客は金融・運用業界に貢いでいる。不安の正体を見極めておく必要があるし、どうすれば安心なのかを整理しておきたいところだ。
特に老後に関わる「不安」の中身は、第一に、年金の不透明感だろう。公的年金の積立金は、「100年安心」という、今にして思うと、大雑把すぎて心配な言葉が流布した2004年時点の試算から見て、急速に減少している。
デフレ下では、マクロ経済スライドが機能しなかったので、年金の仕組みではなく、デフレが続いたマクロ経済政策に問題があったなど、制度設計側にも言い分があるだろうが、公的年金の制度運営が上手く行っていないという印象は年々強化されている。
また、先般のAIJ事件によって、企業年金も多くのケースで財政が悪化していることがわかった。また、JALなどのケースを見ても、いったん裁定されて金額が確定したはずのOBの年金までが、その後の事情で減額される事例が出て来た。
また、厚労省は、年金減額のための条件を緩和する方向で(3分の2以上の同意の必要条件を、過半数にするなど)検討を重ねているようだ。企業年金による上乗せが大きな制度を持つ大企業に勤めていても、将来の年金が盤石とは言い難い。
次のページ>> 将来に対する不安は、資産運用では解決できない
老後の経済的問題の核心は、高齢になると追加的に稼ぐことが難しくなるということなので、年金の実質的な支給額が不安定・不透明であることは、大きな不安要因だ。
年金不安は、もちろん金融業界の商材として利用されており、公的年金などの不足を補う「自分年金を作りましょう」といった甘言の下に、顧客に大きなリスクを取らせ(もちろん手数料も厚く)、目先の分配金を膨らませた投資信託を売ったり、外貨建てのものも含めて顧客の得になるか怪しい年金保険を売ったりしている。
もう1つの不安材料は、将来の資産の価値だろう。現象面から見て、現在までデフレで低金利なのだから、将来のインフレを今から心配し、その対策に極度に的を絞った資産運用を行なって「リスクをヘッジ」したつもりで、かえって大きなリスクをとっている人をよく見かける。
多額の外貨預金や金などに投資していたり、限度一杯に不動産投資をしていたりするような人々だ。平均よりもお金持ちが多いので、少々損をしても致命的ではないだろうが、「ご苦労様」と言うしかない。
日本国債も通貨としての日本円も、未来永劫大丈夫だ、などと言うつもりはないが、いきなり暴落したり、いきなりハイパーインフレになったりすることは、考えにくい。金利上昇も、円安も、インフレも、それなりに時間をかけて進むはずだ。「インフレだと大儲け」(=デフレだと大損)するような極端な運用に、今から大きく賭けるのはいかがなものか。
将来不安は資産運用で解決できない
運用にできること、できないこと
雑誌の特集やテレビ番組で、お金の問題をとり上げる際には、前記のような将来の不安を煽っておいて、「これらに備えるには、どんな資産運用をしたらいいですか?」という構成をとることが多い。
しかし、考えてみよう。将来の生活に不安を持つくらいの金融資産額しか持たない人が、仮に全額を株式投資に回したところで、大した稼ぎにはならないのではないか(注:こういう方が「全額」を株式投資するのはお勧めしにくい)。
次のページ>> 消費をいかに平準化するか。老後不安問題の単純化
世帯貯蓄額の中央値は500万円付近だが、たとえば、機関投資家の運用計画で株式の期待リターンは、せいぜい金利プラス5%というところだ。現在、6%と見て、年間30万円だ。もちろん、株式投資だから、これよりも稼ぐ年もあるだろうが、逆にマイナスになることもある。
要するに、将来の生活不安の問題は、資産運用では解決できないのだ。資産運用で解決できるのは、せいぜい現在の実質的な資産価値を、なるべく目減りしないように、願わくは少し増やすように、将来に届けることくらいだ。
消費をいかに平準化するか
老後不安問題の「単純化」
