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どこに投稿しようか悩みましたが、共通するテーマが「経済」だったので経済板に投稿いたします。
最初に補足しておきますが、この筆者さんの持論は「発電コスト≒投入エネルギー量」です。
たとえば同じ電力を生むにも、一万円の自転車一台で行う人力発電と、10万円のソーラーパネルで発電するのとでは、後者のほうがより石油や鉱物資源を浪費(ムダ遣い)していることになります。
だからこそ自然エネルギー発電は“おいしい”わけですね。これに国家から補助金がついたり公定価格制度なんかが導入されたりしたら、もう企業はウハウハです。原発に代わる電力利権は自然エネで決まりでしょう。
まあそれで景気がよくなってくれれば文句ありませんよ。
資源の枯渇?
知らんがな。
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No723(2012/02/17)
常識の欠如したお人好しの国民
年金・エネルギー問題/無知は犯罪
現在の日本国民とはなんと非論理的で思考レベルが低いのだろうか?一重に戦後教育の失敗の付けが現れているように思う。あるいは権力者の深遠な計画によって、国民総白痴化を意図的に構築したのであろうか? 何れにしてもこの国は近い将来、没落することになるように思う。
例えば、国会では税と年金の一体改革などという訳のわからぬ主張が、さも当然のように語られている。政府の説明する年金制度の破綻理由は全くの嘘っぱちである。
日本の年金制度は積立方式であり、自らが現役時代に積み立てた資金運用を国家に付託し、国家は安全性の高い資金運用によって運用益を稼ぎ、現役時代に積み立てた資金プラスαを退職後に受け取るものである。つまり世代間扶養などではなく、将来的に労働人口が減少することによって破綻することなどありえないのである。
ではなぜ今、年金制度が崩壊の危機に瀕しているのか?これは年金資金を管理する国が資金運用に失敗し、あるいはもっと有り体に言えば横領して本来の目的外の事業に投資した結果、年金資金を目減りさせてしまった結果である。
人口構成がピラミッド型であった戦後すぐの時代には、年金給付を受ける高齢者に比較して圧倒的に現役労働人口が多かったことによって、給付金支払額よりも年金積立額の増加の方が圧倒的に多かった。その結果、国はどんどん増加する年金資金に目が眩んで、地道な資金運用で将来の年金支払いに備えることを怠り、大盤振る舞いで放蕩の限りを尽くしたのである。その結果、年金資金の原資を割り込むことになったのである。
そして、戦後の経済発展を担ってきた団塊世代が給付を受けることになった現在、年金資金が原資を割り込んだ結果、本来積立方式であったはずの年金制度では給付金を賄えなくなったため、国家は何ら責任を取らずに、日本の年金制度は現役世代に対する賦課金によって年金給付を賄う賦課方式である、人口の減少によって年金制度が破綻するなどという理論のすり替えを行い、国は自らの資金運用の失敗や横領を糊塗しようとしているのである。戦後日本の年金事業の国家的犯罪行為はOLYMPUSの粉飾決算どころの話ではないのである。
冗談ではない。国家は国民の積み立てた年金資金を国民に黙って横領し、企業にばらまいたのである。この問題を明確にした上で、国家の責任において年金制度を正常化することが最優先すべきことである。国家や大企業は自ら何ら責任を取らずに、この上消費税増税で横領の穴埋めをしようなどとは、盗っ人猛々しい話しであり、絶対許してはならない、というのが論理的で、常識的な判断だと考える。
ところがこの国の愚かで非常識な国民は、訳知り顔で「苦渋の選択だが年金制度を守るためには消費税増税はやむなし」などと、物分りの良い思考停止状態になっているのである。やれやれ・・・(苦笑)。
例えばエネルギー問題。現在、脱原発を訴える大多数の人々は、なんの疑いもなく再生可能エネルギー導入促進を正しいことだと“信じ込んで”いる。脱原発が自然科学的・技術的判断として正しいことは勿論である。しかし、再生可能エネルギーの大規模導入もまた行うべきではないというのが自然科学的・技術的判断である。
どうも環境団体の皆さんの間には、遠目には牧歌的で優雅で気まぐれに回る風力発電や、クリーンなイメージの太陽光発電に対して、無条件に“環境にやさしい”という宗教的な信仰がある。やさしいなどという言葉自体が宗教性を示しているが・・・。
環境団体の皆さんの多くは、工業化されすぎた現在の工業文明を超えて、自然との共生を目指すと言う。私もこれには全面的に賛成である。しかしそのために風力発電や太陽光発電を増やすというのでは全く台無しだということが理解できないようだ。
仮に、とりあえずの目標を生活の豊かさのゼロ成長だとする。その中でエネルギー供給システムだけを火力発電から再生可能エネルギーに変更すると、どうなるであろうか?
