★阿修羅♪ > 経世済民75 > 581.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「幸せ」はGDPで測れない 幸福の経済学
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/581.html
投稿者 MR 日時 2012 年 4 月 11 日 00:54:22: cT5Wxjlo3Xe3.
 

http://diamond.jp/articles/-/16952
「幸せ」はGDPで測れない
幸福の経済学


The Economics of Well-Being
2012年4月11日 ジャスティン・フォックス 

国家の成功の尺度は長い間、国の経済産出量のドル換算額、すなわち、当初はGNP(国民総生産)、後にはGDP(国内総生産)で表されてきた。これは、かつての軍事的勝利によるランク付けよりも優れた方法だった。

しかし現在、GDPは攻撃の的になっている。その批判は次の3つに集約される。@GDPはそれ自体欠陥のある指標である、A持続可能性や持続性を考慮に入れていない、B進歩と開発の測定には別の指標のほうが優れている場合がある、というものである。

他方、心理学的研究を重要視する行動経済学が台頭し、経済学者と国家のリーダーたちは、国の状態を別の基準で、しかも「幸福」のような曖昧とも思える概念で測定しようと試みている。たとえば、UNDP(国連開発計画)のHDI(人間開発指数)の取り組みや、GNH(国民総幸福量)の最大化に熱心なブータン王国の例などが挙げられる。このように、GDPの代替案について各界で真剣な議論が高まっており、経済政策に実際的な影響を与えるようになるかもしれない。

豊かさの基準は何か

 お金がすべてではない。しかし国家の成功の度合いの尺度としては、これまでお金以外の基準はほとんど存在しなかった(もちろん、スポーツは例外であるが)。第二次世界大戦以降、この目的で広く使われてきた指標は国の経済産出量のドル換算額で、当初はGNP(国民総生産)、のちにはGDP(国内総生産)で表されている。

ジャスティン・フォックス
Justin Fox
ハーバード・ビジネス・レビュー・グループのエディトリアル・ディレクター。著書にThe Myth of the Rational Market, HarperCollins, 2009. (邦訳『合理的市場という神話──リスク、報酬、幻想をめぐるウォール街の歴史』東洋経済新報社、2010年)がある。
 これは長い間、最も由緒ある基準であった、軍事的勝利によるランク付けよりも優れた方法である。そして、GNPとGDPで富が測られる時代は、生活水準と富がグローバルで大きく上昇したことによって特徴づけられる。

 しかし現在、GDPは攻撃の的になっている。経済学者と国家のリーダーたちは、国の状態を別の基準で、しかも「幸福」のような曖昧とも思える概念で測定しようと発言することが増えている。

 2009年に行われたGDPに代わる尺度の研究は、フランスのニコラ・サルコジ大統領がその前年に委託し、経済学者のアマルティア・セン、ジョセフ・スティグリッツ、ジャン=ポール・フィトゥシがその指揮を執ったもので、世界じゅうで専門家を騒がせている。それに続いて2011年10月、世界の富める国の連合体であるOECD(経済協力開発機構)は、加盟国の「幸福度」(well-being)に関する報告書How's Life?(幸福度の測定)を発行した。

 民間のレガタム研究所は、2007年から毎年、世界各国の繁栄指数(Prosperity Index)を発表している。これは経済指標とその他の指標を高度に組み合わせたものである。

 各国がこの種の指標づくりに熱心に参加しており、イギリスのデイビッド・キャメロン首相は国の幸福度を測定するプランを明らかにして大きな波紋を呼んだ。GDPの対抗馬として何十年も前から試みられているUNDP(国連開発計画)のHDI(人間開発指数)の取り組みや、GNPやGDPではなくGNH(国民総幸福量)の最大化に熱心なブータン王国の例もある。

 ビジネスに身を置く者ならだれでも、「測定できないものは管理できない」という格言を知っている。そのため、GDPの代替案についての議論は若干取りとめのないものに見えるかもしれないが、各界で真剣な議論が高まりつつあるため、経済政策に実際的な影響を与えるようになるかもしれない。

