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避難の児童戻らず 福島8町村の入学予定、本来の17%
http://www.asahi.com/edu/articles/TKY201301130278.html
2013年1月14日13時47分 朝日新聞
双葉郡町村と飯舘村の小学校の避難状況
再開後の浪江小は全校児童が30人。休み時間は全員で遊んでいる=2012年12月21日、福島県二本松市、藤原慎一撮影
廃校になった校舎を借りて再開した浪江小学校=13日、福島県二本松市、藤原慎一撮影
浪江小学校の札の隣には、廃校になった学校名が並んでいる=13日、福島県二本松市、藤原慎一撮影
廃校になった校舎を借りて続けている浪江小学校=13日、福島県二本松市、藤原慎一撮影
【藤原慎一】東京電力福島第一原発の事故で役場ごと避難し、避難先で授業を再開した福島県双葉郡の7町村と飯舘村の小学校で、2013年度に入学を予定している新入児童は、本来の数の約17%にとどまることが各自治体への取材で分かった。12年度より割合はやや上向いたが、子どもが戻らない厳しい状況が続いており、自治体関係者は「地域社会の将来が心配」と危機感を募らせる。
11年3月の原発事故後、双葉郡8町村と飯舘村は役場機能を県内外に移し、住民の多くが避難。このうち、葛尾村と双葉町をのぞく7町村が避難先で廃校を間借りするなどして小学校を順次再開した。しかし、住民はばらばらになり、児童数は激減した。
12年度は、小学校を再開した7町村で541人の1年生を迎えるはずだったが、大半は避難先の自治体の学校に入学。再開した学校に通う今の1年生は72人で、住民票上の本来の数の約13%だ。
新たに避難先で小学校を再開する葛尾村を含む8町村は、新年度に向け、子どもの就学時健康診断や保護者の意向調査を行い、入学予定者数をとりまとめた。それによると、本来の学校に入学を予定している児童は105人。12年度より33人増えるものの、8割超の児童が避難先の自治体の学校へ入る予定だ。
避難区域再編や住民の帰還の動きに伴い、自治体間でばらつきが出ている。
浪江町は12年11月、新入予定者154人を対象にした健診を予定したが、希望する家庭はなかった。富岡町は福島県三春町の工場で学校を続けているが、児童は戻らない。新年度の1年生はわずか3人、2年生以上の転入予定もない。
一方、11年9月に緊急時避難準備区域が解除され、12年3月にほかの町村に先駆けて役場を戻した広野町は12年8月に元の校舎で再開。今の1年生は7人だが、新年度は1年生14人、2〜6年生も18人が帰ってくる予定だ。12年4月に元の校舎で再開した川内村の小学校も新年度、1年生6人を含む12人が戻ってくる予定。村は「保護者が働く場を確保し、子どもの帰還を後押ししたい」と話す。
■「子どもがいないと町に将来はない」
「帰還して『さあ復興だ』という時に子どもがいなければ、町に将来はない」――。福島県浪江町の教委幹部は心配する。
浪江町は全住民約2万1千人が避難。1千人近い児童のため事故から5カ月後の2011年8月、町役場の避難先で、住民が集中して暮らす同県二本松市に新たな「浪江小」を開いた。もともと6校あった小学校をひとつにしたが、現在の児童数は30人。新年度は、新入児童だけでなく2〜6年生も入る予定がない。
二本松市の仮設住宅で暮らす女性(47)は4年生の次女(10)を浪江小ではなく同市内の学校に通わせている。「転校を繰り返して、これ以上娘に負担をかけたくない」。浪江小には、知っている友達がおらず、次女はいまの学校を選んだという。
福島市の借り上げ住宅に避難している国分和子さん(29)も次男の丈悠(たけひさ)君(5)を春から、浪江小でなく、姉2人と兄が通う同市内の小学校に通わせる。
震災後、慌ただしく子どもたちの転入先を決めた。浪江小が再開すると聞いた時は、市内の小学校へ通っていた子どもたちにもう新しい友達ができていた。PTA活動などを考え、子どもを同じ学校に入れることにした。「子育てを考えると、浪江小に入れるのをためらってしまう」
ただ、「わたしも夫も浪江で生まれ育ったし、本当は子どもたちを浪江で育てたい」と気持ちは複雑だ。末っ子の2歳の息子は浪江町で過ごした記憶はほとんどない。「この子たちが避難先で大きくなった時、浪江をふるさとと呼んでくれるでしょうか」。故郷が遠のいている気がする。
浪江小の吉田清宏教頭は「児童数が減れば学校の運営が成り立たなくなる」と苦しい胸の内を明かす。
一方、同県会津若松市にある大熊町の小学校には新年度、1年生42人が入る予定だ。本来の3割近くにあたる。大熊町は避難自治体の中で早く、11年4月に学校を再開し、約250人の児童が戻ってきた。
5年生の多田光輝君(11)も市内の町立熊町小に通う。母親の光子さん(35)は「再開が早かったので通わせることができた」と話す。
ただ、震災から1年10カ月が経ち、転出していく児童が増えている。15人いた光輝君のクラスでも5人が転校していった。「このまま、いつか大熊の学校が消えてしまうんじゃないかと不安になる」と光子さんは言う。
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