将来の経済的生活不安問題は、健康に依存する問題を除くと、生涯を通じて消費をいかに平準化するのか、ということにほぼ尽きる。思考実験として、人が老後の生活資金を年金だけに頼り、年金制度がこの観点から理想的に改善されたとすれば何が起こるかを考えてみよう。
夢のような運用(たとえば、年率4.1%のリターンが比較的安定的に稼げるといった前回財政検証時の想定のような運用)は、文字通り「夢」であって実現しづらいので、手堅く実現できる範囲の運用利回りの下で理想的な負担と給付のバランスを実現しなければならない。この場合、必要なのは、将来の生活に必要な給付を得るための保険料を、現役時代に徴収することだ。
つまり、老後不安をなくするためには、自分でこれをやればいい。仮に、通貨価値の変動が資産運用の利回りによってちょうど吸収されるとしよう(厳密には自分が購入する「消費バスケット」の価値に連動する必要があるが、何とかなると考えよう)。
新入社員時代の年収は小さい場合が多いので、25歳から本格的な稼ぎの時代に入るとして、65歳の手前まで40年間働き、稼ぐとしよう。稼ぎの第一線を退いて85歳まで生きるとすると20年ある。
仮に「働いていた時期の平均的な経済生活レベルを老後も維持すること」を条件として考えると、手取り収入の3分の1を貯蓄運用に回して、手取り収入の3分の2の生活費で暮らすなら、老後に生活レベルを落とす必要はない。
次のページ>> 年金を計算に入れると?「3分の2生活方式」なら余裕
そして実は、この想定には、3つの「余裕」がある。
1つ目は、老後の生活費がおおむね現役時代ほどかからないことだ。子育ては終わっており、個人差はあるが本人も働き盛りの頃ほど飲み食いはしない。
2つ目の余裕は、物質的生産性の進歩が見込めることだ。安価でまあまあの品質の服や、パソコン、テレビなどの電化製品を見ても、技術進歩と経済発展の恩恵は明らかだ。この点は、企業の努力や新興国の発展などに感謝していいだろうし、今後も同一レベルの生活に必要なコストの改善は続くだろう。
問題は、人が「物質的に同一レベルの生活」に満足せずに、「社会的に同一レベルの生活」を追う傾向があることだ(この問題は後でまた考える)。それでも、物質的な生活水準に関しては、同一の社会的豊かさの下にあっては改善が見込めるだろう。
年金を計算に入れるとどうなる?
「3分の2生活方式」なら丸々余裕
3つ目は、先に収入も貯蓄も「手取り」をベースに計算し、年金の支給などの社会保障給付の受け取りを一切計算に入れていないことだ。つまり、「3分の2生活方式」にあって、年金は丸々「余裕」なのだ。
先に触れたように、年金財政の現況は芳しくない。今後、現在の年金受け取り世代と比較すると、実質価値でたとえば2割減、3割減といった水準に年金の受取額が減少することは覚悟しなければならないだろうが、公的年金がある年のある日を境に、企業が倒産するごとくポッキリと折れてなくなってしまうことは、戦争に負けるか、革命が起こるかでもない限り、起きそうにない。
先行き不透明で頼りない年金制度であっても、「余裕」なのだと思えば腹も立たないし、現に貰える年齢になれば、有り難いだろう。
民間サラリーマンが加入する厚生年金の保険料は税引き前収入の18.3%まで引き上げられて、これが上限になると「一応」決められている。
現在働き盛りの世代は、「実質価値で」現役時の収入の18.3%が返って来るとは考えない方がいいだろう。しかし、たとえば過去の収入の10%程度が返って来ると考えるくらいの期待を、年金に対して持ってもいいのではないか。
次のページ>> 3割を貯蓄、残り7割で暮らす「鉄板!生活」
だとすれば、おおむね手取り収入の25%を貯蓄し続けることができれば、老後の生活を心配する必要はない。
現役時代に標準的な額ということで言えば、手取り収入の25%を着実に貯蓄・運用し、残りのお金で生活するなら、基本的に老後の生活の心配はないということだ。余裕を見て30%貯蓄・運用できれば、将来の生活安定度は、その人なりのレベルでということだが、「鉄板!」と言っていいのではないか。