 またこれは、総合的な成功の度合いを測定する新たな指標を採用しようという一部企業の取り組みとも軌を1にしている。そのため、このようなムーブメントがどこから始まり、どこへ向かっているのかを検討することには意義がある(注)。

【注】
業績指標の拡大が経営管理上の新しい優先事項にどうつながるかについてはChristopher Meyer and Julia Kirby, "Runaway Capitalism," HBR, January-February 2012. (未訳)を参照。

次のページ>> 幸福計算からGDPへ

幸福計算からGDPへ

 この問題に関する説明は、イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムから始まる。彼は1781年、「行為」がどの程度の幸せを生むかによって、その行為の有用性を評価するという、「功利の哲学」をまとめ上げた。当時は啓蒙主義の時代で、思想家たちは宗教に基づく規範を合理的で科学的な意思決定と生活の指針へと置き換えることを目指していた。

 ベンサムは、12の苦痛(感覚の苦痛、不適応による苦痛など)と14の喜び(友好の喜び、富の喜びなど)を比較することで、あらゆる行為について、ある種の幸福計算を行うことを提唱した。

 功利という基本的アイデアは高く評価されたものの、ベンサムのアプローチはあまり評価されなかった。喜びと苦痛を1人ひとり比較できるように計算するのは、あまりに困難で煩雑であったためである。

 功利の概念を最も熱心に採用していた経済学者たちは、これに代えて、人間のニーズと願望を目に見える形で表現するという方法に注目するようになった。それは「どれほどのお金を支払う意思があるか」である。

 この取り組みは1930年代、厚生経済学を純粋に数学的な用語で説明するという、経済学者ポール・サミュエルソンの試みによって頂点に達した。これとほぼ時を同じくして、アメリカの2人の経済学者サイモン・クズネッツとイギリスのリチャード・ストーンが、GNPとGDPの基となる国民経済計算の体系を構築しつつあった。

 彼らはそれほど功利に関心があったわけではなく、財政危機と戦争のさなかにおける、政策決定者による国民経済の管理に役立てることが主な目的であった。

 しかし、これは単純明快な測定指標であり、支出パターンがすべてを明らかにするという経済学者の信念に加え、高まる経済学者の影響力と権威が相まって、大きな影響力を及ぼした。40年代には、IMF(国際通貨基金)と世界銀行が新設され、それらによって経済成長の主要指標としてGNPが採用され、年を経るなかで「成功」と「幸福」という、より深い含意を持つようになった。

 短期的な経済変動の測定という当初の目的に関しては、近い将来、GDPが別のものに取って代わられるとは考えられない。むしろその地位をより確固たるものとするかもしれない。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)や各国の中央銀行では、危機の時期にはインフレ率よりもGDP成長率に注目すべきではないかという議論が広く行われているほどである。

 しかし、短期的な上昇や下降という問題の先へ進むと、話は複雑さを増す。ロバート・ケネディは68年の大統領選挙戦の際の遊説で、こう述べている。

「わが国のGNPは(中略)大気汚染やタバコの広告、幹線道路から死体を取り除くための救急車を計算に入れています。自宅の扉や監獄を破られないための特殊な鍵を計算に入れています。伐採された杉林や、都市が無秩序に拡大することで失われた貴重な自然を計算に入れています。(中略)しかし、我々の子どもたちの健康や教育の質、遊びの楽しさは含まれません」

 当時、ケネディの批判はほとんど注目されなかった。その後になって有名になったが、それは当然そうなるべきものであった。GDPに対する主要な批判のほぼすべてを簡潔に言い表しているからである。

 その批判は、以下の3つの大きな要点から成る。

1. GDPはそれ自体欠陥のある指標である。
2. 持続可能性や持続性を考慮に入れていない。
3. 進歩と発展の測定には別の指標のほうが優れている場合がある。

 以下に、これらのポイントを詳しく見ていこう。

次のページ>> GDPはそれ自体欠陥のある指標である

1 指標の誤り

 GDPを算出するには数多くの選択を行う必要があり、合理的な選択でさえ偏った結果につながる可能性がある。統計学者たちは当然ながら、売買により市場価格で簡単に価値を測定できる財とサービスのほうを好み、価値を推定しなければならない経済活動はあまり好まない。


