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「「追加金融緩和策」の目的と「消費税増税」の意図そして「国債発行増加」は誰のため?:[その1]「追加金融緩和策」の目的」(http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/179.html)の続きです。
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「日銀の「追加金融緩和策」の目的」に続けて「「消費税増税」の意図」を書く予定だったが、消費税問題を説明する前に、財政問題の基礎について簡単に説明させていただくことにした。
■ 財政問題の基本
財政問題をめぐる議論を見聞きしていると、あまりのひどさに頭がクラクラし異様な不快感に襲われる。
政府と大手メディアは、自分たちの主張である「財政健全化→税収増大→増税→消費税税率アップ」という路線以外に選択肢はないという雰囲気を必死に醸成している。
消費税増税の必要性を訴えながら、消費税が導入された89年以降の税収推移を踏まえたうえで、それで税の増収がほんとうに実現できるのかという検証さえ行わない。
また、仮に増税を必要とする財政・経済状況だとしても、増税対象税目として消費税がベストなのかという本来もっとも重要なテーマも一顧だにされない。
このような言論状況は、「原発」や「原発事故」をめぐる言論状況と瓜二つである。
財政問題が取り上げられるとき、このままでは社会保障制度が持続できない!これ以上政府債務を積み上げると財政は破綻する!税収を超える国債発行に頼る財政に持続性はない!今がよければという考えで子どもや孫にツケを残すな!といった“おどろおどろしい”話が、まるで、論証を必要としない“定理”や“正論”のように語られる。
増税を受け容れやすくするために復興や絆という言葉が小道具として使われ、社会保障制度をよくするためとお為ごかしの説明が飛び交い、特別会計の年金財政が人質にとられ、後世にツケを回すなと正義感に訴えたり、悲惨な状況が報じられているギリシャをネタにこのまま進めば日本も同じようになると脅したり、消費税の増税に同意してもらうため、これでもかというほど手練手管が駆使されている。
官僚機構が支配層の意を受けて決定した政策目標は、理非を多面的多角的にきちんと議論する方向ではなく、大手メディアや学者を動員して、いやでもそれが正しい、それしか選択肢はないと国民の多くが思い込むような“空気”を醸し出すことで実現されようとする。
“弱者保護”を基本理念とする共産党や社民党を別にすれば、今回の消費税増税策に反対している政治勢力のほとんども、消費税そのものや消費税の増税策に反対しているわけではない。増税の条件やタイミングを問題にしているだけだ。
ある時期までは「消費税廃止」を政策として掲げていた共産党も、税率を3%に戻せから、さらに、税率アップ反対へとトーンダウンしていった。
橋下氏の動きのなかで埋没しかねない亀井新党の御輿として担ぎ上げられようとしている石原東京都知事も、「消費税というのは経済に対するマイナス効果が一番少ない税金なんです。ですから私は、消費税はきちっと上げたらいいと思う。上げなかったらとても日本はもたない」と言って消費税制を持ち上げその増税を推奨している。
このところ政局の主役に躍り出た観もある橋下氏の「維新の会」も消費税の増税を肯定している。
消費税増税に無条件に反対している政治勢力は、オールドファッションの左翼だけという異様な状況が生まれている。
日本の政治では日常茶飯事ともいえるこのような状況をなぜ異様と考えるのか説明すると、消費税支持派のほとんどが親米派で、米国流の経済価値観や経済理論も受け容れ、米国基準があたかも世界標準であるかのような言動を重ねているのに、こと消費税に関しては、先進国で唯一消費税(付加価値税)を導入していない米国に日本も倣うべき!という論陣を張らないからである。
※ 米国の州財政の柱である売上税は、小売段階で購入者に課税される網羅的な物品税であり、付加価値に課税される消費税とはまったく別の税制である。
今回の投稿シリーズを日銀の「金融緩和策」で口火を切ったのも、不穏な動きが見えたときにみにくいドタバタ劇を世間に晒さなくても「国債管理」が支障なくできる態勢を整えながら、増税にもう時間的猶予はないと煽り消費税税率アップ路線をしゃにむにスケジュール化しようとしている政府(財務官僚)の異様さを理解してもらいたかったからである。
金融条件面で問題がないだけでなく、実体経済の面からも、ことさら焦って増税に動く必要がないことは、税収を上回る国債発行で財政運営を続けても、インフレが進むどころか、デフレ基調が終わる兆しさえ見せていない経済状況でわかる。
今のところ社会保障給付は別だが、膨大な赤字財政支出で円の価値が薄められているはずなのに、幸か不幸か、これまでと同等もしくはより高い価値を維持している。これは、赤字財政支出の増加と同等レベルで、民間需要の減少か生産性の上昇もしくはその両方の変化が起きていることを示唆するものだ。
