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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120323/230204/?ST=print
ドイツ経済はなぜ絶好調なのか
日本ができない「社会保障費の削減」に切り込む!
戦後初の左派連立政権を率いたシュレーダー首相ゆえにできた英断
• 2012年3月29日 木曜日
• 熊谷 徹
ヨーロッパでは2009年末にギリシャの債務危機が深刻化して以来、景気に暗雲が垂れ込めている。だが、ドイツ経済だけは快進撃を続けている。同国は2010年に3.7%、2011年に3%と他のユーロ加盟国を大幅に上回る成長率を記録した。前回お伝えしたように、2011年の輸出額は1兆ユーロの大台を超えて過去最高。自動車の輸出台数は、2010年に前年比23.7%、2011年に同6.6%増えた。2011年のドイツの勤労者数は4100万人を突破し、史上最高の水準に達した。
ドイツ経済はなぜこれほど好調なのか。日本ではよく「ユーロ安のせいだ」という意見を聞く。確かに、欧州債務危機の影響でここ数年、円やドルに対する ユーロの交換レートが大幅に下がったのは事実である。ドルに対するユーロのレートはこの5年間で8.6%、円に対しては5年間で32.8%も下落した。こ れが、ユーロ圏外向けのドイツの輸出にとって追い風になったことは、間違いない。
だが、理由はユーロ安だけではない。もし、それだけがドイツの輸出が好調である原因だったら、他のユーロ加盟国もGDP成長率をドイツ並みに伸ばせたは ずだ。しかし、フランスやイタリアの2011年の成長率は、ドイツの半分にも満たない。同年のドイツの貿易黒字は前年比2%増加して1581億ユーロ (17兆5000億円)に拡大した。これに対して、フランスは逆に700億ユーロ(7兆7000億円)の貿易赤字を記録した。これはフランス建国以来、最 高の赤字額である。この差は、一体どこから来るのだろうか。
ドイツは2000年以降、価格競争力を高めた
ライン河畔の古都ケルンに、ドイツ有数の経済研究所の一つ「ケルン・ドイツ経済研究所(IW)」がある。この研究所は、産業界や財界寄りのスタンスを持 つことで知られている。IWのミヒャエル・ヒューター所長は2012年1月16日、ドイツと他のEU諸国の経済パフォーマンスの格差をテーマにした講演を ベルリンで行った。
ヒューター氏が注目したのは、ユーロ加盟国の単位労働費用(unit labor cost)の伸び方の違いである。単位労働費用とは、一定の製品やサービスを生み出すのに必要なコストのことで、労働者の報酬をGDPで割って算出する。 経済競争力を分析する上で、重要な指標の一つだ。単位労働費用が上昇するということは、製品価格が高くなり、国際市場における競争力が低下することを示 す。
ヒューター氏は「1999年から2007年までにドイツの産業界は、単位労働費用を16%減らすことができた。これはフィンランド(23%減)に次い で、ヨーロッパでは最も大きな減少率だ。これに対し、ドイツ以外のユーロ加盟国では逆に、単位労働費用が同じ時期に約4%増加している」と指摘した。つま りユーロ誕生から8年の間に、ドイツは大幅に価格競争力を高め、他のユーロ加盟国に水を開けたのだ。
IWの分析によると、債務危機に陥った国では特に単位労働費用の増加が著しかった。この時期にポルトガルの単位労働費用は約10%、イタリアとスペイン では20%、ギリシャでは40%以上増加している。つまりこれらの国では、一定の製品を生むために必要なコストが上昇し、ドイツに比べて価格競争力が大幅 に弱まったのである。
リーマンショック後の不況によって、ドイツでも単位労働費用が増加し、現在では1999年とほぼ同じ水準にある。これに対し他のユーロ加盟国では、単位労働費用が1999年よりも12%高い。つまり現在でもドイツの価格競争力は、他のユーロ加盟国に勝っている。
欧州統計局のデータも、ヒューター所長の主張をほぼ裏付けている。EU主要国の中で、2000年からの7年間に単位労働費用を減らしたのは、ドイツだけ だ。他の国々では、単位労働費用が2けたのテンポで増加した。ドイツの多くの勤労者たちが報酬の目減りにじっと耐えていたのに対し、他の国の勤労者たち は、報酬が年々伸びる「我が世の春」を謳歌した。特に南ヨーロッパの数字は、「労賃バブル」に見える。イソップ童話の「蟻とキリギリス」を思わせる状況 が、21世紀初頭のヨーロッパに現れていたのだ。
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この数字を見れば、ドイツ経済が他のユーロ加盟国に比べて好調である理由が、歴然とする。つまり1990年代に高い単位労働費用に悩んだドイツは、リーマンショックが勃発するまでに、労働コストのカットという宿題をやり終えていたのである。
シュレーダー首相の企業優遇と社会保障カットが効果を上げた
では、なぜドイツは2007年までに、単位労働費用を下げられたのだろうか。その最大の理由は、1998年に首相に就任したゲアハルト・シュレーダー氏による、社会保障制度の大改革にある。拙著「ドイツ病に学べ」(新潮選書)で詳しく解説したように、当時ドイツは社会保障コストの重圧のために、2けたの失業率に悩んでいた。
戦後初の左派連立政権――社会民主党(SPD)と緑の党――を率いるシュレーダー氏は、失業率の削減を最大の政策目標にした。SPDに属するシュレー ダー氏は、「自分の首相としての業績は、失業者の数が大きく減るかどうかで評価してほしい」と公言。企業が雇用を増やすことができるように、社会保険料の 負担を大幅に減らす政策を実行した。ドイツでは日本と同じように、企業が社会保険料の半分を負担している。人件費を減らすことで企業の国際競争力を高めな ければ、企業は雇用を増やさないというのがシュレーダー氏の持論だった。