図表1『所得ランキング上位国』
拡大画像表示
 無償の家事労働などは経済的にきわめて重要なのは明らかだが、計算から除外されている。さらに、医療の提供などの政府プログラムの価値は、余暇の価値と同様、基本的に実際より過小評価される。

 しかしその一方で、推定を嫌う傾向も首尾一貫したものではなく、たとえば、もし住宅所有者が住宅を所有していなければ支払っていたであろう金額の推定値である「帰属地代」は、アメリカのGDPの約10%を占める。

 GDPに必然的に伴うもう1つの恣意性は、80年代と90年代初頭にGNPから切り替えられた際に紛れ込んだものである。

 GNPでは、その国の国民の所得を、世界のどの場所で得たかに関係なくすべて算入していた。ところが、貿易と投資がグローバルで成長するにつれて、雇用や工業生産といった国内指標とGNPに食い違いが見られるようになった。そのため、国内生産のみを測定するGDPに移行するほうが理にかなっていた。

 しかしこの変更によって、多くの国で成長軌道が変化した。海外からの直接投資の多い開発途上国ではGNPよりもGDPのほうがはるかに早く成長したが、必ずしもその恩恵を被ったわけではない。投資収益のほとんどは多国籍企業の手に渡ったからである。

http://diamond.jp/mwimgs/0/0/-/img_002ab456bca5635b0d7c753af591c78887084.jpg

次のページ>> 持続可能性や持続性を考慮に入れていない

2 持続可能性

 ケネディの発言が明らかにしているように、GDPは、天然資源をむしばむ経済活動(杉林の伐採など)、将来の浄化コストや病気の原因となる経済活動(汚染など)、あるいは、コスト計上されない災害の単なる復旧(救急車など)と、国富を増大させる経済活動とを区別できない。経済成長の持続可能性(環境面であれ何であれ)を測定するには、もちろん推定が必要となる。

 一般に「グリーンGDP」と呼ばれる指標の主唱者であるコロンビア大学教授ジョセフ・スティグリッツは、持続可能性に関する推定値は、現在GDPに含まれている推定値と比べても、その信頼性において遜色がないと考えている。彼は最近、「資源の枯渇や持続可能性のいくつかの側面を考慮に入れることは、実に簡単なことだ」と私に語った。

 エネルギー使用量や汚染の追跡がさほど困難ではないことは事実である。しかし、政治はけっして一筋縄ではいかない。

 ビル・クリントン政権は就任直後、アメリカのGDPを測定する機関である商務省経済分析局に対してグリーンGDPの開発を強く求めた。ところが、ウェストバージニア州選出のある連邦議会議員がこの取り組みを中止させた。同州の石炭鉱業が打撃を受けることを恐れたのである。中国のグリーンGDPの取り組みはこれよりはるかに進んでいたが、ここでも結局は、反対者によって頓挫させられた。

次のページ>> 進歩と発展の測定にはほかの指標が優れている場合がある

3 その他の指標

 生活のなかにある、価値ある事物の多くは、GDPによって完全にとらえることはできない。しかし、健康、教育、政治的自由などの指標によってこれらを測定することが可能となる。

 インド人経済学者アマルティア・センは80年代に、GDPに算入される「財」(commodities)と算入されない「潜在能力」(capability)とを区別するというアイデアを提唱した。

 数年後、大学時代の友人だった、パキスタンの経済学者マブーブル・ハクが率いるプロジェクトで、センはこのアイデアを実現させた。その成果は、GDPを代替する試みとしては現在までで最も成功したものとなっている。

 ハクは、70年代に世界銀行で当時の総裁ロバート・マクナマラを支える最高顧問を、80年代にはパキスタンの財務大臣を務め、89年にUNDPに加わった。パキスタンなどの貧しい国々にとって、GDPだけを基準に開発を迅速に推し進めることの難しさに長い間頭を悩ませてきた彼は、経済発展の測定方法を改善するプロジェクトを企画し、センをはじめとする数人の著名な経済学者に協力を依頼した。

