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山崎元のマルチスコープ
【第224回】 2012年3月21日
山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
「ベーシックインカム」の誤解を解く
関心高い「ベーシックインカム」
正しい理解を共有することの価値
本連載の拙稿「橋下徹氏が手に入れたベーシックインカムという新兵器」(2012年2月22日掲載)は、お陰様で非常に多くの読者の閲覧をいただいた(通常の筆者コラムの数倍)。
もちろん、時の人、橋下徹氏に関連するテーマであることが読者の興味を惹いた面もあろうが、ベーシックインカム自体にも高い関心が寄せられていることを実感した。
前回拙稿でも書いた通り、筆者は、ベーシックインカムが技術的あるいは経済的な理由ではなく、政治的な理由から日本では実現しにくいと考えているが、ベーシックインカムの正しい理解を共有することの価値は高いし、制度としてのベーシックインカムの実現を完全に諦める必要もない、とも思っている。
ベーシックインカムについては、筆者に対しても、ブログやツイッターなどを通じて今回も、またこれまでにも、様々な反応やご意見が寄せられているが、先週たまたま、作家の村上龍氏が主宰されている「JMM」(購読無料)で、ベーシックインカムについて「他の寄稿家の皆さんは、どのようにお考えをお持ちでしょうか」という問いに対する回答が(筆者のものを除いて8件)掲載された。
回答者は、現役金融プレーヤーや経済評論家、大学教師など広い意味で「経済の専門家」に属する方々だが、これらの方々の回答文を見ると、ベーシックインカムがどのように理解されているか、今後正しく、あるいは有意義に理解されるためには何が必要なのかに関して、有益な情報が得られた。
以下、主にJMM寄稿者の回答を参照しながら、ベーシックインカムの理解にあって現在重要だと思うポイントについて述べてみたい。
次のページ>> ベーシックインカムの考察で多い「財源論の呪縛」
「JMM」で村上編集長への回答執筆が最も早いのは、多くの場合、信州大学教授の真壁昭夫氏だ。傾向として、バランスの取れた用語解説的な回答を書かれることが多い。他の寄稿者の中には、真壁氏の回答を解説代わりに参考にして回答を書く人もいる。
真壁氏の考察で目に付いたのは、財源に関する心配だ。「現行の制度でも、我が国の財政状況はかなり悪化しています。それ以上にコストのかかる制度を導入することは、現実問題として難しいことになります」とあり、現行の生活保護との比較で「現在、所得制限によって給付を受けていない人たちに給付する分は、当然、増えることになります」と心配されている。
回答に見られる「財源論の呪縛」
見落としやすい3つのポイント
ベーシックインカムに関して財源に関する懸念の声は以前から少なくないのだが、割合見落としやすいポイントが3つある。
1つは、ベーシックインカムは全ての人に支払われるので、ベーシックインカムのための財源を負担する国民は、同時にベーシックインカムを受け取っている人でもあるということだ。
これは、受け取りと支払いが相殺されるということなので、一件無駄であるように見え、支出額の点で「大きな政府」を招くのではないかと思われがちなのだが、税金を支払う人の負担がベーシックインカムの分だけ軽減されていることが、見落とされやすい。
また、富の再配分の仕組みを考えると、受給額と負担額の両方を動かして調整しなくても、受給額を一定として負担額を調整すれば、実質的な再配分がよりシンプルに達成可能だということがわかる。
仮に「理想的に公平な税制」を常に作ることができるなら、ベーシックインカムの問題は、その規模をどれだけにすればいいかということだけになる。
次のページ>> 今の支出をBIに置き換えても、 現状以上の財源不安はなし
こうした「受給額」−「負担額」=「再配分額」として実質的な再配分の効果を見る考え方は、かつての子ども手当の議論(親の所得制限が随分議論された)を振り返っても、盲点になりやすいことがわかる。
現在の我が国の制度を考えるとしても、受給にあれこれ条件が付く生活保護制度があり、完全積立方式ではない年金制度を通じた大きな富の移転があり、さらに複雑な税制を通じた富の再配分があり、全体の効果がわかりにくくなっているのと共に、それぞれの制度の手続きと複雑さに国民は多大なコストを払っている。その分、官僚の仕事と収入が増え、税理士や社労士のような職業の収入も増えることになっている。
今の支出をBIに置き換えても、
現状以上に財源を心配する必要なし
また、次のポイントは、「ベーシックインカム」という言葉が持つ意味に引っ張られて、多くの論者(時には筆者自身も)が陥りやすい先入観の問題だ。
