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一生の間、「働かずに」暮らせる人種は、どうでも良い。
しかし、いかなる人であろうと、ひとたび「労働」に従事すれば、あらゆる職種や労働条件に関わらず、社会保険と年金とに加入する事は、雇用者の義務であり、被雇用者の権利である。
日本の会社の社員募集に『厚生年金あり』と書いているのを、見た事が有る。
あたかも、「年金加入」が<特典>ででもあるかの如くに。
逆に言うと、社員の方から「年金加入」を求めて、拒否する会社も有るらしい。
「パートだから」
「非正規だから」
「学生アルバイトだから」
意味が理解出来ない。
▶<パート年金>まず50万人対象…適用拡大半減 厚労省検討(毎日/見出し)
>厚生労働省は7日、パートなど非正規雇用労働者への厚生年金と健康保険の適用拡大案について、まずは対象を従業員1001人以上の企業で働く約50万人とする方向で検討に入った。
>同省は当初、当面約100万人に適用を広げる方針だったが、経済界の反発に配慮して半減させた。それでも経済界には20万人程度とするよう求める声もあり、関係団体などと最終調整している。
>半減の方針は、民主党厚労部門会議座長の長妻昭元厚労相らが同日、同経済産業部門会議側に厚労省の意向として伝えた。
>政府は対象者に関し、週の労働時間を今の「30時間程度以上」から「20時間以上」に緩和する方針。対象者は約370万人となるが、保険料の事業主負担増に反発する中小企業などに配慮し、第1段階としては「従業員数301人以上」の企業で働く「年収80万円以上」の人(約100万人)に限って適用を広げる考えだった。
>しかし、なお反発が収まらないことから、厚労省は「80万円以上」の年収要件は維持しつつ、対象企業を「従業員1001人以上」に狭める見直し案をまとめた。対象者は50万人程度となる。
>ただ、自公政権が07年に国会に提出した法案は、当面の拡大対象を約20万人としていた。経済界の一部は当時と同程度の規模にとどめるよう求めており、年収要件をさらに引き上げて対象者を絞る案も検討されている。
【毎日新聞/3月7日(水)20時33分配信】
怒りで、身の震えが止まらない。
>経済界の反発
<経済界>は、一体何を勘違いしているのか。
労働力を「人間」だと言う事を、忘れているのか、無視しているのか。
社員を「部品」や「原料」と同じ物だと、考えているらしい。
社会的人間は、社会の中で生きて行かなければならない。
ヒトは、生きて、生活して、死んで行く。
それが故に、資本主義制度の社会で生きている以上、生命を維持し、生活環境を整える為に「収入」が必要である。
しかも、ヒトが「野生動物」と違う事は、人間としての尊厳をもって生きていると言う事である。
野生動物と違う所が、その<尊厳>の有無なのだ。
ただ空腹を満たし、生殖して子孫を残して、死んで行く、野生動物とは違うのだ。
そして、尊厳を持って生きて行く為には、生物学的な生命維持ではなく、家庭を持ち、社会生活を営み、個人と社会との間に双方向の発展を、築いて行かなければならない。
労働者が「ヒト」であるならば、その「ヒト」を生かす為に手段を与える<企業>も「ヒト」の集団である。
資本主義経済で成り立つ社会であっても、労働者はヒトであり、資本の側も「ヒト」である。
しかるに、昨今の日本の『経済界』は、労働者を「ヒト」だと思っていないらしい。
ヒト扱いしようとしない。
肉体的弱肉強食の世界で、強者が弱者を「道具」扱いしていた『奴隷制度』時代の発想である。
晴れれば耕し、降れば書を読む。
そんな生活が可能なのであれば、話は違う。
好きな所を自由に耕せて、好きな場所で「食物を採取して」生きて行けるのなら、話は別である。
しかし、現代社会は、そのような「原始的」な生活は、許されない。
社会と言う枠が有り、その枠の中でしか生きては行けない様な制度になってしまった。
