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市川文子 [株式会社博報堂イノベーションラボ 研究員]
アイスランド再生への知恵(1)
困窮するシングルマザーが市民運動を起こした訳
経済危機の影響で生活が立ちゆかなくなった、シングルマザーのアスタさん。フェイスブックを通して世界の人々と情報を共有する彼女は、アイスランドを出ても同様の課題にぶつかる、と悟り、彼の地で生活を続ける道を選んだ。そして、彼女をはじめ市民が力を結集して政府に訴え、新たな社会・経済システムを構築しようとしている。
男が海に出る地の女性は強い、と言ったら偏見だろうか。気仙沼でも、アイスランドでも、凛として前を向いた多くの女性に出会った。
アイスランドの女性で有名なのは、ヴィグディス・フィンボガドッティルである。アイスランド4代目の大統領であり、世界で初めて国民によって選ばれた女性のトップだ。1980年から96年まで4期16年の間、任期を務めた。シングルマザーであり、片胸を摘出した乳がん患者であった彼女は、選挙中、対立候補の男性から次のように揶揄された。「男でもないし、まして女としても半分しか機能していない人間が、大統領になれる訳がない」。彼女は選挙に勝ち、こう返している。「私はアイスランドを授乳して育てるのではない、アイスランドを率いるのだ」。
近年、この逸話をTEDという国際会議で紹介した女性がいる。ハッラ・トーマスドッティル。女性投資家だ。彼女は2007年、友人のクリスティン・ペトルスドッティル(Kristin Petursdottir)とともにオイズル・キャピタル(Audur Capital)という投資銀行を設立した。複雑で分かりづらい金融派生商品は、一切顧客に薦めない。危機を経てなお、順調に成長している銀行のリーダー だ。
ハッラさんは、TEDのスピーチをこう締めくくった。「男性か女性か。ビジネスか慈善事業か。そんな二者択一の議論にはうんざりだ」。多様な各者が役割を果たすことで、私たちはあらゆる変化に対応でき、持続可能な社会を築くことができる−−−それが、彼女の一貫した姿勢である。
被害者でありリーダーであることの自然さ
金融危機後のアイスランドを理解するにあたり、いつの間にか経済危機の影響を受け、生活が立ち行かなくなった人の話を聞きたいと、巡り会ったのがアスタさん(40)だ。ただし、「被害者」というイメージを払拭する、これも力強い女性だった。フェイスブックで事前に見た彼女のプロフィール写真は、若干強面。5人の子供を持つシングルマザーという。
そして、彼女は別の顔を持つ。「市民の草の根運動」を組織し、その代表として大統領とも議論を交わした活動家でもあるのだ。アスタさんも前述のハッラさんと同じく、二者択一を否定して生きるアイスランド人だ。被害者か、リーダーか。一般市民か、政治家か。こうした分断を越え、より多くの人を巻き込んで行くことでより大きな流れを生みだそうとしている。
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予想に反してとても物腰の柔らかいアスタさん。しかし、まっすぐこちらの目を見る様子には、何度もジャーナリストに対峙して来た余裕が感じられた。(沼田逸平撮影)
アスタさんに今までの人生を振返ってもらうと、一言「Moved a lot(転々としたわ)」と返って来た。デンマークやドイツなど、海外に16年。その間に生まれた子供たちはみな、アイスランド語、デンマーク語、ドイツ語をあやつるトリリンガルだ。
アイスランドは実に小さな国だ。景気が悪くなれば、それはすぐに人々の就業へと影響する。アスタさんが10代の頃から海外に出たのも、家庭の経済的な事情だ。曰く、1987年当時、アイスランドのインフレ率は60%にものぼった。彼女の母親は、持ち家を売ってかろうじて資金を作り、勤め先を求めてデンマークへ移り住んだ。
アスタさんが、家族とともにアイスランドに戻って来たのは2006年である。戻ってすぐ、彼女は旅行会社でマーケティングの職についた。築80年のボロ家を買い、少しずつ手を入れながら、つつましく暮らしていた。
落ち着いた矢先に、金融危機は起こった。景気が悪くなり、勤務先は倒産。彼女は職を失った。今抱えている1200万クローナもの借金は、家を購入した際のローンが、危機後の消費者物価指数に連動して膨らんだものだ。母親と似た運命を辿るとは皮肉だが、偶然とは言えない。それは、アイスランドが度重なる経済危機に見舞われながら、立ち上がってきた証左でもあろう。
失業中の彼女は今、修士課程に身を置き、ビジネスを専攻している。何故か。もちろん勉学のためでもあるが、最大の理由は大学院で受け取れる奨学金である。5人の子供を養う彼女に、行政が支払う失業手当は16万クローネ。とても生活していけないし、当然ローンの返済はできない。奨学金ならば、この失業手当よりはるかに多くの現金を手に入れることができるという。とはいえ、奨学金はあくまで返済が前提だ。問題を先送りしているに過ぎないことは、彼女も十分に理解している。
