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岸博幸のクリエイティブ国富論
【第178回】 2012年3月16日
岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]
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何が米国の若者をリスク回避志向に追いやったのか
ネットがもたらすもう1つの“負の現実”
米国の新聞を読んでいたら非常に興味深い記事を発見しました。日本では「若者が弱くなった、内向きになった」と言われるようになって久しいですが、独立精神が旺盛で住む場所が移り変わることも厭わない国民性のはずの米国でも同じようなことが起きているのです。しかも、その原因の1つがネットであるかもしれないのです。
生まれ育った地域を離れたがらない
米国の若者に起きた変化
その記事によると、過去30年の間に米国人、特に米国の若者がリスクを回避し、自分の生まれ育った地域に居続けるようになったそうです。
米国の国勢調査局のデータによると、20代の若者が今住んでいるところから他の州に移住する割合は、1980年代からの約30年で40%以上も低下したとのこと。大卒の若者でも、学歴のない若者でも同様の傾向のようです。
Pew Research Centerの分析でも、米国人の若い世代(young adult)のうち実家に住み続ける人の割合は1980年から2008年で倍に増加しているとのことです。
また、ミシガン大学の交通研究所(Transportation Research Institute)の調査によると、1980年代初期には米国の18歳の若者の80%が自動車免許を取ったのに、2008円にはその割合が65%にまで下がってしまいました。ついでに言えば、米国での自転車の売上も、今は2000年より低下しています。
即ち、米国の若者は生まれ育ったところから動かなくなっているのです。ハーバード大学で世論調査を研究している政治研究所(Institute of Politics)では毎年数千人の若者のサーベイを行っていますが、例えばネバダ州の失業率が13%であるのに対して隣のノースダコタ州は3.3%なのに、ネバダ州の若者は隣の州に移住したがらないなど、そこでも若者が生まれた故郷から動きたがらない傾向が明確に出ているようです。
次のページ>> 保守志向は、ネットが原因?
ネットが原因?
このような話を聞くと、米国もリーマンショックで景気が一気に悪くなったので、若者もその影響を受けていると思われるかもしれません。しかし、2008年というのはリーマンショックが起きる前です。即ち、経済的な要因以外が原因で、米国の若者の行動が変化し出したと考えるべきなのです。
この記事では、ネットが若者の行動に大きな影響を与えているのではないかと推測しています。若者は、家でフェイスブックなどのソーシャルメディアにアクセスして、それで満足してしまっているのかもしれないのです。
そう言われると、思わず日本のネット・オタクを想起してしまいますが、例えばミシガン大学の交通研究所の教授が行った調査によると、ネットに多くの時間を費やす若者ほど自動車免許を取るのが遅くなる傾向が出ているようです。
そして、リーマンショックとその後の景気低迷が、ネットによって生じている若者の行動変化を一層助長している面があると考えられます。
例えばUCLAの調査によると、景気後退期に育った若者は起業家精神が少なく、実家に留まり続ける傾向があるようです。その理由は、努力よりも運(luck)が大事と考えるようになるからであり、実際に、景気悪化は人の考えの中で運に依存する割合を20%高めるそうです。
日本の若者はもっと危機的状況にある
翻って日本の若者はどうでしょう。日本の若者が「弱くなった、内向きになった」と言われて久しいですし、私も大学で教えていてそれを実感することが多いと言わざるを得ません。
その原因は何でしょうか。米国と同様にネットの影響と景気悪化はもちろんですが、それに加え、ゆとり教育の影響も大きいはずです。
