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http://diamond.jp/articles/-/16251 山崎元のマルチスコープ【第220回】 2012年2月22日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
橋下徹氏が手に入れた「ベーシックインカム」という新兵器
「維新八策」に
仕込まれた武器
もともと弁舌が巧みで論争に強い橋下徹氏が、新たに強力な論争用の武器を手に入れた。それは、「ベーシックインカム」だ。
ベーシックインカムは、最低所得補償の一種で、政府が全国民に一律に一定額の現金を、無条件で配るという政策だ。単純で一見荒唐無稽に見えかねない政策なのだが、多角的な批判に耐える合理的な政策だ。筆者は、ブログや雑誌の原稿で何度かベーシックインカムを取り上げたことがあるが、どんな批判に対しても簡単に反論できるベーシックインカムの合理性を伴った切れ味に、内心驚いた経験を持っている。この武器をあの橋下氏が使いこなすようになると想像すると、なかなか楽しいものがある。もちろん、彼と対立する人達にとっては厄介な状況だ。
さて、大阪の知事・市長ダブル選挙に大勝して勢いに乗る橋下徹氏率いる維新の会が、同会の基本政策として示した「維新八策」が注目されている。維新八策には、まだ詳細が発表されたわけではないが、「TPP交渉参加」、「日米同盟重視」といった現実的な政策から、「首相公選」、「参院廃止」のような実現へのハードルの高そうな政策までが並んでいるが、国民生活の視点からは、年金制度の改革を含む社会保障政策が注目に値する。
前述のように、維新八策はまだ詳細な具体像が明らかになったわけではないが、維新の会の社会保障改革案は、「積立方式」、「掛け捨て年金」、「ベーシックインカム」の三つのキーワードを持つ。
仮に、ベーシックインカムをベースとして(こちらの財源は税だろう)、老齢時に資産のない人を援助する追加支出部分を年金保険(掛け捨て年金)として持つようなセーフティーネットを作り、自助努力のための積立方式のフェアな年金制度を併せて用意しよう、ということなら、年金財政、世代間格差、年金を含む社会保障行政の非効率性など多くの問題が解決する。社会保障改革は、維新八策の中でも、是非実現したい目玉政策だ。
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ツイッターで橋下氏の発言を追うと、ベーシックインカムが、役人の裁量を無くして、行政をスリム化する強力な武器であることを既に十分理解しているようだ。「ベーシックインカムが成立すれば(これは不可能な政策と言われています)、年金制度、生活保護制度、失業保険制度などを失くす可能性を考えることができる。それにまつわる組織が不要になるのです」(2月15日のツイート)といったツイートがたびたび登場する。なかなかいい調子だ。
ベーシックインカム批判に
対する「傾向と対策」
橋下氏が「不可能な政策と言われています」と言っているように、ベーシックインカムは極めて実現しにくい政策だろうと筆者も思う(理由は後で触れる)。
しかし、ベーシックインカムは、論理的にも実現性の上でも優れた政策であり、特に政策を評価する上での「補助線」として優れた働きを持っている。その意味を簡単にまとめると「非裁量的で効率的な経済力の再分配によるセーフティーネット」だ。
無理解なままこれを批判しようとすると、逆に、スッパリ斬られてしまうことになる。あの橋下氏相手にそんな目に遭うと、さぞや悔しいに違いない。
以下、ベーシックインカムの賛成派のためにも、また、批判者のためにも、ベーシックインカムについて論点となるポイントについて、批判に対する反論の形で、触れてみたい。
批判1:ベーシックインカムは究極のバラマキだ
ベーシックインカムは、全国民に一律に一定額の現金を配る政策(「負の人頭税」と呼んでもいいだろう)だから、確かに、現金を「ばらまく」ことには違いない。民主党の子ども手当を、官僚・マスコミ・政治家が「バラマキ」と批判することによって、寄って集(たか)って潰すことに成功したように、現金を無条件で配ることには抵抗感を覚える人が多い。
