http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/835.html
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mainau:
それぞれの立場があるので、こういう考え方の人もいるのだということを紹介する。
ただ赤嶺氏よ、あなたには子供を巻き込む権利はない。
あなた今、もう何歳なんですか。多くの子供が今のあなたの年齢まで生きられなくなりますよ。
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2011年10月5日水曜日
明峯哲夫&永田まさゆき「自給的くらしの意義〜震災後の社会再構築に当たって」
10月2日は札幌市西区小別沢の「農的くらしのレッスン」を訪ねました。
「くらしのレッスン」を主宰している永田さんは、東北の被災移住者に住居や物資を提供する「むすびば・受け入れ隊」の代表として、この春からこれまで約150世帯の受け入れ支援をしています。今後は、物資提供よりも、心のケアや就労など自立支援のウェイトが高くなるだろうというお話でした。永田さんは被災者に対する一般市民の態度について、ユーチューブの情報収集には熱心でも、実際は何も行動しない「ユーチューブリック」だと表現しています。ドアを開ければわかるのにモニタ越しにしか問題を見ず、自分ごととして感じたり、助けの手を伸ばすことをしない人びと。地球の裏側の悲劇も隣人の苦しみも映画の世界にしか見えないのは現代人の特徴でしょうか。被災移住者の置かれている環境はいろいろな面で厳しく、心から同情せざるを得ませんが、これまでの近代都市生活が破たんしつつある中で、たまたま被災せず一見何事もなかったかのように暮らしている私たちだって抱えている問題は同質です。原発から脱却するためにも、この機会に自給的な生活を見直すべきだという永田さんの主張に強く共感しました。
明峯先生の講演タイトルは「天国はいらない、故郷を与えよ」、ロシアの農民詩人エセーニンの言葉です。近代化の過程で農村を追われ、仕事を都市に求めた人びとは土着性をなくし、地方は疲弊しました。人びとが「天国」と憧れた都市生活は、便利で快適で、賑わいに溢れていますが、自らが必要とする食糧を農村に依存し、大量生産、大量消費の仕組みと膨大なエネルギーに支えられてきました。原発のニーズもこの延長に生まれています。 このパラダイムは実に前世紀100年をかけて成り立っており、すでに維持不能な状態にありました。
「3・11」は、このシステムの現実的な終焉であり、「天国」を求め続けてきた時代の終わりだと明峯先生は語ります。これからの社会の再構築にはエネルギーの問題だけでなく、医療や福祉や教育や産業などさまざまな分野の知恵を統合し、小さな地域単位で自給、自立していく発想が必要だ。そして、天国を失った人びとの行先は故郷、すなわち自然と共生する自給的な暮らしに他ならないと。
先生がここで言われる21世紀の故郷は、伝統的な地縁社会のことではなく、個人が自由な意思で決定する新しいイメージでの「我が故郷」です。「一所懸命に生きる」場所が故郷になるという先生の言葉を聞いて、私はエコビレッジを思い浮かべました。故郷に生きる人びとにとって生きるとは、土地に依拠し自然の恵みを受けながら暮らすことです。だから農山漁村の人びとは土地に対する強烈な思いがあり、今回の震災の打撃は大きかったのです。それでもすべてを受け入れ、いつか復興させようと留まって農業を続ける人びとを先生は希望と呼んでいます。自然と共に生きる人びとは確信があるとも。溢れるほどの物質と情報に囲まれても、現代人が常に不安なのは、そういう確信がないからでしょう。
すべてを受け入れるという意味で、先生は、すでに大量の放射性物質が放出されてしまったこの期に及んで数値を前提にリスクゼロを追求するのは幻想で、放射能に汚染された自然とも共生していくリスクシェアの考え方が必要だと言われました。たとえば食べ物であれば、数値で示せる安全よりも、誰がどのように作ったかがわることで生まれる安心のほうが重要だと強調されています。
