http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/611.html
Tweet |
「つらぬけばそこに」<5> 舞台俳優 愚安亭遊佐さん(66)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013010702000127.html
2013年1月7日 東京新聞[こちら特報部]
「かかあ、いいから聞け!」。漁師の男が女房に向かって怒鳴る。「文化的な生活には、工業誘致が必要なのだ」と主張する男。女房は「海の男のあんたが好きだったのに。あんたは誇りをなくした」と叫ぶ。悔し紛れに男は女房の首に手をかける。
年の瀬の東京都内のスタジオ。今月の東京公演に向けた「こころに海をもつ男」の稽古の一場面だ。漁師の夫婦を一人で演じ分けるのは、愚安亭遊佐(66)。小柄な体で足を踏み鳴らし、所狭しと動き回る。
下北半島に住む漁民たちの生活を描く。ひとり芝居の台本はすべて自作。せりふでは下北半島のお国言葉がポンポン飛び出す。
下北のなまりが自然なのは当たり前のこと。青森県むつ市の漁村・浜関根出身。村一番の網元の家で、8人兄弟の5男に生まれた。
「こころに─」の主人公は青森県六ケ所村の漁師。物語は漁村の情景から始まる。貧しくても夫婦仲むつまじい暮らし。ある日、巨大開発計画に巻き込まれる。主人公は不動産業者にカネと女で言いくるめられ、漁をやめて、土地買いの手先になる。
やがて計画は立ち消え、だまされていたことが分かる。女房は夫の元を去り、男は大金と漁師の誇りを失う。冒頭の場面は、その時の夫婦げんかの様子だ。
作品の下敷きにしたのは、1960年代末から70年代初頭に検討された六ケ所村を中心とする「むつ小川原開発計画」。高度経済成長期、国と産業界は各地で巨大開発計画を立てた。
六ケ所村では石油コンビナートが建設されるはずだったが、73年の石油危機で宙に浮いてしまった。買い手のない空き地に80年代半ば、核燃料サイクルセンター建設計画が入り込んできた。
生々しい描写は自身の経験に基づいているからだ。中央大に進学して芝居に出会い、卒業後、劇団を結成した。
車1台で全国各地を回り、各地の路上で公演を続けていた。その最中、故郷の浜関根に原子力船「むつ」の母港を建設する計画が持ち上がった。
試運転で放射能漏れ事故を起こし、最初の母港だったむつ市の大湊港を追われたためだ。81年5月、当時の中川一郎科学技術庁長官が地元を訪れ、「母港建設を地域開発の起爆剤に」と地元の理解を求めた。
母港化によって、防波堤が建設されてしまえば、潮流は大きく変化し、漁業に壊滅的な影響が出る。漁民は強く反対した。自分ももちろん、許せなかった。公演の合間に地元に帰り、反対運動の中心となった3番目の兄を手伝うようになった。
ところが─。「最初は漁民と行政の戦いだったのが、そのうち漁民同士が推進派と反対派に分かれ、反目するようになった。漁業補償金の額をめぐっても対立した」
青森県を中心とした建設推進側による反対派分断工作の結果だった。「単純な話ですよ。カネ、酒、女、それからばくち。情けないくらい男ってもろい。俺は負げねえど、なんて言ってた漁師が、コロッと変わった」
「恥ずかしいが、うちの長兄も県の息がかかった業者にキャバレーに連れて行かれて。夫婦仲も壊れた」
長兄は4億円の漁業補償金を手にしたが、「3年後には7億円の借金に変わった」。借金の保証人を頼まれたり、怪しげな投資話を持ち掛けられたり…。大金に群がる人に食い尽くされ、家屋敷は抵当に入った。
当初は反対だった地元漁協の組合長も同じだった。黒塗りの車が頻繁に迎えにくるのをいぶかしんだ新聞記者が後をつけると、青森市の浅虫温泉で芸者の着物をめくって遊んでいたという。
そんな接待攻撃を目撃したこともある。ある時「県職員が漁師数人を民宿で接待している」といううわさを聞いた。現場を押さえるため、宴会場に行ったが、もぬけの殻。だが、灰皿から煙が立ち上り、おちょうしがまだ熱い。
2階に駆け上がると、男たちが寝息を立てていた。役者だから、ウソかどうかはすぐ分かる。「いつまでたぬき寝入りしてるんだ!起きたらどうだ!」と怒鳴ると、県水産部の部長と課長、係長が、ネクタイに背広姿でムクッと起き上った。
反対運動にもかかわらず、結局、83年8月、地元漁協は4票差で「漁業権放棄」を可決した。反対漁民の数がなかなか減らないため、勝ち目がないとみた推進派が、病人や出稼ぎの長期不在者などを正組合員に格上げし賛成数を増やしたのだ。
「子どもの頃はジャガイモをいろりで焼いて食っていたが、貧しいと思ったことはない。開発がやってきて、村人の間に貧富の差を作り、貧しさを植え付けていった。漁師はプライドを失い、生きる気力をなくした。村の人間関係は壊れ、笑いが消えた」
80年代半ばから、六ケ所村で核燃料サイクルセンターの建設を急ぐ国や県、電気事業連合会が漁民の切り崩しを激化させた時、脳裏によみがえったのは、「むつ」母港建設に揺れた故郷の光景だった。
86年には、チェルノブイリ原発事故が起きた。「原子力開発がやってくる前後の下北の漁民を芝居で語ることで、生き方を考えたい」。そう強く思うようになった。
ひとり芝居で必ず描くのは、開発前の穏やかな暮らし。北海道のニシン漁場に「やん衆」として出稼ぎに行っていた時代の夫婦の面白おかしい小話や、正月に「幕開き」と称して村中で飲めや歌えやの宴会をしていた様子…。観客からはいつも大爆笑が起きる。
「こころに─」では、警察官との小競り合いで背広を破かれた主人公が「漁師の魂だけは破かせるわけにはいかねえんだぞ!」と叫ぶ場面がある。沖縄の糸満市で演じた時、客席から「おう、そうだあ!」と声が上がった。「海人(漁師)のじいちゃんだった。全国で公演すると、開発がある地域ではどこでも、下北半島と同じことが起きていると気づいた」
しばしば「反原発の役者」と呼ばれる。だが、その呼び名には違和感を持っている。「芝居は政治的な宣伝ではない。共感してもらわないと成り立たない」と思うからだ。
「巨大開発がやってきて、それでも生きていかねばならない漁民の日常を描いているだけ。権力が人間を分断し、暮らしを壊すのが許せない。漁民が海を愛し、海を相手に精いっぱい生きる。そんな当然のことが、反原発になるなんてね」(敬称略、出田阿生)
[デスクメモ]
演劇は最も歴史ある表現方法だ。なにせ、ギリシャ悲劇から。小説なんか、比べものにならないほど古い。しかも、食えない。もうからない。ある劇作家は2千年を超える芝居の歴史を「食えない歴史」とまで語った。それでも表現せずには、演じずにはいられなかった人々がいる。すごいことだ。(栗)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素29掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。