http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/392.html
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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120314/229800/?ST=print
韓米FTAの“毒”は韓国の農業を壊滅させるのか
レッスン2 ラチェット条項で食の安全は脅かされない
2012年3月15日 木曜日 高安 雄一
(前回から読む)
今日3月15日、韓米FTAが発効しました。日本が参加に向けた準備を進めているTPPを正しく議論するための今シリーズ2回目は食の安全と農業を取り扱います。
本題に入る前に、まず、日本でも広まりつつある、韓米FTAの「毒素条項」について説明しておきます。「毒素条項」とは何とも恐ろしいネーミングですが、外交通商部によれば、最近インターネットを中心に流れている主張であり、韓米FTAのなかで、韓国の経済・社会にダメージを与えるとされている条項です。
これに相当する条項は12種類であり、具体的には、(1)サービス市場のネガティブリスト、(2)ラチェット条項、(3)未来最恵国待遇条項、(4)投資家−国家間紛争解決制度(ISD)、(5)間接収用による損害補償、(6)非違反制度、(7)政府の立証責任、(8)サービス非設立権、(9)公企業完全民営化及び外国人所有持分制限撤廃、(10)知識財産権直接規制条項、(11)金融及び資本市場の完全開放、(12)再協議不可条項です(内容は表1を参照して下さい)。
「毒素条項」の主張のみ日本上陸
これら毒素条項については、2011年1月に外交通商部が、12種類のそれぞれに対して根拠を挙げつつ反論する資料「わかりやすく書いた、いわゆる韓米FTA毒素条項主張に対する反論」(2011年1月)を公表しています。しかし「毒素条項」は、反論を韓国に置いたまま、主張だけが日本に上陸し、韓米FTAはアメリカによる陰謀の象徴であるかのごとく扱われています。「毒素条項」に対する政府の反論は、このシリーズでできるだけ紹介します。
さて「毒素条項」のなかにも、ラチェット条項、未来最恵国待遇条項といった、食の安全と農業に関係するものがあります。ラチェット条項を「毒素条項」とする根拠の一つに、「BSE(牛海綿状脳症)牛肉輸入によって、多くの人間がBSEにかかる状況となっても、輸入を中断できない」といった主張があります。また、未来最恵国待遇については、「日本とFTAを締結する時、農産物分野において、韓国が日本より強い、とうもろこしや麦を相互開放する場合、元の韓米FTAでは開放義務がない、とうもろこしや麦も、ただちに米国に開放しなければならない」といった主張があります。
さらに「毒素条項」の主張ではありませんが、「韓米FTAにより韓国農業は壊滅する」との懸念もあります。そこでレッスン2では、(1)ラチェット条項、(2)未来最恵国待遇条項、(3)韓米FTAが農業に与える影響について検討しつつ、韓米FTAによって、韓国は食の安全が守れなくなるのか、農業は本当に壊滅してしまうのか見ていきましょう。
(表1)いわゆる「毒素条項」とその主張内容
(1)サービス市場のネガティブリスト ・開放しない分野だけを指定する条項で、事実上全てのサービス市場を開放する。
・あらゆる賭博サービス、アダルト産業、マルチ商法などが国内に参入してきても、これを無条件に受け入れることになる。
(2)ラチェット条項 ・一度開放された水準は、いかなる場合も逆に戻せない条項であり、先進国間のFTAでは例のない毒素条項である。
・米開放により米作が全滅し、食糧が政治的なカードとされる状況となっても、以前の水準に戻すことはできない。
・BSE牛肉輸入によって、多くの人間がBSEにかかる状況となっても、輸入を中断できない。
・電気、ガス、水道などが民営化された後、独占等により価格暴騰等の混乱が発生しても以前の水準に戻すことはできない。
・教育や文化分野が自由化された後、以前の水準に戻すことはできない。
(3)未来最恵国待遇条項 ・将来、他の国と米国より高い水準の市場開放を約束する場合、自動的に韓米FTAに遡及適用される条項である。
・日本とFTAを締結する時、農産物分野において、韓国が日本より強い、とうもろこしや麦を相互開放する場合、元の韓米FTAでは開放義務がない、とうもろこしや麦も、ただちに米国に開放しなければならない。
(4)投資家−国家間紛争解決制度(ISD) ・国の主権の喪失を招く最も悪い条項である。大韓民国憲法上保障された、司法権、平等権、社会権が崩れる。この制度によって韓国に投資した米国資本や企業は、韓国で裁判を受ける必要がなくなる。
(5)間接収用による損害補償 ・韓米FTAの条項が国内法に優越し、アメリカ系企業が不法行為を行っても、韓国政府これを規制することができなくなる。規制した場合、営業活動を妨害したとして提訴される。
・政府の政策や規定により発生した、間接的損害にも補償しなければならない条項である。
(例)人口が密集している韓国は土地公共概念など、利用を制限する共同体的法制を有する(米国は韓国と正反対)。しかしこの毒素条項により韓国のすべての共同体的法体制が完全に消える。韓米FTAが韓国政府のすべての政策と規定の上位法として解釈されるようになる。韓国の主権が有名無実化する危険がある。
(6)非違反制度 ・FTA協定文に違反しない場合でも、政府の税金、補助金、不公正取引是正措置などの政策により、「期待する利益」を得られなかったことを根拠として、投資家が相手国を国際仲裁機関に提訴できる。
・資本や企業が自分らの経営失敗で期待利益を得られなかった場合でも、韓国政府を相手に訴訟を提起できる。
・国際仲裁機関に提訴して、勝てば天文学的な賠償金を受け取れる。
(7)政府の立証責任 ・全ての政策や規定について、政府はこれが必要不可欠なことであることを、科学的に立証しなければならない責任を負う。
・BSE発生時に米国産牛肉輸入を規制しようとしても、韓国政府が直接BSEを立証しなければならない。
(8)サービス非設立権 ・相手国に事業所を設立せずに営業できる条項である。国内に存在しない会社を処罰できる法律がないため、サービス設立権条項により、韓国はこれら企業に対して、課税や不法行為に対する処罰ができない。
(9)公企業完全民営化及び外国人所有持分制限撤廃 ・韓国の公企業を、アメリカの巨大投機資本に、美味しく捕えやすい獲物として与える条項(国公企業民営化入札に米国系企業や資本が参加して引き受けられる)。
(例)医療保険公団、韓国電力、水資源公社、道路公社、KBS(日本のNHK)、地下鉄公社、鉄道公社、国民年金等がアメリカの巨大投機資本に私有化される可能性が高い。その結果、水道料金、電気料金、地下鉄料金、ガス料金、医療保険料等が大幅に引き上げられることになり、庶民経済が破綻する(アメリカ資本は利潤のみ求め再投資しないため、国家の基幹産業が荒廃するほかはない)。
(10)知識財産権直接規制条項 ・韓国人、韓国政府、韓国企業に対する知的財産権取り締まり権限を、アメリカ系企業が直接持つようになり、複製薬生産が不可能になり、薬の価格は青天井に高まる。
(11)金融及び資本市場の完全開放 ・韓国の金融市場を、現在にも増して国際投機資本の遊び場とする、害をもたらす条項である。
・外国投機資本が韓国内で制裁なしに銀行業を営める。
・外国投機資本が国内銀行の株式を100%所有できる。
・中小企業に対する貸出減少により多くの中小企業の倒産が憂慮される。
・社債利率制限廃止により社債問題が深刻となる。
(12)再協議不可条項 ・上記11種類の条項はいかなる場合でも再協議ができない。
(出所)外交通商部「わかりやすく書いた、いわゆる韓米FTA毒素条項主張に対する反論」(2011年1月)により作成。
第一に「ラチェット条項」です。この条項が「毒素条項」であるとの主張に対して政府は反論していますが、反論を解説する前にラチェット条項について説明します(※1)。ラチェット条項は、「一度進めた市場開放や規制緩和について、何らかの事情があって市場開放に逆行、あるいは規制を強化せざるを得ない場合でも、これが許されない規定」と言えないことはありませんが、韓米FTAでは、この条項が適用される政府の措置は限られています。よって政府の措置の多くは、韓米FTAや他の条約等が定める義務を果たしてさえいれば、各国政府の自由に任されており、規制を強化することも可能です。よってラチェット条項の正確な理解のためには、ラチェット条項の適用範囲を知ることが何よりも重要です。
ラチェット条項の適用範囲とは?
