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「311一周年、混乱する自然と人為の思想」
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/363.html
投稿者 MR 日時 2012 年 3 月 10 日 21:53:10: cT5Wxjlo3Xe3.
 

  ■ 『from 911/USAレポート』第564回

    「311一周年、混乱する自然と人為の思想」

    ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』               第564回
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 3月11日が近づくにつれて、複雑な思いが去来するのを感じます。まずは巨大な
喪失という現実を改めて直視させられるということ、そして何よりも静かに追悼の思
いに集中したいという思いがあります。ですが、この東日本大震災の一周年というの
は、そう単純ではないようです。

 例えば、この日に原発反対のデモを行うことが、果たして正しいのか、死者に失礼
だという意見からの反対と、いやいやそれでは原発推進論者を利するという姿勢にあ
る「絶望的な乖離」が一つの例です。この点は阪神大震災の場合やアメリカの911
とは大きく違うように思います。

 阪神大震災の周年行事はもう少し純粋に追悼に集中できたように思います。確かに
防災体制とか初動の問題など人災であるという観点からの議論はありましたが、流石
に1周年にはじまる「その日」の早朝には人々が静かに祈るのを妨げるようなことは
ありませんでした。

 911はその正反対で、100%の人災であるわけです。従って周年行事も非常に
人間臭い議論の日になるわけで、加害者の正体は誰なのか、被害者には直接の被災者
や被災地域だけでなく「アメリカの誇り」なる茫漠としたものを含めて良いのかどう
か、安全確保を口実とした報復に正義はあるのかなど、正にそれは政治イデオロギー
の対立であり、そしてそれは不可避な議論であったのです。

 ですが、311はどうも違うようです。自然のもたらした大災害に思いを馳せ、膨
大な犠牲を追悼するだけでなく、人災というカテゴリに入る問題にも向かっていかね
ばならない、大変に複雑な日になるわけです。今年がそうであるように、今後もずっ
とそうでしょう。

 それは、偶然に人為を越えた震災と津波被害という問題と、人為でコントロールで
きたはずの原発事故というつまり「自然と人為」の二重災害であるということがあり
ます。ですが、この2つの問題が同時に起きたとして、それを切り分けて考えてもし
っくりとは行きません。それはこの2つの惨事が因果関係で結ばれているからだけで
はないように思われます。

 津波被災と原発事故、この2つの問題が人間と自然の関係、つまり人為と自然に関
するある種のバランスを壊してしまったように思うからです。

 まず津波の問題ですが、三陸は遙か太古の昔からたびたび津波の被害に遭ってきた
わけです。そうした経験の蓄積として、例えば釜石では「津波てんでんこ(てんでん
バラバラに逃げろ)」という言い伝えがあり、小学生を始めとして点呼したり集団行
動したりといったことはせずに、バラバラに高台へ逃すことで被害を最小にしたとい
うような例もあるわけです。

 また、津波が押し寄せた内陸に地蔵さんを建てて、そこから下には家を建てるなと
か、地蔵伝説によって津波の危険を伝承したりといった知恵の蓄積があったわけです。
そうした人々の知恵というものが、平穏な際には大変な恵みをもたらしてくれる海と
共存する中で、この地域の文化となり生活様式となっていたのだと思います。

 ですが、今回の予想を上回る規模の津波は、そうした文化を大きく揺さぶりました。
結果的に、自然と人為がバランスを取りながら共存するという文化を維持するのは難
しくなったのだと思います。現在、被災地の多くの地域で堤防や防潮堤の再建がスタ
ートするか、あるいは設計が固まりつつあります。

 その一方で、人々の意見は完全に一本化はされていません。15メートル級の防潮
堤を建てて最悪の事態に備えつつ元の町並みを再建するという行き方が一つ、そうで
はなくて、コミュニティは高台に移転して漁業は通勤とし、防潮堤という「コンクリ
ート」は小規模として観光資源としての景観を保つという行き方が一つ、その他に堤
防は低くして「海の見える生活」は維持しながら万が一の場合の避難体制を見直すと
いう考えもあるようです。

 このように考え方にバラツキがある中で、なかなか一本化ができなかったわけで、
そのプロセスは、非常に苦しいものであったようです。現状では県や市町村ごとに異
なる対応で固まりつつあるということがあり、一方でここに至るまでの市町村と県、
国の間のコミュニケーションも錯綜したのです。

 勿論、この問題の背景には高齢化・過疎化という問題が横たわっています。巨大な
防潮堤が完成した時には、もう労働人口は僅かになっており、投資に対する効果とい
うことでは非常に小さいものになる危険は否定できません。巨大なコンクリートのあ
る景観は、確かに観光資源とはなりにくいというマイナス面もあるでしょう。漁港の
再建に関しても、廃業する人が多くなれば、港だけ全てを再建しても加工設備が来な
いというケースもあるかもしれません。