ベーシックインカムを「生活に必要な最低額を支給される、国による絶対的な保証」と考えて財源問題を論じてしまうと、現在の制度との比較が非常に難しくなってしまう。
しかし、たとえば、現状でも年金、生活保護、雇用保険など、富の再配分を行なう制度はあるわけで、検討の第一歩として、これらの支出をベーシックインカムに置き換えると考えるなら、財源の問題を少なくとも規模的には現状の諸制度以上に大きく心配する必要はない。
厚労省のホームページで、社会保障給付費を見ると、平成21年度で総額が約99兆8500億円であり、ここから「医療」の約30兆8400億円を差し引くとざっと69兆円となるが、これを人口を1億2500万人として単純に割り算すると、すでに月に4万6000円くらいのベーシックインカムに相当する(75兆円あれば、「1月5万円」になる)。4人家族なら、18万4000円だ。すでにそこそこのレベルに達していると思われないか。
次のページ>> 感情的な抵抗を覚える、「現金給付」の居心地の悪さ
後は、現在、保険料の形になっているものや各種の税金になっているものの(もちろん借金の償還も含めて)、負担をどう公平かつ簡素なものにするかを考えたらいい。
ベーシックインカムが「これでは足りない」ということであれば、現行の制度でも再配分が不十分である可能性が大きいと筆者は思うし、特定の社会的弱者に対して(なるべくシンプルな基準がいいが)給付を増額する措置を考えることもできるだろう。
また、ベーシックインカムは、大幅な行政の簡素化(たとえば社保庁は廃止可能かも知れないし、自治体は生活保護に関する業務が要らなくなるなど)を意図する仕組みでもあるので、現在の制度運営コストよりもコストを下げた分も、負担の軽減またはベーシックインカムの追加財源として投入可能だ。
ベーシックインカムは、どの道すぐに実現する制度ではない。「やれば、できる」という見当さえついていれば、今、詳細な財源論に立ち入る必要はない。
「現金給付」の居心地の悪さ
どこに感情的な抵抗を覚えるか
筆者の立場からすると、「感情的な反発」と思える意見も少なからずあった。それは、ベーシックインカムの長所を認めつつも、「何やら気持ちが悪い」と判断を留保したいとするものだ。
もっとも、人間は最終的には感情によって物事を決めて行動する主体なので、ベーシックインカムのどこに感情的な抵抗を覚えるのかという問題は極めて重要だ。
評論家の水牛健太郎氏は、「今の日本では怒りや嫉妬の感情を起こすばかりで、決していい結果にはならない」とお考えで、「ベーシックインカムは、今の日本にとって『良すぎる』制度だ」と結論された。
次のページ>> 経済的には効率的な BIが伴う「突き放した」感じ
嫉妬や怒りの感情は、現在の生活保護にも向けられることがあり、再分配問題を考える場合に、根の深い問題だ。
JPモルガン証券のストラテジストでJMM初期からの寄稿家である北野一氏は、独自の視点から切れ味の鋭いエッセイを書かれるが、ベーシックインカムの「財源」と「バラマキ」の問題について、前者は現状の社会保障の置き換えなので本質的な問題はなく、後者は人権が全ての人になるなら当然だとスッキリ片付けた上で、ベーシックインカムと「労働意欲」の問題について、ベーシックインカムの推進論者であるゲッツ・ヴェルナーの著作『全ての人にベーシックインカムを』(現代書館)を引いて検討されている。
北野氏は、ヴェルナーが労働意欲の問題について反論した際の「自発性のない人間は、これまでにも常に存在したし、今後も存在するであろう。そのような人間を社会はいつも我慢してきたのだし、今後も彼らを我慢しなければならないだろう。私たちがどんなに努力をしても、仕事嫌いの、内的無気力に襲われた人間を意欲的な人間に変えることは出来ないのです」という「あからさま」な言葉に、「興ざめした」という。
選択に非介入で経済的に効率的
BIが伴う「突き放した」感じ
ベーシックインカムが長年議論されながら実現しないのは、「人権擁護でありながら、やや突き放した感じがするからではないか」という北野氏の推測も、重要なポイントを突いている。
「現金を平等に給付するから後は自分で何とかしろ」というベーシックインカムの考え方は、個々人の選択に対して非介入的で経済的には効率的(各自が効用を追求しやすいという点で)だが、一方で確かに「突き放した」感じを伴う。
BNPパリバ証券のクレジット調査部長である中空麻奈氏は、「なぜか空恐ろしい感覚に囚われる」と言い、評論家の津田栄氏は欧州でベーシックインカムが実現しない理由について「かつての古代ローマが、『パンとサーカス』から食べることに不自由しなくなると欲求が増えて、それが結果的に働かず怠惰になり、勢いを失って、没落していったように、そうした人間の持つ影の側面を恐れているからかもしれません」と結ぶ。
次のページ>> 「ベーシックインカム」 という言葉に、問題あり?
