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『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』
Q:ベーシックインカムをどう考えるか
◇回答
□山崎元 :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員
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■今回の質問【Q:1255(番外編3)】
山崎さんが、よくブログなどでお書きになっている「ベーシックインカム」で
すが、他の寄稿家のみなさんは、どのような考えをお持ちでしょうか。
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村上龍
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■ 山崎元 :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員
「ベーシックインカムを理解する5つの急所」
ベーシックインカムは「優しい自由主義」を実現する上で有効なツールになる優れ
たアイデアです。しかし、私は、「国民がその気になれば十分実現可能だし、優れた
仕組みだと思うけれども、現実問題としてベーシックインカムは実現しないだろう」
と思っています。それでも、ベーシックインカムについて語りたいと思うのは、ベー
シックインカムが、経済政策を考える上で極めて優れた「補助線」だと思うからです。
他の寄稿家の皆様がどう思われるか、ということが今回のテーマなので、どうして
もこれだけは分かってから考えて欲しい、と私が思うポイントについて説明したいと
思います。
(1)ベーシックインカムは税金と「合計で」考える
ベーシックインカムに関する初歩的ではあってもよくある誤解・批判は、「財源上
無理だ」というものです。
ベーシックインカムは無条件で国民全員に対して支払われる給付です。その財源を
負担する人もこれを受け取ることに注意が必要です。生活保護のように所得や資産の
乏しい人にだけ選別的に支払われるものではありません。
社会的な富(フローの所得とストックの資産を合わせて「富」という言葉を使うこ
とにします)の再配分を考える場合には、給付側をベーシックインカムで固定して、
負担側がフェアになるように税制を調整すればいい。
ベーシックインカムだけでは足りないことが社会的に合意されるような人(例えば
重度の障害を持っている方でしょうか)に対して追加的な給付が必要である場合を除
くと、「実質的な再配分」は、税金で調整すればいい。足し算・引き算が分かれば、
誰でも納得できる話です。
従って、ベーシックインカムが現在の制度運営コストよりも小さいなら、現在程度
の(それが十分かどうかは別として)富の再配分を行うにあたって、現在以上の実質
的な財源が必要ないことは小学生程度の算数が出来れば明らかです。
この理由と後述の理由もあって、私は、ベーシックインカムの細かな財源論議には
興味がありません。規模に関する合意は必要ですが、たとえば、同規模なら、現在の
制度よりも効率の上で「まし」なものを実現できることは明らかだと思うからです。
仮に、ベーシックインカムが導入されるなら、これと合算した場合に納得できる税
の取り方を考えたらいいのであり、ただそれだけです。
私は確かめたことがありませんが、噂では、財務省には賢い人がたくさんいるらし
いので、目的さえ指定すれば、解決策を考えることは容易なのではないでしょうか
(当然のことながら、これは皮肉です)。
(2)「優しい」に賛成するか否か
「働かざる者、喰うべからず」という言葉があります。「働かないと、喰えないぞ。
だから、頑張れよ」という忠告としてこう言うのならいいのですが、これを、「働か
ないなら、死ね(喰わないと死にますから)」という社会はいかがなものでしょうか。
仮に、「働かない奴は死ぬ社会」と「働かない奴も生きてはいける社会」との二つ
の社会があれば、どちらがいい社会でしょうか。
ここは意見が分かれるかも知れません。働くことが人間の価値だと思われる方は前
者を採るでしょう。しかし、私は、それが可能なら、働かないで人も生きてぐらいは
行ける社会の方が、そうでない社会よりもずっといい社会であるように思います。
尚、ベーシックインカムは、これをあまりに大きなものにしない限り、労働意欲を
削ぐものにはなりません。より稼ぐなら、より多く使えるのです。
再配分政策としてベーシックインカムは、かつてミルトン・フリードマンらが提唱
した「負の所得税」と似た効果を持っています。いわゆる「新自由主義者」として、
お金持ち優遇の印象を持たれることの多いミルトン・フリードマンですが、効率的な
弱者救済のアイデアも考えていたことは、もっと知られていいと思います。
(3)「非裁量的」な再配分
ベーシックインカムの大きな長所の一つは、現金の支給にあたって、官僚や政治家
の裁量が一切ないことです。生活保護を受けられずに死ぬ、というようなことがない
し、支給を受けるために特定の政治団体に肩入れする必要もありません。徴税がどれ