次のページ>> 今の日本は若者が夢や希望を持てる社会ではない
即ち、米国ではまずネットの普及の影響で若者が内向きになり、景気悪化がそれを助長しているとしたら、日本の場合は、まずゆとり教育と15年にわたるデフレで若者が弱く内向きになったところに、ネットの普及が追い打ちをかけたという因果関係になるのかもしれません。
だとしたら、ゆとり教育は既にある程度是正され、また政府は常に景気を良くしようとしていることを考えると、今後はそれに加え、ネットの負の影響にどう対処するかについても考えていく必要があるのではないでしょうか。
件の米国の記事を読んでいて「なるほど!」と思ったのですが、米国を代表するロック・シンガーであるブルース・スプリングスティーンが1970年代に発表し大ヒットしたアルバムのタイトルは“Born to Run”でしたが、1995年に発表したアルバムのタイトルは“The Ghost of Tom Joad”でした。Tom Joadとは、1939年にスタインベックが発表した名作「怒れる葡萄」の主人公であり、この小説の中ではオクラホマからカリフォルニアに移住をしています。このタイトルの変遷が米国の若者の気質の変化を如実に示しているのかもしれません。
しかし、日本の状況は米国よりも更に危機的です。それは、昨年末に内閣府が発表した自殺対策白書からも明らかです。この白書によると、日本の20代の若者の死の半数は自殺によるものなのです。こんな国は世界中で日本くらいです。若者が弱く内向きになったことに加え、日本の若者が夢や希望を持てる社会ではなくなった証左です。
もちろん私も妙案がある訳ではありませんが、政府が正しい経済政策で早くデフレを克服して成長率を引き上げる、社会保障制度や雇用面などでの高齢者優遇を早く是正する、といった当たり前の政策対応を行うと同時に、ネットの負の影響についても社会全体で考える必要があるのではないでしょうか。
質問1 周りにいる若者を見て「保守的だな」と思うことがある?
http://diamond.jp/articles/-/16620
引きこもり」するオトナたち
【第100回】 2012年3月16日
池上正樹 [ジャーナリスト]
英国国営放送BBCも注目する日本の「引きこもり」
問題を年々深刻にさせる“曖昧な社会”という病巣
「引きこもりって、万華鏡みたいなものだね。中にある材料はだれもそう変わらない。なのに、回してみると、形がどんどん変わって見える」
日本の若者の雇用状況を取材に来たという英国の国営放送局「BBC」のディレクターは昨日、「引きこもり」の印象について、そう筆者に明かしてくれた。
同じ人間という素材なのに、いろいろな理由がある。
「引きこもる原因の入り口も、その間の対応も、抜け出る出口も、すべて様々。その中でも、これだけ大量に生み出される共通項が“引きこもり”という状態なんです」
そう説明してくれた岩手県宮古市のNPO「みやこ自立サポートセンター」の中村信之事務局長の話を思い出す。
「引きこもり」とは、定義づけやデータで、単純にわかるようなものではない。奥の深い存在であるということを、BBCのディレクター氏も言いたかったのだろう。
英国オックスフォード大学の英語辞書の単語の中にも「hikikomori」が収録されるなど、海外も注目し始めた日本の「引きこもり」。
当連載も、気がつくと、100回目を迎えることになった。
この間、「大人の引きこもり」を巡る様々な声や動き、活動などを筆のおもむくままに取り上げてきた。
筆者が最初に「引きこもり」という表現を知って、メディアで取り上げたのは、97年のこと。当時、この言葉は、社会にほとんど認知されていなかった。
以来、15年にわたり、当初の目的だった取材や、その後のサポート活動という枠を超えて、いまでは個々の当事者や家族たちと様々な形で、つながりを持ち続けている。正直言って、ここまで長い間、「引きこもり」という現象に関わり続けることになるとは、思ってもみなかった。
ずっと逡巡し続けてきたことがある。「引きこもり」と呼ばれることを本人たちはどう思っているのか。この表現を使うことは、新たなレッテル貼りや差別を助長することにつながりはなしないか。そもそも、「引きこもり」とは、いったい何なのか。