優雅で気まぐれに回る風力発電やクリーンな太陽光発電は、火力発電に比較してとても穏やかな発電装置と言えるかもしれない。ご想像の通り、装置の大きさに対して生み出す電力はとても小さくなる。このような再生可能エネルギー発電装置で、強力な火力発電を代替することなど、とてもできないと考えるのが常識的な判断である。あるいは、再生可能エネルギー発電で火力発電を代替することになれば、日本中が風力発電装置と太陽光発電装置で埋め尽くされるだろうと想像するのが常識的な判断である。これは、言い換えれば電力供給のために必要な工業生産規模が爆発的に増加することを意味している。
本来ならこれで話は終わりである。ところがこの国の愚かな国民の大多数は再生可能エネルギーを大規模導入すれば工業生産規模が爆発的に大きくなるという矛盾に何故か気づかないのである。
簡単な例を上げてみる。
発電装置の出力はW(ワット)あるいはkW(キロワット=1,000ワット)で表される。Wは仕事率の単位であり、1秒間に行う仕事が1J(ジュール)=1N・m(ニュートン・メートル)であることを示している。これは中学校で習う事柄である。つまり、1W=1J/s(ジュール毎秒)=1N・m/s(ニュートン・メートル毎秒)である。
私達の身近な仕事率の単位に“馬力”がある。馬力には英馬力(PH)と仏馬力(PS)があるが、ここでは仏馬力を考える。1PS=75kgf・m/s(キログラム重・メートル毎秒)である。これは、重さ75kgfの物体を1秒間に1mだけ持ち上げる仕事率である。1kgf=9.806N(9.806m/s2は質量1kgの物体に働く地球の重力加速度)なので、1PS=75×9.806N・m/s=735.5Wである。
さて、優雅に回る定格出力2,000kWの巨大な風力発電装置の設備利用率が12%だとすると、平均的な実効出力は2,000kW×0.12=240kW=240,000W=(240,000÷735.5)PS=326.3PSである。2,000kW級の風力発電装置の上部工(地上部分の構造)の重量は250t程度である。
一方、326.3PSというと、ちょっとしたスポーツ車1台の出力である。車一台といえば、車体重量は1〜2t程度というところであろうか。
つまり、同じ326.3PSの仕事率を得るための装置として、風力発電(上部工250t)は自動車(車体重量2tと仮定)に対して重量比で125倍以上の工業生産物を必要とするのである。風力発電装置というものが、いかに資源浪費的、同時に工業的なエネルギー浪費的な発電装置であるかが、ある程度イメージできたのではないだろうか?