これは、そうでない場合には、将来の生活レベルを落とすか、将来にも収入があるような仕事や仕組みを用意する必要があることを意味する。
なお、ここで述べたような貯蓄習慣を持つと、おそらく医療保険も含めて、生命保険が必要なくなる。子どもがいる場合、まだ貯蓄が手薄な、主に30代の10年間程度の限定で掛け捨てのシンプルな保険(たとえばライフネット生命で妻と子ども1人に1000万円ずつ合計2000万円の死亡保障の定期保険に入ると、月額2406円の保険料だ)に入る方がいいかも知れないが、あとは会社で加入する健康保険で十分であり、お金を保険料に回すよりも自分で貯蓄・運用する方がかなり得になるだろう。自分で貯蓄を持つことには、こうした「自己保険」の効果もある。
3割を貯蓄、残り7割で暮らす
「鉄板!生活」の鍵はベンチマーキング
仮に、手取り収入の3割を貯蓄に回して、残りの7割で暮らすことを「鉄板!生活」と名付けるなら、その鍵は、生活レベルのコントロールにある。これができるなら、85歳が95歳までもう10年長生きしても大丈夫だろう。
また、今後年金制度やマクロ経済も含めて、社会が良くなれば良くなったなりの、悪くなればまた悪くなったなりの、しかし、不連続に没落したり、生活すること自体に不安を覚えたりすることがない生活が可能だろう。
現実に手取り収入の3割も貯蓄する慎重な人は少ないので、同一の収入レベルの人と同じような支出をしていると、「鉄板!生活」は構築できない。
しかし、収入の統計を見ると明らかなように、どの生活レベルの人でも、自分の収入の7掛けの収入の人を見つけることができるだろう。こういった人々の、衣・食・住・遊などのバランスをよく観察するといい。
次のページ>> 「当たり前」以外に、問題解決の方法はない
日本の家計の場合、固定的支出の中では、やはり住居費の影響が大きい。生命保険はほぼ全面的に節約できるとして、自動車をどうしているか、どのような娯楽に費用と時間をかけているか、子どもの教育をどうしているか、などをよく観察しよう。
ちなみに、今や教育・教養のある部分に関しては、ネットを有効に活用することによって、相当に深い分野まで無料ないしは、それに近いローコストで享受可能になった。
また、少々乱暴な言い方になるが、着る物に関しても、象徴的に言うなら「エルメスを着た豚よりも、ユニクロを着たカモシカ」の方が、男女を問わず、同性から見ても、異性から見ても魅力的だろう(注:筆者はエルメス製品の大ファンであり、エルメスに恨みはない)。
近年の若者は、かつてほど高級自動車のような他人に見せびらかす「記号的消費」に囚われなくなくなった点で、大いに進歩した。
もちろん、人間から競争心がなくなるわけではないから、高額消費以外の別の物や芸事・名声などを競ってもいいし、これを金持ちがお金で追いかける動きも止まないだろう。
また、収入の7掛けで暮らせと言っても、貧しい方が清廉であるとして「清貧」をお勧めするつもりは毛頭ない。それが面白い人もいるだろうし、稼ぐのは結構なことだ。将来の生活に不安がないとなれば、大いに稼いだ人を褒める余裕も生まれてくるというものだ。
当たり前のことかもしれないが
当たり前以外に問題解決の方法はない
今回述べたことは、書いている本人もつまらないくらい当たり前の話だったが、当たり前以外の問題解決の方法がないことをわかっていただけたのではないか。
なお、年金などの不安が高まるほど、人々は「鉄板!生活」的になるし、これは経済の縮小をもたらす。特に将来が見通せる意味での「安心」の政策的意義は、大きいことを強調しておく。
運用にできることは大きくはない。とはい言え、将来のリスクを考えた資産の運用方法については、また機会を改めて書いてみたい。
質問1 あなたの家計の見通しは「鉄板」?
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