次のページ>> 日々の必需品は信頼出来る人的ネットワークで賄う
従来システムへの懐疑という点では、一部を切り取り先鋭的な情報を流すマスメディアへの信頼も、急速に低下している。他の人はどうやって今の事態に対処しているのか、これからも借金を払うのか、それとも踏み倒す覚悟を決めるのか――そうした切実な問題に対処するための情報源は、個人的なネットワークへとシフトした。
特にフェイスブックの威力は絶大で、アスタさんもこれを通じて世界中の様々な人たちと繋がり、情報を共有した。このため、世界の金融危機とそれぞれの国の対処法法について、彼女の知識は実に豊富だ。西はアルゼンチンから東はインドネシアまで。それぞれの国が経済破綻を起こした際どういう道を辿ったか、またIMFの支援を受けた国とそうでない国、どちらが復活を果たしているか。話は具体的で分かりやすい。
4ヵ国語を操り、ヨーロッパ生活も長かったアスタさんにとって、アイスランドを出て行くことは簡単だ。アイスランド・クローナの下落を考えれば、 国外で就労をしたほうが彼女自身の経済状態は回復する。しかし、フェイスブックを使うことで、彼女は気がついた。「イタリア、スペイン、ギリシャ。アルゼンチンもメキシコもそう。どこへ行っても一緒なのよ」。ウォール街から始まった「99%の市民のための抗議運動」への共感・問題意識は、アスタさんと同じような境遇にあり世界中で困っている女性たちを通して芽吹いていった。
従来の政治・経済システムに頼らない覚悟
首都レイキャビク市内に設置された、草の根運動の集会場。集会場設置時には大統領も訪れた
アスタさんは、アイスランドを離れず、立ち上がることを決めた。金融危機の後、女性2名と共に市民団体「Tunnurnar(樽の意。魚を入れるためのドラム缶のようなもの)」を組織。組織の名前は、彼女たちが魚を入れる“樽”を叩いて議会の注意を引いたことに由来している。
1990年に民営化された銀行は、国家予算の数十倍という負債を抱えたまま、再び国有化された。自分たちのみならず、次世代まで大きな負担となって生活を圧迫する事態を受け入れてよいのか。
次のページ>> 日本の行政に多い市民会議の「いいところ取り」
アスタさんたちの率いたデモは、アイスランド史上最大の規模となった。
アイスランド議会「アルシンギ」前で行われた市民デモ(http://tunnutal.blog.is/blog/tunnutal/image/1144092/)
気仙沼をはじめ、被災地でも行政により市民会議が次々と組織され、復興に向けて提案を募る試みが始まっている。ただ、そこで市民に求められるのは、復興の象徴となる「アイデア」だけだ。菅原茂・気仙沼市長がテレビ番組のインタビューで答えたように、行政は市民のアイデアの「いいところ取り」を期待する一方、市民からのボトムアップで地域の未来を創っていくことに懐疑的である。
しかし、主力の漁業・水産業の斜陽化で疲弊し、震災に追い打ちをかけられた被災地の復興を、これまでも衰退を止められなかった従来の政治・経済システムに任せられるのか。アイスランドの例と同じく、根深い問題は政治・経済のシステムそのものにあることがほとんどだ。その解決を、システムの中に生きる人間には託せまい。
元に戻すだけでは、地域の明るい未来は開けてこない。市民自身が、地域の持つ魅力と可能性を自覚し、新たな被災地の未来像を自ら描き、それを実現できる社会システムに変革する覚悟が必要だろう。これまで以上に、主体的で自律的な姿勢が求められる。
アイスランドのデモはやがて大きなうねりとなり、2009年には独立党のゲイル・ホルデ首相が退陣した。4月には、18年間与党を務めた独立党はそのポストを追われた。新たに与党となったのは社会民主同盟とグリーンレフトの連立政権だが、彼らもまた、市民が反対している海外預金者への資金返済を決議し、反発が高まった。「左も右も同じだ、私たちは議会に失望した」――彼らが3年以上たった今日まで、デモを続ける理由はここにある。
市民デモの矛先は当初、金融の自由化を推し進め、そのリスクに何の警笛も示さなかった首相と議会に向いたが、彼らに対する諦観とともに、より本質的な変革の要求に移っていった。前述のアスタさんは言う。「特定の個人にも政党にも怒りはない。イタリア、ギリシャ、スペイン、アイルランド。どこも同じ。左も右もなく、どの政党も市民に応えられない。怒っているとすれば、それは金融システムで私腹を肥やした人の暴威を止められなかった法制度だ」。2009年には市民たちが自発的に組織を作り、法律、特に憲法改正が検討されるようになった。国も対応すべく、せめぎ合いは続いているが、小さくても確実に社会は変わり始めている。
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