同じ仕事率を得るために必要な太陽光発電装置=メガ・ソーラーの規模を考えてみる。240kW出力の装置が1年間稼動した時の総仕事量は240kW×24h/日×365日/年=2,102,400kWh/年である。太陽光発電パネルの日本での平均的な運用実績は100kWh/年・m2程度であるから、必要な太陽光発電パネルの面積は2,102,400kWh/年÷100kWh/年・m2=21,024m2≒145m×145m程度、野球場ほどの広大な面積になる。定格出力1kWを得るために必要な太陽光発電パネル面積が10m2として、その価格が100万円程度とすると、太陽光発電パネル価格は21,024÷10×100万円≒21億円程度になる。
日本の年間の最終エネルギー消費量は1.6×1019J=4.444×1012kWh程度である。仮にこれをすべて2,000kW級の風力発電装置で賄うとした場合、必要な基数は
4.444×1012kWh÷2,102,400kWh/基=2,113,986基
ということになる。47都道府県で均等割すると、44,978基/県ということになる。太陽光発電ならば145m×145mのメガソーラー発電所が44,978箇所/県必要ということになる。あるいは4.444万km2、国土面積の12%に太陽光発電パネルを敷き詰めることになる。しかもこれはエネルギーの絶対量だけに着目した少なめの見積であり、実際には更に不安定電力の安定化や電力需要に対応するための巨大な蓄電装置やバックアップ用発電施設、広域大容量送電線網などが必要になる。
風力発電や太陽光発電の耐用年数が20年とすれば、1年あたり2,249基/県の風力発電装置あるいは2,249箇所/県のメガソーラー発電所を常に更新し続けることになる。これを実現するためには、工業生産設備を飛躍的に拡大しなければとても賄うことはできない。現実的にはこの生産設備の増強と莫大な発電装置生産の経済的な負担だけで現在の日本の国家予算を超えることになり、実現不可能である。
想像力の乏しいお人好しの皆さんに少し具体的なイメージを作っていただくために、無意味な計算を長々と紹介した。しかし、常識的な感覚を持っている方であれば、こんなことをしなくたって、優秀な火力発電を低効率の再生可能エネルギーで代替するなどということはとても出来無い事だと判断するものである。日本の戦後科学教育は国民から常識的な判断能力すら奪ってしまったのである。
原発の代わりに再生可能エネルギーの導入を促進するなどという愚かなことを吹聴する人々の行動は、犯罪行為だと考える。
追記(2012.02.18):
ケーススタディ1:九大洋上風力発電
2011年12月から今年12月までの1年間の予定で、環境省の委託事業として事業費5000万円をかけて博多湾において九州大学の洋上風力発電の“実証試験”が行われている。直径18mの6角形の浮体構造の上に3kW風力発電機を2基設置している。
洋上ということで、設備利用率を高めの20%として、平均実効出力は 6kW×0.2=1.2kW 程度と考えられる。1.2kW=1.63馬力(PS)であるから、この大げさな実証プラントの出力は50ccの原付バイクのエンジン出力の4分の1程度に過ぎないのである。
一体この実証試験の目的が何であるのか、私には理解出来ない。風力発電装置が洋上でも発電することは当たり前であり、実証する必要など存在しない。この種の実証試験に目的があるとすれば、費用対効果などの検討から実際のプラントの実行可能性を探る、いわゆるフィージビリティー・スタディ(Feasibility Study)である。しかし、原付バイク1台にも満たない発電装置の試験費用が5000万円など、この段階で無意味と考えるのが常識的な判断である。
ケーススタディー2:兵庫県太陽光発電
兵庫県が設置した92ヶ所の公共施設の太陽光発電装置の総事業費は34億円である。この太陽光発電による年間発電量は310万kWhである。日本の太陽光発電の平均的な実績を100kWh/年・m2程度とすると、太陽光発電装置の面積は、3,100,000kWh/年÷100kWh/年・m2=31,000m2 程度である。定格出力1kWのために必要な太陽光発電パネル面積を10m2だと仮定すると、92ヶ所の太陽光発電パネルの定格出力は 31,000m2÷10m2/kW=3,100kW 程度と考えられる。以上から、太陽光発電パネルの定格発電出力あたりの単価は 34億円÷3,100kW≒110万円/kW 程度と考えられる。
このような高価な発電装置で電力を賄えば国家財政は破綻するしかない。
http://www.env01.net/frommanager/2012/fm2012_03.htm#n723
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