次のページ>> 40歳以上を切り捨てた国の実態調査
「高年齢化」「長期化」とは裏腹に
40歳以上を切り捨てた国の実態調査
すでに筆者が取材を始めた15年前から、それぞれの地域には家族会が存在し、いくつかの支援団体が地道に活動していた。2000年には、唯一の家族会全国組織である「全国引きこもりKHJ親の会(家族会)」を奥山雅久さん(故人)らが立ち上げた。
そんな家族会の後押しによって、厚労省は2003年、『「ひきこもり」対応ガイドライン』を作成し、全国の保健所などに配布。各自治体でも、「引きこもり」に特化した支援策に取り組み始めた。
しかし、いまにいたるまで、引きこもりの人たちの数が減少したという話をあまり聞かない。このことが、当連載が多くの人たちに読まれ続ける理由でもあるのだろう。
これまで公的機関が実態調査したデータは存在していなかったのだから、比較のしようがないのも事実だが、目に見えてはっきりしていることはある。それは、地域に引きこもる人たちの「高年齢化」「長期化」が、年々、深刻になってきているという実態だ。
長年の取材を通して、おぼろげながらに、わかってきたことがある。
「引きこもり」という言葉に、明確な定義は付けられない。筆者には、引きこもるという行為以上の定義を付けることができずにいる。
たとえば、雑念を追い払って、何かに集中したいときや、元気が出なくて、1人で過ごしたいとき、あるいは、人間関係がうまくいなくて、傷つくことを避けたいときだって、引きこもることがある。
これらは、誰にでも起こりうることであり、すべての人に関係してくることでもある。
しかし、厚労省や内閣府などが位置づける「引きこもり」の定義には、ずっと違和感を抱いていた。定義のすりかえや、言葉の置き換えが、精神科医や研究者などのいわゆる専門家の間だけで行われてきたからだ。
2010年7月に実態調査を初めて公表した内閣府は、「ひきこもり群」について、15歳から39歳のうち、「趣味の用事のときだけ外出する」「近所のコンビニなどには出かける」「自室からは出るが、家からは出ない」「自室からはほとんど出ない」状態が「6ヵ月以上経っている」と回答した者と定義づけた。つまり、より深刻な「40歳以上」の高年齢者は、その対象から切り捨てられた。
次のページ>> 半数が40歳以上という10人に1人が引きこもりの町も
また、厚労省も同年、20歳から49歳までを対象に初めて行った実態調査を公表したが、訪問調査した際の定義は、以下の通りだ。
≪様々な要因の結果として社会的参加を回避し、原則的に6ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)を指す現象概念である≫
厚労省は当時、内閣府の定義との違いについて、「内閣府のひきこもり群のうち、『趣味の用事のときだけ外出する』を除外した状態に相当する」と説明していた。
同年公表された、内閣府の約70万人、厚労省の約26万人以上という「引きこもり」の推計値は、こうした定義に基づいて調査が行われていたのである。
10人に1人が引きこもりの過疎の町
「半数近くが40歳以上」という衝撃の結果が
ところが、昨年末、日本の典型的な過疎の町が、国のデータがまだ不十分なものであることを伺わせる、「引きこもり」の実態調査結果を独自につかんでいたことがわかった。
秋田県の山あいにある人口約3900人の藤里町は、基幹産業だった農林業が衰退し、過疎化が進む町。そんな小さな町の社会福祉協議会が18歳から55歳までの町民を対象に、福祉の拠点になる施設のニーズを探る調査をしたところ、少なくとも113人が長年、仕事に就けない状態で引きこもっていたのだ。これは、いわゆる「藤里方式」といわれている。
2011年11月1日現在の対象年齢に当たる町民は、1293人。引きこもる人たちの占める割合は9%弱で、ほぼ10人に1人が引きこもっていることになる。
重要なのは、そのうち40歳以上は52人で、全体の半数近くを占めたことだ。内閣府の定義した「39歳以下」に当てはまらない、セーフティーネットからこぼれ落ちた人たちが、地域の中にいかに多いかを浮き彫りにしている。
この実態は、同町だけの話ではない。日本の地域が同じように抱える問題だ。