 このグループは、世界各地で手に入りやすかった平均余命と学歴のデータでGDPを補完することにした。また、これらの数値を組み合わせてシンプルな指数をつくり、各国をランク付けできるようにした。これはハクによる最も重要な貢献である。

 2010年のUNDPによるインタビューで、センは次のように回想している。

「私はハクに、『君は、GDPのような1つの数字だけで複雑な現実をとらえるのは乱暴だと理解できるだけの知性を持った男であるはずだ』と言ったのです。すると彼は、後で私に電話してきて『まったく君の言う通りだ。HDIも乱暴すぎるかもしれない。しかし君には、GDPと同じくらい乱暴だがGDPよりも優れたその指標づくりを手伝ってほしい』と言いました」

 90年に発表された最初のHDIは、当時、1人当たりGDPで他国を大きく引き離してトップに立っていたアメリカを、日本、カナダ、オーストラリア、欧州のいくつかの小国に続く10位にランクづけた。また、複数の国々、特にスリランカ、ベトナム、中国などを、生活水準の面で経済力以上の実力を持つ国と判定した。現在、開発研究の分野でHDIは有力な指標となっている。


図表『HDIランキング上位国』
拡大画像表示
 年一回発行される『人間開発報告書』では、主要な指数はあまり変わっていないものの、持続可能性や所得分布など他のさまざまな指標も取り扱っている。最新の報告書では、アメリカはHDIで4位だが、不平等調整済みHDI(国内の不平等の程度を加味した指数)では23位に留まっている。

 HDIは、多くの類似の指標が開発されている。たとえば、ヘリテージ財団の経済自由度指数やトランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数などの単一テーマのランキングから、前述のレガタム繁栄指数などの幸福度を測定するような広範な指標に至るまで、多岐にわたる。


図表3『不平等調整済みHDIランキング上位国』
拡大画像表示
 いまや十分な統計学のスキルと時間を持つ人ならだれでも、自分の目的に合った国別ランキングを作成できる。OECDのウェブサイトでは、統計学のスキルがない人でも同様のことができる仕組みを提供しており、訪問者が最も関心のある指標をいくつか選択すると、その人だけの国別リストが生成できる(私のリストでは、オーストラリアがナンバーワンである)。

次のページ>> 幸福度の測定


幸福度の測定

 データ・セットを処理して「乱暴な」指標をつくる代わりに、データの表示の仕方を改善するという方法もある。数十年間にわたって数多の開発途上国で医療活動を行ってきた医師ハンス・ロスリングは、90年代末にスウェーデンのカロリンスカ研究所で国際保健部門の教員となった。

 自分が目の当たりにしてきた、発展に関する複雑な事情をいかに伝えるかに苦心した彼は、息子と義理の娘(いずれも芸術家)に協力を仰いだ。その成果が、さまざまな指標が時間の経過とともにどのように動くかをアニメーションで表示するソフトウエアである。後にこのソフトウエアはグーグルに買収された。

 興奮したスポーツ・アナウンサーのようなロスリング自身のナレーションがついたこのソフトウエアは、GDPランキングのきわめて有力な代替候補となっている。何しろ、2006年のTED(テッド)のカンファレンスでのロスリングの講演は、380万回以上も閲覧されたほどである。

 経済データやその他のデータは、単一の数字やランキング表として表示するよりも、さまざまな指標を示したダッシュボード形式(関連する諸指標のセット)で表示するほうがよいという考え方が、専門家や政策決定者の間で大きな話題となっている。

 GDPの代替案に関するサルコジ大統領の2009年の報告書には、「ダッシュボード」という言葉が78回登場する。しかし、このダッシュボードという考え方は、一般市民の関心をとらえるには至っていない。人々の心をとらえたのは、サルコジ大統領の報告書に29回(そのほとんどが参照文献欄)しか登場しない言葉、すなわち「幸福」である。

 おそらくこれは、そう驚くべきことではない。そもそも幸福は、その昔、ベンサムが最大化しようと躍起になっていたものである。50〜60年代になって、心理学者と社会学者がこれを定量化できないかと再び問い始めた。一般市民の気分を測定(場合によっては決定)するものとして、当時全盛期にあった世論調査が、その試みを牽引していたのは明らかである。

