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「つらぬけばそこに」<7>震災がれきでも奔走、環境運動家の関口鉄夫さん(62)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013011402000107.html
2013年1月14日 東京新聞[こちら特報部]
茨城県笠間市の大規模公共処分場「エコフロンティアかさま」近く。昨年12月23日、この田園地帯で環境運動家の関口鉄夫(62)は午前6時から10時間、放射線量を測定して回った。使った放射線検出器は放射線の数を細かく検出できる。通常値より高くなると、ガス漏れ警報器のように「ピーピー」と鳴った。
関口は「笠間市も、東京電力福島第一原発事故で放射能に汚染されている。(除染の基準になっている)年間1ミリシーベルトを超える場所はざらにある」と語気を強めた。
同処分場では昨年8月末、宮城県石巻市で発生した震災がれきの焼却や埋め立てを開始した。運営する茨城県環境保全事業団は、放射線量の測定結果が低いことなどを根拠に「周辺環境への影響はない」と説明する。
笠間市では、住民の受け入れ反対運動は起きていない。しかし、かつて処分場建設に反対した市民グループの間では、震災がれき処理による「二次汚染」を心配する声が上がっている。県が受け入れを検討していた昨年6月、住民から相談を受けた関口は現地に足を運んだ。昨年末は2度目の笠間入りだった。
◆自家用車で全国を奔走
関口は20年以上前からごみ問題の現場を歩き、住民を支援する活動を続けてきた。事務所のある長野県中野市から自家用車で出掛けていく。
「時間が惜しい。車を使えば、深夜も移動できる。年30日は車中泊。車中には計測器だけでなく、枕と毛布も常備している。今の車は買って5年目だが、もう22万キロも走った」
3・11以降は、放射能汚染と真正面から取り組む。宮城、岩手両県の震災がれきを被災地以外で受け入れる「広域処理」問題では、笠間市のほか、新潟県や愛媛県の市民グループとも連絡を取り合っている。
笠間市の測定結果の分析はこれからだ。だが、独自に調査した新潟県三条市では、試験焼却の際に放射線量が増加した。関口は「二次汚染の可能性は否定できない」と危ぶむ。
「100秒間に計測する放射線の数が、焼却前の600回前後から焼却後には700回前後に増えた。明らかに焼却の影響だ。三条市が公表した測定結果でも、焼却前後で線量が上昇したケースがあるが、行政側は『通常値の範囲内』で済ませている」
ごみ問題に精通した関口から見れば、日本のごみ行政は欺瞞に満ちている。焼却炉の排ガスのダイオキシン類測定は「年1回、わずか4時間、しかも安定燃焼時に測定した超スポット(短期)測定データだ」。大気汚染防止法には、鉛やヒ素、水銀など重金属類の測定義務はなく、大半の有害物質は野放し状態になっている。
環境省が広域処理の安全性をアピールする際、「放射性セシウムがほぼ100%除去できる」と誇るバグフィルターの性能にも、3・11前から疑問を投げかけてきた。
「粒径が1マイクロメートル以下の微細粉じんはバグフィルターでは除去できない。微細粉じんに付いた放射性物質は肺胞まで達し、内部被ばくの原因になりかねない。がれきは安易に焼却するのではなく、防潮堤の芯材などに活用していくべきだ」
1991年7月14日、関口は母校の長野県立飯山北高校(飯山市)にいた。生徒が企画した産業廃棄物問題の公開討論会にパネリストとして参加するためだった。
当時としては全国最大規模の産廃処分場建設計画が、飯山市に隣接する旧豊田村(現・中野市)の千曲川沿いで進んでいた。討論会には産廃処理会社の社長と部長、住民側は関口らが出席した。
その様子は新聞やテレビで大々的に報道され、反対運動が一気に盛り上がった。業者は最終的に計画を断念した。
「大手ゼネコン出身の産廃会社社員は実に横柄だった。国や県の職員も威張っていた。ああいうふうに人を見下す連中に一生食らいついて、辞めさせてやりたいと思った。あの討論会が、ごみ問題に取り組むきっかけになった」
もともと、ごみ問題に詳しかったわけではない。30代も半ばに差しかかったころ、事業に失敗した。人と会うのが嫌になって、3年間の引きこもり生活を送った。「本当に惨めだった」
転機は、82年と83年に発生した千曲川の洪水だった。
国は「多雨が原因」と主張した。納得できない住民たちは、信州大学で地質学を学んだ関口に助け舟を求めた。川床を掘るなどして調査した結果、多い年には約40センチも堆積していることを突き止めた。
「上流の開発による土砂流出が原因だった。川を毎日眺めている住民たちは堆積に気づいていた。科学は住民のために使われなければならないと痛感した」
「防災をやろう」と千曲川周辺を歩いていると、たびたび住民から「ごみの山を見てくれ」と声を掛けられた。千曲川沿いには80年代末、知事の許可が不要な小規模処分場や小型焼却炉が次々と建設され、あっと言う間に「産廃銀座」と化していた。その“象徴”となるはずだったのが、飯山北高の公開討論会で俎上に上った巨大処分場だった。
95年に結成された民間団体「長野県廃棄物問題研究会」の調査研究責任者兼事務局長を務めるようになると、その名は県内外の産廃関係者に知れ渡った。
「長野県内では、焼却施設や処分場をめぐり、200件以上の紛争が起こった。そのほとんどに関わったが、9割以上は住民側が計画や事業を断念させた。地域がまとまって業者や行政と交渉することが大切だ」
裁判沙汰になったり、マスコミに騒がれたりするのは「住民の合意形成が不十分な場合が少なくない」とみる。「リーダーが聞きかじってきた知識で延々と演説する。運動の広がりを考えず、住民の意識が低いと決めつける。そうした頭でっかちの運動はダメだ」
暴力などで威圧する業者も少なくない。関口自身、窓から外に放り投げられた経験もある。だが、「本当は業者の方が地域住民を恐れている」という。「淡々と交渉する住民運動こそが一番扱いにくい。地域の自然の中で働くおじいちゃん、おばあちゃんが反対すると強い」
広域処理の反対運動には「もっと地域に溶け込んでほしい」とアドバイスする。
「焼却施設などの地元地区を一軒一軒回るところから始めるべきだ。国策を変えるには、市町村を住民側に引き寄せる必要がある。市町村を変えるためには、自治の基礎単位である自治会などの合意を積み上げていくしかない」(敬称略、佐藤圭)
[環境運動家 関口鉄夫さん(62)]
せきぐち・てつお 1950年、長野県飯山市生まれ。県廃棄物問題研究会の調査研究責任者兼事務局長、県廃棄物処理施設検討委員を歴任。信州大や長野大、滋賀大の非常勤講師も務めた。草の根の保健医療の実践者を顕彰する「若月賞」を99年受賞。信州大卒。著書に「ゴミは田舎へ?」。
[デスクメモ]
新聞記者の本懐はウソを暴くことにある。「よくぞ暴いた」とほめてほしい。だが、福島事故以来、原発の安全性や電力需給などでウソまみれの実態が知れ渡った。最近では、ウソがあったと書いても驚かれない。商売あがったりだ。誰も信じられない社会。信頼の崩壊には放射能並みの罪深さがある。(牧)
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