現代社会に置いては、個人はあらゆる規制によって縛られて居り、その規制という「枠」のなかで生きる事を強いられている「ヒト」は、生きて行く事を保証され、保護されているべきであり、その筈であった。
規制する側が、保護を保証する義務が有る筈であった。
ところが、現実はさに有らず。
日本の経済界は、労働者を「歯車」扱いして恥じない。
人間として、尊厳を失う事無く生きて行く、必要なシステムである<保健>や<年金>を、全労働者に加入する事を拒否する。
選ばれた、一部「労働貴族」である『正規社員』にのみ、労働者の基本的権利である<保健と年金>とを与えて、その他の職制の労働者との差別化を徹底させて来た。
「従業員数301人以上」
或は。
「従業員1001人以上」
「年収80万円以上」
この線で足切りをしてしまうつもりらしい。
何度も言うが、意味が理解出来ない。
従業員が一人であろうが、五万人であろうが、働く行為の尊さとそれに対する権利には、差はあり得ない。
一生涯に、一時間だけ働いたとしても、保健も年金も加入するものなのである。
賃金が、たとえ百円であったとしても、保険や年金の掛け金は、支払うべき物なのだ。
それが、労働環境であり、労働者の権利であり、雇用者の義務なのだ。
勿論、一生涯に働いた時間が一定限度以下であれば、年金の受給はあり得ない。
しかし、たとえ所得が百円であろうと、既定年数の払い込みが完了すれば、その現役時代の平均所得に応じたパーセントで、年金が支払われる。
それが合意の上で、『制度』が存在している以上、「労働」に対して「保険と年金」はかけなければならない。
それが、『制度』なのである。
そもそも、正規、非正規、アルバイト、パートで「労働力」の価値に差を付けて良い訳が無い。
逆に言うと、パートであろうが、アルバイトであろうが、社会保険や年金の掛け金を納める事によって、国家に社会人として貢献し、社会人としての義務を果たさなければならない。
その事は、当然「所得の申告」も義務であり、所得税その他の租税も、支払う義務が有る。
フランスの場合は、日本と違って「源泉徴収」制度はないので、所得申告は年度が終了してから一斉に「申告」して、課税額が決められての後払いなので、一定以下の金額の所得であれば、所得税は支払わずに済む。
しかし、「健康保険」「失業保険」「年金」、給与の支払の際に天引きされて、雇用主が代行納付する。
その際、当然「雇用者負担分」も納められるが、被雇用者分の掛け金のおよそ1,5倍である。
つまり、100ユーロの報酬で仕事をしたとする。
その内12%程が、上記保健と年金の負担分として天引きされ、その他様々な引き落としが加わって、80ユーロ程が手元に支払われる。
その後、その80ユーロから、10%〜20%程の額を翌年に所得税として納めなくてはならないので、最終的所得は72ユーロを切る金額となる。
雇用社側は、100ユーロに対して17%程の保健と年金の掛け金を納め、更に諸々の天引き分も入れて、20ユーロ以上が国に納入される事となる。
従って、当の労働者に対する「正規の申告給与額」は120ユーロ程であり、本人に残る実質所得は70ユーロ程と言う事となる。
ベビー・シッターやお手伝いさんを週に数時間頼む時でも、現金でのやり取りは「雇われる側」の年金の実績にならない以上、外国人の留学生などで、フランスでは暮らさない事が既定の事実である人物以外は、拒否される。
あらかじめ、必要な社会保障負担分を、財務当局に払い込んである形の、クーポンを税務署から買って、それでバイト代金を支払う。
そのクーポンは、小切手と同じ形で、銀行の口座に直接入金出来る。
そのクーポンを使用する事によって、雇う側も雇われる側も、社会法相負担金を国に納入して居り、企業の様な会計士が居ない個人でも「難しい」手続きをやらずに済む様になっている。
翻って日本の場合は、雇用者と被雇用者との、保険金負担はイコールだと聞いた。
従って、企業支払額は、100円に対して120円位なものか?