 そうした中で、政策決定を合理的にしようとすればするほど、最初の問題にぶつか
ってしまうのです。それは、これほどの甚大な災害を経験する中で、人為と自然の共
存という思想が崩れてしまっているという事実です。高台に移転すれば安全だからい
いだろうという論、14メートルの津波が来たのだから15メートル級がどうしても
必要だという論は、自然と人為が共存してゆくことが「できない」というある意味で
は絶望のリアクションなのかもしれません。

 もう一つ、原発事故を受けて今後の原子力エネルギー利用をどう考えるのかという
問題も、この議論に関係しています。私は今でも日本経済が大きく破綻してゆかない
ためには、一部の原発の稼働は必要であり、増設はともかく老朽機の最新世代への置
き換えということも数基はあって良いと考える者です。

 そうした観点からは、即時に稼働を全面停止すべきという考え方、原発由来の放射
性物質に関しては極端なまでに厳しい基準を導入して、居住地なり食物なりの安全性
を考えるべきという考え方には距離を置いてきました。ですが、この問題を考え続け
る中で、津波へのリアクションと同じように自然と人為の思想ということで考えれば、
いわゆる反対派の人々の信念とも言える姿勢を単純に否定はできないようにも思い始
めたのです。

 放射線の問題は、火災の危険や汚染大気の問題と次元が異なる点があります。それ
は、人間の五感には全く感知できないという点です。ですから、五感に基づく防衛本
能が利かないかというとそうではなくて、五感で感知できない危険については、最大
限の防御本能が人間にはデフォルトで入っているように思われます。つまり、今回の
事故を受けてその人間の自然な本能である「感知できないからこそ、危険に関しては
最大限に回避したい」という判断が機能しているのだと見ることができるのです。

 勿論、個別の問題ではいくらでも非合理性を指摘することはできるのです。自然放
射線との比較、人体そのものが放射性カリウムを抱えている問題、放射線による遺伝
子損傷は遺伝しないという問題、もっと言えば、受精前の卵細胞は仮に放射線で損傷
を受けた場合は受精能力自体を喪失するために卵子被曝ということは原理的に有り得
ないなど、理屈はいくらでも言えるわけです。

 ですが、多くの人々が今回の事故を受けて放射線を激しく忌避しているというのは、
「原子核物理学」であるとか「原子力工学」の問題ではないのです。強いて言えば、
社会心理学の問題であり、やはりそれは自然と人為の思想ということになるのでしょ
う。

 例えば、先ほど述べた「卵子被曝というのは有り得ない」という問題は、福島県の
若い女性に対しては切実な問題であり、とにかく偏見をなくしてあげたいという思い
はあるわけです。だからと言って、専門的な物理や化学の論議を持ちだしても世論は
動きません。

 また広島での被爆者に関する膨大な追跡調査のデータを使って、胎児被爆は残念な
がらあったが、卵子被爆をした人というのは皆無だという話をしても、説得力には限
界があるようです。「大量殺戮兵器が使われてしまった許しがたい事態の派生データ」
で説明されても納得するという以前に「そういう事実自体を受け入れたくない」とい
う強い直感を持つ人もいるからです。

 そうした問題、そして食物由来の体内被曝、線量の観測される地域での生活などに
関して、どうしても「五感に訴えないがゆえに最も慎重になる」という本能的な反応
が出てしまうというのは、まずその現象を受け入れ、そして人為と自然の思想とは何
か、そもそも人間というのは何かという問いまで戻らないと議論にならないのかもし
れません。

 放射線の危険性が五感に訴えないというのは、例えば照明の全くないトンネルを闇
の方へ闇の方へと進むときの恐ろしさに似ています。その際に、手を差し伸べて「こ
の方向なら大丈夫ですよ」という案内をしてくれる人間が信用できなければ、人間は
もはやその先には進むことはできません。後ろを振り向いて、また入り口の明かりが
薄く見えるのであれば、全速力で後ろへ逃げてゆくのが自然なのだと思います。今、
放射線に関して文化のレベル、思想のレベルで起きているのはそういうことです。

 原発の問題に関しては、日本に加えていわゆる旧枢軸国、つまりドイツとイタリア
で反対の世論が強いわけです。これも、かつて政府に裏切られ、国家を挙げて道徳的
な敗者の汚名を背負わされた苦い記憶を持つ人々は、「手を差し伸べる」人間を簡単
には信じることができず、イザという時には、後ろ向きに全力で逃げるしかないとい
う本能的なものを抱えているからなのかもしれません。

