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なぜ、日本人は子どもを被曝させたか?(1) どうしてあの人が・・・
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平成25年1月18日 武田邦彦(中部大学)
福島の原発爆発事故が起こってから、私にとっては驚くべきことが次々と起こりました。事故以後に起こったことを振り返ると、原発事故という驚天動地の事件ですら、時に影が薄くなるほどです。
それはちょうど、多くの人が支持した民主党政権のあきれるほどの乱脈ぶりと類似していて、あれよあれよといううちに私が日本人に抱いていた甘い期待がもろくも崩壊していくのを感じたのです。
研究生活の半生を原子力や放射線関係で仕事をした私としては、これまで付き合ってきた人の顔や想い出の中で、唖然とすることばかりでした。原子力や放射線の仕事に少しでも携わった人ならば、一般人の被曝限度が1年1ミリシーベルトであることは良く知っています。
事故の後、俄に勉強した人なら別ですが、事故で有名になったICRPが20年ほど前に1年1ミリにするまでの経緯や、電力会社が原発の従業員も平均1年1ミリの自主規制を始めたことなど、さまざまなことを自らの経験として知っているからです。それは長い経験の中の知識ですから、被曝限度があるとか無いとかなどの話でも無く、何ミリが適当かというような話でも無いのです。
さらには、1万年に1度ぐらいの事故が起こったら被曝限度をどのぐらいまで上げるのかとか、被曝を増やす場合の「正当化の原理」なども何回も確認していたのに、すべては反故になりました。
航空機を開発した技術者が、墜落のニュースを聞いて自殺したくなるように、科学者、技術者はその作品が安全だという確信があるからこそ世に問うているのです。「事故を起こしても良い。想定外なら俺は知らない」などという技術者に、私は日本の原子力界でもお会いしたことはありません。
その人たちが「事故が起きた」と言うだけで、なぜ豹変したのでしょうか?
原発の事故が起こった2011年は、この豹変に腹が立って納まらず、またそれによって子どもたちの被曝が増えたのを何とか止めようと必死だったのですが、徐々に、「なぜ、あれほど立派な人がこんなに豹変するのか?」という疑問に変わってきました。
これまで勉強してきた日本文化、ヨーロッパ文明をもう一度、考え直すようになったのも昨年からです。
現在の考えを簡単にまとめると、
1)ヨーロッパの学問は自分の利益を正当化するために存在するので、間違っている、
2)日本の文化はどうも正義も信念もなく、単に短期的な利得だけで動く、
のではないかと思うようになりました。そう思うと実に多くの人の行動が理解できるからです。
かつてヤフーの重役さんでは無かったかと思いますが、日本の親のことを褒める私に「武田さん、日本の親が子どもを大切にするのは、お金が要るからですよ」といって、ある研究のグラフを見せてくれたことがあります。
そのグラフによると、子どもからお金をもらえると期待すると子どもを大切にするという関係が示されていました。だから年金制度になると、子どもを守らないという事になるのです
原発事故で、おおよそ大人の10倍の被曝を子どもにさせたのは、このような考えから言えば当然かも知れないのです。
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