次のページ>> 心の“ヘドロ”を吐き出せない当事者たち
同町の社会福祉協議会では、「引きこもり」を年齢で制限できないとして、国の定義を無視。「不就労期間がおおむね2年以上である」「家族以外の人との交流や外出の機会がほとんどない」という独自の定義を作り、対象者の条件を絞ったという。同町の定義そのものは、国の「6ヵ月以上」と比べても、決して広くはない。
国の定義に基づく調査結果では、実態を狭めてしまい、現実が矮小化されてしまう。
税金をつかって、国民全体の実態調査を行っているのに、こうして出てきたデータは、本当に全容なのかと疑問を残すものであり、限定的にしか使えないものだった。当事者や家族会の中から「これでは、国が調査をしたという実績作りだ」と批判の声が挙がるのも、当然のことだと思う。
真剣に支援や福祉を考え、生きづらさを感じる当事者のそばに寄り添う人たちが必要なのに、それは、人やモノ、金などを動かすデータではなかった。
心の“ヘドロ”を吐き出せない当事者たち
解決の糸口は「曖昧な社会」の変革に
筆者が15年取材を続けてきて感じるのは、この国では子どもからお年寄りまで、引きこもっている人たちがいるということである。それは、年齢でも社会的立場でも区切ることができない。
この国の硬直化した構造の中で、生きづらさを抱くのは、弱者だけではない。強者でさえも追いつめられるのが、いまの日本の姿だ。
そんなとき、東日本大震災が起きた。
被災地では、外へ出ることができずに、大津波にのまれた当事者や、共に犠牲になった親子がいる。震災後、職場も家も失い、仮設住宅に引きこもってしまった人もいる。
「阪神大震災以降に起こった現象は、“なかったことにする力”でした」
阪神の震災を経験し、「引きこもり」に関する論考を発表し続ける上山和樹さんは、私たちが神戸で行ったイベントでそんな興味深い話を紹介してくれた。結局、震災が起きても、不況が続いても、日本の構造的な問題はなかなか変わることがなかったというのである。
次のページ>> エラーをしたらはじき出される社会が「引きこもり」を生む?
「真っ黒い津波によるドット―(怒涛)が押し寄せ、宮古の街並みを破壊し尽くしました。この黒い波こそ、湾岸に積もったヘドロでした。人間が、工場が、船舶が、長年にわたって自然の浄化作用を超えて垂れ流した廃液、汚物です」
こうレポートするのは、前出のNPO「みやこ自立サポートセンター」中村氏。大量に引きこもる若者たちも、心と体が痛めつけられる苦しみや様々なストレスである「ヘドロ」を体内に取り込み、吐き出すこともできずに苦悶しているとして、こう問いかける。
「自然界は津波という現象でヘドロを吐き出し、人間にその廃物や異物を返してきました。不登校・引きこもりの子どもはどのようにして異物の“ヘドロ”を吐き出せばよいのでしょうか」
しかし、震災を機に、引きこもり状態にあった何人もの当事者たちが動き始めている。たとえば、フェイスブックなどのソーシャルメディアでつながって、それぞれの思いを盛んに情報発信し合うようになった。
社会問題として「引きこもり」を語ろうとすると、原因と言えるものが、この世の中のすべてで、原因の作り手は「曖昧」である。
効率が優先される社会においては、悪の構造があるわけではない。ただ、エラーが起きれば、相対的に良くない構造が生み出され、相対的にはじきだされる。
引きこもり状態になる人たちは、こんな皆が加担している構造から、数多く生み出されている。そんな人たちが同じ土俵に立って、アクションを起こしていくことができれば、エラーをはじき続ける「曖昧な社会」に変革をもたらすことができるかもしれない。
拙書『ふたたび、ここから―東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)が発売中。石巻市街から牡鹿半島の漁村まで。変わり果てた被災地を巡り、人々から託された「命の言葉」をつづるノンフィクションです。ぜひご一読ください。
http://diamond.jp/articles/-/16600
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