以下では、「ラチェット条項の適用範囲」について説明しますが、適用範囲については、(1)ラチェット条項は例外措置にのみ適用される、(2)韓米FTAにおいてラチェット条項が置かれている章は限られている、(3)ラチェット条項が関係する自由化の内容は決められている、(4)全ての例外措置にラチェット条項が適用されるわけではない点を、順番に解説していきます。
まず「ラチェット条項は例外措置にのみ適用される」です。例外措置とはいったいどのような措置なのでしょうか。韓米FTAは、両国が守るべきルールを定めています。政府はそれらルールに合うように、国内で講じている措置を変更しなければなりませんが、措置の一部は例外とされています。これが例外措置です。つまり原則的には、規制等の措置は韓米FTAが定めたルールに合わなければならないのですが、ルールに合っていない措置も例外として存在します。
ではどうしてラチェット条項はこれら例外措置にのみ適用されるのでしょうか。この回答は簡単です。これら例外措置を認めるために、韓米FTAには、例外措置に関する条文が置かれていますが、ラチェット条項は、例外措置について定めた条文の中にあります。そして、ラチェット条項はこれら例外措置にのみに適用されることとされています(実際は全ての例外措置に適用されるわけではないことを後ほど説明します)。
次に「米FTAにおいてラチェット条項が置かれている章は限られている」です。韓米FTAは、第1章「冒頭規定・定義」から、第22章「総則規定・紛争解決」までありますが、ラチェット条項が置かれている章は、第11章「投資」、第12章「国境間のサービス貿易」、第13章「金融サービス」です。
先述したように、ラチェット条項は、例外措置について規定する条文中にありますが、例外措置について規定する条文が置かれているのは、第11章「投資」、第12章「国境間のサービス貿易」、第13章「金融サービス」です。よって当然のこととして、例外措置について規定する条文に含まれるラチェット条項も、これら三つの章に置かれています。つまり、ラチェット条項は、「投資」、「国境間のサービス貿易」、「金融サービス」に関する措置にのみ関係するのです。
さらに「ラチェット条項が関係する自由化の内容は決められている」ですが、ここでは投資に関して説明します。第11章「投資」では、相手国に投資した企業やその投資財産の保護、さらには投資の円滑化、規制の透明性向上により投資リスクを減らすためのルールが定められています。そして例外措置は、これらルールのなかでも、「内国民待遇」、「最恵国待遇」、「特定措置の履行要求の禁止(※2)」、「役員及び取締役会」に適用されることが明記されています。よってラチェット条項が適用されるのも、これら四つの項目に限られます。
それぞれの項目を簡単に見ていきましょう。「最恵国待遇」は、相手国の投資家およびその投資財産に対して、第三国の投資家に与えている待遇より不利でない待遇を与えるルールです。また「内国民待遇」は、相手国の投資家およびその投資財産に対して、自国の企業に与えている待遇より不利でない待遇を与えるルールです。さらに「特定措置の履行要求の禁止」は、投資受け入れ国が、投資活動の条件として、投資家に、(1)一定の水準または割合を輸出すること、(2)原材料を現地で調達すること等の要求を行うことを禁止するルールです。そして「役員及び取締役会(※3)」は、特定の国籍を有する者を役員として任命することの要求を禁止するルールです。
つまり投資に関する、「内国民待遇」、「最恵国待遇」、「特定措置の履行要求の禁止」、「役員及び取締役会」の項目については、これらルールに合わない規制等の措置の存在が許されます。しかし全ての措置がルールに合わなくても許されるわけではなく、例外措置を定めた条項において、どのような措置が例外とされるのか明記されています。
(※1) 以下、ラチェット条項の説明及び政府の反論の部分は、外交通商部「わかりやすく書いた、いわゆる韓米FTA毒素条項主張に対する反論」(2011年1月)を参考に記述した。
(※2) 韓国語の直訳では「履行要件」であるが、日本で一般的な「特定措置の履行要求の禁止」とした。なお、本段落の記述は経済産業省資料などを参考に記述した。
(※3) 韓国語の直訳では「高位経営人及び理事会」であるが、日本で一般的な「役員及び取締役会」とした。
最後に「全ての例外措置にラチェット条項が適用されるわけではない」です。例外措置には大きく、「ラチェット条項が適用される措置」、「ラチェット条項が適用されない措置」の二つに分けることができます。
「ラチェット条項が適用される措置」を具体的に示すと、(1)中央政府や地域政府(韓国の場合は道や広域市等)の措置で、附属書I(現状維持義務留保表)に列挙されるもの、(2)地方政府(韓国の場合は市・郡)の全ての措置です。これら措置は「内国民待遇」等のルールに合う必要はありませんが、措置を変更する場合には、自由化の方向への変更しか認められないことが決められています。一方で、付属書II(現状維持義務なし留保表)に列挙される措置については、「内国民待遇」等のルールに合う必要もありませんし、措置を変更する場合には、自由化と反対方向への変更も認められます。
「ラチェット条項の適用範囲」を大まかに整理しますと(※4)、「投資」に関しては、附属書Iに列挙された措置が該当すると言えます。これら措置は、「内国民待遇」等のルールに合わせる必要はありませんが、ラチェット条項の定めによって、変更する際には自由化の方向しか認められません(※5)。そして「国境間のサービス貿易」、「金融サービス」(※6)についても「投資」と概ね同様なことが言えます。
ラチェット条項は「毒素条項」ではないとする韓国政府の反論
ラチェット条項について長い説明を加えましたが、ここから、ラチェット条項が「毒素条項」であるとの主張に対する政府の反論を紹介します。反論は至ってシンプルです。ラチェット条項は、「投資」、「国境間のサービス貿易」、「金融サービス」について定めた章にしか存在しません。そしてこれらに関連する措置のなかでも、附属書I(現状維持義務留保表)に示された(※7)、限定的な措置にしか適用されません。よって、商品、検疫といった分野に関する政府の措置とは関係がありません。政府の全ての措置がラチェット条項にしばられるといった主張は正しくなく、ラチェット条項にしばられる政府の措置は一部である点が重要です。