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この場合「ベーシックインカムは確かにバラマキですが、そもそも社会保障は富の再分配なのだからバラマキの性質を持っています。それなら、均等にばらまくのと、条件がややこしくて官僚や政治家が決める補助金のような偏ったバラマキと、どっちがいいでしょうか?」と穏やかに問い返すといい。そして、「究極のバラマキとは、むしろベーシックインカムに対する褒め言葉でしょう」と付け加えよう。
批判2:お金持ちにも現金を払うのはムダだ
これは、先のバラマキ批判の続編としてありそうな批判だ。
ベーシックインカムが富の再分配になるのは、その財源負担の差を通じてだ。子ども手当の議論の際に、「ハトヤマさんのような大金持ちの子どもにも手当を支給するのか」という近視眼的な議論があったが、ハトヤマさんは、たくさん納税しているから(そうでないとしたらベーシックインカム以外の問題だ)、ベーシックインカムが支払われても、制度全体としては富の再分配になっているのだ。この「負担と受給をトータルで考える」点が、ベーシックインカムを考える際の急所の一つだ。
豊かな人にまでお金を配るのは、確かにムダな面があるから、一回は頷いてあげてから、次のように反論するといい。「お金持ちにもお金を配るのは確かにムダなのですが、所得や資産で支給の有無や額を調整すると、膨大な手間が掛かって、行政コストが掛かることになります。税金の支払いとベーシックインカムの受け取りの効果をトータルで見るといいのであって、支給の際の手続きを複雑にしない方が、役人につけ込まれる余地がなくていいですよ」
相手が、徴税の際には所得や資産を把握するではないかと食い下がるようなら、「正しくてフェアな徴税は大切です。納税者背番号制の導入と、歳入庁の設立を早く行って、ベーシックインカムの受け取り額と税金の支払額を差し引き計算してやりとりできるようになると、余計な振り込み手数料を掛けずにすみます」と折り合いながら、納税者背番号制と歳入庁設立(厚労省の効率化と、財務省の権限分割のためにも重要だ)をついでに訴えるといい。
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なお、お金持ちでない人がベーシックインカムを受け取ることの長所は、生活保護申請に伴う面倒な手続きや「恥」の感情を経験せずに済むことだ。また、現下の制度で、生活保護を受給するために行う、ごまかしや駆け引きも不要(無効)になる。
批判3:ベーシックインカムよりも負の所得税の方がいい
所得に対する税制として、ベーシックインカムと負の税率もある所得税のトータルな効果は同じだ。
たとえば、所得税率を30%と仮定して、2人家族1世帯の年間所得(ベーシックインカムを除く)が400万円だとしてみよう。この場合、年間納税額は120万円だ。一方、仮に「一人、一月、5万円」のベーシックインカムが同時にあると、年間に120万円になるので、この家族の年間可処分所得は400万円だ。この家族の年収が500万円になれば可処分所得は470万円になるし、300万円になれば330万円になる。
これは、所得400万円を境にして、税率30%で正・負両方の所得税(負の所得税には「給付付き税額控除」という冴えないネーミングもある)があるのと同じ効果だ。
先ず、「負の所得税と、ベーシックインカムは、トータルな効果を見ると、同じことですよ」と親切に教えてあげたらいい。
批判4:働かない人にお金を配ると、労働意欲が損なわれる
ベーシックインカムに対する直感的な批判として、最も多いのは、たぶんこれだ。
実際にはあり得ないことだが、確かに、働かなくても十分余裕をもって暮らせるだけの金額をベーシックインカムとして配るなら、労働へのインセンティブが減ってしまうかも知れない。
次のページ>> 働かない母親のパチンコ代になる、への反論
