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いよいよ、薄型テレビも、3万円とか、安いのは、1万円台です。パソコンも、あれだけの機能を積んで、高くても7万円です。
駅名を、"さぬきうどん駅"にするとか、お寺の説教を"萌え"で描くのも登場しています。従来型の産業が小さくなり、遊びタイプが増えています。
そして、多くの人たちが、資本主義経済の行き詰まりを口にしています。資本主義のさらなる発展は、失業を増やすだけかもしれないと不安になっています。
ヨーロッパを見ると、ドイツが頑張れば、工業製品はおおよそ作れます。特に、生産設備は作れます。その生産設備を中国に持っていき、日常品を作ります。すると、ヨーロッパの他の人たちは、何をすれば良いでしょうか?
たとえば、ギリシャには、自動車工場はありません。しかし、自動車はたくさん走っています。物は、たくさんあります。地中海からあがる水産物も豊富で食料にも困りません。
ギリシャで足りないのは、仕事です。
こうした中、民主党の鳩山さんや小沢さんは、政治家的な直観から、今までとは大きく異なる方向を口にしました。しかし、経済学者が怠慢なのか、あるいは経済学の範囲が狭いためか、彼らの直感を裏打ちする考え方を出せないでいます。ましてや政策など夢の夢です。
なぜ、こうなってしまうのでしょう?
変化が速すぎた、速すぎるとぼやくことはできます。実際、1980年代、1年間の生産力増大は、17世紀100年分に相当するのだから、変化に頭が追いつかないと。
ぼやくのでなく、打開するには、原因を明らかにしなくてはなりません。
こうなった原因を簡潔に言うと、資本主義競争で生むものが、使う人の時間を超えたことです。
今年、10万人で10万台の自動車を作っているとします。企業は生産効率を上げますから、2年後には、同じ車なら、8万人で10万台できるようにします。
2年後、2万人は、何をすれば良いのでしょうか。
1970年ごろなら、デジタルゲーム産業が興る直前でしたから、余った2万人はゲーム産業に転職できました。このように、新しい産業が起きれば、そこで仕事を見つけることが
できます。
残念ながら、今後は、何かに代わるのではない、新しい産業は興りにくいです。なぜなら、人の持ち時間に限度があるからです。
昔は、交通革命で、移動時間が短縮でき(新幹線など)、家電革命で家事の時間が短縮でき、その分を、新しい産業が提供する物やサービスに使ってもらうことができました。
皮肉なことに、今は、多少でも時間に余裕があるのは、失業者です。仕事を持っている人は、忙しく、新たに時間を見つけることは難しいです。こちらのメーカーの物を使えば、あちらのメーカーの物を使う時間がない、そうなっています。
電子図書を使えば、紙の図書は減るというようにです。雑誌社の数は、じわじわ減っています。
サッカーを見れば、その分、野球を見ることはできません。
それでも、提供側は、ゴルフ、バレーボール、バスケットボール、テニス、・・・も見て欲しいのです。相撲も。
提供側が過剰で、使ってくれる・見てくれる人の時間を取り合っているわけですが、時間の総量は、人口が増えない限り、変わりません。
作る物を使うだけの時間がない、今以上作れない。それでも、企業としては効率を上げ、目新しい物やサービスを提供して、時間を使ってもらおうとします。
新しい産業といっても、他に向けていた時間を、こちらに向けるだけになり、全体としては増えません。その中で、効率を上げ続けるので、全体としては、失業が増えるというわけです。
ヨーロッパでは、3割以上の若者は失業です。日本でも、潜在的には、似たようなものです。
それでいて、大方は、衣食には困らないでいます。実際、食料も衣料品も、何割かは、使わずに捨てる時代だからです。
(ソウルでも、キムチの捨て場に頭を抱えています。毎日、食べ残されたキムチが大量に捨て場を求めています。)
どうすれば良いのでしょう?
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