次に「ラチェット条項」に関する具体的な主張についても、政府の反論を紹介します。アメリカでBSEが発生した場合、ラチェット条項によって牛肉の輸入を中断できないという主張は誤りです。そもそもラチェット条項は、繰り返しになりますが、「投資」、「国境間のサービス貿易」、「金融サービス」に適用される条項であり、農産物には適用されません。
しかし、15年後には牛肉の輸入は完全に自由化されるので、BSEが発生した場合でも、輸入し続けなければならないとの反論があるかもしれません。しかしこれは、関税といった市場アクセスに関する措置と、食品の安全を守るための措置を混同した議論です。確かに15年後には関税はゼロになり、市場アクセス面では輸入を妨げる措置を講ずることができなくなります。しかし食品の安全を守るための措置は、関税が40%であろうが、ゼロであろうが、講ずることができます。
韓米FTAの第8章「衛生および植物衛生措置」の第8.2条では、衛生および植物衛生措置の適用に関する、協定上のお互いに対する自国の既存の権利および義務を確認すると記されています。これに関連して、「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」の第20 条は、偽装された貿易制限の方法として利用しないことを条件に、各国政府が人や動植物の生命または健康を保護するために輸入制限など必要な措置をとることを認めています。
韓国はアメリカでBSEが発生すれば輸入禁止措置をとれる
食品や動植物の輸入によって、食品の安全が守れなくなる、動植物の病気が蔓延しするといったことを防ぐために導入される措置は、SPS措置(Sanitary and Phytosanitary Measures:衛生及び植物検疫措置)と呼ばれ、この措置を講ずることは食の安全を守るため、各国が有する権利です。そして韓米FTAではこの権利に変更を加えていません。よって韓米FTAが発効した後に、アメリカでBSEが発生した場合、輸入禁止等の措置をとることができます。
ただしSPS措置が全て認められるわけではなく、あくまでも偽装された保護主義として利用しないことが条件です。そこでWTO・SPS協定が制定され、SPS措置に関する基本的なルールを定めています。例えば、WTO・SPS協定の加盟国は、独自の基準を定めることが認められていますが、基準には科学的根拠が必要とされています。ただし、科学的不確実性に対処するため、暫定的な予防措置も認められています。韓米FTAはWTO・SPS協定上の権利と義務を再確認しており、両国間のSPS措置(衛生及び植物検疫措置)に関連した紛争事項は、このFTAの紛争解決手続きを使うことができず、WTOの紛争解決手続きにしたがうようにしました(※8)。
すなわち、韓米FTAの発効後も、関税率にかかわらず、BSEが発生した国から、牛肉のすべてあるいは一部を輸入禁止にする措置を講ずることが可能です。そしてこの措置に対して紛争が生じた場合、二国間で協議し、合意できない場合には、WTOの紛争解決手続きに委ねられる点も、韓米FTAの発効前後で変わりはありません。
つまりこれまでの話を整理すると、そもそもラチェット条項は、農産物には適用されないというところで、「ラチェット条項があるため、アメリカでBSEが発生しても、輸入を禁止できない」ことを根拠とする、ラチェット条項が「毒素条項」であるとの主張は誤っています。アメリカでBSEが発生すれば、韓国は牛肉の輸入禁止措置を講ずることができ、これに対してアメリカと紛争が生じれば、二国間協議→WTOの紛争手続きにより解決するといったこれまでの手続きに、韓米FTAは変更を加えていません。
(※4)中央政府及び地域政府に限って見た場合。
(※5)付属表IIに列挙された措置は、ルールに合わせる必要はなく、自由化に逆行する変更も可能である。そして付属表I、IIに列挙されない措置は、ルールに合っていない場合、ルールに合わせるべく改めることが求められる。
(※6)「金融サービス」については、附属書III(A節)に列挙された措置が該当する。
(※7)「金融サービス」については、附属書III(A節)。
(※8)外交通商部ホームページによる。なお、WTO・SPS協定についての一般的な記述は、山下一仁(2008)「BSEとSPS(衛生植物検疫措置)」を参考とした。
ちなみに「毒素条項」に関する主張は、(1)単なるネット上の主張、(2)新聞記事などで紹介される主張、(3)実務家や研究者においても支持者がいる主張に分かれています。前回紹介した「ISD条項」は、新聞記事でも何度も紹介され、実務家も問題点を指摘していることから、(3)の範疇に属しています。
そして政府による「ISD条項」には問題がないとの反論に対して、再反論がなされるなど、活発な議論を引き起こしています。しかし「ラチェット条項があるため、アメリカでBSEが発生しても、輸入を禁止できない」との主張はほとんど新聞でも取り上げられず、ましては実務家や研究者の間でも議論になっていません。その意味では、この主張は(1)の範疇に属すると考えられます。よって政府の反論に対する建設的な再反論も見られません。
次に「未来最恵国待遇条項」についてです(※9)。仮に韓国と日本がFTAを締結し、麦やとうもろこしの市場開放を行った場合、アメリカに対しても同様に市場開放を行わなければならないのでしょうか。結論から述べれば、このようなことは起こりません。確かに未来最恵国待遇によれば、将来、アメリカ(韓国)が、その他の国とより高い水準の市場開放を約束した場合、この水準が韓国(アメリカ)に対しても適用されます。しかしこの条項の適用も、「投資」、「国境間のサービス貿易」、「金融サービス」のみに限られています。よって麦やとうもろこしといった農業分野で問題が起こることはありません。
ちなみに、韓国政府によれば、サービス分野については、脆弱で保護しなければならないサービス分野を留保しています。つまり、留保された部分については、将来FTA等を通じて、他国により水準の高い市場開放を行ったとしても、アメリカに対して同等の市場開放を行う必要はありません。そして、「未来最恵国待遇条項によって、さらなる農業開放が求められる」といった主張も、(1)の範疇、すなわち「単なるネット上の主張」であると思われます。
韓米FTAが農業に与える影響は?