しかし、先の数値例でも分かるようにベーシックインカムの支給額がセーフティーネットの範疇に入る限り、「働いて稼げば、それだけ多く使える」し「働かなければ、使えるお金が減る」というインセンティブの構造に変化はないから、多くの能力とやる気のある人は働くはずだと反論できる。
誰もが働かなくてもいいほどのベーシックインカムを配る実力は、当分の間、日本経済には存在しないだろうから、労働意欲の心配をする必要が残念ながらないのが現実だ。
議論をする上で注意が必要なのは、「ベーシックインカムで働かなくなるような者は、どうせ稼ぐ能力がない奴なので、そんな奴が働かなくても、何ら痛手ではない」といった暴言を吐かないことだ(一面の真理ではあるが、我慢せよ)。
時には稼ぐだけではなくて、別のことをして暮らす選択肢を社会が支える、いわば社会が作る「余裕」を形にしたものがベーシックインカムだ。働かない人にも優しくすべきだし、「働かざる者、食うべからず」的な強制を言うべきではない(「働かない者は、死ね」とは言わない方がいい)。もちろん、働く機会を作る経済政策は、ベーシックインカムが存在しても重要なことだ。
批判5:ベーシックインカムは、働かない母親のパチンコ代になる
ベーシックインカムは使途制限しない現金給付だから、何にでも使える。子ども手当が議論になった時にあったように、「子どもの教育費でなく、母親のパチンコ代に使われるのではないか」といった揚げ足取りはあり得る。
これに対しては、「パチンコ上等!もし、パチンコ代がいけないなら、そもそもパチンコを規制すればいい。カネの使い道に、国や役人が干渉するのは余計なお節介だ」と言えばいい。
単純な現金給付は、役人の利権になりにくいのだ。
「保育園が不足しているので、この解消にお金を使って欲しい」といった要望もあり得るが、これに対しては、「規制を緩和しますから、必要があれば民間で作って下さい」と言えばいい。
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批判6:ベーシックインカムは、少額の現金給付をエサにして、福祉をめしあげようとする(新自由主義者の)陰謀だ
手厚い年金や生活保護、あるいは労働者の権利保護などを通じて、楽に暮らしたいと思う人は、ベーシックインカムに対して、ここで挙げたような警戒感を持つことがある。もともと相手が喧嘩腰なので(特に「新自由主義」という言葉を使う人は)、派手に喧嘩したくない場合には注意を要する。
筆者の思うに、この種の論者に対しては、先ず、ベーシックインカムが、富の再分配の必要性を認めた「優しい制度」であることを強調し、加えて、再配分の方法としては行政の裁量が絡まず、効率的であることを納得してもらおう。その上で、可能であるなら金額が大きくてもいいことを述べてみたらいい。
実際、どのくらいの大きさのベーシックインカムが適当なのかは、負担と受給のバランスを見ながら、社会が決めて行く問題だ。
筆者は、「国民一人、一月、5万円」くらいのベーシックインカムが適当で、これに老齢の加算(70歳以上、月3万円くらいか)、障害の際の特別給付くらいがあればいいのではないかと思っている。月5万円は、年間で約75兆円になるが、これは、現在の公的年金、生活保護、雇用保険などを合わせた給付額に、消費税数パーセント相当額程度を加えただけのものなので、財源的には十分実現可能だろう。しかも、多くの家計で、ベーシックインカムの収入と税金の支払いが相殺されるので、実質的なやりとりは見かけほど大きくない。
受給と負担の関係をよりリアルに選択してもらうためには、ベーシックインカムの基本部分(たとえば3万円とか5万円とか)だけ国が支払い、上乗せ部分を道州制がしかれた地方が独自に決めてもいい。そのかわり、消費税は地方に財源として渡して、消費税率も地方毎に決めたらいいのではないか。
これなら、住民が、高負担・高福祉を選ぶこともできるし、低負担・低福祉を選ぶこともできる。税率やベーシックインカムの額が不満なら、住む地域を変えることもできる。
次のページ>> 日本の仕組みを壊してしまう、への反論
批判7:ベーシックインカムは、日本の仕組みを壊してしまう!
