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これまでの「経済学」が現実を前にあまりにも無力なのに業を煮やした一部の学者が新しい道を模索し始めた動きと見られる/仁王像
『経済学の現在2』吉田雅明編集/日本経済評論社‘05年の冒頭と結部から一部抜粋(完全な中抜き)
第2章 経済学から歴史学中心の社会科学へ〜複雑系科学の立場から見たアプローチの歴史学/金子邦彦・安富歩
〔はじめに〕
われわれは21世紀前半に大きな構造変革が起きると予測する。なかでも最大の出来事は、社会科学の中心が経済学から歴史学にシフトすることである。本章の目的はこのような重要局面に対応するための理論的装置を概観することにある。とくに、複雑系科学の分野で蓄積された知識のなかから、この目的に有用と考えられる数理的概念の紹介に重点を置く。
歴史学が重要性を増す理由は、この学問が宿命的に静的な理解の枠組みの使用を禁止していることにある。時間の流れのなかで動きつづける社会というシステムを、動きのなかでとらえることは難しい。それゆえ、ほとんどの社会科学はこれを静的な枠組みに置き換えることで理解しようとする。ところが、歴史学はその方法を禁じられており、時間軸に沿った思惟を強制される。一方、数理科学の分野では、複雑系科学という、「生きた」システムを運動のなかで理解するための数理的枠組みを求める営為が、急速に発展しつつある。社会科学のなかでは、歴史学こそがこの分野と最も親和性が高い。
20世紀に発展した数理経済は、最適化という静的な枠組みへの準拠によって構成するという道筋を選んだが、これは動いていることが本質的なシステムを理解するためには無理のある方法であった。むしろ、どんなに困難であっても、小数の優れた経済学者の試みたように、動的な方法の探究を目指すべきであったとわれわれは考える。複雑系科学が一定の水準に到達し、社会を理解するための新しい枠組みが成立すれば、最適化に依拠する経済学の成果のほとんどの部分は忘却されざるをえない。この種の経済学の20世紀後半における数量的膨張は、社会科学史上の興味深い研究対象としてのみ記憶されることになろう。
本章では、歴史学者の「語り」が複雑系科学の最新の成果とどのような関係を持つかを検討し、そのなかで今後の社会科学のあり方を構想する。われわれは、フェルナン・ブローデルの大著『物質文明・経済・資本主義』に注意を集中し、この書物のなかで展開されている論理の発掘を中心として論じるという手法を採用する。
〔5.考察〕
21世紀前半の社会科学は、ブローデルに代表されるような、歴史学的思考方法の上に構築されることになろう。この思考方法は、複雑系科学の発展によって数理的基礎を獲得し、両者の相互作用は広大な学問の新分野を切り開く。この方向は国民国家と資本主義システムという「よどみ」の崩壊によって促進される。なぜなら、さまざまの文化と歴史を有する人々が直接かつ大量に接触する時代には、こういったケテゴリーの持つ力が如実に現われるからである。
また、環境問題という重大なテーマがこの方向に強くかかわっている。
・「経済学」は「イデオロギー」であって、各学説間の対立はイデオロギー上の対立である。
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