さらに「韓米FTAが農業に与える影響について」見てみましょう。これは「毒素条項」にはリストアップされていませんが、日本では韓国の農業が壊滅するといった情報が広まっています。そこでそのようなことが本当に起こるのか、客観的な数値から見ていきましょう。まず韓国の農業分野に対する被害額について確認していきましょう。これは2011年8月5日に韓国の主要研究所が連名で公表した「韓米FTA経済的効果再分析」で得ることができます。
農業分野の被害額は、政府出捐機関である韓国農村経済研究院が推計しています。同研究院は、自らが開発した計量モデルであるKASMO2008を利用して、主要品目別に生産減少額を出しています。具体的な数値を見る前に、生産減少額の意味について説明します。
まず韓米FTAが締結されない状況が続いた場合を仮定して、1980年から2008年までのデータを利用して、2026年までの各品目の生産額等を推計します。この数値はベースラインと呼ばれます。その次に、韓米FTAで妥結した、毎年の関税率や輸入割当量等の条件を入力し(発効は2012年と仮定しています)、この条件下における各品目の毎年の生産額等を導出します。
その結果、2012年以降のベースラインの数値と、韓米FTAで妥結した関税率や輸入割当量を反映した数値との間に乖離が生じます。通常はベースラインの生産額が高くなり、ベースラインの生産額から、韓米FTAを反映した生産額を引いた数値が生産減少額となります。つまり韓米FTAが締結されなかった場合に予想される生産額より、韓米FTAの締結によって予想される生産額がどの程度低くなるのか求めているわけです。
なおこの推計は、FTAの内容が明らかになってから行っているので、関税率等の条件について憶測が排されています。よって条件の妥当性については争う余地はなく、計量モデルが妥当であるのかが争点になります。「計量モデルで被害額を正確に予測できない」といった批判があることには留意する必要がありますが、きちんと根拠を示した上で、韓国農村経済研究院の数値をはるかに上回る生産額の減少を見通している推計も見当たりません。よってここでは、韓国農村経済研究院の推計値から、韓国農業が本当に壊滅するのか考えます。
(※9)未来最恵国待遇の事実関係の説明は、「わかりやすく書いた、いわゆる韓米FTA毒素条項主張に対する反論」(2011年1月)により記述した。
さて韓国農村経済研究院の推計によると、最も生産額の減少が大きい品目は牛肉です(全体の数値は表2)。具体的には、15年の減少額合計が3兆ウォン、年平均で2000億ウォンです。ただし毎年関税率が下げられるので、15年目の生産減少額が最大で4400億ウォンです(※10)。また豚肉がこれに続きます。15年の合計は2兆4千億ウォン、年平均で1600億ウォン、15年目が2100億ウォンです。そしてさらに鶏肉が続きます。このように上位3位は畜産分野であり、畜産分野で農業全体の生産額減少の約6割を占めています。米の生産額は減少しませんが、韓米FTAでは米は除外されているため、当然の結果です。
なお、牛肉輸入には40%の関税がかかっていますが(※11)、これが15年間でゼロとなります。ただしこの期間中にはセーフガードが適用されます。発動するための輸入物量は1年目で27万トン、以後毎年6千トンずつ増え、15年目には35万4千トンになります。そしてセーフガード発動時の税率は、1〜5年目は40%、6〜10年目は30%、11〜15年目は24%です。また豚肉輸入には22.5%の関税がかかっていますが(※12)、これが10年で撤廃されます。そして牛肉と同様にセーフガードが適用されます(※13)。
ここで重要な点は、先に示した牛肉や豚肉の生産減少額は、それぞれの生産業にとって壊滅的な規模であるかです。まず韓肉牛の生産額を見ると、2010年は約4兆9千億ウォンです。これに対して韓米FTA発効後15年目の牛肉生産減少額は4400億ウォンであるので、2010年の生産額に対して1割程度減少する計算となります。
ただし重要な点は、韓米FTA発行後15年目(2027年)に、韓肉牛の生産額が現在より1割減少するわけではない点です。韓肉牛の生産額は、2004年から2009年の5年間で41.5%高まっているなど、増加トレンドで推移しています。韓国農村経済研究院は、今後も生産額が増加すると予測していますが、韓米FTAの影響によって、FTAが締結されない場合と比較して、増加幅が縮小するわけです。ちなみに韓米FTA発効後10年目の2022年の生産額は、2010年から17.2%増加した5兆7千億ウォンと予測されています(※14)。つまり肉牛農家については、韓米FTAが締結されても、壊滅するわけではありません。
高くても国産牛肉を買う消費者は少なくない
アメリカ産の牛肉にかけられる関税が引き下げられれば、アメリカ産牛肉の価格は低下しますが、なぜ国産牛肉は淘汰されないのでしょうか。FTAが農業部門に与える影響に関する研究の第一人者である、韓国農村経済研究院のチェセギュン副院長は、「40%の関税が課されている現在でも、アメリカ産牛牛肉の価格は国産牛肉の価格よりはるかに安い。しかし、国産牛は味が良いので、高くても国産牛肉を購入する消費者が少なくない」点を指摘しています(※15)。
これはデータでも裏付けられています。韓国農村経済研究院の農業観測センターが消費者に対して、ロース肉500グラムに対していくら払う意思があるか尋ねた結果によると、国産は17165ウォンでしたが、アメリカ産は5434ウォン、オーストラリア産は6300ウォンでした。またカルビ肉500グラムについては、国産が15998ウォン、アメリカ産は7030ウォン、オーストラリア産は8200ウォンでした(※16)。つまり国産の牛肉に対してはアメリカ産より2〜3倍の価格を出してもよいと消費者は考えていることがわかります。
さら韓国政府は以下のように主張しています(※17)。国産牛肉は高価格・高品質であると認識され、輸入牛肉より相当高い価格帯を構成しています。よってアメリカ産牛肉は韓国産牛肉よりも、オーストラリア産牛肉など他の国からの輸入牛肉と深い競争関係にあります。つまり、韓米FTAによってアメリカ産の牛肉価格はさらに安くなるので(※18)、国産牛肉からアメリカ産牛肉へ需要のシフトが起こることが考えられますが、それよりもオーストラリア産牛肉からアメリカ産牛肉へのシフトが起こるわけです。
次に豚肉について見ていきましょう。養豚の生産額は、2010年は約5兆3000億ウォンです。これに対して韓米FTA発効後15年目の豚肉生産減少額は2100億ウォンであるので、2010年の生産額に対して4%程度減少する計算となります。そして韓肉牛同様、養豚も増加トレンドにあり、韓米FTA発効後10年目の2022年の生産額は、2010年から18.7%増加した6兆3000億ウォンと予測されています(※19)。よって養豚業も壊滅からはほど遠い姿が見通されています。これに関連して、前出のチェセギュン副院長は、「豚肉については、国産の肉が味の面で優位にあるわけではないが、価格競争力があるため(※20)、それほど大きな影響を受けない」と指摘しています。
(※10)15年の合計は100億ウォン?単位、それ以外は10億ウォン?単位を四捨五入。
(※11)牛肉加工品などを除く。
(※12)ソーセージなどを除く。
(※13)牛肉や豚肉の関税率やセーフガードについては、外交通商部「韓米FTA農業分野譲許重要内容」による。