SPDは元々、労働組合と最も強い結びつきを持つ。だが、その中でシュレーダー氏は経済界と太いパイプを持つ、同党では異色の政治家だった。彼はニー ダーザクセン州の首相を経験している。この州は、ヨーロッパ最大の自動車メーカーであるフォルクスワーゲン社(VW)の大株主である。このためシュレー ダー氏は一時、VWの監査役会に名を連ねていたこともある。こうした経験が、彼が企業を優遇する政策を取った原因の一つなのかもしれない。
中国との関係でも、歴代の首相とは対照的に、人権問題よりもビジネスを重視した。ドイツ企業の社長たちを引き連れて、何度も中国に乗り込んだ。
彼が「アジェンダ2010」と名づけたプロジェクトに基づき、シュレーダー政権は2003年から2005年にかけて、失業者に対する給付金の大幅削減、公的健康保険の改革(患者の自己負担を導入)、公的年金の給付金の実質的な削減などを次々に実行に移した。
失業保険の給付金は生活保護と同じ水準まで引き下げた。給付の基準も以前に比べて大幅に厳しくした。このため、貧困層や労働組合からはシュレーダー氏に 対して強い批判の声が上がった。だがシュレーダー首相は「失業保険が手厚すぎると、人々は働く意欲を失う。公的年金や健康保険の自己負担を増やさなくて は、社会保険制度そのものが崩壊する」と主張して、様々な改革案を法律として施行させた。
ある金融関係者は言う。「シュレーダー氏が行なった社会保障改革は、保守政党では難しかっただろう。シュレーダー政権は、SPDと緑の党の連立政権だっ たからこそ、大胆な改革が可能だったのだ」。もしもコール政権(つまり保守政党)が「アジェンダ2010」のように痛みを伴う社会保障削減を実施していた ら、国民、特に労働組合が猛反対していたはずだ。
ところが労働組合は、長い歴史に基づくSPDとの関係を断絶するわけにはいかず、「アジェンダ2010」を拒否しなかった。「失業率を減らすためには、労賃の伸びを抑えなくてはならない」というシュレーダー氏の主張を受け入れ、大幅な賃上げを要求しなかった。
本来なら保守政党が行なうような社会保障のカットをSPDが行なったことが、この改革を成功させた。野党だったキリスト教民主・社会同盟 (CDU/CSU)や自由民主党(FDP)も、シュレーダー政権の社会保障削減を歓迎し、連邦議会や参議院で法案に賛成した。産業界、経済学者たちも、諸 手を挙げてシュレーダー首相の改革案を支持した。
SPD対策だった社会保障制度をSPDがカットした皮肉
ビスマルクが1883年にドイツに初めて社会保険制度を導入したのは、労働条件に不満を持つ労働者が共産党やSPDに走って、革命を起こすのを防ぐため だった。労働者の味方であるはずのSPDの首相が、ビスマルクが社会保険制度を導入して以来最も大胆な社会保障サービス削減を実行したのは、歴史の皮肉で ある。
シュレーダー氏の狙いは見事に的中した。「アジェンダ2010」という名のとおり、2010年以降になって社会保障コスト削減の効果が、目に見えて現れ 始めた。ドイツの各経済成長率は、他のEU諸国に大きく水を開けた。連邦労働省によると、2011年には約70万人分の新しい雇用が創出され、平均失業者 数は300万人の大台を割った。失業率は7.9%になり、過去20年間で最低の水準を記録した。
だがシュレーダー改革が実を結び、ドイツが「独り勝ち」の状況になっていることについては、国内外から批判の声が上がっている。次回はこの点についてお伝えしよう。(続く)
ドイツ経済はなぜ絶好調なのか
ユーロ危機に関するニュースが頻繁に報じられている。多くの日本人が「ヨーロッパは大変な状況にある」と認識している。だがその陰で、ドイツ経済が絶好調であることは意外と知られていない。
ドイツは2009年、リーマンショック後の世界同時不況に直撃され、マイナス5.1%という戦後最悪の景気後退を体験した。しかし2010年には 3.7%成長を達成して、不況の後遺症から急速に立ち直った。2011年の成長率は3%で、EU主要国の中で最高の水準である。
ドイツの力強い経済成長の原動力は輸出だ。2011年のドイツの輸出額は前年比で11.4%増えて、過去最高の1兆601億ユーロに達した。貿易黒字も2%増加して1581億ユーロに拡大している。
その背景には何があるのか? ドイツ在住のジャーナリスト、熊谷徹氏がその謎に迫る。
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熊谷 徹(くまがい・とおる)
在 独ジャーナリスト。1959年東京都生まれ。早稲田大学政経学部経済学科卒業後、日本放送協会(NHK)に入局、神戸放送局配属。87年特報部(国際部) に配属、89年ワシントン支局に配属。90年NHK退職後、ドイツ・ミュンヘン市に移住。ドイツ統一後の変化、欧州の安全保障問題、欧州経済通貨同盟など をテーマとして取材・執筆活動を行う。主な著書に『ドイツ病に学べ』、『びっくり先進国ドイツ』『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』『顔のない男―東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』『観光コースでないベルリン―ヨーロッパ現代史の十字路』『あっぱれ技術大国ドイツ』『なぜメルケルは「転向」したのか――ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。ホームページはこちら。ミクシィでも実名で日記を公開中。
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