評論家の立原遼氏の論考にも、角度は違うが、「貨幣」に対する拒否の感覚が現れる。氏は、世界の「消費に対する疲れ」と取り混ぜながら、「BIは資本主義が今後行き着いていく或る種の理想社会を実現する制度ではあると思いますが、実は既にBIを次の世界、次のシステムが乗り越えようとしているその萌芽も見える」と、貨幣的ではないシステムへの期待を語る。立原氏も、ベーシックインカムが好きであるように見えない。
ベーシックインカムに対する感情的な拒否の多くは、ベーシックインカムが「お金のやりとり」であることに付随する感覚によるものなのだろう。
「何の対価でもなく」お金を受け取ることに対する居心地の悪さや、嫉妬、怒り、あるいは、お金が人を堕落させるのではないかというお金の魔性への恐怖、さらにお金のシステムに人の生活が包摂されることに対する忌避感など、人は「お金」に対して色々な感情を抱く。
筆者もお金に対して様々な感情を抱くことはあるが、「お金」はその持ち主が後から自由に使い道や使うタイミングを決めることができる点の自由度の大きさ、便利さが、現実的な長所だと考えている。ベーシックインカムのお金による経済力の再配分は、自由を重んじる立場からすると、ベストかどうかはともかく、望ましくて、現実的なものだろう。
「ベーシックインカム」
という言葉に問題あり
慶応大学教授で財政の専門家である土居丈朗氏と筆者は、「JMM」誌上では財政再建を巡ってしばしば意見が対立することがあるが(土居氏は消費税率の早期引き上げを提唱されている)、土居氏の回答は今回の回答の中でも特に興味深いものだった。
土井氏の回答で特に重要だと思うのは、「ベーシックインカム」という言葉が「概念として一意的に定義できない」という問題指摘だ。
次のページ>> 賛否いずれの立場でも、言葉の意味を明確に議論すべき
「『ベーシックインカム』は、最低限として保障する所得水準だけを規定するものなのか、さらにそれを担保する制度まで含んだものなのか、さらにそれを導入することによって何を目的にするのか、人によって異なる」と言い、さらに「政治というものは、洋の東西を問わず、しばしば同床異夢的に同じ言葉で政治的支持を増やす誘惑に負けて当初の(純粋な)アイディアがねじ曲げられ、妥協の産物に堕してしまいます」と付け加える。
確かに、土居氏の言う「左派」と「右派」(筆者は右派に分類されている)が別々のイメージを持ちながら、共に「ベーシックインカム」という言葉を使う状況は、相当に紛らわしく、正確な議論がしにくいケースがある。
賛否いずれの立場に立っても
言葉の意味を明確に議論すべき
ベーシックインカムは、ある人にとっては、基本的人権に根ざした生存・生活の保障であることが本質的だし、別の人にとっては、定額で一律の公的な現金給付制度であるにすぎない。
たとえば、筆者は、主に後者の意味で「ベーシックインカム」という言葉を使い、その実質的な効果を検討すればいいと思っているが、この際に、ベーシックインカムという言葉が持っている「万人が持つ権利に基づいた生活保障」といったニュアンスは邪魔になる。
ただちにベストな言い換えが思いつかないのは残念だが、ベーシックインカムの代わりに「共通定額給付制度」といった言葉を使う方が、正確な議論ができるのかも知れない。
しかし、斬新なアイディアである「負の所得税」も、これを「給付付き税額控除」などと言い換えると随分冴えない残念な感じがするように、「ベーシックインカム」も、この言葉をそのまま使うことができると嬉しいという気持ちになる。
政治家である橋下徹氏もたぶん同様に感じることだろうし、今後も「ベーシックインカム」という言葉は使われるだろう。賛否いずれの立場に立つとしても、この言葉の意味を明確にして議論することが重要だ。
質問1 やはり「ベーシックインカム」の実現は必要だと思う?
思う
思わない
どちらとも言えない
http://diamond.jp/articles/-/16672
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