だけフェアで効率的かということは相変わらず重要ですが、支給に関してシンプルな
制度です。受け取るにあたって、現在の生活保護のように、(たかだかお金の問題で)
「恥ずかしい」感情を持たずに済むことも長所です。
俗に、支出規模の大きな政府を「大きな政府」と呼ぶことが多いのですが、支出が、
官僚や政治家の裁量によるものなのか、それとも事前に定められているルールによる
ものかのかの区別をすることが重要です。後者は、支出金額的には大きいとしても
(前記のように、差し引きで大きいかどうかは様々ですが)、官僚・政治家による資
源配分の規模で見ると「小さな政府」といえます。
(4)「非介入」的な再配分
ベーシックインカムは現金給付なので、これをどのように使うかは、受け取った人
の自由です。政府が干渉する所ではありません。自由主義の優位を前提とする厚生経
済学的な観点からは、個々の経済主体が富を自由に処分できることが、個々人の効用
の最大化につながるのではないでしょうか。
ベーシックインカムとして受け取った現金を、子供の教育費に使おうが、食費に使
おうが、親の気分転換に使おうが、政府の関与すべきところではないと私は考えます。
(5)「効率的」な再配分システム
ベーシックインカムでは、政府から国民に対する支出サイドはシンプルであり、行
政の手間(と裁量や介入)を殆ど必要としません。年金でいえば、社保庁による保険
料の徴収も不要になりますし、基金による資産運用なども不要です。生活保護に関す
る自治体の手間も大幅に軽減されます。ベーシックインカムは行政の手間(つまりは
コスト)を節約できる点で極めて優れたシステムです。
尚、徴税と予算編成の大きな権限両方を財務省に持たせることは不健全なので、税
金と社会保険料の徴収を総合的に扱う「歳入庁」を財務省から分離する形で作ること
が望ましいと思います。政治家も、財務省のいいなりになるのではなく、せめて消費
税率引き上げとセットで、歳入庁を作るくらいのことを考えられないものでしょうか。
以上の5点を考えて頂くと、ベーシックインカムについて「案外悪くない」と思っ
て下さる人(読者も、他の寄稿家も)がいらっしゃるかも知れません。たとえば、年
金・生活保護・雇用保険をベーシックインカムを中心とする制度に置き換えることは、
十分に現実的です。
しかし、私は、ベーシックインカムが日本に導入されることはないと思っています。
その理由は、ベーシックインカムが、利権に絡むことでメリットを得ている官僚や
政治家にとって「美味しくない」からです。もちろん、私は実現するといいと思って
いるのですが、「現実問題として」、ベーシックインカムが実現することは多分ない
でしょう。
それは、ベーシックインカムが、官僚の既得権を損ない、官僚にかけているコスト
を節約できる方策であるからです。
しかし、上記の(1)〜(5)に対応する論点で政策を評価する場合、国民にとっ
てベーシックインカムは、かなり理想に近い仕組みではないでしょうか。
当面、ベーシックインカムは、再配分を伴う政策を評価する際の「補助線」として
使えばいいと思います。ある政策をベーシックインカムに置き換えることを考えた時
に、その政策に伴う、不平等や余計な行政コスト、あるいは国民生活に対する政府の
介入(全てが「悪い」わけではないかも知れませんが)などが浮かび上がります。
政策を評価する場合には、その政策は「BI的か?」を考えてみて下さい。合計の
効果はどうか、優しいか、非裁量的か、非介入的か、コストは効率的か、と問う訳で
す。
現実の改善のためには、少しずつ「BI的」な政策の比率を上げていくといいと思
います。
経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員:山崎元
( http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/ )
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■ 水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家
理想的な制度と思いますが、だからこそ、かんたんに導入できるものではないで
しょう。現実的かどうか、疑問を感じます。
ベーシックインカムを巡る問題は、山崎さんが言われる通り、「働かざる者食うべ
からず」という言葉をどう考えるか、ということだと思います。日本国憲法は国民の
義務の一つとして勤労を挙げています。そして国民は勤労を通して生活の糧を得るこ
とが期待されていますが、現実には心身の状況から働けない人もいますし、失業する
こともあります。そこで「健康で文化的な最低限度の生活」を保証するという生存権
の趣旨に沿って、生活保護その他の福祉制度がある。現在の制度はこう理解できます。
ベーシックインカムの導入はこの枠組みを改めて、まず生存権を優先することを意
味します。その上で、働くことは国民の義務であるという規定も生きていますが、働
かなければ福祉に頼らない限り生活できない、という前提は取り外すことになります。
単純化して言えば「働かざる者食うべからず」ではない、ということです。