 経済学者のリチャード・イースタリンは幸福度の議論を自身の学説に導入し、74年の論文のなかで、国民の幸福度に関する意識調査の結果は1人当たり所得とあまり相関しないと指摘した。一般に同一国内では裕福な人のほうが貧しい人よりも幸福だが、裕福な国が貧しい国よりも幸福とは限らなかった。またある一定の水準を超えると、時間の経過とともに所得が増えても幸福度は上がらなかった。

 この「イースタリンの逆説(パラドックス)」が他の経済学者から大きな注目を集めるには、かなりの時間がかかった。しかし最近、心理学的研究を重要視する行動経済学が台頭してきたことで、幸福度に関する意識調査が劇的に増えている。

 このトレンドはブータンが話題になったことで拍車がかかっている。ブータンの前国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクは、即位して間もない70年代にGNHを提唱し始めた。

 この理念が世界に知られるきっかけとなったのは、『フィナンシャル・タイムズ』紙が87年に行った国王のインタビューである。

 それ以降、幸福の巡礼者がブータンに長蛇の列をつくり、国王は最終的に、発展指標と世論調査データで測定できる十分な具体性を備えた指標へとGNHをつくり変えるに至った。

 幸福度調査への関心の高まりは、イースタリンの逆説への批判的検討にもつながった。ペンシルバニア大学ウォートン・スクール助教授ベッツィ・スティーブンソンと同校教授ジャスティン・ウルファーズの2人の経済学者は、何十年分もの世論調査データを再検討し、この逆説に異議を唱えたことによって、2008年に大きな注目を集めた。少なくとも、裕福な国の人々は貧しい国の人々ほど幸せではないという部分は間違いだというのである。

「時間の経過とともに所得が増加しても幸せは増えない」という議論を完全に反駁するには至らなかったが、2人が集めた証拠が議論をより複雑なものしたのは確かである。

 一方で、他の研究者たちは、自分の生活にどれだけ満足しているかを採点するよう求める幸福度調査と、特定の時点における感情状態に注目する調査とを区別するようになっている。前者は所得と密接に関連しているが、後者はそうではない。

 心理学者で行動経済学の先駆者であるプリンストン大学教授ダニエル・カーネマンは、経済学者アラン・クルーガー(現在はバラク・オバマ大統領の下で経済諮問委員長を務める)とともに、アメリカで「国民時間計算」(national time accounts)の作成に取り組んできた。これは、労働統計局が2003年から実施している時間の利用に関する意識調査に経済価値の指標を組み合わせるもので、おそらく幸福度も含まれることになる。

 この概念は独自の複雑で正確な計算を幸福度の研究に応用するが、これまでとは違って「分」の時間単位も使用する。さらに特筆すべきは、利益集団がこれに反対する明確な理由がないということである。

*   *   *

 このようなムーブメントを推し進めようとする経済分析局の意志には限界もある。同局職員数人による2010年の論文は、GDPの概念を拡大するならば「非市場活動や市場と関連の深い活動の経済的側面に注目すべきであり(中略)そのような活動が社会の厚生に与える影響を測定しようとすべきではない」と結論づけている。

 それでも彼らは「経済計算の範囲をこのように拡大するならば、既存のGDPの計算を維持し、更新し、改善するのに必要な資金を犠牲にしないことが肝要である」と警告する。

 幸せはお金で買えない。しかし、幸せを測定する能力は買えるかもしれないのである。

編集部/訳
(HBR 2012年1-2月号より、DHBR 2012年5月号より)
The Economics of Well-Being
(C) 2012 Harvard Business School Publishing Corporation.
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2012年4月15日 17:00:56 : txKoq6KBVw
あの池田信夫大先生! 昨年原発稼働せずにGDP1%失ったとおっしゃいますが、原発稼働したためにGDP50%失った現実をお忘れになってるようですな。アルツハイマー発症だと思います 

ツイッターより


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 経世済民75掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 経世済民75掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