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犠牲の灯り 第1部「ちむぐりさ」/7 島の神様
2013年1月9日 東京新聞[社会]
「大切なもんを汚してしまった。田んぼや畑、海も山も川も、ぜんぶ」
東京電力福島第一原発事故から4カ月が過ぎたころ。福島県いわき市の沖縄料理店「宮古島」。三線の音色が神妙な空気に響く。名嘉幸照(71)は、泡盛の水割りグラスを握ったまま、おえつした。「俺は加害者なんだ」
名嘉は沖縄県北部の伊是名島で生まれた。ぐるっと一周しても15キロほどの離れ島。産業といえば、サトウキビの栽培ぐらい。
あの戦争が終わってまもなく。島にも小さな発電所ができた。各家庭への送電は日が落ちてから3時間ほど。名嘉家にも裸電球がひとつついた。「すごい明るくてね。1個で島中を照らせたさ」
台風が来るたび、石油ランプの下でおびえていた。その闇をかき消す灯り。大げさにいえば「神様みたい」と思った。
沖縄本島の水産高校を出た後、商船会社に入った。機関士として働いたが、“灯り”へのあこがれは消えることはなかった。
◆◆
沖縄が本土に復帰する5年前の1967(昭和42)年、福島第一原発1号機が着工。原子炉を担当する米国ゼネラル・エレクトリック(GE)が日本人の技師を募集した。「あの裸電球を灯す仕事だ」
即座に会社を辞め、米シアトルの大学や米国内の原発で知識をたたき込んだ。28歳でGEへ入社。福島第一原発の検査技師として「神様の世界」へ飛び込んだ。
福島原発とは以来40年余の付き合い。80年に独立し、東電の下請けで保守点検をする「東北エンタープライズ」を興した。
名嘉は近づくだけで原子炉の機嫌を判断できるという。「よし、頑張れ」と声を掛けながら関連機器の一つ一つにステンレスの棒を当てて耳を澄ませる。「放射線量だって分かる。職人なんさ」。神様はコントロールできると思った。
会社は従業員が40人に達し、東京や大阪にも営業拠点を構えるまでになった。
順風満帆に見える人生で、名嘉には気の合った仲間にすら口にしない過去がある。
高校時代、仲間とともに日米安保の反対運動に参加。当時の米アイゼンハワー大統領が沖縄入りした60年には空港近くでガソリンに火をつけ、米軍に捕まったことも。
高度成長のただ中。米軍基地をはじめ沖縄に犠牲を押しつけながら豊かになっていくニッポンが憎かった。
◆◆
それから半世紀余り。あの事故で、東電とともに歩んできた名嘉は犠牲を求める側として苦中にある。福島事故で汚染された海をぼうぜんと見つめる漁師たち。「俺のせい。すごくショックでさ」
事故直後、政府や東電に収束作業の手順を進言した。原子炉格納容器に無数に延びる配管のダメージが、手に取るように分かる。
ある日、東電の若い技術者が「どうしてそんな事言えるんですかねえ」と電話をかけてきた。見下したような物言いに「現場の事を分かっているのか」。ずっと従ってきた東電に初めて怒鳴った。
そろそろのんびり暮らそうか─。70を前に、故郷に似た海が見える高台に買った福島県富岡町の新居。警戒区域に入った今は近寄ることすらできない。原子炉の鼓動を聞き続けてきた両耳は事故後、随分と遠くなった気がする。
福島第一原発は原子炉や建屋が崩壊し、もはや神様とは呼べない。それでも、名嘉は一時帰宅で真っ先に持ち出した濃紺の作業着に身を包み、事故収束にあたる部下たちの陣頭に立つ。
これからもずっと…。たぶん「死ぬまで」。(敬称略)
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