放射能汚染された食べ物を「食べる」「食べない」にについては、議論の分かれるところでしょう。
私は政府が正しい情報(=事実)を開示して、そこから先の判断は個人に委ねるのがよいと思っていました。情報が不足したり曖昧だったりするから人びとが不安になると。でも、放射能汚染については安全か危険かの線引きが基本的にできないから、政府や企業の情報によって不安を取り除こうとする人びとは、どんな情報にも安心できないかもしれません。事実(数値)を見て安心しようとするのは近代的感性ですが、徹底的に事実を究明しても、それは必ずしも真実を意味しないという先生のお話を聞きながら、不安の材料は情報(外界)ではなく内にあるのかもしれないと深く考えさせられました。
不安に長生きするよりも、短くても確信をもって生きることができるなら、それは納得のいく生き方だろうと思います。「食べる」「食べない」「避難する」「留まる」は、それぞれの生き方に照らし合わせて一人ひとりが決定すべきことで、それぞれが正解なのだと明峯先生。もっとも、その問いはまさに「いかに生きるか」という人生の命題なので、明快な答えを出すのは簡単ではなさそうです。私自身は自分と仲間の故郷としてエコビレッジを創造するというミッションを改めて感じました。
http://ecovillagehokkaido.blogspot.de/2011/10/blog-post_05.html
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明峯哲夫(http://www.yuki-hajimeru.or.jp/column_5_01.html)さんは、秋山財団の評議員としてご指導を頂いています。震災直後から、ドイツ語サイトで、貴重な日記を送信し続けました。以下、ご本人の承諾を得て、その抜粋を書き留めます。
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「東京日記」2011年3月16日 ―4月11日
明峯哲夫
以下の文章は、3・11震災直後ドイツの友人から依頼され、毎日彼の下に書き送ったものである。友人は私と同世代の反原発・自給自足運動家で、小さな村の村長を務めている。私の文章は彼の翻訳により、「Das Tokio-Tagebuch (東京日記)」として彼のサイト(http://www.tacheles-regional.de/)に掲載されている。東日本大震災の一つの「記録」としてお読みいただければ幸いである。
3月26日号 「暗闇」
太陽が没する。あたりに暗闇が広がる。太古の人々にとって暗闇は当たり前だった。彼らには物が見えなくなる恐怖はなかったろう。彼らが暗闇を恐れたとしたら、それは夜行性の動物から襲われることだったろうか。人が火を発見したのは、暗闇でも物を見たいからではなく、火の力で野獣を遠ざけるためだったかもしれない。
しかし現代人が暗闇を恐れるのは、野獣に襲われるためではむろんない。物が見えないことそのものを恐れているからだ。こうして現代人は明るさを求めて「火」を次々と進化させ、ついには「原子の火」を弄ぶまでになった。
なんでも明瞭に見えなければ気が済まぬ現代人は、すべてのことを明晰に理解しなければ気が済まない。現代人が恐れるのは野獣ではなく、「暗愚=無知」である。こうして徹底した明晰さを求める人間は「科学」をひたすら発展させ、その科学が「原子の火」を生んだ。
今は夜。我が町は「計画停電」のさなかにある。私は小さなろうそくの灯をたよりに、こうして文を紡いでいる。「原子の火」に依存しないくらしは「暗闇」を恐れないことを意味するはず。つまり「無知」であることを恐れないことだ。人間の眼は「暗闇」に慣れる。暗闇の中でこそ人の直感は研ぎ澄まされ、物の気配を正しく見分けることができる。とすれば人は「無知」であればこそ、実は事の真実を見抜くことができるはずではないか、などと・・・。
おっと、電灯が点いた。思わずほっとする。私も紛れもない現代人である。