(※14)韓国農村経済研究院『農業展望2012』による。10億ウォン単位の数値で増加率を計算した。
(※15)チェセギュン博士に対するヒアリング調査結果による。
(※16)韓国農村経済研究院『農業展望2011』による。
(※17)韓国政府の主張は、「民主党の韓・米FTA再協商案[10+2]に対する政府の立場」(韓国政府の関係部処で共同作成、2011年7月)による。
(※18)為替やアメリカ国内での生産コストの変動によっても米国産牛肉の価格は変動するが、これらの事情を一定とした場合。
(※19)韓国農村経済研究院『農業展望2012』による。
(※20)チェセギュン副院長は、養豚がある程度の競争力を有している理由として、土地利用型農業ではないので、農地面積が小さい韓国が不利な状況に置かれていないことを挙げている。
(表2)韓米FTAによる重要品目別生産額減少推計(韓国農村経済研究院による)
(億ウォン)
区分 年間 平均 15年
合計 15年
平均
5年目 10年目 15年目 1-5年 6-10年 11-15年
穀物 麦 11 23 45 7 18 35 295 20
豆類 164 177 202 118 171 191 2,399 160
その他 31 49 49 21 46 49 576 38
小計 206 249 295 146 234 274 3,270 218
野菜・特作 にんにく 31 38 53 31 35 46 560 37
たまねぎ 24 49 106 19 37 79 674 45
とうがらし 111 145 158 98 133 156 1,934 129
果菜類 372 412 412 263 395 412 5,348 357
朝鮮人参 25 42 57 20 35 51 531 35
その他 45 56 68 41 52 63 781 52
小計 608 742 853 472 686 808 9,828 655
果樹 りんご 599 672 760 484 636 732 9,260 617
なし 396 454 498 293 437 480 6,052 403
ブドウ 439 585 731 326 526 673 7,625 508
柑橘 665 730 730 461 727 730 9,589 639
桃 150 221 221 122 191 221 2,671 178
その他 66 72 72 51 71 72 965 64
小計 2,314 2,735 3,012 1,737 2,586 2,909 36,162 2,411
畜産 牛肉 1,040 2,463 4,438 594 1,836 3,577 30,036 2,002
豚肉 1,640 2,065 2,065 1,008 1,803 2,065 24,378 1,625
鶏肉 589 1,087 1,087 389 836 1,087 11,557 770
乳製品 297 430 430 259 372 430 5,306 354
その他 91 143 173 64 116 163 1,716 114
小計 3,656 6,187 8,193 2,314 4,963 7,322 72,993 4,866
総計 6,785 9,912 12,354 4,668 8,470 11,312 122,252 8,150
(出所)対外経済研究院ほか「韓・米FTA経済的効果再分析」(2011年8月5日)の表40を引用した。
(注)この分析は、韓国農村経済研究院が行った。
以上で韓米FTAが農業に与える影響を見ましたが、ここからは、生産額の面で、韓米FTAの影響を最も受けると予測されている牛肉や豚肉の生産農家についても、壊滅といった状況には陥らないと考えられます。
さて韓米FTAと農業との関係についてもう一点だけ触れておきたいと思います。「米は韓米FTAでは除外されたが、2014年に関税化されるため、韓米FTAにかかわらず自由化される」といった主張も目にします。これが正しければ、アメリカとしては、韓米FTAで米の自由化にこだわる必要はありません。しかし2014年に予定されている米の関税化は、米の市場開放にはつながらないことを知っておく必要があります。
米には輸入禁止的な関税率が課せられる可能性が高い
重要な点は、米が関税化に移行しても、輸入禁止的な関税率が課される可能性が高いことです。関税化後に課される税率は、韓国が勝手に決めることができるわけではなく、ルールに則って算出されます。このルールを当てはめて、米の関税率を推計した研究があります。これによると、条件によって異なった結果となるものの、従価税基準で最低426%から最高502%の間に分布すると結論づけられています(※21)。この関税率は日本ほどではないにしても(※22)、輸入禁止的な関税率と言ってさしつかえない水準です。
以上を勘案すると、韓米FTAを履行した後も、韓国は食の安全を守ることができますし、農業が壊滅するわけでもないことが、結論づけることが妥当でしょう。
(※21)ソジンギョほか(2004)『米関税化猶予協商シナリオ分析と協商戦略』韓国農村経済研究院による。
(※22)日本の税率は778%(従価税ベース)。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120305/229486/?ST=print
「TPPで韓国の二の舞になる」は本当か
レッスン1 ISD条項で韓国は被害を受けない
2012年3月8日 木曜日 高安 雄一
豪州でTPP(環太平洋経済連携協定)参加国交渉が開かれている。日本の交渉参加を巡る意見も参加国の間で熱を帯びてきた。交渉参加のための協議、参加する場合にはその後の交渉本番と、日本にはこの先、厳しい舞台が待ち受ける。TPPの正しい理解に必要な論点を韓米FTAに学ぶ。
3月15日に発効する韓米FTAについて、不平等条約であるといった主張を日本で目にするようになりました。韓国では2006年にマスコミで反韓米FTAキャンペーンがはられました。例を挙げると、「韓米FTAによってカナダは深刻な社会・経済問題に直面した。韓米FTAを結べば韓国も同じ道を歩む」といった内容の報道がなされ、反韓米FTAキャンペーンは少なからず世論に影響を与えました。これに対して政府も積極的な反論や広報を行ったため、2007年に韓米FTAに肯定的な意見が否定的な意見を上回るようになりました。(※1)
(※1)詳しくは「農業被害はきっちり補償、世論対応は完璧だったFTA対策」(知られざる韓国経済2010年12月20日)を参照のこと。
当時の日本には、韓米FTAについて興味を示す人は、ほとんどいませんでしたが、最近になって韓米FTAへの関心が急速に高まっています。そして内容を見ると、「韓米FTAは韓国に著しく不利な不平等条約」、「韓米FTAによって韓国経済・社会は深刻なダメージを受ける」といった、韓米FTAの負の側面を強調するものが多くなっています。
検索サイトで「韓米FTA」、「不平等条約」のキーワードを入れると、読み切れないほど結果が出てきますし、韓米FTAは不平等条約であるとした主張が記されている書籍や雑誌も少なくありません。なぜ日本でこのような主張が広まっているかと言えば、TPPに反対する根拠の一つとして、「韓米FTAで韓国が打撃を受ける」→「日本がTPPに参加すれば韓国の二の舞になる」といったロジックが使われているからです。
韓米FTAは不平等条約か?