しかも、正規社員以外はこれらの負担がない。
そして、アルバイト等は「給与明細書」を発効しない現金支給も、かなりの割合で存在している様だ。
現金での支払は、徴募に乗せずに済ませる事も出来るらしい。
そうなると、企業の負担する「労働コスト」は、ヨーロッパに比してかなり圧縮されている訳だ。
これらは、ヨーロッパから見れば、自由競争に対する大きな「非関税障壁」である。
言い換えると、日本企業は労働市場に於いても、国際競争市場に於いても、過分に守られている。
そして、大企業に至っては、グループ企業との連結決算やら、海外関連会社への出資と言う名目やら、有象無象な理由でかなりの数の企業が「法人税」を、全く払っていないそうだ。
世はデフレの嵐に巻き込まれたまま。
あれこれ理由を付けて「所得」は減らされ、購買力は増々下がって、デフラが更に進行する。
ただ、企業のみが利益を貯め込み、「内部留保」を増やす事に腐心して、社員に還元しない。
そして、労働条件は増々劣悪になって行く。
基本的に「過重」な部分は、ほとんど派遣やパートなど非正規に移行して、使い捨てする事によって、労使紛争の芽を最初から積んでしまっている。
あらゆる損をしているのは、労働者だけである。
残業と言う概念すらなくなり、就業時間は有名無実と化した。
「嫌なら、辞めていい。代わりはいくらでも居る…」
そして、作業現場の安全確保すら、蔑ろにされてしまっている。
▶作業員死亡事故:安全措置義務違反、造船会社など書類送検−−丸亀労基署 /香川(毎日/見出し)
>多度津町と丸亀市の造船所で昨夏、作業員の死亡事故があり、丸亀労基署は6日、造船会社など4社と現場責任者計4人を労働安全衛生法(安全措置義務)違反容疑で高松地検に書類送検した。
>容疑はいずれも、法令で定められた感電防止用漏電遮断装置を取り付けていなかったとしている。
【毎日新聞/3月7日(水)15時47分配信】
送検するは、現場責任者に非ず。
そのような企業風土を造り出している、経営者達こそが、断罪されるべきである。
しかるに、司法までが「企業」を優遇する。
▶渡邉美樹会長発言がネット大炎上 ワタミ側は「自殺社員」の労災認定に反論(J−Cast/見出し)
>自殺した女性社員(26)については、神奈川労災補償保険審査官が2012年2月14日付で、月約140時間以上もの時間外労働で適応障害を発症したのが原因と結論づけた。そのうえで、遺族の労災申請に対し不支給とした横須賀労基署の決定を取り消すとした。不慣れな調理業務などを早朝までさせられ、休日も早朝研修会などをこなさなければならなかったという。この社員は、入社から2か月後に自殺していた。
>その1か月前には、「体が痛いです」などとして、「どうか助けて下さい」という悲痛な叫びを手帳に記していた。
>月140時間の時間外労働だとすれば、週休2日として1日7時間も残業していたことになる。午後5時が定時の場合では、深夜零時まで働いていた計算だ。
>審査官がこう認定したにもかかわらず、渡邉会長は、報道された21日にツイッターで、「労務管理できていなかったとの認識は、ありません」と発言した。「彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました」とその理由を説明し、「労災認定の件、大変残念です」とつぶやいた。「ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです」とした。
>しかし、渡邉会長は、残業の有無などについては触れず、謝罪の言葉もなかった。
>10年8月にビジネス誌で「(ビル8階とか9階で会議中)いますぐ、ここから飛び降りろ!と平気で言う」と社員を叱ることが紹介されたことには、再び批判の目が向けられた。また、自らのブログで12年1月20日、都知事選に出馬したときに「自殺ゼロの社会」を訴えたと書いたことについても、「どの口がそれを言うのか!」などと反論が出た。
【J-Cast ニュース/2月23日(木)20時12分配信】
所謂「新興企業」であり、普遍的な例と言えないと言う反論も有るかも知れない。
しかし、この企業の体質と企業風土は、現在の日本の大企業のおおよその平均的な姿を表していると、思える。
残業に対して、対価さえ支払われない。
本人の賛意も何も関係なく、「断れない社員の立場」と言う物を造り出し、企業によるパワハラが、怪しまれる事も無く横行している、現在の日本。
資本による労働者への搾取。
マルクスの言葉そのままの状態が、日本では普通に繰り広げられているのだ。
フランスの「有給休暇」は、5週間である。
土日祭日は、数に入れない。
連続してとっても構わない。
このヴァカンス制度は、1936年『人民戦線内閣』によって導入された。
最初は、有給休暇2週間であった。
一生の間、働き詰めで当然であった「労働者階級」の、休養を取る権利は、革新的な制度であり、瞬く間に欧州各地に広がって行った。
もちろん、労働者階層だけでは無い。
