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最終処分場誘致 反核の本島等元長崎市長が「ざんげ」
2013年1月28日 東京新聞[こちら特報部]
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013012802000151.html
半世紀にわたる原発の稼働で排出され続けた核燃料ごみの行き場は決まっていない。住民の反発もあり、最終処分場に手を挙げる自治体はない。そんな中、元長崎市長の本島等氏(90)が核廃絶を訴えながら、故郷の五島列島に誘致しようと動いていたことを“ざんげ”した。その背景とは−。(荒井六貴)
「五島の未来が、ふさがれている。どんどん若者が島を離れ、つぶれるのではと危機感がある。処分場以外になかった。国策のためにもいいと思った」。本島氏は長崎市内で時折、せき込みながら静かに告白した。
国と電力各社が経済振興を見返りに、迷惑施設を押し付けるアメとムチの構図に乗った形に、後悔もにじませる。「福島の原発事故も含めてそういう国の政策は、もう時代に合わない。東京電力や関西電力の幹部に、原発が絶対に続くもんだと思わせたら、いかん」
五島列島・中通島の新上五島町は長崎市から西に約100キロ離れ、島の面積は約168平方キロ。ハマチの養殖、アゴなどの漁業や観光が主産業で、2万2,000人が住むが、人口の減少は止まらない。迫害されたキリシタンが集まった教会群があり、ここで生まれた本島氏自身も「隠れキリシタンの末裔だ」という。
自民党県議から長崎市長となり、1988年に市議会で「天皇に戦争責任はあると思う」と答弁し、右翼団体幹部に銃撃された。原爆の被害を世界に認めてもらうためには、まずアジア諸国に対し、戦争加害を謝罪すべきだと主張してきた。
現在、つえを使って歩くが、買い物にも出掛ける。昨年9月、これまでの講演や論文などをまとめた本「本島等の思想」(長崎新聞社)を出版し、言論活動も続ける。
毎年元日、長崎市の平和公園で開かれる核兵器廃絶を訴える座り込みに今年も参加した。「核のむちゃくちゃな発達はダメだ。元気ならば、(座り込みに)行かんば、仕方ない。みんなから『何で来んのか』と言われる」と本島節は健在だ。
処分場計画の動きが沈静化してから4年ほどたち、福島の悲劇が起きた。「『神の試練だ』 『原発事故が起きることは、天地神明に誓って思わなかった』と言うしかなかった」と率直に語る。
知人にも反対され、誘致賛成は断念したが「完璧に理解し、覚悟して、この道で行くと言えなかった。ふらふらして、自分を説得する材料が見つからなかった」とも。
町は今、教会群の世界遺産登録を目指す。処分場とは相いれないのではないか。「そう考えてくると、持ってくることは、賛成できないな」
処分場誘致のメリットは、巨額の交付金が大きい。処分場建設を担う原子力発電環境整備機構(NUMO=ニューモ、東京)によると、地盤の文献調査に応じるだけで最大20億円、次の段階のボーリングなどの概要調査は最大70億円が約束される。その後の精密調査には、金額は定められていない。
2020年代に処分場の操業を開始したいとしているが、調査に応募したのは07年の高知県東洋町だけ。東洋町も住民の反対で取り下げた。
処分場誘致計画はどのような経緯をたどったのか。ニューモが02年、自治体の募集を始めて間もなくして浮上した。原発政策を後押しする東京のNPO法人「日本の将来を考える会」代表で、原子力保全工学が専門の宮健三・東京大名誉教授(72)がキーマンだった。
町議の浜田新一氏(59)は「知人を通じて、宮さんから処分場の提案を受けた」と明かす。
ホームページによると、考える会は03年に設立され、主要目的は「原子力にまつわる風土の改善」。その上で「福島原発の事故を契機に、脱原発に偏った風潮がまん延した。エネルギー安全保障などの観点から、原発の必要性は揺るがない」と強調する。
考える会と同じ事務所に入る日本保全学会は、役員に電力会社や原発メーカーの関係者が名を連ねる。事故当時の福島第一原発所長・吉田昌郎氏も昨年9月まで、理事に入っていた。
宮氏は同学会会長も兼務し、地震や津波と、原発事故の複合災害対策を検討した国の原子力防災小委員会の委員長を歴任。新上五島町出身だ。
町の振興を考える地元団体と協力し、啓蒙活動を始める。「米軍夜間訓練基地」 「自衛隊駐屯地」 「石油備蓄基地」─。振興策を提案するチラシが町にばらまかれた。その中に「放射性廃棄物最終処分場」も掲げられた。
町の有志役20人が、ニューモの負担で青森県六ヶ所村にある放射性廃棄物の中間貯蔵施設を視察。05年8月、町で科学イベントが開かれ、処分場の安全性をPRするニューモの宣伝カーが登場し、指示を与える宮氏の姿もあったという。
◆東大へ招待し 中学生に講座
考える会は、地元の中学生を東大に招待し、原発の役割などをテーマにした講座も開いた。町が後援した。誘致に反対してきた自営業歌野敬さん(61)は「講座の講師は原発を推進する人ばかり。中学生を東大に招待し、原子力は安全だと、洗脳する場のようだった」。
こうした動きの中で本島氏は宮氏と接触を図る。長崎市内のホテルで2回ほど面会し、宮氏から「よき同調者が現れた」と歓迎されたという。
本島氏は、06年7月に資源エネルギー庁が福岡市で処分場の安全性をPRした会合にも出席。参加した町民約70人を前にあいさつした。
浜田町議によると、本島氏は「被爆県だからこそ、誘致しなければならない。原発の発電で出たごみに、背を向けてはいけない」と訴えたという。浜田町議は「処分場が安全かを勉強しようと思った。でも、原爆をじかに体験し、怖さを知る高齢者もいて、核と聞いただけでも、反対の声は強かった」と話す。
推進派とみられた浜田町議は07年、県議選で落選。反対派の候補者が勝った。町長が誘致に反対したこともあり、計画は消えていった。
宮氏は「こちら特報部」の取材に「多忙で応じられない」とし、ニューモと資源エネ庁は「当時の記録がなく、コメントできない」とした。
処分場問題に詳しい原子力資料情報室の西尾漠共同代表は「誘致計画でお金の話が先に出てくると、財政力が弱い自治体に押し付けることになる。安全性を強調するのではなく、受け入れる大変さを踏まえ、処分場のあり方を議論する必要がある」と指摘し、こう断じた。「処分場を探すのが難しいのに、原発を稼働して核のごみを増やすというのは無責任だ」
[デスクメモ]
5年前、自叙伝出版で話を伺っており、「まさか」と正直耳を疑った。加害責任の償いに在韓被爆者を支援し、中国人強制連行問題では08年に建立した原爆犠牲者追悼碑の建設募金で街頭に立った。近著に「弱々しい男がおずおずと正義を叫んできた」とある。赦(ゆる)しへの告白を潔しとしたい。(呂)
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