では本当に韓米FTAは不平等条約であり、発効後に韓国は著しい不利益を受けるのでしょうか。結論から言えばこの主張は誤りです。TPPの参加是非については、そのメリットとデメリットをきちんと議論したうえで、最終的にはどちらに重きを置くのか国民が判断すべきです。そのためには、「韓米FTAにより韓国は大打撃を受ける」といった誤った情報はきちんと修正し、メリットやデメリットに関する正しい情報が提供されることが重要でしょう。
韓米FTAの問題点として日本で広まっているものには幾つかあります。そこで4回に分けて、(1)ISD条項が不平等、(2)農業が壊滅、(3)公的サービスの運用が制約(公共料金が高騰する等も含む)、(4)その他の問題として主張されている点について、本当にこれらは問題なのか検討していきます。
ちなみに日本で広まっている問題点の大半は、韓国のマスコミが反韓米FTAキャンペーンの一環として報道した問題です。韓国政府は、これら報道に対して反論ペーパーを作成して公開しています。これをまとめた資料(600ページを超えます)も外交通商部のホームページで公開されています。
今回のシリーズでは、日本に伝わっている問題点(=韓国のマスコミによる報道)に対する韓国政府の反論を中心に紹介します。なぜなら韓国政府の反論に対する説得的な再反論がそれほど多くないからです。しかし韓国政府の反論に対する建設的な反論(政府の反論に聞く耳を持たず平行線をたどっているものは除きます)もありますので、これも紹介します。韓米FTAに対する一方的な批判だけでなく、韓国政府の反論、またそれに対する再反論を知ることで、韓米FTAの正しい姿が見えてきます。
今回はISD条項を取りあげます。まずISD条項について簡単に解説します。日本ではISDS条項と呼ばれますが、この条項は「国家と投資家の間の紛争解決手続き」(以下、「ISD手続き」とします)について定めています。ISD手続きとは、投資家と国家間の紛争解決の手続きであり、投資を受け入れた国が協定に違反し、その国に投資した企業などに損失が生じた場合、企業が政府を相手取って国際仲裁機関に仲裁を要請できる手続きです。
この手続きが可能な場合、投資受入国との間で紛争が起こった時、投資家は、(1)投資受入国の裁判所に提訴する、(2)国際仲裁機関に仲裁を要請する、のいずれかを選択することができます。ISD手続きがある理由としては、被害を被った投資家が裁判を提起する際、投資受入国の裁判所しか選択肢がない場合、自国の政府などに有利な判断を下さないか不安であることが挙げられます。国際仲裁機関が判断を下せば中立性が期待されるわけです(※2)。
(※2)外交通商部ホームページ等により記述した。
韓米FTAにはISD条項が含まれていますが、これが韓国に不平等とする主張には様々なバリエーションがあります。これを大きく区分すると、(1)ISD条項は韓国にとって不利、(2)国際仲裁機関はアメリカ寄り、(3)アメリカ企業による濫訴の3つの類型に分けることができます。以下ではそれぞれについて考察していきます。
ISD条項は韓国に不利なのか
まず第一の類型「ISD条項は韓国にとって不利」についてです。
韓国の投資家がアメリカ政府の協定違反により被害を受けた場合、アメリカの投資家は、(1)相手国の裁判所での訴訟、(2)国際仲裁機関におけるによるISD手続きへの付託のいずれかを選べますが、韓国企業は選択肢がないと主張されています。さらにこの主張は、「韓国企業は国際仲裁機関に提訴できない」、「韓国企業はアメリカ政府を提訴できない」の2つに分かれます。
「韓国企業は国際仲裁機関に提訴できない」との主張の発信源は日本です。しかし韓米FTAの条文を読めば、両国の投資家は国際仲裁裁判所への提訴を選択できることがわかります。つまり、この主張は単純に条文を読まなかったことにより生じた誤解と考えられ、さすがに韓国のマスコミもこのような主張はしていません(※3)。
(※3)ただし後述するように、裁判官が大法院長に提出した建議書では、アメリカ国内法により、韓国企業はアメリカ政府をICSIDに提訴できない懸念があるとされています。
ただし「韓国企業はアメリカ政府を相手に提訴できない」との主張については韓国のマスコミによって報道されています。ハンギョレ新聞は、「アメリカだけ韓国を提訴可−法衝突時には韓国だけ改正しなければならない」(2011年10月5日)の記事の中で、韓国企業はアメリカ政府を提訴できないと報道しました。記事では、韓米FTA履行法案の第102条(c)項に「アメリカ政府を除いて、だれも韓米FTAを根拠に請求権や抗弁権を持つことができない。アメリカ政府の措置に対して、韓米FTA違反という理由で訴訟を提起できない」と明示されていることと根拠に、韓国企業はアメリカ政府などを訴えることができないと書かれています。
もしこれが本当だとしたら、韓米FTAの条文のみに目を奪われ、アメリカの国内法に注意を払わなかった韓国が、アメリカにしてやられたことになります。結論から言うと、アメリカはそのような裏技をわざわざ使って、不平等条約を押し付ける国であるとは考えにくく、この主張もやはり誤解と考えていいでしょう。以下ではこの主張が誤解である理由を、外交通商部の資料をもとに説明します(※4)。
(※4)以下、政府の反論は、外交通商部「アメリカ韓米FTA履行法説明資料」等を適宜引用しつつ記述した。
韓国企業が、相手国の裁判所での訴訟、国際仲裁機関によるISD手続きへの付託のどちらでも選択できることを理解するためには、(1)条約上の義務を履行するための方法には国々で差があること、(2)韓米FTAを国内で発効させるため、韓米FTA履行法案(以下「履行法」とします)があることを知る必要があります。
条約上の義務を履行するための2つのパターン
まず条約上の義務を履行する方法についてです。条約上の義務を履行するためには、2つのパターンがあります。一つは、条約がそのまま国内法として扱われるため、別途法律を制定しなくても条約上の義務が履行できるパターンです。そしてもう一つは、条約はそのままでは国内法として扱われず、国内履行法を通じて国内法体系に受け入れられるパターンです。韓国は前者であり(日本も前者です)、アメリカは後者です。
つまり原則的にアメリカは、条約上の義務を国内で履行するために履行法を制定します。韓米FTAについても履行法が制定されましたが、FTA(もちろんNAFTAも含まれます)やウルグアイラウンド協定などアメリカが締結した通商協定も、条約を履行するための法律が定められています(※5)。
(※5)外交通商部ホームページにより記述した。
次に、韓米FTAを国内で発効させるため、韓米FTA履行法案(以下「履行法」とします)が制定されることです。前述のとおりアメリカでは条約は国内法として扱われません。そこでFTAに規定された事項と一致しないアメリカの国内法は、履行法を通じてもれなく改正していきます。
以上の2点を説明した上で、韓国の投資家がアメリカの裁判所に提訴できる理由を示します。履行法の第102条(c)項は、「・・・アメリカ政府の措置に対して、韓米FTA違反という理由で訴訟を提起できない」としていますが、これはアメリカでは条約は国内法として扱われないため当然の規定です。
つまりアメリカにおける条約の位置づけから、条約の一つである韓米FTAに違反しても、それだけでは提訴はできません。しかし履行法は韓米FTAを反映しているので、韓国の投資家は、現実的には、韓米FTAによらなくても、アメリカ国内法によってアメリカ政府を提訴できます。
ちなみに、1994年のウルグアイラウンド協定、1993年のNAFTAを国内法体系に受け入れるための履行法にも、韓米FTA履行法案の第102条(c)項と同様の規定があります。しかしこの規定によって問題は起きていません。つまり韓国の投資家は、FTAの条文を援用することでは、アメリカ政府を提訴することはできませんが、韓米FTA違反によって韓国の投資家が損害を受けた場合、アメリカ国内法によって、アメリカ政府を提訴できるわけです。
また履行法とアメリカの行政措置計画(SAA)は、韓国の投資家が、ISD手続きを利用できるといった韓米FTAの権利を再確認しています。つまり、韓国の投資家は、アメリカの投資家と同様、(1)相手国の裁判所での訴訟、(2)国際仲裁機関への付託が可能です。
国際投資紛争解決センターはアメリカ寄りか?