現在の日本における財政問題とは、ただひとえに、赤字財政支出で生じる可能性がある悪性インフレとの関係なのである。
悪性インフレとは、経済論理ではなく政治のために通貨の“配布”を制御することができず、需要の増加ほど供給が増大しないためにインフレが亢進する経済状況である。
ときに語られるデフォルトで象徴される財政破綻や頻繁に説明される社会保障制度の持続性うんぬんは、増税に向け国民を効率的に説得する(騙す)ための“脅迫のネタ”でしかない。
赤字財政支出や過去の積立金からの年金給付などが悪性インフレを招来しない限り、使途をめぐる是非は別として、財政の持続性にキズがつくことはない。
政府累積債務や新規国債発行は、一部で言われている政府紙幣を使わずとも、[その1]で説明した日銀の「金融緩和策」でしのぐことができる。
社会保障を維持する根源的な支えは、“通念”的に考えられている財源=お金ではなく、その国民経済が培い維持している供給活動力である。
インフレ問題や不公平性を度外視すれば、お金はいくらでも刷って必要な国民に“配布”することができる。しかし、手にしたそのお金で手に入れたい物品やサービスが供給されなければ、それこそ画餅でしかない。
カネ儲けが目的ではなく、それなりのレベルで生活できることを願う国民にとって必要なのは、お金ではなく、物品やサービスであることは自明だろう。
この論理は、お金に縛られているようにしか思えない諸個人の生活についても、現在のレベルが享受できている条件としては同じである。
お金は、現実的には無慈悲で絶対的な力として人々に襲いかかるが、経済社会の論理としては、供給活動力の結節や表徴として存在しているだけなのだ。
通貨発行権を有する国家レベルの為政者は、このことを理解し、悪性インフレに係わる現実の供給活動力や輸入に係わる国際収支の制約を考慮しつつ、国民生活の基礎である経済社会の活動関係(連関)をうまく編成し円滑に動かしていくための手段としてお金を活用しなければならない。
中央政府の累積債務が増大することよりも、国民生活が困窮を極め供給活動力が衰退していくほうが、国家社会にとってずっと大きな問題なのである。
個人や企業の借金と違い、政府債務の積み上げが後世の人たちにツケを残すことはない。
逆に、誤った経済運営や財政政策で日本の経済を低迷させ、生活の根源的支えである供給活動力を衰退させてしまうことこそが、後世の日本人にとんでもないツケを残すことになる。
このような理解さえない人たちが国家運営に就いているとしたら、あまりにおぞましいことだ。
年金問題でも、ときとして「世代間の不公平」が取り沙汰される。支払い保険料と受け取り給付額を比較し、現在○○歳以上はプラスで、それ未満の人々はマイナスになるなどと言われる。
このような言動を聞くと、日本の為政者をはじめとする支配層は愚か者の集まりか自国破壊者なのかと疑いたくなる。
「世代間の不公平」に限らず、消費税増税を実現するための論だとは言え、為政者や大手メディアが年金不安を煽れば、現役世代から引退世代までほとんどの国民で消費が萎縮することは容易に想像できるはずだ。
「世代間の不公平」の話を聞いたマイナスに属する人たちは、社会保険料を徴収されることからは逃れられないと諦めながらも、自分の将来に強い不安を覚え、プラス世代に恨みの矛先を向けかねないからだ。不公平論の流布は、自分たちの主張を実現するため、世代間を分断することが目的でもあるのだが...
年金の負担と給付の問題は、現役の今もそれなりの生活が享受でき、引退した将来も平時は預金を取り崩すことなく最低限の生活が営めるかどうかということであり、お金の亡者ではない限り、保険料と給付額の多寡を比較することにあるわけではないはずだ。
年金受給者への給付を減らせば総需要が減少し、それにより供給活動(企業活動)が減少し、失業に至らないとしても、賞与を含む給与総額が減少することになる。
高齢者の割合が高く、今後もその割合が高まっていく日本では、年金給付のGDP寄与率が高く、今後さらにそれが高まっていくことになる。
現役世代の徴収保険料が少なくなりそれを貯蓄に回したとしても、個々人の引退後にそのお金がどれほど残りどれほどの価値があるかは未定である。そのような予測不能な経済推移と生身の人間の将来が結びついて悲惨な事態に陥ることがないようにするのが公的年金制度の目的である。
※ なお、年金に関しては、不良化した施設建設など厚労省官僚の手ですごく毀損はされたが、過去の余剰が積み立てられている。厚生年金勘定は、10年度末時点で120兆円の積立金を保有している。
給付が増大していると煽られてはいるが、現在のところは、積立金に手をつけなくとも、現役世代の保険料で年金の給付ができる“賦課方式”状況にある。
この意味で言えば、年金給付は、現役世代から引退世代への需要の譲渡となっており、インフレの要因にはなっていない。