ベーシックインカムは社会保険庁や年金基金の仕事、生活保護に関わる自治体の仕事、よく言えばきめ細かな、悪くいうと複雑で裁量的な補助金の数々を、単純な現金のやりとりに置き換えてしまう。
この効果については、橋下氏も気がついているだろうが、この効果こそがベーシックインカムの実現を難しくしている真の理由だ。決して、インセンティブや財源の問題などではない。
既存の官僚組織は、総力を挙げてベーシックインカムの導入に対して阻止にかかるだろう。子ども手当の経緯を見ていると、官僚集団の外郭の応援団であるマスメディアも批判側に加担する公算が大きい。
筆者は、この理由によってベーシックインカムの実現は難しいと「予想」しているが、それで全てをあきらめている訳ではない。個々の政策を、ベーシックインカムと比較しながら、評価していけばいいと考えている。
たとえば、負の所得税(あるいは給付き税額控除)をやるというなら、これはベーシックインカム的な政策だから賛成すればいいし、そのための仕組みはもっと単純化した方がいい、と付け加えるといった具合だ。
もちろん、民主党も自民党も国民からの信頼を失っているし、年金財政は抜本的な対策を必要としているから、ベーシックインカムそのものを導入する可能性を考えても悪くない。
但し、その場合には、既存の官僚を相当程度置き換えることができる人的な戦力を準備した上で、改革の戦いに臨む必要があるだろうし、クビにした官僚の受け皿もある程度考える必要があるだろう。政治・行政の改革が、一面では戦いであり、別の一面では経営の問題であることを思えば、当然のことだ。それこそ、明治維新のような覚悟と戦略、戦力をもってこの戦いに臨んで欲しい。
世論調査
質問1 べーシックインカムを実現させたいと思いますか?
是非させたい
できればさせたい
あまり賛成ではない
反対
わからない
>>投票結果を見る
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51774676.html
2012年02月20日 00:49
経済
橋下市長のための負の所得税入門
nit1大阪市の橋下徹市長が、ツイッターで「まずは負の所得税的な発想。ベーシックインカムはさらなる発展として検討事項としています」と発言している。日本の政策論争に「負の所得税」という言葉が出てきたのは画期的だが、正確に理解しているかどうか心配なので、解説しておこう。
負の所得税というのは、橋下氏の読んだ『もしフリ』でも紹介したように、課税最低限の所得を超える所得にプラスの課税をするのと同様に課税最低限より下の所得にもマイナスの課税(税の給付)をすることだ。
たとえば課税最低限を400万円、税率を20%とすると、400万円を超える所得に20%の税金がかかるのと同じように、400万円以下の所得の人にも、その所得との差額の20%を給付する。たとえば所得が200万円だと(400万−200万)×0.2=40万円を給付するので、課税後の所得は240万円になる。図のように所得ゼロの人は、400万円×0.2=80万円の給付を受ける。
nit
他方、ベーシックインカム(BI)にもいろいろな考え方があるが、ここでは単純化して一律に80万円のBIを給付し、所得には20%課税する(課税最低限なし)とすると、図のように所得ゼロの人は80万円の所得を得る。彼が働いて200万円の所得を得ると、そこから20%課税されるので、160万円。これにBIを足すと、240万円。つまり基本的に負の所得税とBIは同じなのだ。効果が同じなら、一律に給付するBIのほうが効率的である。
負の所得税はフリードマンが「小さな政府」を求めて提案し、BIはアンドレ・ゴルツなどの左翼が平等主義で提案したものだが、そういうイデオロギーの違いはどうでもいい。大事なのは、これが従来の社会保障を廃止するための制度として提案されていることだ。
現在の公的年金は貧しい若者から豊かな老人に所得を分配する不公平なシステムだ。問題は年齢などの属性ではなく所得なのだから、公的年金も生活保護も失業保険も介護保険も廃止して負の所得税(あるいはBI)に一本化すれば公平になり、厚労省の膨大な事務費も不要になる。
もちろん、こんなドラスティックな改革を実現するには問題も多い。現在の社会保障には巨額の既得権がぶら下がっているので、それを廃止することは政治的に困難だろう。特に年金の2階部分は保険料による企業や本人の負担なので、これを没収することは財産権の侵害になるおそれがある。税を捕捉率の低い所得税に一元化すると、かえって実質的な不平等は拡大するかもしれない。
しかし現在の年金制度が遅くとも20年以内に破綻するのは、多くの専門家の予測するところだ。800兆円にのぼる積立不足を埋めるために、将来世代には大増税が待っている。こうした悲惨な未来を防ぐためには、今からこうした抜本改革のオプションを考えておいてもいいのではないか。
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