次に、ISD条項が韓国に不利といった主張の第二の類型「国際仲裁機関はアメリカ寄り」についてです。ハンギョレ新聞は、「医療分野開放しない?営利病院は協定対象−我々だけでは撤回できない」(2011年11月5日)で、国際仲介機関がアメリカ寄りであり公正な仲裁が期待できないことを報じています。この記事ではISD手続きに関して大きく2つの主張がなされています。
第一に、国際仲介機関で仲裁が終わった197件について、投資家勝訴が30%、国家勝訴が40%と、国家の主張が受け入れられたケースが多いのですが、30%を占める合意を見ると、概ね投資家の要求が貫徹されており、投資家勝訴と和解を合わせれば、投資家の要求が通ったケースが60%に達するとしています。アメリカの投資家による提訴件数が相対的に多いため、投資家に有利な結果となるケースが多いならば、アメリカに有利な制度とも言えます。
第二に、仲裁を引き受ける国際投資紛争解決センター(ICSID)が、世界銀行の傘下機構で、アメリカに有利であるため、合意を含めると米国投資家の要求が通った比率は60%であると主張しています。これら主張が正しいならば、韓米FTAの条文上は、両国の投資家に国際仲裁機関に仲裁を付託することができても、ISD条項は、実質的にはアメリカ企業にだけ資するということになります。
しかしこれら主張についても韓国政府による反論がなされています(※6)。まずISD仲裁事例について数字を確認します。UNCTADが把握している全世界のISD仲裁事例は390件で、197件が既に終結しています。うち投資家勝訴が59件、国家勝訴は78件となっています(表1)。390件のうち、アメリカが関係する事案は123件で、米国企業の提訴件数は108件、米国政府の被提訴件数は15件。そしてアメリカ企業が敗訴したケースは22件、勝訴したケースは15件です(表2)。
(※6)以下、韓国政府の反論は、外交通商部報道資料(2011年11月7日)「医療分野開放しない?営利病院は協定対象−我々だけでは撤回できない ハンギョレ新聞記事(11.5)関連」を適宜引用しつつ記述した。
(表1)判定現況(2010年末現在)
計 終結事案(197) 係争中 その他
国家勝訴 投資家勝訴 和解
390 78
(20.2%) 59
(15.1%) 60
(15.4%) 164
(42.1%) 29
(7.4%)
(出所)外交通商部報道資料(2011年11月7日)の表を翻訳して引用。
(表2)アメリカ関連のISD現況(2010年末現在)
国家勝訴 投資家勝訴 和解 係争中 その他 計
提訴 22
(20.4%) 15
(13.9%) 18
(16.7%) 48
(44.4%) 5
(4.6%) 108
被提訴 6
(40%) ― ― 9
(60%) ― 15
(出所)外交通商部報道資料(2011年11月7日)の表を翻訳して引用。
まず、ハンギョレ新聞記事の主張の一つである、「投資家の要求が通ったケースが60%に達するとしている」に対する政府の反論です。政府は、和解で終結した事例を「全部ではないが投資家の要求が貫徹された場合」との根拠のない仮定により、和解を投資家勝訴と同一に扱うことで、投資家勝訴率を60%に水増ししていると批判しています。
投資家勝訴率は30%
具体的には、和解した事案については、非公開とされた場合が多く、どちらに有利な結果か分からないうえに、公開された事案についても、投資家に対する賠償金の支払いが行われなかったケースが多い点を指摘しています。つまりISD手続きが終了した事案における投資家勝訴率は30%、アメリカ企業に限れば27%とそれほど高いとは言えないことがわかります。
また日本政府の資料から、NAFTAにおけるアメリカのISD手続きの現況を見ると、アメリカ企業がカナダ政府を訴えたケースは16件、うち手続きが終結したものは11件ですが、アメリカ企業が勝訴したケースは2件(18%)、敗訴は5件(45%)、和解4件(36%)となっています。またアメリカ企業がメキシコ政府を訴えたケースは14件、うち手続きが終結したものは11件ですが、アメリカ企業が勝訴したケースは5件(45%)、敗訴したケースは6件(55%)です。NAFTAに関連した事案においても、アメリカ企業の勝訴率はそれほど高いとは言えなさそうです。
ハンギョレ新聞記事の次の主張である「国際投資紛争解決センター(ICSID)は、世界銀行の傘下機構であり、アメリカが有利」に対する政府の反論を検証しましょう(※7)。1946年以降、確かに世界銀行の総裁はアメリカ人です。だからといって世界銀行の傘下にあるICSIDの仲裁判定がアメリカ側に有利であったという証拠はありません。
(※7)この反論は、外交通商部「FTA交渉代表ブリーフィング 韓米FTAの事実はこのようだ−ISD分野」(2011年12月5日)により記述した。
そもそも判定には世界銀行は何ら関与することはありません。判定は3人の仲裁人によって行われますが、紛争当事者が各1名ずつ指名して、残り1名が双方の合意によって指名されます。合意に至らない場合は、ICSIDの事務総長が第三国の人を指名します。この方法については、事務総長はアメリカの息がかかっており、アメリカに有利な人を指名するといった反論が予想されます。
しかしこの反論も正しくありません。これを数字で示しましょう。NAFTAに関連する終結したISD事例は全部で13件ありますが、双方が合意せず事務総長が仲裁人を指名したケースが4件あります。そして2件はアメリカに有利な判定、2件はアメリカに不利な判定が出ています。ちなみに仲裁人について両国で合意がなされた9件については、アメリカに有利なケースが6件、アメリカに不利なケースは3件です。つまり事務総長が指名した仲裁人が、アメリカに有利な判定を下すわけではないことがわかります。ICSIDでの仲裁は、中立的であると言えるでしょう。
またICSIDの中立性に関連して、仲裁人となったアメリカ人が137人と最も多い半面、韓国はゼロであるため、アメリカに有利とも主張されています。これに対しても反論があります(※8)。アメリカがICSIDによる仲介の当事者になったケースは123件と最多です(企業が訴えたケースと政府が訴えられたケースの合計)。
(※8)この反論は、外交通商部「投資者−国家間紛争解決手続き(ISD)、公正なグローバルスタンダード」(2011年11月)により記述した。
そして当事者が1人仲介人を選ぶ権利を有するため、アメリカ側が自国民の仲裁者を指名した結果、アメリカ人の仲裁人の数が多くなっています。ただ相手側も自国に有利な仲裁人を指名していますので、これをもってアメリカが有利とは言えません。一方で、韓国は1967年にICSIDに加入してから、提訴したことや、訴えられたことは一度もありません。韓国が当事者になったことがないので、仲裁人となった韓国人がいなくても何ら不思議はありません。
アメリカ企業は濫訴しているのか?