 例えば、311の直後には東日本の電力不足ということがあり、その後には夏場の
計画停電、冬場にもエネルギー不足という懸念がありました。エネルギーというのは、
他でもない「冬場には暖を取らねばならず、食料も煮炊きして摂取する」人類にとっ
ては、生死を左右する貴重なものです。にも関わらず、停電の恐怖に人々が動揺する
のではなく、原発の稼働数を減らすためには積極的に節電を心がけた人が多かったと
いう現状には、やはり放射線という五感に訴えないものへの根源的な忌避感情の強さ
を物語っていると思います。

 311から1年、日本が直面した痛みというのはそういうことなのだと思います。
余りにも巨大な自然の猛威、そしてエネルギーを巡る社会の混乱を受けて、自然と人
為の間で柔軟な知恵を働かせてきた日本の文化や生活様式が基本的な部分で揺れてい
るのです。そうした人々の動揺の核には、やはりあの311という大災害が生存への
恐怖という人間の最も根源的な感情を動かしたということがあるように思います。

 311の一周年へ向けて、ここアメリカではかなり大きな扱いの報道が始まってい
ます。その多くは、「ビフォー&アフター」という写真の比較で、被災直後の悲惨な
光景と、瓦礫の撤去や区画整理が進捗した現状を並べ、日本人がいかに粘り強く災害
と戦い、復旧への努力をしているのかという賞賛のトーンです。

 そうした報道姿勢にはしみじみ有難いと思いつつも、自然の猛威に対して、人為の
自制は必要ないというアメリカ人的な価値観からは、現在の日本が直面している自然
と人為のバランスを巡る苦悩はなかなか理解されにくいと思います。

 では、この先、日本はどのような進路へ向かうべきなのでしょうか? 自然の前に
人為の限界を強く意識してしまった多くの世論を無視して、経済合理性だけの判断を
進めようとしても支持は得られないと思います。だからと言って、巨大な除染費用、
巨大な化石エネルギー輸入費用、更に本当に全原発の稼働を停止した場合には資産の
一括償却と廃炉費用でほとんどの電力会社は、いや国家財政自体が持たないでしょう。

 輸出産業の競争力に大きな翳りが出てきている今、エネルギー政策を間違えれば日
本経済は大きな破綻へと向かう危険もあります。政府の財政規律問題の進み具合にも
よりますが、ハイパーインフレと超円安の苦しい状況がやって来ないとも限りません。

 その意味で、311から1周年を経た今からは、社会の合意形成を進めていかない
と行けないように思うのです。少なくとも、世論に対して「原子核物理学を知らない
人間は黙っていろ」とか「科学リテラシーがない人間は発言するな」という「上から
目線」では合意形成などは不可能です。まず人々の心情の根底にある生存本能という
もの、その本能的な警戒心というものを認め、受け止め、その上で冷静な議論へと入
ってゆく、そうした姿勢でなければいつまでも再稼働論議はグルグル回るだけになる
でしょう。

 元来、日本という文化には自然と人為が柔軟な知恵をもって共存するという生活様
式がありました。311は明らかにこの均衡を壊して行きました。その傷をどう癒す
のか、人々の柔軟で現実的な判断をどう引き出してゆくのか、この一年はある意味で
は服喪期間だったとして、これからは意識的な議論が必要ではないかと思うのです。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空
気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』。訳書に『チャター』
がある。 またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。

◆"from 911/USAレポート"『10周年メモリアル特別編集版』◆
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詳しくはこちら ≫ http://itunes.apple.com/jp/app/id460233679?mt=8
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●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
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JMM [Japan Mail Media]                No.678 Saturday Edition
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【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】100,039部
【WEB】   ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/ )  

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コメント
 
01. 2012年3月10日 22:31:39 : FifkJWXWW6
コロンビア大学というだけで311を起こした連中のパシリの臭いがする。

02. 2012年3月11日 17:58:38 : lQydFPZ0w4
<<一部の原発の稼働は必要であり、増設はともかく老朽機の最新世代への置
き換えということも数基はあって良いと考える者です。
 
 福島で 安全な原発でも 作れ

今回の原発事故は 人災

 だれも 責任を追及されない これでは 原発は稼働させてはならない 


03. 2012年3月11日 22:36:27 : uyLQihv0Ww
そんなに「安全な」原発でも、未来永劫に渡って厳重な管理を要する「使用済み核燃料」
が発生するんだよね。特に最初の数年間は、どこからか電力を供給して冷やし続けないと
核反応で暴走するおそれがある。

福一の事故を一層こじらせたのも原子炉の外に保管されていた核燃料だったはず。

こいつの管理コストについては、誰もまともに算定したことがない。
恐らくちゃんと計算したら、これほど高くつく発電方法はないだろうから。


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