現在の積立金になっている過去の余剰は、その時点の需要をお蔵入りさせたことを意味するから、その当時のインフレを抑制する要因として働いた。戦時中に保険制度が生まれた背景もそこにある。
賦課方式と言いながら、100年後にまるまる1年分の年金給付が可能な額を積み立てておけるよう保険料の徴収額を決めていることのほうが問題である。
インフレ率も想定して100年後の積み立て必要額を算定しているようだが、お金が社会保障を支えるという錯誤した発想の産物である。
年金などの保険積立金が国債=累積債務をそれなりのレベルで支えているから、積立金を取り崩するとなると、保有国債をどこかに当てはめて(日銀でいいのだが)処理しなければならない。
国民も、国家レベルの話を個人や企業のレベルと同じように考えて、お金=財源が政策を決するかのように考える錯誤や悪弊から脱しなければ、為政者の術中に落ちることになる。
日本の財政問題は、それがたとえ1千兆円に達するレベルであっても、累積債務にあるのではなく、単年度の赤字財政がその時点の経済社会にどのような影響を及ぼすかということにある。
単年度に関してなら、現在は45兆円の赤字財政支出でもインフレを呼ばないが、国民経済の供給力が衰退し、積立金からの社会保障給付が増大していくようになれば、20兆円の赤字でもインフレを招くおそれがある。
現時点でそれを優先的に考慮する必要はないが、金融・経済政策によってデフレから脱却することは難しい一方で、望まない変化でデフレが悪性のインフレに転化してしまう壁が意外に低いことは忘れるべきではない。
財務省が法人税を減税する一方で高額所得者への増税を意図している背景には、そのような将来への危惧があるのかもしれない。
人口構成の変化や企業の論理(資本の論理)を考えると、今後、供給活動に従事せず(できず)年金や預金の取り崩しで生活する人が増える一方で、国内外の需要増加度の違いや生産コストの違いから工場や開発拠点を国外に移す動きが増えると予測できる。
国内の生産拠点が減少すれば、若年者から壮年者までの幅広い生産人口で失業者が増加することになる。生産拠点の減少は供給活動力の減少であり、失業者の増加は社会保障給付という財政的支出の増大につながる。社会保障給付で補いきれない可処分所得の減少は、消費連関的に地域の経済活力を衰退させ、それがさらなる供給活動力の減少と赤字財政支出の増大を招くという負の連環を生み出す。
若年層(15歳〜24歳)は、今でさえ9%という高い失業率にさらされ、結婚や出産どころか将来の夢さえ描けない日々にあえいでいる人が数多くいる。彼らの親の世代である壮年層の失業が増加すれば、生活保護を申請せず(要件的にできず)親に頼って生活するという選択肢も維持が難しくなる。
このような事態こそが、供給力が減少するなかで赤字財政支出が増大し、供給力を上回る需要が赤字財政支出によって創出される悪性インフレ(財政問題)の前兆である。
既に膨大な資本蓄積を果たしている日本経済は、成長の推進力の一つである資本形成を純増的に進めていくことは難しい条件にあり、5%を超えるような経済成長を持続的に達成することは望めない。
80年代後半にはすでにそれが難しい成熟段階に入っていたため、プラザ合意後の金融緩和策は、純増的な資本形成や生産力増強ではなく、土地や株式という資産のバブルへとつながったのである。
そして、企業を含む金持ちと土地保有者や株式保有者が“弥次喜多道中”で資産の価格を競り上げるような状況だったからこそ、のちに狂乱とも揶揄されることになるバブル期においても、インフレ率は1%程度しかなかったのである。
これはバブルが一般国民にはほとんど無縁だったことを意味し、そうでありながら、バブルのツケを今なお背負わせられているのは一般国民という悲喜劇が日本では演じられている。
戦後、米国との関係を基礎に、スクラップ&ビルドの加速度的な設備投資、その成果で得た生産性の上昇と米国の“寛容さ”で継続的な輸出増加を実現、加えて貧弱だったインフラを整備するための公共投資がさらに設備投資と個人消費の増大をもたらすというGDPの増大的連関が、日本に高度経済成長期をもたらした。
当時を生きていなかった人も、ここ10数年の中国経済を見ている人なら、このような経済成長のロジックは理解できるだろう。
潜在的な供給活動力である失業率の高さとフローベースの国民経済余剰である国際経常収支の黒字を考えると、財政経済政策で両者をうまく結合させれば、悪性インフレを起こさずに、2%の経済成長とデフレ基調からの脱却は可能だと考える。
国民経済余剰を手にした経済主体が使わずに貯め込むというのなら、政府がやむなく借金してお金を天下に回すしかない。
※ 貿易赤字で減少した11年でも経常収支黒字は10兆円を少し下回ったレベル。10兆円でも、経常収支黒字対GDP比は10兆円/470兆円で2.1%である。
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