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本音のコラム
■鎌田慧「原発 良識ある撤退」(1日付東京新聞29ページ「こちら特報部」)
明けましておめでとうございます。
といいながらも、「めでたさも中くらいなりおらが春」と反芻(はんすう)している。あと百日ほどで、福島原発爆発事故から二周年。いまだ収束のメドたたず、多くのひとびとが苦しみと不安のうちに年を越した。「高濃度放射能放出事件」ともいえる。歴史的な大事故は、目下継続中だが、忘れたがっているひともいる。
「官軍と夷虜(いりょ)の死の事古来幾多(いくた)なり。毛羽鱗介(もううりんかい)の屠(と)を受けし過現無量(かげんむりょう)なり」
岩手県平泉にある世界文化遺産・中尊寺の落慶供養に寄せた初代・藤原清衡の「願文(がんもん)」である。
東北を攻めたてた官軍と蝦夷(えみし)軍の戦死者は、古来膨大な数だった。そればかりか、鳥獣魚介類の死もまた無数、すべての生きとし生けるものを浄土へ導きたい、とする祈りである。
空を飛ぶ鳥、海を泳ぐ魚、森を走る小動物、川岸で歌う昆虫や田園の作物、その地下に生息するチョウやセミの幼虫、ミミズの果てにいたるまで、わたしたちの世界はいのちの連環でつながっている。そのすべてが、世にもおぞましい放射能に冒されている事実に、思いを馳(は)せることなく、まだ原発をつづけようとするものがいる。神を畏れぬ傲慢(ごうまん)、といっていい。
核実験を成功させた瞬間、科学者たちはそのあまりにも強大な破壊力に恐懼(きょうく)し、アラジンのランプから、この世に魔物を引きだしてしまった、と後悔した。
アインシュタインを、原爆開発に動かしたのは、ナチスが先にウラン爆弾を成功させることの恐怖からだった。「原子爆弾の製造にドイツ人が成功しないということを知っていたら、指一本動かすんではなかった」とほぞを噛(か)む思いで語った(ロベルト・ユンク『千の太陽よりも明るく』菊森英夫訳)
恐怖の妄想から原爆が生みだされ、広島、長崎市民の頭上に投下された。原爆は悪魔的な産物の廃棄利用だったのだから、正当性のあるものではない。
「原爆で手足ちぎられ酪農家」と牛舎の黒板に書きつけて自殺した農民の悲劇を、わたしたちは忘れている。たくさんの牛や豚や小動物が死んだ。津波で押し流された家族を探すのを阻んだのは、放射能の壁だった。原発は多くのひとたちを絶望させた。
新政権が原発再稼動を強行したがっている。経営的理由からだ。しかし、事故後の収束作業で、すでに数人の労働者が心筋梗塞などで死亡した。原発は人間の働くところではない。非人間的な労働環境に、むりやり労働者を送り込むのは、非人間的行為でえある。被曝(ひばく)労働者の犠牲によって維持される「快適な生活」をこのままつづけたくない。
原発労働者の家族が、夫や子どもの死を、「被曝死」として訴えても、この国の裁判官は認めなかった。原発四十年の歴史で、労災認定者はたった十三人だけである。
この地震列島に原発をもちこみ、五十四基も建設させたのは、わたしたちの無知だった。核廃棄物は、わたしたちの無知だった。核廃棄物は、十万年後の子孫まで恐怖させる。原発は瞬間的な快楽だった。道徳的な頽廃(たいはい)だった、と気づいたいま、犠牲を子孫にまで先送りするのはやめよう。脱原発は歴史的責任である。
(ルポライター)
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上記記事は 2013-01-01 鎌田慧「原発 良識ある撤退」(東京新聞)【vanacoralの日記】 から転載。
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