「働く」ことには実に多様な形があります。工業における作業、営業や事務、専門
職といった典型的な働き方はその一部に過ぎません。最近では対価のない家事労働を
「働く」に含める考え方が主流になっています。対価を得る働き方にも、労働時間を
提供するほかに、時間と関係なく出来高で対価を得る専門職や芸術家もいます。これ
らは量以上に質が問われる仕事でもあります。身体を動かす仕事もあれば、身体より
も精神的な配慮などに重きを置く仕事(「感情労働」と言われます)もあります。現
代では多くの仕事が「感情労働」化しているとはよく言われることです。
また、ある人が会社の事務所で働いていて、仮に事務のスキルが低く失敗ばかりし
ていたとしても、周りの人を和ませる能力が高く、職場になくてはならない存在に
なっていれば、これも十分働いていると言えるでしょう。会社員の仕事でさえ、数量
で評価できない部分は意外に大きいものです。
その上で、どんなに定義を広げてみても「働いている」とは言えない人も存在しま
す。障害で寝たきりの人などはこれにあたるでしょう。しかし、たとえば精神科の臨
床医の著書などを読むと、こうした人が家族の絆の中心となっている例もよくあると
いいます。経済的な価値を生むことはできなくても、かけがえのない家族の一員とし
て生き、周囲の人たちに大きな影響を及ぼしています。
それでは誰にも必要とされず、社会の除け者になっている人には何の価値もないの
かというと、そんなことはありません。民俗学や宗教・民話などの世界には、ふだん
共同体に加わらない神がかりや乞食などが突然予言をしたりして、共同体の危機を救
う話がしばしば見られます。19世紀までのロシアで放浪をしていた「聖痴愚」といわ
れる人たちは、現代の定義で言うならば精神異常に限りなく近い人たちですが、人々
は彼らが神に近い存在と信じ、食物を恵むなどしていました。私は宗教の信者ではあ
りませんが、こうした考え方が迷信だとは思いません。普通の意味でまったくの無価
値とされている人々が、ほかの人たちに見えない大きな価値を担っていることはあり
うると思います。
世界的に広まっている宗教はほとんどの場合「神の前の平等」をうたいます。現世
の表面的な秩序を超えた世界では、人間の本来の価値は全くの平等であるというのは、
現実には決して実現されない理想ではありますが、同時にある種の真実を示している
と私は考えます。そして人類の歴史は、非常におおざっぱに言えば、現実の世の中に
おいても平等を促進する方向に進んできました。
かつては一方に奴隷とされた人々がおり、片方に皇帝や王たちがいました。しかし
奴隷は、原則としてはいなくなり(一部の発展途上国ではまだ、政府の手の届かない
ところで奴隷とされている人々がいると言われていますが)、皇帝や王は少なくなり、
かつてよりはるかにつつましい暮らしをするようになりました。
このような観点から見れば、経済的な生産性とかかわりなく人々が平等に扱われる
べきだということは根本的に正しく、また人類史の発展の方向にも見合っているので
はないでしょうか。ベーシックインカムはそうした理想を体現したアイディアだと思
います。
しかし、それが理想的であればあるほど、実際に導入する際は慎重である必要があ
ります。ひょっとしたら現状からは進み過ぎた「よすぎる」制度ではないかという疑
問があるからです。
たとえば民主主義は優れた制度です。私は民主主義の価値を信じています。しかし、
第二次大戦後に民主主義が導入された多くの発展途上国では、うまく制度が機能しな
かったのも事実なのです。そうした国では政治が極端に不安定化し、独裁者や軍部に
よって権力が簒奪されました。その後深刻な人権弾圧やジェノサイドが発生した国も
あります。歴史の流れを見れば、その国の政治文化が一定水準に達するまでは王政の
ような権力の集中が行われた方が国民にとっても幸せなのではないかと思います。民
主主義はこれらの国にとって「よすぎた」のです。
また、たとえば死刑廃止の問題があります。人が殺された時に、遺族が犯人の死刑
を求める報復感情は、どちらかと言えば「古い」感情であることは確かでしょう。あ
るいはそうした「不合理な」感情はやがては乗り越えていくべきものなのかもしれま
せん。
しかし、今の日本では、死刑廃止はほとんどの国民が反対です。犯罪者への憎しみ、
遺族の報復感情は非常に強いものがあります。もし無理に死刑を廃止すれば、国民の
不満は高まるでしょうし、「それでは自分の手で犯人を殺す」という人が出てくる可
能性もあります。死刑廃止が仮に「正しい」ことだったとしても、今の日本で死刑を
廃止することは、「正しくない」ことだと私は考えます。死刑廃止は、今の日本に
とっては「よすぎる」のです。
「ベーシックインカム」についての私の判断はこれに近いものです。ベーシックイ
ンカムはおそらく正しい、理想的な制度ですが、今の日本でそれを導入することは、
正しい結果を生むとは考えられません。ほとんどの国民は「働かざる者食うべからず」
という言葉を正しいと信じており、勤勉に働くことが道徳や人生観の基礎になってい
ます。働かなくても収入が得られる、多くの人が「恥」と見なす福祉の世話になると
