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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31797?page=4
毎月分配型投資信託、実はこの商品は金融庁から販売に伴う規制がかかり、今後は今までのように売れるかどうかはわかりませんが、この5年間くらい何兆円もの個人金融資産がこの商品に流れていきました。そもそも、なぜこの商品がこんなに売れたのか。本当の理由は60歳以上の高齢者層の孤独を埋めたからだ、というのが私の見解です。
@@雑談をたくさんすれば営業成績はあがる
日本の投資信託の販売の現状は以下のようなものです。大銀行や大証券会社の若手の営業が自分のお爺さん、お婆さん世代のご自宅に訪問をします。彼らがたくさん個人金融資産を持っているのを知っているからです。とても感じの良い若者たちです。シニア層から見れば孫のような「子」たちです。そこで、茶飲み話をします。
たくさん雑談をすることができた人ほど、よい成果をあげることができます。営業では商品の説明をすることより、相手の話を聞いて愚痴を聞いて、雑談をするほうが成果が上がるのです。それは本当の売り物は金融商品ではなく、シニア層の孤独を埋めることにあるからです。
日本は核家族化が進んでいると同時に、単独世帯が高齢者を中心に増えてきています。一方で非婚化も増えているので、若い世代の単独世帯も増えているのです。無縁社会といわれるのも、このような若い世代からシニア層までも単独世帯が増えていることと関係があるのでしょう。
毎月分配型投資信託は、毎月、分配金が支払われてそれが生活の足しになりますよ、という売り込みで大ヒットしました。毎月投資信託が分配を出すという形でわかりやすい「成果」を見せるという安心感や納得感を売っているわけです。これがある意味、孤独というか寂しさというか「ほっておかれていない」感じを演出しているのだと思います。
本来の金融商品としての説明をしているというよりは、シニア層に足繁く通って話し相手になることによって、孤独を埋めてあげて、その代償として金融商品を買ってもらうというのが現場で行われている風景です。いや、もちろん、真面目に金融商品を説明して、真面目にコンサルティング営業をしている金融機関もあるでしょうが、現場の話を聞くだに、どちらかといえば「孤独」を埋めているのが実態だと感じます。
投資信託の開発をしている現場では皮肉を込めて「壺売り」とまで言っています。というのは、怪しい宗教が怪しい教義をもとに高齢者に霊験あらたかな「壺」を高い値段で売りつけているのとあまり変わらないからです。
@@@「婚活」という煽り
世の中にはこのような孤独や不安をお金に替えている産業や業者がいっぱいです。インチキな商品ばかりではなく、インチキとはいえないそれなりにまともな商品でもその販売手法や構造を見れば「壺売り」に近いものは少なくありません。というより、今の人たちの購買動機は、必要に迫られてというよりも、不安や安心や孤独を埋めてもらえるからというのがほとんどではないでしょうか。
生活必需品や耐久消費財はもう家にあふれているのです。そのような環境下で、よい商品なのに売れない商品やサービスがあるとしたら、「孤独スイッチ」を十分に押していない可能性があります。
つまりは、消費者が埋めてもらいたいものは、漠然たる未来に対する不安や寂しさであることが多く、消費者の「孤独スイッチ」を十分に押した会社は伸びているし、そこを押していないか十分でない会社は伸びていない、と考えています。そこを利用してインチキな商品を売り込めば詐欺になり、有益な商品を売れば、大きな売上や利益をあげて社会的に賞賛される、ということではないかと思っています。
最近テレビや新聞や雑誌で聞かない日はない婚活という言葉も非婚者に対する「孤独スイッチ」の煽りそのものでしょう。非婚の状態を「寂しい」だろと煽って、それをなんらかの消費へとつなげようとしています。
Facebookが米国で上場しますが、Facebookのようなソーシャルネットワークはまさにそのような心の隙間や人と人とで繋がりたいという寂しさをビジネスにした好例です。グリーやDeNAのようなソーシャルゲームも「孤独スイッチ」を押したサービスではないでしょうか。彼らは若者のスキマ時間を狙って、心の隙間を埋めているのです。
@@任天堂のゲームはなぜ苦戦するのか
最近、日本で車が売れなくなったのも、車がデートユースとしてそこで男女の出会いを創出するわくわくする異空間を作り出す場でなくなり、それが携帯電話に取って代わったということなのだと思います。アップルのiPhoneなどのスマートフォンもより繋がりたいというニーズに応えたものであり、繋がりたいニーズに応えることで、世界で一番大きな時価総額の会社になりました。
一方で、任天堂の新しいゲーム機が苦戦をしているのも「孤独スイッチ」を押していないからではないかと思います。彼らのゲーム機はネットワーク型も増えてきたとはいえ、独立していて、あらゆる機種やあらゆる場所の人たちとつながれる場というより、任天堂のゲーム機という閉じた中で完結をしており、むしろひとりに篭る場を提供しています。
私はこの「孤独消費」の行き先について今の段階では結論を持っていません。おそらくまだまだ「孤独」を埋めにいく商品やサービスはどんどん開発をされていくでしょう。起業家という視点であったりビジネスという視点であったりでは、どんどん孤独を埋めるビジネスやサービスを考えるとよいと思います。
最近テレビや新聞や雑誌で聞かない日はない婚活という言葉も非婚者に対する「孤独スイッチ」の煽りそのものでしょう。非婚の状態を「寂しい」だろと煽って、それをなんらかの消費へとつなげようとしています。
しかし、安直にお金でかえる「孤独の寂しさ」というのは行き着くともっと別の衝動になるのではないかと考えています。それはバーチャル体験や壺や健康器具を買うようなものではない、リアルな人と人との繋がりなのではないかと。
要するに「孤独スイッチ」を押して、瞬間的な孤独の寂しさを慰撫するものではなく、本質的な孤独そのものをなくす社会的運動や場の提供が求められるのであり、それはそれで大きな産業になるのではと考えています。
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