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野村証券の社長交代
昨日(3月6日)、野村証券の社長に永井浩二副社長が昇格することが発表されました。
親会社である野村ホールディングスの渡部・柴田体制は変わらないため、グループ子会社である野村証券のトップだけが交代したことになります。そうは言ってもグループの中核会社である野村証券のトップ交代であり、2001年のホールディング移行後初めて野村ホールディングスのトップが野村証券のトップを兼任しないことになり、それなりに重要な意味があります。
今年2月に早々と野村ホールディングスの渡部CEOの続投が発表されており、その時点では野村証券社長も続投すると予想されていたため、何か「変化」があったはずです。
一応IR資料などには、海外には米国・欧州・アジア各拠点に地域CEOがいるため、国内(野村証券)もそれに準じた体制にしたもので、渡部CEOと柴田COOは引き続きグループ全体の経営(していればの話ですが)に専念すると書かれています。
また、中国・インド・ASEANの担当者を野村ホールディングス内のCEO/COOオフィス(こんなのがあったのです!)直轄にするとも発表されており、今後の成長の源泉はアジアと北米にあり、欧州を中心に削減した経営資源をこれらの「成長市場」に投入すると付け加えられています。
これは「笑止千万」で、渡部・柴田の存在意義のためだけに、国内営業の収益を流用してまで欧州を「成長市場」と勝手に決めて突っ走っていたところへ、その大失敗の責任を認めずにまたも性懲りもなく中国・インド・ASEANを「新たな成長市場」と勝手に決めて「これは俺たち(渡部・柴田)の領域だ」と言っているのです。
一方、野村証券新社長になる永井氏は、国内営業それもホールセールとリーティル双方で実績を上げており、今まで「虐げられ続けてきた」国内営業部隊には「朗報」であり、士気も上がると思われます。
もう少し「深読み」してみましょう。
これが渡部・柴田体制の延命のための「安直な妥協策」であることは明らかなのですが、いくら子会社のトップ人事と言っても中核会社なので金融庁の了解が必要だったはずです。
本誌で何度も書いているのですが、1990年代の2度の証券不祥事(損失補てんと総会屋への利益供与)以降、当局(当時は大蔵省、今は金融庁)は野村証券(今は野村ホールディングス)のトップに国内営業出身者が再び就くことは絶対に認めないはずなのです。
まして金融庁は、野村グループをメガバンク(多分、三菱UFJグループ)傘下に入れようとしているはずで、その際本当に必要なのは国内営業の「野村証券」であって、その他はどうでもよい(いらない)はずなのです。
そうすると、金融庁が野村証券のトップに国内営業出身の永井氏の就任を積極的に認めたとも考えられず、ましてはポスト渡部として「認識した」ことも絶対にないのです。
ここで2つのケースが考えられます。
まず、渡部が金融庁に「永井はあくまでも収益源である野村証券を立て直させるための起用で、グループのトップは今後も私でしっかりと監視して行きます」と言ったケース。
もう1つは、金融庁とメガバンク(多分、三菱UFJグループ)の方が一枚上手で、とっくに渡部・柴田を見限っており、まず(最大の狙いである)野村証券の国内営業部門の収益力がこれ以上「劣化」するのを防ぐことを優先したケース。こうすると渡部・柴田は自然に消滅していくからです。
メガバンク側にしても、渡部・柴田体制のまま傘下に入れたらフィナンシャルグループ本体でそれなりのポスト(副社長とか)を要求してくるはずなので、これは出来たら避けたいのです。
どうも後者のような気がします。
昨年12月20日付け「2012年に起こりそうなこと その1 野村証券が銀行傘下へ」を書いたのですが、その時に「野村ホールディングス」と書かずに「野村証券」と書いたのは単に「馴染みのある名称」として使っていたのですが、意外に「野村証券」で正しかったのかもしれません。
どちらにしても、2012年に「銀行傘下に入る」可能性が60%以上という予想は変えません。
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