いうことではなく、正々堂々と収入が得られるということが、今の日本人に受け入れ
られることなのかどうか。それが現実になった時に、ベーシックインカム自体はいく
ら少額であっても、国民の勤労意欲は保てるのかどうか。(正直に言えば私自身、最
低限衣食住がまかなえるのなら、あまり働きたくないのです。他の寄稿家の方々のよ
うな勤勉な人間ではありません。そして私のような人間は、皆さんが思われる以上に
たくさんいます)
残念ながら人間はそれほど美しくも理想的でもありません。現実の制度設計を考え
る時には、現実の国民の姿を見なければなりません。ベーシックインカムの導入は、
今の日本では怒りや嫉妬の感情を巻き起こすばかりで、決していい結果にならないと
私は考えます。ベーシックインカムは、今の日本にとっては「よすぎる」制度なので
す。
日本語学校教師、評論家:水牛健太郎
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■ 真壁昭夫 :信州大学経済学部教授
「"ベーシックインカム"に関する考察」
"ベーシックインカム"とは、基本的には、政府が各個人に対して、それぞれが生活
に最低限必要な現金を無条件に給付する仕組みと理解します。この仕組みでは、個別
の収入にまったく関係なく一定に現金を支給することになりますから、一種の所得補
償といえる制度でしょう。この考え方に似た制度は、かなり昔から提唱されていたよ
うです。
"ベーシックインカム"の制度では、生活保護や失業保険などの給付をすべて包摂し
た格好で一定金額を給付することになります。簡単に言うと、社会保障などの様々な
給付を、すべてまとめて"ベーシックインカム"という名称で現金支給するというこ
とです。そのため、既存の社会保障など複雑な制度をすべて清算することができるは
ずです。それには、かなり大きなメリットがあります。
まず、社会保障の給付などに伴う複雑な調査や調整などの手続きが不要となるため、
それらに従事する人が不要になり膨大な費用を節約することができます。また政策当
局からすると、制度のスキームが簡単であるため、その制度に係る歳入と歳出の見積
もりが容易になることが考えられます。ということは、制度自体の管理がかなり明確
になると思います。それは、歳入・歳出を管理する側から見ると、大きなメリットに
なります。
一方、"ベーシックインカム"の給付を受ける側から見ても、一定の給付を受けるこ
とによって、生活に関する不安が相当解消されるはずです。現行の生活保護など難し
い規定に係ることなく、すべての個人が生活に必要な現金を受け取ることができます。
また、給付は、他の収入の額などに関係なく受けることができるため、収入を増やし
たい人はさらに努力して収入を増やすこともできるでしょう。そうした意味では、労
働に対する意欲を低下させる割合が低いとも考えられます。
そのため、それぞれの人は各個人の価値観に従って、自分のやりたいことをやる選択
の余地が高まると考えられます。例えば、ある人は"ベーシックインカム"を受け
取って、好きな美術の世界に没頭することを選ぶかもしれません。またある人は、さら
に頑張って新しく事業を起こしたりすることを選択するなど、より自由に選べる範囲
が広がる可能性が高まると思います。
一方、"ベーシックインカム"の制度を創設するためには、かなりの財源が必要にな
ることは間違いありません。すべての個人に対して、その人が必要とする最小限の現
金給付を行うわけですから、必要となる金額が大きくなることは確かでしょう。問題
は、"ベーシックインカム"制度を導入したときのすべてのコストと、現行の選別的
な給付を行う場合のコストとどちらが大きくなるかということだと思います。
現行の制度でも、わが国の財政状況はかなり悪化しています。それ以上にコストのか
かる制度を導入することは、現実問題として難しいことになります。"ベーシックイ
ンカム"の制度では、個人が得ている収入に関係なく、最低限の生活を必要とするの
に必要な給付を行うことになります。重要なポイントは必要額の算定になりそうです。
現行システムでは、所得水準によって生活保護などの支給を制限しています。一方、
"ベーシックインカム"の制度では、そうした制限なく、すべての人に一定額の現金
支給を行いますから、現在、所得制限によって給付を受けていない人たちに給付する
分は、当然、増えることになります。重要な点は、現行の細かい制限によって支給の
対象になっていない人たちに対する給付額の増加が、当該制度の導入によって削減で
きるコストよりも小さくなるように制度設計をすることが必要になることです。
わが国の人口は減少傾向にあるため、一人一人に給付する"ベースインカム"が、長
い目で見ると減少してくるとはいうものの、生活水準の高いわが国で、すべての人に
一定の現金給付を行うことはかなり難しいのではないかと思います。少なくとも、財
政状況を悪化させない水準の給付額によって、すべての人が生活に必要な現金を手に
する制度設計を考えなければなりません。そうした現実的な状況を検討する必要があ
ると考えます。
信州大学経済学部教授:真壁昭夫
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