4月2日号「消えない火」
用事があり、東京湾岸を電車で千葉まで行ってきた。湾岸は高い煙突が林立する石油化学コンビナートが何十キロと続いている。東電の火力発電所も5基ここにある。幸い東京湾岸は津波の被害はなかった。しかし地震直後この一角にある石油製油所で配管から漏れ出した天然ガス(ブタン)が引火、ガスタンクが次々と爆発炎上した。一時は上空800メートルまで炎が上がり、一帯は真黒な煙に包まれたという。火災は延々と続き、ガスが燃え尽きた10日後にようやく鎮火した。電車の車窓から遠くに見たコンビナートは、今は平静を保っているようだ。
3月30日、東電会長は地震後初めての記者会見で、福島第一原発1~4号基は廃炉にすると述べた。冷却機能が回復した5、6号基については言明しなかったが、政府のスポークスマンはこれらも廃炉にすべきとの見解を示している。
廃炉にするには、まず稼働中の原子炉を冷温停止状態にしなければならない。冷却装置が動けばこれは1、2日で完了するというが、現在もなお冷却装置は動いていない。冷温停止した核燃料を安定させるには、さらに3、4年冷却プールで冷やし続けなければならない。さらに施設や原子炉を解体しそこを完全な更地にするには20年、30年の歳月が必要という。しかしそれでもどこかに移され保管される使用済み核燃料は、さらに長期間放射線を放出し続ける。プルトニウムの半減期は2万4000年、ウランは16万2000年。
化石燃料の火は燃え尽きれば、鎮火する。しかし原子の火は半永久的に消えることがないのである。
4月10日号「希望」
あの日。
火の見櫓(やぐら)で半鐘(はんしょう)を鳴らし続けながら、津波に呑みこまれた消防団の男性。「逃げて!」と防災無線放送で住民たちに叫びながら、濁流に姿を消した町役場の若い女性職員・・・。
そしてそれから続く日々の中。
町の再生は原発の復旧からと、避難先から危険な現場に戻ってきた若い原発労働者。人々から日用品を途切れさせまいと、店を守り続ける自主避難地区の店主。従業員たちの給料を支払おうと、金策に走り回る被災した小さな工場の経営者。原発から近い町で、診療を続ける医師と看護師。避難場所でゴミの分別を呼び掛ける男性。村に留まり、牛の世話に余念のない避難区域の農民。自らも被災し、家族を失いながらも不眠不休で奔走する役場の職員。救援にやってきた若いアメリカの兵士に、何度も頭を下げながら手にした一枚の米菓を差し出す老婆。そしていつ終わるとも分からぬ仮の生活に、取り乱すことなく耐える無数の被災者たち・・・。
被害の全容が未だ杳(よう)として不明のこの大災害。しかし勤勉で、責任感が強く、礼儀正しく、律義(りちぎ)、こうした人々が健在である限り、この国には確かな希望がある。
明日で被災1か月。
それでもまた明日、種をまこう。
4月11日号 「天国はいらない、故郷を与えよ」
「種(たね)を蒔くな、収穫するな、食べるな、出荷するな、・・・そこに住むな」。これらは「故郷」に生きる人々への「国家」による迫害である。「国家」の武器は「数値」だ。大気、土、水、海、農産物、魚介類、飲用水などなどの汚染・・・。○○シーベルト、××ベクレムという数値が踊る度に、「故郷」に生きる人々は惑い、追いつめられていく。「原発」はこうして「故郷」を破壊した。科学の粋を集め、権力の限りを尽くしその「原発」を作ったのは、他ならぬ「国家」だ。
首都・東京。光溢れるこの都は人々を魅了する「天国」か。「天国」は「原発」により支えられている。「原発」の喪失は「天国」から光を奪った。今「天国」は深い闇の中に沈む。
「故郷」を追われた人々はどこへ向かうのか。「天国」を失った人々はどこへ彷徨(さまよ)い出るのか。人々の安住の地はいずこか。
「天国はいらない、故郷を与えよ」(セルゲイ・エセーニン)
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10250
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