最後に、ISD条項は韓国に不利といった主張の第三の類型が「アメリカ企業による濫訴」です。そもそも何をもって濫訴と考えるのか難しい問題ですが、ICSIDにアメリカ企業が提訴した件数は、全390件のなかで108件であり、相対的に多いとは言えます。しかし全体の件数である390件について、訴えられた国を見ると、アルゼンチンが51件であり、メキシコ19件、チェコ18件、エクアドル16件が続くなど、法制度が未整備な国が過半数を占め、地域別には中南米、東欧、旧ソ連諸国が多くなっています(※9)。よって韓国のような、法制度が整備されている国では提訴されるリスクは小さいと言えます。
(※9)日本政府資料により記述した。
しかし発展途上国だけが訴訟の相手になるわけではないとの反論が予想されます。先進国クラブともいわれるOECD加盟国であるメキシコ政府が、アメリカ企業(Metalclad Corp)に訴えられたケースは韓国でも引き合いに出されます(※10)。このケースを簡単に説明しましょう。Metalclad社は、メキシコの中央政府から、廃棄物の埋め立て事業の許可を受けていた現地企業(Coterin社)を買収しました。
(※10)外交通商部「FTA交渉代表ブリーフィング 韓米FTAの事実はこのようだ−ISD分野」(2011年12月5日)。
しかし地方政府は、建設地の住民が反対運動を始めると、施設の建設停止を命令しました。連邦政府は、Metalclad社に対して、連邦政府の許可のみが必要であり、地方政府は許可を拒否できないと説明していました。これに対して、メキシコ政府がMetalclad社に提訴され、ICSIDはメキシコ政府に、約1669万ドルの支払いを命じる判断を下しました。
その他、カナダ政府がアメリカ企業(S.D.Myers Inc.)に訴えられたケースもよく紹介されます。S.D.Myers社は、カナダに子会社を設立して、カナダで取得した廃棄物を米国で処理する事業を進めていました。しかしカナダ政府が輸出禁止措置を講じたため、同社は事業を継続できなくなってしまいました。
カナダ政府は、自国内で廃棄物を処理することは認めていましたが、カナダ国内には関連事業を営む企業は1社しかなく、同社はS.D.Myers社の米国工場(オハイオ州)より顧客から遠くに立地していたため、コストが高く、またS.D.Myers社のような豊富な事業経験や顧客からの信頼を有していませんでした。そこでS.D.Myers社は、カナダ政府を、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)に提訴し、カナダ政府は約386万ドルと利子の支払いを命じられました(※11)。
(※11)Metalclad Corpに関する仲裁判例は、外交通商部「FTA交渉代表ブリーフィング 韓米FTAの事実はこのようだ−ISD分野」(2011年12月5日)及び日本政府資料、S.D.Myers Inc.に関する仲裁判例は、日本政府資料による。
これらの判断は、先進国の政府もアメリカ企業に訴えられ、多額の賠償金を取られることがあり得ることを示しています。しかしこれらは、政府が協定に違反しており、賠償金支払いを命じられてもしかたがないケースと考えられます。反対に企業が訴えても、政府が協定違反をしていないとして、訴えが退けられるケースも少なくありません。
すなわち、先進国政府であっても協定に違反して、相手国の企業に損害を与えれば、賠償の支払いから免れることはできません。しかし法制度が整備されている国であれば、企業から提訴される確率は低く、提訴されても協定に違反していなければ賠償金の支払いを命じられることはないといっていいでしょう。
ただし結果的に勝訴しても、企業から頻繁に訴えられれば行政の活動に支障が生じるといった考えもあります。そこで1994年に発効したNAFTAの例を挙げますと、アメリカ企業に、カナダあるいはメキシコ政府が訴えられたケースは30件です(カナダ16件、メキシコ14件)(※12)。つまり1年で1政府あたり、1件弱の訴訟が起こされている計算です。これをもって濫訴と判断するのは難しいのではないでしょうか。
(※12)数値は日本政府資料による。
ここまでは韓国政府による反論を中心に紹介してきましたが、政府の反論に対する再反論についても紹介します。韓国の裁判官127名が、昨年12月に大法院長(日本の最高裁長官に相当)に宛てた建議書があります。
そのなかで、韓国政府は、韓国企業は国際仲裁機関に提訴できるとしているが、アメリカの履行法には一見互いに相反した条項があって、アメリカ政府をICSIDに提訴できるのか深い研究が必要であると主張しています。またアメリカ政府が提訴された15件のうち、アメリカ政府が勝訴した件数は9件であるが、残り6件は係留中であることを指摘しています。そして係留中を除けば、アメリカ政府の勝訴率が100%に至っていることなどを勘案すれば、ICSIDがアメリカ側に有利である点は否定できないとしています(※13)。ただこの建議文については、韓米FTAに問題がある点を明確にしたわけではなく、疑義があるため韓米FTAを研究するタスク・フォースを立ち上げるべきと提言したものです。
(※13)CBS社会部情報報告(2011年12月9日)により記述した。
韓国のマスコミ報道だけが伝わった
以上を考慮すると、日本で広まっている「ISD条項によって韓国は被害を受ける」といった主張は、韓国のマスコミ報道だけが日本に伝わった結果と言えます。これら主張は韓国政府に反論されています。マスコミの報道、政府の反論等を勘案すれば、現時点においては、「ISD条項によって韓国は被害を受ける」とは言えないことがわかります。なおISD条項に関しては、公的サービスの運用が制約されるとの主張がありますが、これはシリーズの第3回で扱います。
(次回に続く)
TPPを議論するための正しい韓米FTA講座
豪州でTPP(環太平洋経済連携協定)参加国交渉が始まった。日本の交渉参加を巡る意見も参加国の間で熱を帯びる。交渉参加のための協議、そしてその後の交渉本番と、日本にはこの先、厳しい舞台が待ち受ける。TPPの正しい理解に必要な論点を3月15日に発効する韓米FTAに学ぶ。
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高安 雄一(たかやす・ゆういち)
大東文化大学経済学部社会経済学科准教授。1990年一橋大学商学部卒、同年経済企画庁入庁、調査局、外務省、国民生活局、筑波大学システム情報工学研究科准教授などを経て現職。
『知られざる韓国経済』(仮タイトル)を今年春に日経BP社から出版予定
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