管理職も、経営陣も、学生も大統領も、ヴァカンスを取る。
我が家の前の通りを根城にしている「ホームレス」のオジサンも、七月と八月の間は、どこかに行って留守をしているくらいだ。
思わず自問してしまう。
日本で、有給休暇を連続何日取れるのだろうか。
日本は、1980年代に「世界を席巻」する程の勢いのある企業が、数多く輩出した。
「もはや、世界中に学ぶ事は無い」
視察に来た日本企業の社員は、どいつもこいつも口を揃えて、こう嘯いていたものだった。
目先の利益の急増。
当座のシェアーの拡大。
最先端の技術。
高効率の生産システム。
それが、彼等の自信の裏付けの総てであった。
ところが。
目先の利益は、もともと利益が低かったからこそ、増加率が目立っただけであった。
シェアーの拡大は、同業他社との共存関係を大切にして、相応の取り分で満足して来た欧州企業の風土に、強引に割り込んで行った結果であり、多くの敵を作っただけであった。
最先端の技術は、旧態依然の欧州の技術を改良した結果であった。
しかし、追い越された欧州企業も目を醒す。
時が過ぎると、日本は既に最先端では無くなり、外国企業の後塵を拝する結果だけが残った。
そして、高効率の生産システム。
これは、労働者を人間扱いする事無く、馬車馬の様にこき使った結果に過ぎなかった。
バブルの絶頂期のころ、こちらのユニークなアパレル企業と、提携を求めてに来た日本の企業人の世話をした事が有る。
「うちと組めば、売り上げを10倍にしてあげられる」
と言って、日本での合弁企業設立を打診した日本側に対して、仏企業側の返事が、実に象徴的であった。
「うちは、売り上げを10倍にするなど、興味は有りません」
「今の営業形態で、クライアントは満足して居り、消費者には広く支持を受けている」
「うちの社員も満足して働いて居り、私たちは今の形を変える気はない」
日本から来た企業家は、目を丸くしていた。
こちらの経営者の感覚を、理解出来なかった訳である。
その後バブルの崩壊に伴い、その日本の企業は倒産したようである。
日本からの依頼で、フランス有名企業の「フランチャイズ」契約や「合弁事業化」の世話を複数手がけたが、結局日本でもてはやされるのは、ほんの数年だけでその後徐々に下火となって、傷の小さいうちの撤退期を失ってしまった仏企業も有った。
日本企業の「目先の業務成績」にのみ拘る姿勢に対して、ヨーロッパは成熟した世界であった。
自転車操業的に、走り続けていなければ転覆する様な中で、業績拡大だけを追求する様な姿勢は、受け入れられなかった。
しかし、世の中は変わってしまった。
いまや、アメリカ型企業経営がモデルとされて、ヨーロッパですら「弱肉強食」的競争が普通の光景となってしまっている。
しかし、労働者の権利は、守られている。
これからも、守り続けられる事であろう。
労働者は、生きる為の糧を得る手段として働く。
自分の人生の貴重な「時間」を企業に売って、対価を得る。
従って、働く時間は少しでも少ないにこした事はない。
残業や祝祭日勤務は、企業側は時給ベースで150%の賃金を支払わなければならない。
しかし、労働者は残業や休日勤務などマッピラ。
ヴァカンスは、退職するまで働かなければならない上での、無くてはならないリフレッシュであって、取るのが当然である。
しかも、全労働者の対価に対して、必ず「保健」と「年金」とを、かけなければならない。
従って、一次産業から第三次産業まで、総ての産業に占める「人件費」の割合が、日本と比べて非常に高いのだ。
日仏合弁企業を起ち上げる際の、コスト計算での大きなすれ違いは、日本は「家賃」フランスは「人件費」が、最もウエイトが高い出費である、と言う違いの相互理解の難しさであった。
結論を言えば、日本の労働者は、『社畜』と呼ばれる事が有る通り、奴隷状態である。
企業に搾取されている。
その事に対して、大きな社会運動が起こらない。
企業側の成すがまま。
その企業の姿勢を、国は全力で支え続ける。
「産業有っての国家」という勘違いにとらわれたままで。
企業が「反対」すれば、保健も年金も、ますます平等性を無くして行き、普遍性も失って行く事だろう。
これから僅か数十年後には、年金も機能しなくなっているに違いない。
財務省が「目先」の利益を追い求めるあまり、国民の為に真の抜本的改革をやる土壌を作らないから。
今後も、国民の実質所得は増々減って行き、社会的救済制度の恩恵を受けるチャンスは、増々減って行くだろう。
それでも、日本の国民は、立ち上がらない。
社会的な動きが起こらない。
哀れなるかな、日本国民。
このままでは、いずれにせよ日本社会は潰れてしまうに違いない。
胡 錦濤が、いみじくも言っていた。
「30年後には日本と言う国は存在しないだろう。中国の一部になっている」
或は、現在の植民地の地位から、晴れてアメリカ合衆国の51番目の州に、昇格する事が出来ているか。
未来は暗い。。。
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